意訳「曹周本」


第87回
   風雅を尊び巧みに雪詩を読詠し、古画を批して二人情縁を結ぶ
 さて、小紅は戻ると、襲人が足を怪我したことを煕鳳に報告しました。煕鳳は「あの子は花火を見ないで一人で帰ってしまったのかい?」 小紅は「襲人さんは留守番をしていたんです。二の若様がもうお戻りになるんじゃないかと迎えに出た時に、転んで足をくじいてしまったんですわ」。 煕鳳はため息をついて、「あの子も気を使いすぎよ。元宵節だっていうのに楽しむこともできないなんて」。

 翌日、平児と小紅に見舞いに行かせ、血の循環を良くする三七(中国人参)と菓子を贈ります。平児と小紅は侍女見習に荷物を持たせ、まっすぐ怡紅院にやってきました。

 襲人は彼女たちを見ると急ぎ礼を述べ、「二の奥様とあなた方には気を使わせてしまったわね。昨日は薬酒を頂戴し、今日はわざわざ見舞いに来ていただいて。今日は随分良くなって歩くこともできるようになったわ。二の奥様の薬酒はとてもよく効くのね」。 平児は「あなたもうっかりさんね。夜一人で歩いていたら、つまずかないわけがないわ。二の奥様も来たかったんだけど、二の旦那様に南の旧宅に行ってもらうことになっていて、全然時間がないものだから、私たち二人を寄越したのよ」。 襲人は「璉の旦那様はまた外出されるの? 年が明けたばかりなのに休んでもいられないのね」。 平児は「南で祖廟を看守している人たちは、正月にどんなふうに祭祀をしていいのか分からないでしょう? 二の奥様は二の旦那様に祖廟を祀りに行ってもらうことにして、昨日、ご隠居様、大殿様、大奥様に報告されたの。二の旦那様と二の奥様の考えは周到だと皆様が褒めていらっしゃったわ。あと二日経ったら出発されるのよ」。 襲人は「我々下々の者だって、裏ではみんな二の奥様を褒めているのよ。この屋敷だって、二の奥様が支えていなければ、今頃どうなっているか分かったもんじゃないわ。こちらの屋敷の年越しだって、あんなに賑やかに花火を上げ、灯籠を提げて、どれほどお金を使ったことやら」。 平児は「幸いにあの方が取り仕切っていらっしゃるので、東の壁を壊して西の壁を作るやり方で、まだ数年は持ちこたえているけど、今後はどうなるのかしら。荘園はまた飢饉だそうだから。今は体もよろしくないけど、三のお嬢様以外には頼れる方はいないしね」。 襲人は「三のお嬢様は実直な方ですものね。こちらの悪だくみをされる方と違って」と言って指を二本伸ばします。

 平児はそれが趙氏を指していることを知り、笑って「三のお嬢様にもいずれ助けてもらえなくなる日が来ることを憂慮しているの。先日も仲人が来て、江西知府の家がどうとか言っていたけど、大奥様は手放すのが忍びないからってお断わりになったわ。何でもその若様はよろしくなくって、毎日遊郭で遊んでいるんですって。それから今、東海の何とかいう国の王様が、陛下に嫁をお求めになって、誼を結びたがっているそうよ。陛下は各々の王侯大臣に、年頃の娘を報告書にとりまとめて提出するように命ぜられたとか。私どもの家でももちろん報告したわ。また王妃娘娘の騒ぎが起こらないとも限らないわよ」。 襲人は「それはもちろん結構だけれど、あまりに遠いし、ご隠居様や大奥様は手放されないでしょう!」 平児は「事が至ればどうにもならないわよ。報告書は送ったんだし、すぐに肖像画を宮中に送ることになるのよ」。 襲人はびっくりして「そんなに慌ただしいの?」 平児は「どなたが選ばれることやら! きっとここ数ヶ月以内にははっきりするはずよ」。 襲人は「例えば、肖像画をちょっと醜く描けば、選ばれないで、遠くに行かずに済むんじゃない?」 平児は「この肖像画も勝手にはならないの。宮中から画工が派遣されてくるんだから。私どものような家が自分で描かされる場合でも、自由に描くことはできないのよ。醜く描いたことを陛下がお知りになったら罪を受けるんだから」。 襲人はうなずいて嘆息するのでした。平児は「このことはあなただけに言うのよ。三のお嬢様自身も知らないわ。もし事が成らなければ、家中の人に触れ回っても何の意味もないんだから! 今後望みがありそうな時はまたお話するわね」。 襲人は「分かったわ、安心して。人に言ったりはしないから」。 二人が話していると、小紅、秋紋、春燕、碧痕らがやってきました。襲人は笑って、小紅に「妹妹がこちらに来るのは、実家に戻るようなものだもの。姉妹たちを見つけて遊んでいたのね」。 小紅は「今では晴雯姐さんが亡くなり、四児もいなくなって、こちらも人が少なくなったようですね。姐姐の負担もずいぶん大きくなったのでしょう」。

