意訳「曹周本」


第82回
   林黛玉、図を見て故郷を思い、賈存周、皇恩を賜りて職を遷る
 さて黛玉は、紫鵑に支えられて邢岫烟のところから戻り、マントを脱いで、五色に織った貂皮の内着に着替えると、雪雁がバタバタと鶏皮とエビの粥を運んできました。黛玉は例の習奴が懲らしめられたのが嬉しく、塩漬けの鵞鳥の肉を一切れ食べました。紫鵑は笑って「お嬢様は今日は食が進みますね。他に何か食べたいものはありますか?」 黛玉は「塩辛い鵞鳥の肉を食べたので、甘いスープが欲しいわ」。 雪雁は「先ほど奥様が上等の雪梨(中国梨の一種)を届けて来られ、氷砂糖を加えて煮込み、お嬢様に差し上げるようにとのことでした。肺を潤し、咳を止めるのにとってもいいそうですから、すぐに皮をむいて温めてきますわ」と言って、すぐに手を洗い、梨をむきに行きました。しばらくすると碗に盛ったものを持ち運んできました。黛玉は数口飲んで、「雀に餌をやった? 今日は寒いから雀も寒がっているんじゃないかしら。気をつけてね」と言うと、ひとしきり鸚哥をからかって遊ぶのでした。

 紫鵑は「お嬢様は今日はお疲れになったのですから、少し横になったほうがよろしいですわ。寝床は暖めておきましたのでお休みになってください」。 黛玉は紫鵑と雪雁に助けられて横になり、二人はこっそりと退出しました。しばらくすると黛玉が静かになったので、雪雁はこっそりと紫鵑に言いました。「お嬢様は今日はどこに行かれたのかしら。あんなに喜んで。毎日あんなだったら病気なんてすぐ良くなっちゃうでしょうに!」 紫鵑も「本当ね」と言って、岫烟のところで起きたことを一通り話しました。雪雁は「お嬢様はきっと人に踏みつけにされるのを恐れているのね。ねえ、宝のお嬢様も出て行かれたけど、私たちが人に踏みつけにされた時はどこに行ったらいいんでしょう? 南方に戻っても親しい人はいないし」。 紫鵑が話を続けようとすると、部屋の中で咳をする声がしたので、二人は話をやめて中へ入りました。

 紫鵑が「お嬢様はまだお休みになりませんの?」とそっと尋ねると、黛玉は「とばりを開けて。どうせ眠れないんだから、ちょっと起きて座っていたいわ」。 紫鵑は「いくらもお眠りになっていないのに、どうして横になろうとしないんです?」 黛玉は「起こしてよ。ちょっとベッドの上に座るだけだから」。 雪雁は急いで赤い大毛の衣服を黛玉に着せました。

