意訳「曹周本」


第83回
   薛宝釵、羞じて大観園に避け、史湘雲、学びて霓裳の舞を作る
 さて、栄国府では上の者も下の者も慌ただしい日々を過ごしていました。その日はちょうど賓客にお礼をする日で、王子騰の家からは早々に舞戯班を送ってきました。栄国府の政庁では、賈赦、賈政、賈珍、賈璉らが正装して来客を接待しました。栄・寧の近親者や親しい友人は寧国府の天香楼前に集まり、賈蓉、賈薔、賈芹、賈芸らが接待し、また、芝居をかけさせ、酒を飲みながら戯文を見るのでした。

 賈珍は、臨安伯、王子騰らが帰ってからようやく寧国府に戻りました。

 親戚、友人らは既に散会し、中では馮紫英、邢叔父(邢徳全)、薛蟠らだけが酒を飲んでいました。賈珍を見ると、急いで席に座らせ、「叔父上が昇任されたんですから、今日は珍兄にも3杯飲んでいただきますよ」。 賈珍は酒を換えるように申しつけ、「もうずいぶん飲んだんですが、一杯も飲まないのでは皆さんの気持ちに背くことになりますな」と言って、一杯だけ一気に飲み干した。薛蟠は承知するはずもなく、「三杯飲んでもらわないと、私たちを侮辱することになりますぜ」と言って、邢叔父に「叔父さんも珍兄に三杯ついでやってくださいよ」とけしかけます。邢叔父は酔っぱらったまま、立ち上がろうとしたので、賈珍は「もう十分飲んだよ。来客はもう解散したことだし、先ほど『幽閨記』を歌った小旦をここに呼んで、一曲歌わせてはどうだろう」。 薛蟠は立ち上がり、手を叩いて「すばらしい。こんなふうに寂しく飲んでいても面白くないですからな。珍兄、呼んでくださいよ」。 そこで賈珍は、急ぎ人をやって呼びに行かせました。

 しばらくしてその小旦がやってきましたが、実は蒋玉函の弟子なのでした。薛蟠は彼を引き寄せて「まず一杯飲んで喉を潤し、薛の旦那に歌ってきかせなさい。上手く歌えたら、薛の旦那が褒美を取らせようじゃないか!」。 その小旦が二つ咳払いをして、歌おうとした時、ちょうど宝玉が馮紫英を呼ぶのに人を寄越したので、馮紫英はその場を辞して栄国府へとやってきました。

 宝玉は彼を見るなりつかまえて、「どうして会いに来てくれなかったのさ。あべこべに私に呼ばせるなんて」と言って、また、「今日かけられるのは戯文じゃなくて、『長恨歌』の舞戯なんだけど、とっても面白いんで、特に君に見に来てもらおうと思ったんだ。それにいろいろ話もしたくってね」。 一方、宝玉が柳湘蓮の消息を尋ねると、馮紫英は「私も人をやって貴方に教えようと思っていたんだけど、一昨日、泉州から旅商人が戻ってきて、こう言うんだよ。ある日、店で酒を飲んでいたら、長旅で疲れ果てた様子の男が酒を買いに入ってきたそうなんだけど、それがどうも柳湘蓮君にそっくりだったらしいんだ」。 宝玉はびっくりして「どうして? 彼は出家したんじゃなかったの? なぜまた泉州に?」 馮紫英は「本当に彼だったかどうかは分からないよ。その旅商人も初めは気にも留めず、あとで気づいて尋ねようとした時には、もう彼は遠くに行ってしまっていたそうだから」。 宝玉は地団駄踏んでため息をつき、「残念だなあ。柳さんが道士になったんじゃないのなら、帰京して私たちに会いに来てくれればいいのに」。 二人はしばらく舞戯を鑑賞し、ひとしきり話したのち、馮紫英は辞して帰り、宝玉は賈母のところへ行きました。


 そこでは、来客は散会していなくなり、舞戯も終了したので、賈母は寝台で横になって、二人の侍女が美人拳(小槌)で脚を叩いていました。邢・王の二夫人、薛未亡人、李未亡人、宝釵、宝琴、探春、惜春、李紋、李綺、黛玉、湘雲、李紈、尤氏らは皆そこにいました。賈母は宝玉が入ってきたのを見ると、「外のお客も帰ったのかい?」と尋ねます。宝玉は「皆帰られ、やっと時間ができましたので参りました」。 賈母が「今日の舞戯は良かったけど、じっくり見られなかったのは残念だね」と言うと、王夫人は「ご隠居様がお気に入りになられたのでしたら、もう一度呼んで演じさせてはいかがでしょう?」