 平児は小紅が戻って来たので、身を起こしていとまを告げました。「長居してしまったけど、まだ家の用があるので帰るわね。何も気にかけずによく休みなさいね。ことわざにも『放っておける時は放っておけ』って言うでしょう」と言って、小紅とともに帰りました。

 さらに、王夫人が彩雲を寄越して食べ物を届け、あれこれと伝えて来ました。李紈もしばらく腰を落ち着けてから怡紅院を出ると、湘雲、黛玉、宝釵が一緒にやって来ました。そこで笑って「今日はお揃いで来たのね。早くお入りなさい、私は会ってきたところだから」と言います。 三人は李紈と別れて、襲人に会いに部屋に入ります。

 襲人は黛玉ら三人が来たのを見ると思わず手を叩いて、「あらあら、私がどんな名士だって言うんでしょう。ちょっと足をくじいただけで、奥様やお嬢様方がみんな会いに来てくださるなんて!」 湘雲は「みんな不注意だって言っているわよ、ひねって怪我をするなんて! 私たちにわざわざ足を運ばせて、どんなお礼をしていただけるのかしら?」 襲人は「良くなったら、お嬢様に香袋を縫ってさしあげますわ」。 湘雲は「よしてよ。以前、あなたに靴を作ってって頼まれた時には、何日も夜更かしさせられたものだから、今回は私のものを縫うなんて言ってからかうのね」。 襲人は「お嬢様はいつも気のおけない方ですのに、そんなことをおっしゃるなんて。私がいつお嬢様を騙したことがありまして? 私が良くなったら、お嬢様だけでなく、お二人のお嬢様の分も縫わせていただきますわ! 林のお嬢様はやっと病気が良くなったのに見舞いに来ていただいて、本当に申し訳なく思いますから、一番目の香袋は林のお嬢様に、宝のお嬢様のは二番目、お嬢様のは三番目ですわ」。 黛玉は笑って「こんなことなら私たちは来ない方がよかったわね。一度来ただけであなたに半月以上も面倒をかけちゃうもの。これだったら、今後は誰かが病気になったら、せっせと通うことにするわ。ひょっとしたらハンカチを縫ってくれるかもしれないものね」。

 宝釵は笑って「顰ちゃんの話を聞いた? 香袋だけでなくハンカチも縫わなくちゃならないわよ! いいわ、あとで時間がある時に私が一つこしらえて贈れば、他の人に請わなくても済むでしょう」。 湘雲は「今日は林姐姐にいいことだらけね。香袋に続いてハンカチももらえるんですもの。私も病弱だったら、香袋やハンカチをくれる人もいるのかしら」。

 黛玉は『病弱』と聞いて心中いささか面白くなく、「私はどうせ病気持ちで、どれだけのものを騙し取ったか分かったもんじゃないわ」。

 宝釵は湘雲が口を滑らせたことを知って、急ぎ話を紛らせ、「雲ちゃんったらこんなに石榴のように真っ赤なほっぺたをして、病気のふりができるつもり? 林妹妹は病気だって言わなくても、顔に血色がないから誰だって病弱だって分かるわ」。

 一同が話していると、宝玉が入ってきて、宝、黛、湘の三人がいるのを見ると、大声で「ひどいや、ひどいや! 今日は用があって出かけていて、みんなが来ることを知らなかったよ。もし知っていたなら、どんな用事があっても出かけなかったのに」。 黛玉は「私たちは襲人さんの見舞いに来たのであって、あなたに会いに来たんじゃないわ。私たちが来ようが来まいが、あなたとは関係ないじゃないの」。 宝玉は笑って「だったら襲人の福のおかげだね。今後も襲人が何度も病気になれば、あんたたちも何度も来てくれて賑やかになるね」と言ったので、一同も笑って「またでたらめを言って。人が何度も病気になれって願うなんて。賑やかにしたいのなら、私たちがちょくちょく来れば済むことじゃないの」。 宝玉はついに「ああ、仏様!」と唱えるのでした。