【補注】虎丘
虎丘は春秋時代の呉王・闔閭の墓地であったとされ、葬儀の3日後に白虎が現れて塚の上にうずくまったので、虎丘と呼ばれるようになったと伝えられます。八角七層の雲厳寺塔(虎丘塔)の下には池があり、自然石の上に書家・顔真卿の筆による「虎丘剣池」の4字と、画家・米苻の親筆による「風壑雲泉」の4字が彫られています。闔閭は剣を好んだので、葬る時に三千本の名剣を副葬したとされ、のちに秦の始皇帝と呉の孫権が巌(いわお)を穿って剣を掘り出そうとしたものの、共に剣は得られず、穿った穴が池になったので「剣池」と命名したと伝えられます。
 黛玉が「数日前に宝玉さんが買っていらした『姑蘇風景図』を持ってきてちょうだい」と言うので、雪雁は書棚から取ってきました。黛玉は膝の上に広げてパラパラとページをめくりながら、雪雁に尋ねます。「虎丘(こきゅう)を覚えてる? 姑蘇にいた小さい時にはよく遊びに行ったっけ。その後揚州に行ったからだんだん忘れてしまったけど」。 雪雁は「全てではありませんが、闔閭(こうりょ)の墓、虎丘寺、剣池(けんち)といったところは何となく覚えています」。 黛玉は「闔閭の墓は虎丘の山下にあるの。呉王の闔閭を葬って三日後に、白い虎がその上にしゃがみこんでいたと伝えられ、それで虎丘というのよ。虎丘寺が闔閭陵であると言われていて、岩の下に石穴があいていて、水がたまり、池になっているの。闔閭はその下に葬られていると言われていて、専諸・魚腸剣を三千本副葬したので剣池という名になったのよ」。 雪雁は「なるほど、『虎丘剣池』っていうのはそういうわけですか。あの字は誰が書いたんですか? とても勢いのある字でしたけど」。 黛玉は「顔魯公(顔真卿・がんしんけい)が書いたものよ。でも、あの『風壑雲泉(ふうかくうんせん)』と彫ってある四字は北宋の米南宮(米芾・べいふつ)の字なの。晋代に王珣(おうじゅん)が書いた『虎丘山記』に『山が大勢にて、四方には峰が聳える。南は山道で、両面は壁のように切り立ち、上では林が交合し、下には蹊路(小道)が通ず』とあるんだけど、この絵はまさにその通りに描かれているわね。四方の水は北居易が蘇州に来たときに掘られたもので、渓流が互いに映り、別れて仙島を成し、青き波の流れを遡れば、緑の峰が険しく切り立つ。私たちは小さい時に見慣れていて、当たり前の景色だと思っていたけど、もう見ることは叶わないのね」と言って目を赤くし、急ぎハンカチで涙を拭きました。雪雁も傍らで嗚咽するのでした。

 紫鵑は笑って「お嬢様が言われるのを聞いていたら、私も見たくなりましたわ。そんなに素敵なところだったんですね」と言って黛玉の側に来て、指さして尋ねます。 「この塔は高いんですね。何という名前ですの?」 黛玉は「これは虎丘塔といってね、王珣が琴台とした故跡なのよ」。 紫鵑はさらにページをめくって聞いた。「この岸の上にある二つの青い石は、まるで鳥が横たわっているみたいですね。何というところですの?」 黛玉は「ここは舟を停めて試曲した場所で、鳳凰台というのよ」。 紫鵑は「鳥に似ているので、そんな素敵な名前になったのですね」と言って、また数ページめくり、「この飾り提灯はとても精巧ですね。どうやって作ったんでしょう?」 黛玉は「これは琉璃灯といって元々は青と白の二色があり、広東一帯から伝わって、今では姑蘇でも作るようになったの。ガラスの破片を細かく砕いて丁寧に選り分け、炉で溶かして、精巧な飾り提灯や卓上灯にするのよ。灯盤には金銀、銅や錫と上薬を使って、牡丹、蝶々、芍薬なんかを描いて精緻なものにするのよ。小さかった時、私の家でもお正月になると廊下の軒下に掛かっていたわ」。 紫鵑は「お嬢様がお好きでしたら、一つここに掛ければ気晴らしになるんじゃないでしょうか」。 またしばらくして「これは寺院じゃないのかしら? ここの人は変ですね。真夜中になっても眠らず、舟の中で横になって何を聞いているのかしら? これは茉莉花(マツリカ)籠っていうみたいですけど、椿や臘梅(ろうばい)が挿してありますね。名前を代えたらいいのに」。 黛玉は「お前は知らないのよ。それは姑蘇で有名な寒山寺で、唐代の張継(ちょうけい)の『姑蘇城外の寒山寺、夜半に鐘の音が客船に到る』という詩があって、この絵はその様子を描いたものなの。茉莉花籠っていうのは総称じゃなくて、色鮮やかな花をいろいろ挿したものなのよ。木香(もっこう)、ハマナス、碧桃(へきとう)、芍薬なんかが籠の上に挿してあってとても綺麗なの。小さかった時、私のベッドのとばりにも掛かっていたわ。あの花からにじみ出る香は心を清めてくれるのよ。私は室内で香を焚く臭いってあまり好きじゃないもの」。 紫鵑は「そうでしたら、明日持ってきて、お嬢様のベッドの上に掛けておきましょう。お嬢様に香りや花びらを楽しんでいただけますわ」。

