意訳「曹周本」


第88回
   古画を争いて趙妾、実の娘を非難し、捉迷蔵(鬼ごっこ)にて李綺、清池に落ちる
【補注】詩教と静女
 「詩教」は孔子が編纂したとも伝えられる中国最古の詩集で、西周~春秋中期の305編の詩が収められていることから「詩三百」とも呼ばれます。「静女」はその中の「邶風」(邶(はい)国の民歌)の項に収められた一作品です。
 さて林黛玉は、早起きして『詩教』をしばらく読みます。始めは手あたり次第にめくっていましたが、興味を覚えず、続けて『静女』の一篇を読みます。『詩教』には情緒溢れる優れた詩が多いのですが、『静女』は僅か三章十二句から成り、美人で賢い元気な娘を活き活きと描き出しています。この若者は城の角で彼女を待っているのでしょう。「愛而不見、搔首踟躕(姿が見えないので、頭を掻いて思案する)」には、口をすぼめて笑いながら、「あなたは待たされているのよ。気を揉まないで。彼女は近くに隠れてこっそりあなたを見ているのよ!」と思わずつぶやきます。また、「貽我彤管、彤管有煒、説懌女美(私は赤い笛を贈った、赤い笛は綺麗だが、彼女のほうが美しい)」まで読むと、こう思うのでした。この赤い笛は得難い物なんでしょうが、愛の証としてこの美しい娘に贈ったのでしょう。娘は荑草(野生の茅草)を採って若者にお返しします。彼はとても喜び、「荑草美得真出奇、不是荑草真的美、美人送我含爱意(茅草はとても美しいが、それも美しき人が贈ってくれたからだ)」と述べるのでした。 黛玉は机に突っ伏して笑いが止まらず、こう思うのでした。実に情趣があるわ。『詩教』には、聖人も削除できなかった、気持ちのこもった素晴らしい詩があるのね。

 この時、史湘雲は稲香村に出かけていました。黛玉はしばらく本を読んでいましたが、窓の外に数本の斑竹が青々と生い茂っているのを見て、思わず部屋を出ていって鑑賞します。紫鵑が薬を持ってきて「薬が冷めますわ。お嬢様、早くお飲みください」と言うので、黛玉は眉間に皺を寄せ、やむなくこれを受け取って飲み干します。続いて紫鵑が熱いお茶を注いできたので、黛玉は口をすすぎ、笑って「一年中この苦いのを飲み終わることはないわね。面倒だし、今後は飲まなくてもいいでしょう」。 紫鵑は笑って「お嬢様は夜になるとまだ咳が出ますし、まだ飲まなくてはいけません。春になって暖かくなったとは言え、外はまだ風がありますから、風の当たるところに長く立っているのはいけませんわ。部屋に入ってお休みください」。 黛玉は紫鵑に付いて部屋に入りますが、生い茂る青竹を可愛く思って、絵を描き始めました。そこへ宝玉が来たので、黛玉は急いでそれをつかみ、くしゃくしゃ丸めて窓の外に投げ捨てます。

 宝玉は「あなたの描いた絵でしょう、何も捨てなくてもいいのに。あなたは毎日竹を見て、元気をもらっているわけだね。私が見ても、あなたの絵にはとても風格があると思うよ」。 黛玉は「このところ、ようやく暖かくなってきましたね。今日はすることもなく、あの青竹を見ていたら、ちょっと興が乗ってでまかせに描いてみただけ。ちゃんとした絵であるはずがないわ」。 宝玉は「あんたが塞ぎ込んで病気になるんじゃないかと心配だったけど、絵の勉強をしていたのならいいことだね。今日、三妹妹のところから米襄陽の『煙雨の図』をもらってきたんだ。妹妹が好きならお贈りしようと思うんだけど、いかがです?」 黛玉は探春の書画と聞いて、「あなたがいただいたんでしょう、気にしないで」。 宝玉は「山谷の書に換えたら、ずっと明るく清々としたので、この画をもらってきたんだ。私の部屋の徐謂の『蓮蟹の図』と替えようと思ったんだけど、妹妹がよければ、好きな方を選んでよ。もしこちらの画がよければ私は替えないし、徐謂の画がよければ取り替えてから贈るよ」。 黛玉は冷笑して「人が見飽きて取り替えたものなど要らないわ」。 宝玉は失言だったことを知り、あわてて「妹妹が二幅とも要らないのなら、この前入手した徐煕の描いた花鳥の扇子があるよ。徐煕は野逸なので、妹妹はきっと気に入るだろうから、こちらを贈りますよ」。 黛玉は「どこから得られたものなの?」 宝玉は「東方の国王が北静王に贈ったもので、北静王が私にくださったんだ」。 黛玉はさらに怒って「二人の男が遊んだものなんて、例え徐煕の真筆であっても私は要らないわ」。 宝玉は恐れ入って「あなたが要らないのなら、三妹妹に贈るさ。後日いいものを見つけて改めて贈るよ」。