 賈母が人を寄越して湘雲を呼びに来たので、一同は一緒に帰ります。

 そこで、宝玉は出て行って焙茗を呼び、芳官のことをしっかり処理するように、どのように行って、どのぐらいで報告できるのかを尋ねます。焙茗は笑って「若様もせっかちすぎますよ。こんなこと半月もかからずに処理できるもんですか?」 宝玉は「こんなことがそんなに難しいのかい? 一日早く処理すれば一日早く苦海から救ってあげられ、徳を積むことになるのになるのに、いけないって言うのかい?」 焙茗は「誰もいけないだなんて言いませんよ。じゃあ、芸の旦那を捜しに行ってきます」。

 宝玉は彼が出ていくのを見てから怡紅院に戻りました。襲人の側に行って、「痛みはよくなった? すぐに医者を呼んでくるよ」。 襲人が「今日はだいぶ良くなりましたわ。医者を呼んでどうします?」と言うので、宝玉はそれまでとし、自らお茶を注ぎ、点心を持って来ます。

 襲人は「先ほど平児さんが美味しい菓子を届けてくれまして、私はもういただきました。とても香りがいいので、若様が戻ってきたら食べていただこうと思って取っておいたんです」と言って麝月に持って来させます。宝玉は「鳳姐があんたにって送ってきたんだから、あんたが食べなよ。私に残しておいてどうするのさ」。 襲人は「どうぞ食べてみてください」と言って、蓮の形をした菓子を摘んで宝玉に渡します。宝玉はしばらく眺めて、「この菓子は池に咲いた蓮の花をかたどって作ったものだね。食べるのは惜しいな」。 襲人は笑って「上手く作ってありますね。人が食べてこそのものなんですから、どうぞ召し上がりください。蓮の葉の香りがかぐわしくて、美味しくて、口に脂っこさが残りませんでしたわ」。 そう言われて宝玉も食べてみると、確かに美味しい。そこで、「この蓮の花の菓子をもっともらってきて林妹妹にも差し上げようよ。あの人は蓮の葉の香りが好きだから」と言って秋紋にもらいに行かせます。

 煕鳳は宝玉が喜んでいると聞き、「この蓮の花の菓子は試しに作らせたものなんだけど、ご隠居様と大奥様にも味わっていただいたら、みな美味しいっておっしゃっていたわ。宝玉さんも喜んでいることだし、もっと多く作らせましょう」と言って、小紅に捧盒(箱形の器)に取らせて秋紋に渡します。秋紋が戻ると、宝玉は半分を黛玉に届けるように言います。襲人は「史のお嬢様も林のお嬢様のところにいらっしゃいますから、お二人のお嬢様にお送りしましょう。残りは半分にして、半分は宝、琴のお嬢様に、残りは三のお嬢様に送りましょう。宝玉は「そうだね、四妹妹にも送ってあげよう」と言って、手分けして送ってやるのでした。


 春になったとはいえ、とても寒くて時折雪が降っています。黛玉は元宵節が過ぎるとまた病気になりました。医者に診てもらい、薬を服用して良くなってきましたが、天候が寒いので鬱々としていました。

 その日は雪が降り、宝玉は黛玉のことが気になって、会いに行こうと思い、猩々緋のマントを羽織って門を出ました。ふと見れば、沁芳亭の前に人が立っており、蓮青色の斗紋(菱形紋様)地に舶来の糸で刺繍した外套をまとい、一面に舞う雪を呆然と眺めています。宝玉が近づいてみると、それは香菱でした。思わず「わっ!」と声を上げ、「あなたでしたか。病気になったと聞いていたけど、少しは良くなったの? こんな大雪の日に一人で何を見ていたんです?」 香菱はほっとため息をついて、「このところ少し良くなりまして、くさくさするので気を紛らしに来ました。私、雪景色って好きなんです。この春雪が終わればもう見ることが出来なくなるんですね。謝道韫(しゃどうおん・晋代の女性詩人)姉弟の詠んだ詩を思い出して、私もまねて一句作ってみました」。 宝玉が「是非聞かせてよ」と言うと、香菱は頷いて答え、「雪片がひらひら舞うのを見て、梨の花びらが落ちるみたいだなって思いまして、『如何梨花舞風前(風に舞う梨花の如し)』というのはいかがでしょう?」 宝玉は「とてもいいと思うな。林のお嬢さんのところへ行こうよ。彼女ならもっといい句が浮かぶかもしれない」と言って、二人一緒に瀟湘館にやってきました。