 折良く煕鳳がやって来て、これを聞くと、「結構ですね、さっそく呼びにやりましょう。私もご隠居様のお陰でゆっくり見られますわ。ここのところ忙しくて、そんな余裕はありませんでしたもの」。 賈母は「急ぐことはないよ。あの子たちだって可哀想だからね。先に飲食を届けさせ、食べ終わって一休みさせてから呼ぶんだよ」。 煕鳳は急ぎそのように人に申しつけました。

 宝玉は、黛玉も来ているのを見て嬉しくなり、近づいて尋ねました。「妹妹も来ていたんだね。だいぶ良くなったの?」 黛玉は「大病というわけでもなく、ちょっと休んでいただけのことですわ」。 宝玉が見たところ、黛玉は少し痩せたものの、満面の笑みをたたえ、なよなよと美しい様はいつもより可愛らしく思えました。もっと話をしたかったのですが、黛玉は身を返して李紋、李綺と話にしに行ってしまいました。

 宝玉は宝釵と話がしたくなり、見ると、宝釵は史湘雲とひそひそ話をしていました。宝釵は以前よりずっと痩せたように思えましたが、その態度は相変わらず端正で重々しく、その美しさは人に抜き出るものがあります。宝玉は近づくと笑顔で言いました。「お二人には数日会わなかったけれど、こんなふうに仲良くなって、他の人のことなど頭にないようですね」。 湘雲は「あなたは数日って言うけど、宝のお姉様が引っ越して行ってからいったいどれだけ経ちます? あの兄嫁さん(夏金桂)が来てから、宝のお姉さんはもう訪ねて来ようとしないんですもの。今も私たちのことをすっかり忘れてしまったのって問い正していたのよ」。 宝釵は笑って「雲妹妹に責められていたのよ。どうして忘れるもんですか! 母がいつも頭を痛めているんですもの、私が来てしまったら誰もいなくなってしまうでしょう。今では、私は引っ越してしまい、雲妹妹もなかなか来れないんですもの。ようやく会えたのに、話をしてはいけないの?」 宝玉は笑って「誰がいけないなんて言いました? お姉さんがまた越してきて、毎日雲妹妹と話ができたら更にいいじゃないですか」。 湘雲は手を叩いて笑い、「さっきもその話をしていたんですけど、宝のお姉さんはどうしても承知しないのよ」。 宝釵は「世の中に終わらない宴はないのよ。繰り返すようだけど、母をあそこに一人で残して安心できるわけがないじゃないの」。 王夫人がわきから口を挟み、「宝ちゃんの心配ももっともよ。無理を言わずに、会いたいと思った時に宝ちゃんをお迎えすれば同じことでしょう」。

 一同が話をしていると、「舞戯の準備ができました。ご隠居様、奥様方の御指示をお願いします」との声。賈母は「花庁でやることにしようよ」と申しつけます。

 管弦の音が響き、楊貴妃が登場します。身には「霓裳(げいしょう・虹のように美しいスカート)」と「霞帔(かひ・刺繍をした肩かけ)」をまとい、頭には鈿瓔(でんよう)・玉珮(ぎょくはい)で華やかに装飾した「歩揺(ほよう・髪飾り)を挿しています。磬(けい)、簫(しょう)、筝(そう)、笛が順に鳴り響きます。「散序」の6遍が過ぎ、「中序」で舞拍に入ります。楊貴妃は軽やかに身をこなし、風に吹かれる弱柳のようです。不意に飛び立つ驚鴻のようかと思えば、つむじ風のようにくるりと回転し、とても人とは思えません。にこやかなる笑みは愛らしく、美しき目には媚びを浮かべています。

 宝玉はこっそり黛玉を引っぱって「前に戯文で見た楊貴妃も宝のお姉さんに似ていたけど、この人は顔立ちまでそっくりだね」と言うと、黛玉は「あの時に宝のお姉さんを怒らせたことを忘れたの? またそんなことを言って」。 宝玉は「ここだけの話さ。言っちゃだめだよ」。

 一方、煕鳳も賈母にこっそりと尋ね、「あの楊貴妃はいかがです? お祖母様、よく御覧になって。誰かに似ていませんか?」と言って、宝釵に目をやって笑います。賈母は「あの子は足の運び、容貌、動作や表情、全てがいいね。誰に似ているかっていえば、顔立ちはうちの家の子のようでもあるね」。 煕鳳は笑って「貴賤を言うなら踊り子が私どものお嬢様と比べられるわけはありませんわ。でも、楊貴妃にでしたら、やっぱり似ていますね」。