 黛玉は、紫鵑があれこれと気を紛らせてくれる様子を見て、すまない気持ちになり、紫鵑に助けられて起きあがると、机の側に座りました。紫鵑は彼女が本を読むと知って、雪雁と一緒に退出しました。

 黛玉は図画を見てこもごもの思いが沸き上がり、しばらく泣くと、けだるさを感じて、夕食も摂らずに寝てしまいます。翌日は早くに目を覚ますと、続けざまに咳をしました。紫鵑は急いで痰壺を持ってきました。黛玉が「紙と筆を持ってきて」と言うので、紫鵑は「お嬢様は咳がしたばかりでお休みになったほうがよろしいのに、なぜまた神経を使われるのです?」 黛玉は「いいから持っておいで」。 紫鵑はやむなく持ってくると、黛玉は筆に任せて「臨江仙」の詞を一首書きました。

 夢醒三更更漏永、沙沙竹泪相欺。 (夢醒めれば三更にして更に時永く、サヤサヤ鳴る竹露は欺く)
 月流霜重洗花枝。無人知此意、還是旧相思。 (月流れ霜は重なりて花枝を洗う。此の意を知る者はなく、なおも旧きを慕う)
 遥見虎丘吹笛処、淡烟、茅舎、疎籬。 (遥かに臨む虎丘の笛吹く所、淡き煙、茅屋、粗末な垣)
 一簾幽夢問帰期、道:値寒冬日、不是雁回時。 (一簾の憂夢にて帰る時を問えば、曰く、寒き冬日にて、雁の帰る時にあらず)

 紫鵑が歩み寄ると、黛玉は顔を真っ赤にして、あえぎが止まらない様子。紫鵑は黛玉の頭に触って「とうとう病気になられましたね。ひどく熱があるようですので、御隠居様に申し上げてきます」。 黛玉はこれを引き留めて「何ほどの病気というわけじゃないし、慌てて申し上げに行かなくてもいいわよ。また軽はずみだって言われるわ」。 紫鵑は地団駄を踏んで、「誰がそんなことを言うもんですか。お嬢様は千金の体だし、重い病気になったんですから、申し上げないわけにいきませんわ」と言って、雪雁に「よくお仕えしてね」と申しつけると、まっすぐに賈母のところにやってきました。

 部屋の中は黒山の人だかりで、邢、王の二夫人、李紈、煕鳳、尤氏、探春なども皆ここにおり、どの顔にも喜色があふれていました。紫鵑は「いったい何事なの?」とこっそり鴛鴦に尋ねます。鴛鴦は「二の旦那様(賈政)が工部侍郎に昇任なさったの。たいへんな喜びごとでしょう?」 紫鵑は「本当? それは喜ばしいことね。でも、うちのお嬢様が病気になってしまったの。折を見て御隠居様に申し上げ、医者を呼んでいただくように言ってくれない?」。 鴛鴦は「御隠居様はとてもお喜びだから、今申し上げましょう」と言って、賈母に「紫鵑が来て、林のお嬢様が病気になられたので、医者を呼んで診ていただきたいと申しています」。 賈母はこれを聞くとすぐに「呼んでおあげ!」と言い、また紫鵑に尋ねて「嬢ちゃんはいったい何の病気なんだい? あまり心配させないでおくれ」。 紫鵑は「朝はとても良かったんですが、ちょっと外に出ましたら、風に吹かれて熱を出されました。そんな大病ではありません」。 賈母はこれを聞いてやっと安心し、「あの子は他の人より弱いんだから、よく注意していておくれ。よく養生するようにって言っておくれ。伯父さんが昇進したので、日を改めて酒宴を開き、劇をかけるけど、その時は起きられないというわけにはいかないからね」。 紫鵑は「はい」と言って退出しました。煕鳳は急いで太医院に人をやり、王太医に黛玉の病気を診察してもらったのでした。