 黛玉は寝台に斜めに座って杜工部(杜甫)の詩集を見ているところでした。傍らには大きな香炉が置いてあります。二人が来たのを見ると、本を置いて笑い、「いらっしゃい。ちょうど暇で退屈していたのよ。外はあまりに寒いので、部屋で本を見ているしかなかったの。香菱さんは病気になったと聞いていたけど、随分痩せましたね。どうぞ、こちらに座って暖まって」。 香菱は中に入って外套を脱ぎ、香炉の側に腰を下ろします。

 宝玉はマントを脱ぎながら、「林妹妹に会いに来たら、香菱さんが沁芳亭の前で雪を見て詩を作っているのに出くわしたので、連れて来たんです」。 香菱はかぶりをふって嘆息し、「詩を作る気分になんかなりませんわ。くさくさしていたので気散じに出て来て、大雪が舞っていたものですから、謝道韫姉弟(謝道韫と謝朗)が詠んだ詩を思い出して、一句試しに作ってみたんです。お嬢様に教えを請おうと思って来たんですわ」。

 紫鵑がお茶を運んできます。黛玉が「そういうことなら詠んで聞かせてちょうだい」と言うと、香菱は「『如何梨花舞風前』の一句だけなんですが、あまり良くないので、お嬢様、変えてみてください」。 黛玉は「その例えは上手よ。変えることはないわ。私もその一句を借りて、対句で雪を詠む詩を作ってみましょう」。 宝玉が「うん、実に雅なことだ。私が書き留めよう」と言うと、黛玉は「短い句ですもの、書くこともありませんわ。『蟾宮撃砕粉如此(月宮を砕きし粉もかくの如し)』と続けてみましょう」。 宝玉と香菱は賞賛の声を上げます。

 宝玉は「私が謝道韫姉弟の二句に続けて読んでみるよ」と言って、用紙を取って書き上げました。

 撒盐空中差可似、  (雪は)空中に撒きし塩に似れど、
 未若柳絮因風起。  風にて起こる柳綿には及ばず。
 何如梨花舞風前、  風に舞う梨花の如く、
 蟾宮撃砕粉如此。  月宮を砕きし粉もかくの如し

 黛玉は聞くなり微笑んで、「やっぱり謝氏の姉弟には比べられないわね」と言うと香菱も頷きます。

 宝玉は「及ばないことなんてないさ。十分に的を射ていると思うよ」と言って、宝釵、湘雲に見せに行こうとします。

 黛玉は「でも、顰みに倣う(身の程もわきまえず人まねをして物笑いとなる)作よ。人まねをして気晴らしをしたまでのこと、持って行って見せたりしたら笑いものになるわ!」と言って、宝玉から奪い取ってビリビリに破いてしまいました。宝玉は地団駄を踏んで、「惜しいよ、惜しいよ、こんなに雅なことなのに、宝姐姐、雲妹妹、三妹妹らに聞かせてあげるのがどうしていけないのさ? あの人たちにだって作ってもらえるのに」。 黛玉はかぶりをふって笑い、「みんながこんなふうに真似るなんてとんでもないこと! 雅なことを俗っぽくしてしまうだけよ。見せないほうがいいの」。 香菱も頷いて「はい」と言います。宝玉はちょっと考えて、それまでにしました。

 一同はしばらく雑談を交わし、宝玉は「もう春になったとはいえ、まだ雪が降っているし、妹妹は風邪を引いて咳がひどくならないようによく養生しないといけないよ」。 黛玉は「ですから私は外出しなかったんです。部屋で横になっていても退屈なんですもの」。 香菱は「この春雪が終わったら、からっと晴れるんじゃないかしら」。 黛玉もうなずきます。