 宝釵は、煕鳳が自分を見て笑い、他の人たちもチラチラ見ているのを知って、面白くなく、こっそりと抜け出しました。煕鳳の後ろを通る時に、ちょうど楊貴妃に似ているとの話になったので、思わず顔を赤くし、胸がドキドキしました。いそいでその場を離れ、一人で園にやってきました。どうして楊貴妃を演じた者はよりにもよって自分に似ていたのだろう。どんな幸運があって、みんな楊貴妃に似るのだろう。宝釵はそんなことを考えながら、いつしか沁芳亭一帯に来ていました。雪をかぶった亭台を見れば、陽を浴びてキラキラと輝き、しばらくうっとり見ていました。

 そこへ怡紅院の侍女たちが談笑しながらやってきて、宝釵を見つけると、皆立ち止まって笑って尋ねます。「お嬢様はあちらでお芝居を見ながらお酒を飲んでいたんでしょう。どうしてこちらにいらっしゃったんです?」 宝釵は笑って「今まで芝居を見ていたんだけど、何だかくさくさして出てきちゃったの」。 秋紋は「なんでも戯文ではなく舞戯で、主役が素晴らしいんだとか。私たちも皆見に行きたいって言っていたのに、逆にお嬢様は出てこられちゃったんですね」。 宝釵は「あの楊貴妃を演じている人は本当に素晴らしいわ。あんたたちも見に行ったほうがいいわよ。外の姉さん方やばあやさんたちも大勢見に行ったわ」。 そして、襲人の姿が見えないので、「襲人姉さんは? どうしていないの?」と尋ねると、秋紋は「あの人が出てくるもんですか。宝玉様が戻った時、誰もいないと困るからって部屋で花をいじっているわ」。 宝釵は、あとで襲人と話をしに行こうと思い、そのまま沁芳亭を過ぎて、蘅蕪院へと向かいました。

 ちょうど藕香榭一帯に差しかかり、見れば、花園の背後で誰かが踊っている様子。宝釵は、舞戯班の娘が園に遊びに来たのかしら?と思いつつ、木の陰に隠れてこっそりと覗き見ると… なんとそこでは、史湘雲が軽快に舞っていました。足を軽々と持ち上げたかと思えば、柳のように脱力し、さらにクルリと回転して今にも飛び立ちそうな様です。

 宝釵はしばらく彼女の舞を覗き見ていましたが、遠くに人影が揺れ動くのを見つけ、どうもそれは、西長屋の賈芸とかいう者のようです。そこで大声で叫びました。「なんて恥知らずの娘なの! こんなところでこっそり隠れて役者を真似て踊っているなんて!」 史湘雲は足をおさめ、恥ずかしさで顔を真っ赤にし、宝釵のそばに駆けてきて笑って言いました。「お姉様はどうしてあちらで舞戯を見ずに、こんなところにいらっしゃったの?」 宝釵は「あなたを探しに来たのよ。あなたが踊りの勉強をしていたとは思いもしなかったけど。でも、正直に言わせてもらえば、あなたの踊りでは人に喜んでもらえないし、罵られてもしょうがないわよ」。 湘雲は「お姉さんに罵られるのはともかく、絶対他の人には言わないで。もし言ったら、私は人に会わす顔がありませんわ!」 宝釵は笑って「何でもないことよ。嫦娥(こうが・月に住む仙女)だって踊ったのに、私たちに出来ないわけはないでしょう! あなたは本当に抜け目ないわね。ちょっと見たらすぐ舞戯班そっくりに踊れるんですもの。だったらどうしてよくよく見ずに踊りに来ちゃったの? もっとよく見て技芸を勉強するべきだったんじゃなくて?」 湘雲は「みんなが舞戯を見に行って、園に人がいなくなった隙に、試しにやってみたにすぎませんわ。舞戯が終わって人が戻ってきたら踊れるもんですか!」 宝釵は笑って「私はあなたのその明朗快活な性格が好きなのよ。せっかくですから、怡紅院に行って、襲人さんに踊って見せましょうよ。あの人は留守番をしていて舞戯を見られなかったんですから」。 湘雲は「お姉さん、困らせないで。あれがちゃんとした踊りなもんですか! でも、襲人さんに会いに行くと言うのでしたら、私も行きますわ」。