 さて宝玉は、この日、朝早く起きるとけだるさを覚えました。襲人はそれが迎春のためであることをよく分かっていました。それにまた、晴雯が亡くなり、芳官と四児が去ってからは宝玉はちっとも面白くなく、襲人らに対してもかなり冷淡になっていました。襲人は宝玉の機嫌を直そうと思って「宝のお嬢様が出て行かれてから、それっきりになっていましたね。今日は天気もいいですし、林のお嬢様をお誘いして宝のお嬢様にお会いになっていらっしゃいな」と言うと、果たして宝玉は喜びました。襲人は急いで猩猩緋のマントを宝玉に着せて、「一緒に参りましょう。私は大奥様のところで靴の型を切らなくてはいけませんので、奥様(薛未亡人)、宝のお嬢様、琴のお嬢様によろしくお伝えください」。 宝玉は「お前は家の中でも遊ぶ方法を考えているんだな。ふさぎ込んで病気にならないようにしなよ。ここに残っているのはお前と麝月、秋紋らだけになってしまったんだから」と言ってため息をつきました。襲人はあわてて話をそらし、宝玉を急かせて、一緒に怡紅院を出ました。

 ちょうど焙茗が慌てて駆けてきて、宝玉を見るとぐいと捕まえ、「宝玉様、早く御隠居様にお祝いを述べに言いに行ってください。大殿様が昇任されたんですよ」。 宝玉は「何に昇任したって? ちゃんと言いなよ」。 焙茗は「郎なんとかだそうです。確かなことは行けば分かりますよ。大殿様もすぐに戻って参ります」と言って、宝玉を賈母の部屋に引っ張っていきました。襲人もこっそりと付いていきました。

 そこでは、賈珍、賈璉に付き添われた賈政が、賈母に喜びを述べ、叩頭をしているところでした。賈母はしばし声を詰まらせた後、彼らを引き起こして言いました。「祖廟には行ったのかい?」 賈政は「もう行ってきまして、御隠居様にお喜びを述べに参りました」。 賈母は「皇恩は大きく、また御先祖様のお陰で我が家はどうやら辱めを受けずに済んできたというものだね。お前ももう休みなさい。ここには珍さんと鳳ちゃんに残ってもらって接客のことを相談しておくれ。とにかく体面を大事にして、親しい方々の笑いものにならないようにね」。 賈珍、賈璉、宝玉らはみな賈母にお祝いを述べ、叩頭しました。賈母は喜んで「お前たちも父さん、叔父さんを見習ってくれれば、我が家の将来も明るいってもんだよ」。 賈珍と賈璉は跪いて答えます。「孫や子供たちは不肖ゆえ、御隠居様には御心配をおかけしております」。 賈母は宝玉を引き起こし、「母さんと一緒に、父さんのところに行き、父さんと母さんにあいさつしたら、一緒に休みなさい。これから忙しくなるからね」。 また、襲人が近くにいるのを見て、一緒に行くように言いました。