 宝玉が「春になって暖かくなれば、二人の病気だってなくなっちゃうよ」と言ったので、二人も笑い出しました。


 天候は果たして一日一日と暖かくなり、黛玉の病気も日一日と良くなるようでした。宝玉も安心し、その日は遊びに行こうと思っていると、探春が翠墨を寄越して「三のお嬢様が宝の若様にお越しくださいますように」と言います。襲人が「行ってらっしゃい。家のことは心配なさらずに」と言うので、宝玉は秋爽斉にやって来ました。見れば、大理石の大卓の上に名人の書画が何幅か置かれています。探春は一幅の掛け軸を眺めていましたが、宝玉が来たのを見ると、「二のお兄様、こちらに来てご覧になって。私、黄山谷(宋代の書家・黄庭堅)のこの書を、米襄陽(宋代の書家・米芾(べいふつ))の『煙雨の図』と掛け替えたいんですが、いかがです? 昨日箱から出したものなんです」。

 宝玉はじっくりと眺め、「どちらもいいね。山谷の書は懐素(唐代の書家)から変化を遂げたもので、更に張旭(唐代の書家)の円頸飛動(丸みを帯びた躍動感)の技術もあって、ここに掛けたら素晴らしいだろうね。米襄陽の書は長いこと掛かっていたし、山谷の書に替えると優美で上品だね」。 探春は「私もそう思ったんですが、替えて悪くなっても困るので、お兄様に相談しようと思って来ていただいたんです」。 宝玉が「三妹妹のところは広いから、こういった大きい掛け軸じゃないといけないな。この書は筆法も絶妙だし、この部屋に似合うね」と言うので、探春は侍書と翠墨に命じて書を取り替えさせます。宝玉は「私の部屋でも、明代の徐謂の『蟹蓮の図』を随分長く掛けたので替えようと思っていたんだ。でも、こんなふうにぴったりしたのはないんだよな」。 探春は「先日、この『煙雨の図』を好きだって言っていませんでした? このまま置いておいても無駄ですし、お持ちになってお取り替えになって! いずれ私が必要な時には、別のを贈っていただくっていうのはいかがです?」 宝玉は喜びを抑えられず、急ぎ探春に礼を述べ、「先日、徐煕の描いた扇子を手に入れたんだ。世にも稀な物だし、三妹妹に贈ろうと思うんだけどどうかな?」と言うと、探春は「そう急がなくても、そのうち拝見させていただいてからの話にしましょう」。

 宝玉が探春のもとを辞して、黛玉のところへ行こうとすると、意外にも妙玉がやってきました。宝玉は呆然としますが、慌てて敬礼して、「妙師は何処よりお出でになり、何処へいらっしゃるのです?」 妙玉は笑って「禅堂で読経するのも疲れたので、思い切って出てきたのです」と言って、宝玉が書画の巻物を持っているのを見て尋ねます。「それはどなたの書画で、どちらで入手されたものです?」 宝玉が説明すると、妙玉は「米芾の『煙雨の図』でしたか。なるほど、得難い名画ですね。私のところにも古人のものが二幅ありますが、あなたのものとは比べ物になりませんね」。 宝玉は「妙師も名画をお持ちでしたとは。是非私も拝見して、目を開かせてはいただけませんでしょうか?」 妙玉はしばらく呆気にとられていましたが、ようやく宝玉に頷いて、「いいでしょう。もし他の人なら決してお見せしないところです。俗人に見られるようなら、焼き捨てても惜しくはありませから。あなたが見たいと言うのも縁なのでしょう。私に付いてきてください!」

 宝玉は妙玉に付いて山を巡り、櫳翠庵に到着しました。妙玉は自ら建窯(けんよう/現在の福建省建陽市を中心とした窯)の芭蕉を描いた茶碗を洗い、上等なお茶を運んできます。宝玉はこれをじっくりと味わいます。

 妙玉は古画を持ってきますが、宝玉が笑っているようないないような顔で彼女を見ているのを見て、思わず顔を赤らめます。「どうぞご覧下さい!」と言われて見ると、それは宋の楊補之の『四梅花の図』で、膨らみかけた蕾からしぼんで散るまでの四つの梅花が描かれたものでした。もう一幅は文同(宋の画家)の『墨竹』でした。