 二人が談笑しながら沁芳亭一帯まで来ると、遠くに煕鳳の侍女の小紅が見えたので、別の道を進んでいきます。

 二人は怡紅院に到着しました。襲人は紅梅の花を整理していましたが、秋紋らが戻ってきたものと思い、「舞戯はどうだった? どうしてちょっと見ただけで戻ってきたの?」と言って頭を上げると、宝釵と湘雲だったので、立ち上がって笑い、「秋紋たちだと思ったのに、お二人のお嬢様でしたとは! どうぞお座りになってください。私は手が泥だらけですから洗ってきます」。 宝釵は「私たちはこの梅の花を見せてもらうわ」と言って、湘雲と一緒に紅梅の花を鑑賞します。梅の花は花模様が彫られた緑のタイルの上に置かれ、赤と緑が映えて非常に美しいものでした。

 しばらくして襲人が戻り、二人の婆やに梅の花を回廊の花棚に置いてくるように言うと、宝釵と湘雲に笑って言いました。「これは今しがた西長屋の賈芸さんが贈ってきたものなんですが、冬の霜や雪にも負けずに花を咲かせて、なんていい香りなんでしょう」。

 宝釵は西長屋の賈芸と聞いて、先ほど煕鳳の侍女の小紅が遠くに立って誰かと話をしていたのを思い出し、また、滴翠亭の前で二人の侍女が話していたことをも思い出し、何となく事が分かって呆然とするのでした。襲人は「お嬢様、どうされました? 何か考え事ですの?」 宝釵はすぐに笑って言いました。「あの紅梅の花を見たら、琴ちゃんがこちらに来た年、私たちが宝玉さんに櫳翠庵を訪ねさせて、妙玉さんから紅梅をもらい、詩を読んだことを思い出したのよ。今日のあの花もいいけど、櫳翠庵のものには到底及ばないわ。いつかまた櫳翠庵から何枝かもらって供えることができたらいいのにね」。 湘雲は「何も難しいことはないわよ。私が明日妙玉さんを訪ねて紅梅をもらって来ますから、みんなで鑑賞したらいいんじゃなくて?」 襲人は笑って「二人は梅の花をもらいにいらっしゃったの? でなければ、あちらはとても賑やかでしょうに、舞戯も見ずになぜいらっしゃたんです?」 宝釵は「あの『長恨歌』の物語を知らない人なんていないわ。でもあの『霓裳羽衣曲(げいしょうういきょく)』には唐舞の情趣があって難しいの。雲ちゃんが先に出ていったので、私もつまらなくなって、彼女を捜しに来たのよ」。 襲人は「私は逆に見に行きたいって思っていたのに、いったいどんな踊りなんです?」 湘雲は「見てきなさいよ。ここは私たちが代わって見ているから。それでも不安なの?」 襲人は顔をあからめ、ペッとつばを吐いて言った。「よくもそんなことを! お嬢様のその性格、まだ直っていないんですね。お嬢様方がいらっしゃったのに、置いていけるわけがありませんわ」。 宝釵は「あちらの舞戯はもう終わると思うので、行っても見られないわよ。雲ちゃんが先ほど踊っていたので、ここで踊ってもらったらいいわ。本物とはいかないけど、なかなかのものだったわよ」。 湘雲は「宝のお姉様、私をからかわないで。さっきのはただ遊んでいただけで、本当に踊れるわけがないじゃない!」 宝釵は「ここで踊るのだって遊びよ。あなたみたいな千金のお嬢様に、みんなの気晴らしをさせようっていうわけじゃないもの。ちゃんと踊ってもらうんなら私だって頼まないわ。ここには何人もいるわけじゃないんだし、堅苦しくする必要はないわ。一つには襲人さんにどんな踊りかを見せるためだし、二つにはあなたにものびのびと体を動かしてもらうため。どうしてダメなの?」 襲人も頼んで言います。「お嬢様、今日はどうなさったの? もったいぶるなんていつものお嬢様らしくないですわ」。 湘雲は「そういうことなら踊ってみるわ」。 襲人はいそぎ何人かのばあやたちを呼び、部屋にガラス屏風を運びこませました。

 湘雲は表が貂の頭の毛皮、裏が黒チンチラの毛皮の上衣を脱ぎ、金の如意を四つ縫いつけた鉄色の内ひもをきつく結わえ、舞曲を口ずさみながら踊り始めました。史湘雲は元々指が細く、腰は猿のよう、流し目をくれ、顔は杏桃のよう。加えて彼女は生まれつき聡明鋭敏で、動を好み、静を嫌う人。舞い始めれば、まさに飄々として浮世離れしています。