 賈母はまた、鴛鴦に三百両の銀子を持ってこさせて、煕鳳に渡し、祝いを述べに来る客のもてなし等に充てるようにさせました。煕鳳は「お祖母様が三百両を下さったわ! そうでなければ私もちょろまかせないし、いくら穴埋めさせられるか分かったもんじゃないもの!」 賈母は「こいつめ、そんなことを言うんなら、この三百両の銀子はやらないよ」。 煕鳳は笑って「お祖母様はみんなが言うとおりのお人ですもの。取り返すような仕打ちはされませんわ。お祖母様が出したくないと言うのなら、私にも考えがありますわ。まず二百両をちょろまかします。明日客が来たら、お祖母様にこう言っていただくの。王、侯の御主人様、王妃様、御母堂様、御夫人様は山海の珍味や鶏鵞魚肉なんて食べ飽きているでしょうから、特別に精進料理を準備しました。きっとお喜びになられるものと思います。伯父様が転任されて、どのみち芝居がかけられるんですから、心配もありませんし、私は人をやって何串かのお金を持ってこさせればそれでおしまい。二百両の銀子が丸儲けというわけですわ」。 賈母は「そんなことなら、精進料理も用意しなくていい。こう言うのさ。王、侯の御主人様、王妃様、御母堂様、御夫人様は手みやげを御持参ください。山海珍味、鶏鵞魚肉は食べ飽きているでしょうから、清茶をお飲みになって芝居をご覧くださいってね。三百両の銀子が丸々省けるってもんさ。おまけに祝いの品を私たちがもらってしまえばもっと儲けられるってわけだね」。 煕鳳は手を叩いて笑い、「素晴らしい、お祖母様のお考えは万全ですわ。大殿様が昇進されて、財を築かれることでしょうから、私たちもこれに乗じて、もっとかすめ取る方法を考えないといけませんね」と言ったので、一同は笑いがとまりません。

【補注】嗟来の食(さらいのし)
「礼記」にある語。春秋の頃、斉の国が大飢饉に陥った時、黔敖(けんごう)という金持ちが、通りがかりの餓えた人々に飲食を施していました。ある時、ぼろを纏い、いまにも倒れそうな者がやって来たので、黔敖は尊大な態度で「嗟(おいこら)、こっちに来て食え」というと、その者は「私は嗟来の食は食わない」と断って、ついに餓死したという故事から、無礼な態度で与えられる食べ物、または人を見下げた振る舞いのこと。
 賈母は涙を流して笑いながら、「こいつめ、ずるいもんだね。お前達の大殿様(賈政)は清廉公正な人だよ。私の見るところ、工部侍郎はお前のほうがうまくやれるね。工部の下でどれだけの事業が行われるか考えてみなよ。交通、建造、水利、屯田で、毎年どれだけの収入がある? お前が行ってちょっと奸計をめぐらせれば、すぐに陶朱・猗頓(とうしゅ・いとん=大金持ちの代名詞)になれるさ」。 煕鳳がこれに答えようとすると、人が来て「夏の旦那様がお祝いを述べに人を寄越しましたので、二の旦那様(賈政)は、二の奥様(煕鳳)に出てもらうようにとのことです」。 煕鳳はこれを聞いて、太監の夏秉忠だと知り、眉根を寄せて言いました。「これもみな、お祖母様が賑やかにされたからですわ。まだお金が入ってきていないのに、災いの種を招くなんて。陶朱になれずに乞食の銭囤(せんとん)になってしまうわ」。 一同は、乞食の銭囤とは何なのか分からず、顔を見合わせるばかり。煕鳳は「嗟来の食(さらいのし)を食べずに飢え死にした無礼者の銭囤ってのがいたじゃない。私が知らないとでも思ってるの?」 一同はポカンとし、李紈と探春はちょっと考えると、腹を抱えて笑い出しながら煕鳳を指さして言いました。「誰が銭囤なもんですか。『礼記』の故事を言っているの? あれは乞食の姓が銭(qian)なんじゃなくて、施しをした人の姓が黔(qian)なの! 黔敖(けんごう)っていう人よ!」 尤氏も笑って「鳳ちゃんはお金のことばかり考えていておかしくなったのね。人の名前さえ銭の囤子(お金を蓄えるところ)にしちゃうなんて」。 鳳姐は笑いながら「何を言っているのよ。私がどうして彼が銭囤か銭敖かなんて知っているのよ。私のところではお金がなくて本当に辛いんですからね」と言ったので一同は大笑い。ここで鳳姐は平児に支えられながら退室しました。