 宝玉は一目見て喜び、「なるほど得難い珍品ですね。文同の描く竹について、米南宮(米芾)は、彼は墨の濃淡で奥行きを描くのが上手いと言っていますが、確かに素晴らしいものですね。坡翁(蘇東坡)の描く竹も独特で、米南宮も彼は『遠思清抜』だと褒めていますが、文同の竹は蘇東坡より遙かに気高く深遠ですね」。 妙玉は「文同の描く竹は、節が堅強で、雪霜に堪えた気品があります。彼は竹を師とし、友とし、朝は竹と遊び、夜は竹と寝た人で、蘇東坡も彼を『胸に成竹あり(描く前に胸中には既に竹の絵が出来上がっている)』と言っており、筆を下ろせば才を発揮するのですね。楊補之の梅花には高潔な趣が漂っています。宋の徽宋は、彼の画を『村梅』だと言って嘲笑しましたが、あなたは笑えますか?」 宝玉は「徽宋は画家でもありますが、工筆画(緻密に描く画法)で描く濃艶な宮梅であり、野外の橋のたもとにひっそりと咲く『村梅』など目に入らないのでしょう」。 妙玉は「私が好きなのは、彼が写意画(細かい描写をせずに作者の意を表現する画法)で梅花の深い心情と淡い抱負を描いたことです」。 宝玉は頷いて「この画は彩りを想像させる工夫だけでなく、奔放さも感じられて、高尚で優雅な気が心に染み入ります。見る人に山林の趣を興させますね」。 妙玉は「この梅花の淡泊さの中に凛々しさや純粋さが感じられるが故に、私は特に気に入っているのです」。

 そこで宝玉が「このような珍品を妙師は何処で入手されたのです?」と尋ねると、妙玉は冷笑して「売っているところなどありませんわ。私の祖父の形見なのです。今、私の手元にあるのはこの二幅だけ。ここでこれを見たのは御令妹の惜春さん、岫烟さんに次いで、あなたが三人目です」。 宝玉は大急ぎで礼を述べ、妙玉は人に対して偏屈だから、今日は破格の扱いを受けたものの、嫌気をさされるのもつまらないと思い、急ぎ身を起こしていとまを告げます。妙玉はただ頷くだけでした。

 宝玉は櫳翠庵を出ていくらも行かないうちに、惜春がこちらに向かって来るのを見ました。宝玉を見て「二のお兄様も櫳翠庵にいらっしゃったの?」と言うので、宝玉は「妙師が所有されている二幅の古画を鑑賞させていただいたんだ。なるほど得難いものだった。四妹妹はこちらにはよく来るのかい?」 惜春は嘆息して「あちらの邸内では心休まりませんもの。二のお兄様は、うちの兄が弓や武術の訓練と称して、実は賭場を開いていることを聞いていませんか? 入画の兄がどこからかあんなものを入手して、入画のところに隠していたばっかりに、私まで名を汚されてしまい、入画を追い出しました。叔母上は私がいけないと決めつけ、私が冷淡で物を知らないと言うのです。私は潔白な人間なのに、彼らに汚されてしまったんですもの、冷淡になるのも無理がないじゃありませんか。あの方はむかっ腹を立てて行ってしまいましたが、一生来ないでもらったほうがさっぱりしますわ! 妙師父のところにはよくお邪魔するんですが、碁を打ったり、禅機を聞いたりしていると、清浄な趣を覚え、あんな下品な話で耳が汚れずに済むからですわ」。 宝玉は惜春と尤氏の口論の原因を知り、思わず尊敬の念に打たれて言いました。「そういうことだったのか、妹妹の言うのももっともだね。よく考えると、私たちはぬかるみにはまって自分で抜け出せなくなったようなものだ。妹妹は高潔で考えもしっかりしていて、本当に感服の至りだよ。それに比べて、私は身の置きどころがないな」。 惜春は「それは言い過ぎよ。ここ数年、冷静に見たところ、お兄様と林のお姉様だけが利録や功名を求めませんでした。だから、お兄様にこんな話をしているんですよ。他の人だったら、話しませんわ。私が氷や雪でできていて、義理も情けもないように言うけど、実のところ、自分たちがやっているああした事を人に嘲笑われていることを知らないのよ。今、私どもはまだ盛大にやっていますけど、二のお姉様はあんなふうに人に踏みつけにされているじゃありませんか! 私の兄みたいにあんなことをしていて、一敗地にまみれないわけがありません。一度倒れたら私も純潔を守ることはできず、死んでも身を葬るところがなくなるんですわ」と言って、涙を雨のように流します。