 どこからともなく笛の音が湘雲の舞いと歌声に相まって響き、宝釵と襲人はうっとりと見ています。湘雲が舞を止めても、その笛の音はなおも美しく響き、余韻がいつまでも漂います。三人が振り返って見ると、なんと宝玉が悦に入って笛を吹いているのでした。その笛の音が止むと、宝釵らは笑って言いました。「いつ戻っていらしたの? お招きしてもいないのに」。 宝玉は「私が来たら、雲ちゃんが軽快に舞っていたので、笛を取って吹き始めたんです。雲ちゃんは踊りがうまいね。一段だけでも難しいのに、いつ学んだんだい? 私たちも舞戯をやってみたら面白いんじゃないの?」 宝釵は笑って「遊びで踊るぐらいならいいけど、私たちの家のような者がちゃんとやると言うわけにはいかないわよ」。

 そんな話をしていると、秋紋、麝月らが戻ってきました。全員がべた褒めして言うには、「あの楊貴妃役の人はとても上手ね。あの舞戯がなんという名前なのかは知らないけれど、あの曲も感動的だったわ」。 宝釵は「あの舞曲は『霓裳羽衣曲』っていうの。こんな言い伝えがあるのよ。唐の玄宗が法師の葉法善(ようほうぜん)について月宮へ行った時、数百人の仙女が白絹の霓裳をまとって広庭で舞ったの。玄宗は音楽に通じていたので、これをすっかり記憶したんだけど、目が覚めると半分は忘れてしまったの。のちに西凉節度使の楊敬が献じた『婆羅門(バラモン)の曲』が、玄宗が聞いた仙楽の声調ととても似ていたので、自分が覚えていた部分を散序とし、楊敬が献じた曲と合わせて、『霓裳羽衣曲』という名前にしたの。楊貴妃は『霓裳羽衣曲』の舞を得意としていたんだけど、残念ながらのちに途絶えてしまったの。今日の舞曲も『霓裳曲』というんだけど、後世の人がまねて作ったもので、唐代のオリジナルの舞曲ではないのよ」。 宝玉は「『白石道人歌曲』にも、『楽師の古書に十八の霓裳曲があるが、譜面も詞もない』と書かれているよ。白石道人は十分な時間がなくて、中序だけ作って世に伝えたんだね。今のまねて作られた曲も結構だけれど、もし唐曲を聞けるのであれば、どんなに素晴らしいだろうね」。 湘雲は「白楽天(白居易)の『霓裳羽衣舞歌』にも、『飄然転旋回雪軽(飄々と変じて回ること雪のように軽く)、嫣然縦送游龍驚(笑みを浮かべて身を躍らせれば遊龍をも驚かす)。小垂手後柳無力(しばし両手を垂れた後、柳のように脱力し)、斜曳裾時雲欲生(傾いて裾を引けば、雲が生じるかのようだ)』とあります。あのゆったりと舞うところは、上品で趣があるけれど、急なところは、風雪が吹き荒び、玉が弾けるかのようね。今日のあの楊貴妃の舞は、白楽天が詠んだ情景に似ているわね。唐舞ではないけれど、どことなく唐舞の面影が感じられますわ」。 宝釵は「実はこの舞も変化してきたのよ。最初は楊貴妃が一人か、侍女の張雲蓉(ちょううんよう)と対で舞っていたの。その後、二人から多数になっていき、唐の宣宗の時には数百人の群舞になっていたそうで、今はとても及ばないわ。宝玉さんがもし唐曲を聞きたい、唐舞を見たいっていうんでしたら、夢の中で玄宗に会うしかないわね」。 春燕は拍手して笑い、「もし夢で会えたら、宝玉様は宝皇帝になられるんじゃないですか」。 宝玉は「宝皇帝や宝天王なんて有り難がるもんかい。私が興味あるのは、白楽天がこの舞を褒めて、『千歌万舞数うべからず、就中最も愛すべき霓裳の舞』と言ったことだけだね。今日の舞もよかったけど、雲ちゃんの舞を加えたら、本当に唐舞を見たかのようだったよ」。