 さて、薛未亡人も賈政が工部侍郎に昇任したと聞き、宝釵と共に祝いを述べにきました。まず賈母のところへ行き、次いで王夫人のところにきたのですが、賈政は応対に出ていて、王夫人が宝玉、襲人、玉釧児等、何人かの侍女といるだけでした。薛未亡人を見ると、急ぎ進み出てあいさつをします。

 王夫人は薛未亡人をオンドルに上げ、「あんたも痩せたし、宝ちゃんもずいぶん痩せたわね。どうして来てくれなかったの?」と言うと、薛未亡人は「あの人(夏金桂)が来てから、私たちの家に安穏とした日なんかないわよ! 宝ちゃんはいい子なのに、あの人はあちこちあら探しをしているの。今も宝ちゃんがつけた名前がよくないからって香菱を秋菱と改名させたのよ。香菱もどうしようもなくなって私たちの側づきになったんだけど、今では病気になってしまったわ」。 宝玉は「あの奥さんは一度会ったことがあるけど綺麗な人だったな。きっと男の人の気質に染まっておかしくなっちゃったんだ。もしずうっと女の子のままだったなら、うちのお嬢ちゃんたちみたいに、心も綺麗なままだったんじゃないかな」。 王夫人は「また馬鹿なことを。あんたに言わせると女の子は永遠に嫁がないほうが良くって、嫁げばおかしくなるっていうのかい。うちの家にはこんなに多くの奥さんがいるけど、どこの誰がおかしいんだい? 言ってごらん」。 宝玉は言葉に詰まり、侍女たちはどっと笑いました。

 宝玉はばつが悪く、急ぎ宝釵に話かけました。「お姉さんは引っ越して行かれてからは、私たちのことなんか忘れてしまったので遊びに来なかったんでしょう」。 宝釵は「忘れたことなんかないわ。ただ、最近母の体調がよくないの。うちのことは、あなた方も知ってのとおりで、今もって体面も何もない有様なの。私もいつも母に、御隠居様や伯母様のところに気晴らしに来るよう勧めてはいるんだけど、家の事が多くて出てこれないのよ。今日は伯父様が昇任されましたので、この機会に気散じに行ってはどうかと母に勧めたの。この賑やかさを見るとほっとするわ」。 宝玉がこれに答えようとすると、王夫人が口を挟み、「宝玉、今日はどうしたの? 久々に話をするのに、そんなに畏まっていたら疎遠になったみたいだよ。私たちは姉妹で話をさせてもらうから、二人で園に行って林のお嬢ちゃんに会っていらっしゃい」。 襲人たちも「宝のお嬢様はしばらく園に来ていませんもの。みんなで園に行って遊びましょうよ」。


 宝釵は喜び、宝玉はもっと喜び、いろいろ話をしながら歩いてゆきます。「お姉さんのこのラシャ地の対襟の内着、どうして見たことがないんだろう? きっと薛の兄さん(薛蟠)が特別に南方から持ってきたものですね」。 またしばらくして、「以前、林妹妹がお姉さんに、花籠を二つ編んでくれるよう鶯児姉さんに頼んでほしいって言ってましたよ」。 宝釵は「何でもないことよ。鶯児に行かせるわ。林妹妹はよくなったの? 私、いつも気にかけていたのよ」。 宝玉は「妹妹もお姉さんのことを気にかけていますよ。先日もお姉さんに会いたいって言っていましたし」。 宝釵は「しばらく会っていないと、なおさら思いが募るものね」。 鶯児がわきから口をはさみ、「そういうことなら、また引っ越していらっしゃったら? また蘅蕪院に住んで姉妹たちで一緒に遊べるんなら、あちらで腹を立てているよりよろしいんじゃなくて?」 宝釵は嘆息して「お母様一人を残して引っ越してこれるわけがないじゃない。分かっているのよ、お前と香菱はこちらの園でいつも遊んでいられればいいと思っているのね」。