 宝玉はこれを聞いて呆然とし、しばらくしてから「妹妹、安心しなよ。まだその時は至っていないんだし、時が至れば、私は妹妹の困難を除くことはできなくても、力になることはできるよ。妹妹は私の知己であり、良き師匠でもあるんだから」。 惜春は嘆息して「とにかく成り行きを見守りましょう。まだ日があるのでしたら、それぞれが自分の行く先を尋すしかありませんね! 私は純潔を守れればそれでいいんですから」。

 惜春は宝玉と別れて櫳翠庵に入ります。見ると妙玉はちょうど画をしまっているところだったので、「たった今、二のお兄様に会いましたわ。その画をお見せしたんでしょう?」と言うと、妙玉は「あの方が米南宮の画を持っていらしたので、私のところにも二幅の古画があると申し上げましたら、見たいとおっしゃるものですから、やむなくお見せしたのです」。 惜春は頷いて、「二のお兄様は、善し悪しを知らない方々とは違いますもの。今の私どもの家で、私はあの方と林姐姐の二人だけが、本当に見識があり、功名や利録を求めない方だと尊敬しているんです。もし、私どもの家の人たちがみな、あの二人のようだったらきっと何事も起こらないでしょうに、功名や富貴ばかりを求めて、いざこざばかりが起き、私の純潔も巻き添えを食っているんです。姐姐のように俗世を超越し、浮き世に縛られなければ、どんなに素晴らしいでしょうね」。 妙玉はため息をついて、「しばらくそんな話はやめにしましょう。一局打ちませんか?」 惜春は笑って「対局でしたら、私はとても相手になりませんわよ」。 妙玉は「あなたは曼荼羅花を入手されたんですから、いつだって意表をついた手で勝てるでしょうし、遠慮しなくてもいいわよ!」と言って、侍女に紫壇の漆塗りの碁盤を持ってこさせ、対局を始めます。

 惜春が先に一角を取りますが、妙玉は構わずに傍らに布陣します。わずかな時間で黒が次第に進入し、惜春は数十子が包囲されたことに気づいて急にドキドキして耳が火照り、矢継ぎ早に手を打ちます。妙玉は仙茗茶を飲み、微笑んで何も言いません。

 すると突然、背後から指摘する声が入りました。「隅の二子を救けたいのなら、二カ所の囲みを解けば、守りも固くなるんじゃない?」 惜春は黛玉の声だとわかり、振り向いて「姐姐が対局してくださいよ! 私では相手になりませんわ!」 妙玉は笑って「慌てないで。じっくりと考えれば、もっといい手がありますよ!」と言うので、惜春、黛玉は静かになります。

 しばらくして、惜春が笑って、「あったわ。まずここの七子を切って、さらに上を奪い返し、ちょっと粘れば『金鶏孤立』が成立するわ!」と言うと、妙玉も笑って「私はあなたが曼荼羅花を入手したと言いましたが、果たして名実相伴いましたね」。

 一局が終わり、黛玉と妙玉が対局します。妙玉が二局連勝し、もう一局打とうとした時には、外は暗くなっていたので、黛玉は身を起こしていとまを告げます。惜春も辞して、二人は一緒に櫳翠庵を出ます。

 黛玉は「いい香り! ここの紅梅の花はもう咲いていたのね。今一番綺麗なのは、やっぱり彼女の庭の緑梅ね。私は来た時にずいぶん観させてもらったんだけど、あなた方は部屋の中にいたから分からなかったでしょう」。 惜春が「林姐姐がお好きでしたら、一枝手折って持って帰り、花瓶に生けてはいかがです?」と言うと、黛玉はかぶりを振って、「花瓶に生けたのでは、木に咲いている新鮮さがなくなるわ! 素敵な花を粗末にすることもないでしょう。だから私はわざわざ観賞しに来たのよ。春を告げ、また一年経ったことを告げてくれる梅の花を無にしなくて済むわ」と言って、目の縁を赤くし、あわてて惜春に別れを告げて帰りました。

 惜春はしばらく呆然としていましたが、ため息をつき、かぶりを振りつつ、寥風軒に帰りました。黛玉は戻ったのち、櫳翠庵の緑梅の愛らしさを思って雅心を興し、画仙紙を敷いて筆を動かし始めました。詳しくを知りたい方は次回をお聞き下さい。