 いつの間にか黛玉もこちらに来ていて、これを聞くと口を挟み、「霓裳舞もいいですけど、舞戯班がやってしまいましたからね。雲ちゃんが踊りができるんなら、『凌波曲(りょうはきょく)』を舞ってみてはいかが? これにも唐の玄宗の面白い話があるのよ。玄宗が洛陽にいた時、夢で一人の女の子に会ったんだけど、彼女は艶やかでこの上なく美しく、玄宗の前でお辞儀をし、拱手してこう言ったの。「私は凌波池の龍女です。陛下は音律に通じていらっしゃるので、どうか私たち龍族の曲を作ってはいただけませんか?」 この時に玄宗が胡弓を用いて池のほとりで演奏した曲が、すなわち『凌波曲』なのよ。龍女は礼を述べて去ったんだけど、玄宗は目覚めた時に、まだこの曲を覚えていて、楽師と一緒に演習して、凌波池の前で文武の大臣たちに演奏して聞かせたの。しばらくすると突然大波と大風が起こり、池の中心がせり上がって、一人の女の子、つまり夢の中の龍女が上に乗っていたそうなの。演奏していた人達はびっくりしたでしょうね。玄宗、楊貴妃、寧王(玄宗の兄)、李亀年(りきねん)、馬仙期(ばせんき)たちはこの曲を伴奏し、朝から晩まで飽かずに舞ったとされるわ。せっかくですもの、この『凌波曲』を舞ったらずっと面白いじゃない?」

 宝玉は大喜びして、「素晴らしい。さっそくやってみようよ」。 宝釵はこれを聞いて「やめてよ、全くとんだ役者達ね。何が霓裳舞よ、なにが凌波曲よ。他の人たちに聞かれたらいい笑いものじゃないの。伯父様、伯母様、ご隠居様の3人でも知られたらとんでもないことよ」と言ったため、宝玉もそれきりにしました。

 そこへ、賈母の部屋づきの琥珀がやってきて、「ご隠居様のところで夕食になされるそうです。皆さんこちらにいらっしゃるのではないかと思って来ましたら、やっぱりでしたわ。宝玉様とお嬢様方、皆様お越し下さい」。 一同はこれを聞いて笑い出し、揃って賈母のところへ行きました。

 この時、薛未亡人、李未亡人らは皆帰った後でした。花庁ではもう準備が整い、賈母は背もたれに体を横たえていました。金で模様を施した小卓の上には、茶碗、うがい碗、払子(ほっす)、ハンカチ、眼鏡箱が置かれ、下には琺瑯(ほうろう)の痰壷が置かれ、別の卓には宮製の百合香が焚かれていました。煕鳳は臨安伯家から送られた水仙の鉢植えを卓上に置きました。別の小卓には、杯と箸、炉瓶(香を焚く道具)、攅盒(さんごう・料理を盛る箱)、果物が置かれ、椅子一つに対して卓二つずつが配置され、各卓には攅盒が置かれ、小椀には銀耳(シロキクラゲ)のスープや燕の巣のスープなどが注がれていました。ほかにも、白瑪瑙の脚つきの果物鉢にはダイダイや福橘(福建産のミカン)が色鮮やかに盛られています。煕鳳は笑って「皆さん油っこいものを食べたので、今晩は特に甘い物を用意しました。スープもお好きなだけ飲んでください。お祖母様いかがです?」 賈母は「あんたも用意周到だね、私もちょうど甘い物を飲みたいと思っていたよ」。

 黛玉はスープを何口か飲み、探春は攅盒からモクセイの香りづけの菓子を取り出しました。湘雲、宝釵は福橘を一つ選んで二袋食べ、スープを半碗飲みました。ちょうど賈政が入ってきたので、一同は皆立ち上がりました。賈母は「お前も今日はひどく疲れただろうに、また来たのかい? 時間だって遅いんだし、私たちも疲れたからね。間もなくお開きにするよ」と言ったため、賈政は賈母にあいさつして王夫人と共に出て行きました。一同も散会しました。

 翌日、賈政はまた親しい同僚や食客を招待したので、皆が一斉に祝いを述べに来て、引き続き何日か賑やかでした。


 その日、賈璉は部屋に戻るなり、しきりに「疲れた、疲れた!」と叫びますが、腰を下ろして茶もすすらないうちに、表から報告があり、「二の大殿様(賈政)が使いの者を寄越され、緊急のことゆえ、すぐに旦那様に来ていただくようにとのことです」と言うので、賈璉は飛び起きるや、頭を横にふって、バタバタと出て行きました。