 話をしているうちに瀟湘館に到着し、一同は黛玉のベッドを取り囲みました。宝釵は進み出て黛玉の手を取り、「どうしてまた病気になったの? よく養生しないと大きな病気になっちゃうわよ」。 黛玉は「お姉さんが話しに来てくれれればいいなと思っていたのに、ちっとも来て下さらなかったのね。兄嫁さん(夏金桂)ができて、私たちのことなんか忘れてしまったの?」 宝釵は「忘れるもんですか! 夢にさえ、詩を作りあった日々のことが出てくるのよ。でも、私たちも大きくなって、家事を放っておくわけにはいかないの。ご安心なさい、時間ができたら、またきっと会いに来るから。今日はずいぶん体調はよろしいの?」 黛玉は「ちょっと冷たい風に吹かれただけなので、二日横になったらだいぶ良くなりましたわ」。 襲人は「林のお嬢様、早く良くなってくださいね。母方の叔母様(王子騰の妻)があちらで舞戯をおかけになるそうで、新鮮で面白そうではありませんか。こちらの方はもう気が揉めて大変なんですよ!」 宝玉は「誰が気を揉んでいるって? とっても見たいんだけど、この舞戯ってのは戯曲と違って、二人の知音(音律に精通した人)がいてこそ、その面白みを理解できるものなんだ。あいにく妹妹がまた病気になっちゃって、一人ではどうしようもないって嘆息していたんだけど、妹妹の病気もよくなってきたし、あと何日か保養すれば、十分に目の保養ができるってもんさ」。 黛玉は笑って「私は俗人だもの、どうして知音になれましょう。でも、あなた方の話を聞いたら、どうしても見たくなったわ」。 宝釵は「その様子では、病気だってよくならないわけはないわね」。

 宝釵は黛玉の枕元に『姑蘇風景図』を見つけ、手にとってめくると、中に挟まっていた薄青色の用紙に黛玉が書いた『臨江仙』の詞を見つけました。

 黛玉はこれを見ると慌てて「お姉さん、その詞を返して。いい加減に書いたに過ぎませんわ」。 宝玉は詞と聞くと、宝釵のそばに行って見ようとしたので、黛玉はこれを奪い取ろうとして床を立ち、咳き込み始めました。宝玉は急いでなだめながら、「何をムキになっているのさ。私と宝のお姉さんに見られたからって何だっていうんだい?」 黛玉は喘ぎながら「だって、デタラメに書いた句なんですもの」。 そこで宝玉と宝釵はまじまじとのぞき込みました。

 宝玉は「林妹妹はまた姑蘇を懐かしんでいたんだね。実際、人には出会いと別れが、月には満ち欠けがあって、これを全うするのは難しいものだからね。妹妹も江南を慕って涙を流す必要なんかないんだよ」。 紫鵑はこれを聞くとクスッと笑って、「お嬢様が詞を書いたんじゃなくて、宝玉様が詩を詠んだみたいですね」。 宝釵は、紫鵑が話をそらそうとしていることを知り、紫鵑に「鶯児に林のお嬢さんの花籠を二つ編んでもらうんじゃなかったの? 鶯児をここに置いていくわ」と言って黛玉と笑うのでした。

 宝玉が「林妹妹は父上が先日私に詩を作らせた話をを聞きたがっていたでしょう?」と言うと、黛玉は「そうそう、今日はどうせ寝ていて、することもありませんから、聞かせてちょうだい。宝のお姉さんと一緒に聞きましょう」。 宝釵は「いったいどんな真新しい話なの?」 そこで宝玉は、林四娘の話を詳しく紹介し、最後に賈蘭、賈環らが作った詩をも諳んじてみせるのでした。