 煕鳳は眉根をしかめて、報告に来た者を呼んで尋ねようとすると、突然旺児がやってきて申し出ます。「奥様、御存知ですか? 大殿様のところの者が話すのを聞いたのですが、大殿様は工部で官報の写しを見られたところ、かつて金陵城内の体仁院総裁を務められた甄のお殿様が、没収された家産を全て返上されたのだとか」。 煕鳳は喜んで身を起こし、「たった今、大殿様がお呼びになったのもきっとこのことね。お前、もう一度聞きに行って、仔細が分かったらすぐに教えておくれ。私は先にご隠居様にお知らせしてくるから」。 旺児は「はい」と言って出て行き、煕鳳は裏庭を通って賈母の部屋に行きました。

 院内はひっそりとして、鴛鴦と琥珀は共に裏庭の廊下で針仕事をしていました。煕鳳を見ると慌てて手を振り、「今お休みになられたばかりですの。二の奥様、改めていらしてくださいな」。 煕鳳はちょっと考え、詳しい報告を受けてから再度申し上げに来ればいいだろうと思い、そこで、こっそりと鴛鴦に言いました。「ご隠居様がお目覚めになったら、私が急用があって申し上げに来たとお伝えしてちょうだい。ちょっと園の大奥様のところに行ってきますから」。 鴛鴦が「どんな急用ですの?」と尋ねると、煕鳳は「まだはっきりしたところは聞いていないんだけど、しばらくして報告があれば、あんたも分かると思うわ」と言って、鴛鴦と別れ、園に行きました。

 大岩をまわると、賈環が血を流したウサギをぶら下げて不意に飛びこんできて、あわや煕鳳と真っ向からぶつかるところでした。後ろからは賈蘭が弓矢を携えて追いかけてきて、大声で叫んでいました。賈環は煕鳳を見るとすぐさま立ち止まります。煕鳳は「あんた、死にたいの? こんなにびっくりさせて。あんたも大きくなったんだから、そんなに野鬼みたいに跳ね回ってどうするのよ?」 賈環は顔を赤くして、「蘭ちゃんと武芸のけいこをしていて、ウサギを射止めたんです。お嫂さん、見てくださいよ!」 賈蘭は「その兎は私が射たのに、三の叔父さん(賈環)はむりやり持っていって返してくれないんです」。 賈環は「本当に私が射たのに、蘭ちゃんは言いがかりをつけているんです。お嫂さん、信じちゃいけませんよ」。 煕鳳は「いったいどっちが射止めたのよ?」

 そこへ周瑞の妻がやってきて、この様子を見て口を出します。「私、見ていました。蘭ちゃんが射止めたんですよ。その兎は山の下に転がり落ち、バタバタ跳ね回っていましたが、動かなくなったんです。そこへ環さんが来て横取りしていったんですわ」。 煕鳳は賈環にペッと唾を吐いて言います。「あんたは叔父さんでしょう。人の兎を奪っておいて平気だなんて! 蘭ちゃんはあんたの甥なんだし、あんたが射たって蘭ちゃんにあげてこそ本当じゃないの。ウサギなんてどれほどのものでもあるまいし、さっさと蘭ちゃんに返しなさい!」 賈環はうなだれて兎を投げやります。賈蘭は「三の叔父さんが欲しいなら持っていっていいですよ。私は別に必要でないし」。 賈環は面白くなく、「君が持っていきなよ。私もいらないよ」。 煕鳳は「今度はどっちも要らなくなったのね。柳の嫂さんのところへ持って行かせなさい。食べたくなったら厨房に申しつけて料理してもらうようにね」。 周瑞の妻はすぐに人を呼んで、ウサギを持って行かせました。

 賈環は戻るとぶつぶつとこぼします。趙氏が「また何か面白くないことがあったのかい?」と尋ねると、賈環は、賈蘭がいいがかりをつけてウサギを掠め取り、周瑞の妻が賈蘭をかばい、煕鳳がかえって自分を叱りつけたことを細々と趙氏に話します。趙氏はカッとなって賈環を叱りつけ、「張り合うこともないだろうに、どうして人様と一緒に遊び、一緒にウサギを射たりしたんだい! ウサギ一匹で罪を着せられるなんて、恥を知りなさい!」 気持ちは更に高ぶり、周瑞の妻を恨む気持ちが増して、こう思うのでした。あの人は奥様(王夫人)の介添えだし、権勢や利益に走り、高枝に飛び上がることばっかり考えて、私たち親子なんか眼中にないんだろう。環児だって主人だろうに、身分もわきまえずに蘭ちゃんばかりをかばうっていうんなら、問い正しに行かなくては。そこで、ぷんぷんしながら飛び出してきました。