 宝釵は笑って「蘭ちゃんや環ちゃんが林四娘の忠義を称える詩を作って、あなたが作らなかったってことはないでしょう?」 宝玉は「私もデタラメに一首作ったけど、二人の詩仙の前でどうして披露できましょう」。 黛玉は「いいから聞かせてよ。私と宝のお姉さんが詩が分からないから、聞かせる価値もないって思っているのね」。 宝玉はあわてて笑って、「誰がそんなことを言いました? だったら、お笑いぐさに御披露しますよ」と言って、その日作った「姽嫿(きかく)の詞」を詠みました。

 黛玉は「さすがね。平凡ではありながら、その意志をよく表現しているわ。私が一番好きなのは、『繍鞍涙あり春愁重く、鉄甲声無く夜気涼し』と『勝負はもとより預め定め難きも、生死を誓って前王に報いん』の二句で、娘の義理と人情をよく表しているし、その心意気はあんな髭の濁物の及ぶところではないわ」。 宝釵は「私はやっぱり『期わざりき忠義閨閣に明らかに、恒王得意の人を憤起せしめんとは』の二句がいいですわ。女性としての限りない夫婦の情義、王土を防衛し、朝廷に報いんとする忠義の心が、共に表れていますね。林四娘の忠義の心には敬服させられますわ」。 宝玉は「お姉さんは前の二句『紛々たる将士ただ身を保ち、青州眼のあたりに見る皆灰燼となるを』には触れなかったけど、この王土防衛ってのは男子の責務だと思うんだ。でも男は我が身を守ることしか考えず、清朝の文官武官は手をこまねいて策もなく、女子を戦場に追いやった。また、林四娘はこのように情義に篤く、戦うべきでないことを知って戦い、知己のために甘んじて死に赴いた。私が彼女を高く評価するのは、正に彼女が恒王の知己であり、青州の民を救うために危惧も顧みなかったことで、あの朝廷の碌を喰らいながら、民の前では権力をちらつかせる貪欲な役人よりどれだか優れているかわからないよ」。 宝釵は笑って「そうね。でも、林四娘の忠義の心を詠むなんて、ずいぶん勉強されたのね。だからこそ伯父様もこの詩を褒め、礼部に献上して恩賞を求めたのよ。あなたは科挙や仕官は好きではないけれど、これで功名を得ることができたら、大した出世じゃないの」。

 宝玉はこれを聞くと、びっくりして尋ねます。「誰から聞いたんです? 私は父上の命令でデタラメに一首作ったにすぎず、どうして礼部に献じられ、恩賞を求めるなんてことがありますか?」 宝釵は笑って「なおのこと結構じゃなくて? 私たちもとっても嬉しいわ。誰が言ったかなんてどうでもいいじゃない」と言ったので、宝玉は地団駄踏んでため息をつくのでした。

 宝釵はうるさくして黛玉の邪魔になってもいけないと思い、紫鵑に花籠を作らせるのに鶯児を残すと、自らは退室しました。

 宝玉は不安になって、うろうろしながら、頭を垂れ、気もそぞろにしています。

 黛玉は笑って「びっくりしちゃったのね。でも、本当に恩賞がもらえるもんですか! 上の方々もこの詩を気に入るとは限らないんですもの。『天子は驚慌して守りを失えるを愁い、此の時文武皆な首を垂る、何事ぞ文武の朝綱を立つるに、閨中の林四娘にも及ばざるや』の句のように、恩賞をもらうどころか、災いを招いちゃうかもしれませんね」。 これを聞いて、宝玉も思わず大笑いし、「姉妹の言うとおりだね。でも、私の詠んだ句は心で思ったことを言ったに過ぎず、本当に願っているわけじゃない。もし本当に災いを招いたら、それに従うしかないね」。 黛玉はため息をついて、「何気なく言ったことばでも、聞く方はそれを心に留めるもの。難しいわね。災いの種にならないといいですけどね」。 宝玉は、黛玉によく養生するよう言い含めると、辞して怡紅院に戻りました。続きを知りたい方は次回を。