 ちょうど邢夫人が賈母にご機嫌伺いに来ており、趙氏は邢夫人を見てこう思うのでした。大殿様(賈赦)は以前環児を褒めてくださったっけ。この一件は、ご隠居様に申し上げ、公平に評価していただいたほうがいいだろう。そこで進み出てあいさつをします。邢夫人は「久しぶりね、環ちゃんは元気かい?」 趙氏は「お気遣いいただいて有難うございます。環児もいつも大殿様と奥様のことを気にかけており、この邸で大殿様こそが英雄だといつも申しておりますわ」。 邢夫人は「大殿様も、環ちゃんもずいぶん勉強が進んで、将来は大した出世をするかもしれないなって仰っていたわよ」。 趙氏はこれを聞くと大喜びして、「奥様と大殿様にお褒めいただいて有り難いのですが、ここの邸内でそれを真に受ける者はおりませんわ。みんな私たちを踏みつけにして上に登ろうとしているんですもの」と言って、ウサギの件をこまごまと述べ、最後に怒りを浮かべながら、「奥様いかがです、これで公平といえましょうか。あの周瑞のかみさんは何様のつもりでしょうか? 主人を蔑んでご機嫌をとっているのですよ」。 邢夫人は声をひそめて、「時間ができたら環ちゃんに遊びに来るように言ってちょうだい。大殿様も本当に待っているんだから」。

 趙氏は戻ると一晩考え、日ごろ少しずつ貯めこんだものを取り揃え、その夜、賈環に持たせて賈赦のところに行かせました。賈赦も喜んでこれを迎えました。これより賈環はちょくちょく賈赦のところに出入りするようになり、趙氏は人に会うたびに「大殿様はやはりお目が高い。大奥様もよくしてくださる」と称賛するようになりますが、これは後の話となります。

 元々賈赦には私心がありました。賈璉は自分の子ですが、賈政にべったりでどうにもならないのに対し、賈環は賈政の子ですが、次第に自分を頼りにするようになっています。そのため、いつも衆人の前で賈環を褒めるようになります。

 このことは煕鳳と平児も次第に目の当たりにするようになります。ある日、煕鳳が平児に「お前も見たかい? あの人は大殿様に取り入ったようだね」と言うと、平児は冷笑して「氷山に寄り添ったところで、芽が出るもんですか! 趙の奥さんの得意な様子をご覧になりまして?」

 その日、平児は用意があって、外の二の門に人を呼びに行くと、ちょうど趙氏が横柄な態度でやって来るのが見えました。趙氏は平児を見ると、嬉しそうに出迎え、「平のお嬢様はいつも忙しいんですね。何か急なことでも?」と話しかけますが、平児はこれに答えず、ただおじぎをして、門の人と話をしに行ってしまいました。趙氏は肩すかしを喰って、しばし呆然とし、「たかが下賤な侍女のくせに偉そうに。環児が将来世職を継いだら思い知るがいいさ」とぶつぶつ言うのでした。

 後ろにいた王善保の妻は、これを聞くと進み出て尋ねます。「奥様はどなたに腹を立てていらっしゃるんです? そんなにぷりぷりされて」。 趙氏は「王の姉さん、聞いておくれよ。あの平児は…」と言いかけて、誰かに聞かれるのをおそれ、あたりを見渡してからこっそりと言いました。「あんたは大奥様の腹心で、内情はよく分かっているだろうから、正直に言うよ。あの平児はしょせん下賤なすべただろうに、主人を頼りに、あんなに偉そうに振る舞って。私が呼んでも相手にもせず、私たちなんか眼中にないようだよ」。 王善保の妻は手を叩いて笑い、「奥様、今頃お分かりになったのですか? 背後にどんな主人がいたとしても奥様をないがしろになんかできませんよ! ただ、あの人の主人(煕鳳)はこちらの奥様や殿様だって眼中になく、ひたすら高い木の上によじ登ろうとしていますので、殿様や奥様にも嫌われていますからね。今はご隠居様の庇護がありますが、将来は大殿様がひとたび口を開けば、素直にこちらにつくでしょう。その時になっても偉そうにしていられるか見物ですよ」。 趙氏は合掌して、「阿弥陀仏、それこそ因果応報というもの。まったく、環児がここの主人として家政を執るようになったら、自分たちがどれだけ浅はかだったか分かるだろうね。その時こそけりをつけてやるさ」。 二人は話しながら歩いていきます。平児は彼女らを遠くから見て、取り合わずに迂回路へ避けました。その後はどうなるでしょうか? 次回をお聞きください。