 黛玉は相手にせずに『宣和画譜』(北宋・徽宗の宮廷収蔵絵画目録)をめくり、宝玉は決まり悪そうに黛玉の後ろから覗き、指さして言います。「この『仙女図』には『霓旌(げいせい;天子の儀仗の旗)と羽盖(うがい;翡翠の羽で作った車の覆い)、飄々として雲を凌ぎ、萼緑華と董双成(ともに西王母の侍女)を想像すべし』と書かれているね。妹妹がこの『仙女図』が好きなら、天界の仙女も好きでしょう。妹妹が萼緑華になったら私は董双成になるよ。私たちは一対の仙女となって毎日何の憂いもなく、仙境で遊べたら素晴らしいんじゃない?」 言われて黛玉はくすっと笑って、「やめてよ。神仙には憂いがないって? 七人の天女が下界に降りる時に、織女(織姫)も…」と、ここまで言って話をやめます。宝玉は「織女がどうしたの? 話をやめたりして」。 黛玉は「あなたもご存知でしょう、私に聞かなくても」。 宝玉は笑って「牛郎織女(牽牛と織姫)の話を知らない人はいないよ。ためらうこともないでしょう。牛郎織女のように自給自足の生活をしていれば、西王母だって邪魔立てするいわれはないんだ。王母がしゃしゃり出て円満な夫婦仲を裂くなんて、天の理や人情に照らしても許されないことさ。あれが神仙のやることと言えるかい。あまりに道理がないじゃないか!」 黛玉は冷笑して「西王母に道理がなくて人間に道理があるとおっしゃるの?」 宝玉は頷いて嘆息し、「そう、こんな道理のないことがあまりに多すぎるね。いつになったら変わるんだろう?」 黛玉は「みな後難を恐れているのよ」。

 宝玉は黛玉の机の上に『詩経』が開いて置いてあるのを手に取って、「『静女』を読んでいたんだね、あんたの思いが窺えるよ」。 黛玉がこれを見てごまかそうとした時、ちょうど湘雲が帰ってきました。宝玉は話題を変え、「お昼にあんたに会いに来たのに、出かけていたんだね。三妹妹のところで『煙雨の図』を山谷の書に替えたんだけど、別の味わいが出て格式も高くなったと思うんだ。妹妹お二人は見に行かないかい?」と言うと、湘雲はたちまち興をそそられ、見に行きたいと言うので、黛玉も立ち上がって三人一緒に瀟湘館を出ました。

 宝玉は怡紅院に戻って、秋紋、麝月らに徐謂の『蓮蟹の図』に替えて『煙雨の図』を掛けさせ、しばらくこれを眺めます。秋紋、春燕らが口をそろえて「この絵があると、まるで私たちも、霞んで見えない煙雨の中にいるようですわ」と言うので、宝玉はとても喜ぶのでした。


 さて、ある日、賈環は怡紅院に来て、この『煙雨の図』を見ます。探春の物だと知り、帰って趙氏に訴えました。

 趙氏はこれを聞いてひどく怒り、「人様の肘は内側に曲がるのに、私たちのは外側に曲がるんだね」。 賈環は「大殿様は、以前私に、いい画を観たことがないかとお尋ねになり、もしいいのがあれば、二幅買っておいてくれとおっしゃいました。なのに、米襄陽の絵がよりにもよって宝玉に行ってしまったんです」。 趙氏は「あの子が進んで宝玉にくれてやったからには、もっといい物をお前が貰いに行っていいはずだろう」。

 賈環がどうして探春のところに行きましょう。趙氏は怒って罵ります。「この意気地なしめ。人の物を見れば欲しがるくせに、もらいに行く度胸はないのか!」 賈環は「三姐姐を生んだ母さんが行けないのに、私がどうして行けますか?」 趙氏は厚かましく、「じゃあ、私が行くよ。あの子を生んだからには、世話してもらうのが当然だからね。自分の弟が他人に劣ることがあってたまるかい!」と言って、ぷんぷんしながら探春のところに押しかけました。

 探春は趙氏が来たのを見ると、すぐに立ち上がって席を勧め、自らお茶を運んできて尋ねます。「お母様は近頃いかがです?」 趙氏は「いいと言えばいいけど、あんたの弟のせいで気苦労が絶えないね」。 探春が「環ちゃんは近頃どんな様子です?」と聞くと、趙氏は嘆息して「あんたたちの父さんが仕事で忙しいもんだから、近頃は大殿様のところへ手習いに行っていて、ずいぶん上達したよ。今日はどうしてもあんたに骨を折ってもらわないといけない用件があって来たんだ」。 探春は「どんなことでしょう。お母様、おっしゃって!」 趙氏は「大殿様はあんたの弟を見込んでくれて、書画を二幅買ってくるように頼まれたんだよ。私は思ったんだけど、あんたはよい書画を持っているから、普段入り用でない物をあんたの弟に二幅くれないだろうか!」 探春はこれを聞いて、宝玉にあの絵を贈ったことを知って、わざともらいに来たことを知りました。そこで笑って、「大殿様のところではまだ名画が足りないとおっしゃるのですか? 環ちゃんが買ってくるように頼まれたのであれば、美術商に行くべきでしょう。或いは、名画を所有している収集家に当たって、一、二幅でも売ってくれるならよし、買えない時はそれまででしょう。私は美術商でも収集家でもありませんもの、どうして私のところへいらしたのです?」

 趙氏は探春に隙がないと見て、ためしに「あんたは小さい時から書画が好きだったもの、何幅かは貯め込んでいるんだろう? あんたの弟が探しあぐねているんだから、あんたが二幅融通するのが道理だろう。他人に上げる物はあっても、自分の弟に上げるのはないのかい?」 探春はこれを聞いて色をなし、「他人って誰です? 私がどこの他人に上げたと言うんです?」 趙氏は「宝玉の部屋にあんたの絵が掛かっているじゃないか!」 探春は笑って、腰を下ろして言います。「なんだ、お母様はそのことを言っていらしたの。宝玉さんは兄、環ちゃんは弟、宝玉さんがどうして他人になるのです? 私も名画を二幅持っていますが、自分で見て楽しむだけで、それを売って仕事にするつもりはありません。環ちゃんが大殿様に書画を買ってあげたいのなら、骨董商に足繁く通えばいいんです。私が宝玉さんに書画を差し上げたからって、骨董商になったわけじゃありませんわ」。 趙氏は「あんたが骨董商だなんて言っていないよ。宝玉にあげたあの画は大したものじゃないんだろう? あんたの弟が入り用だっていうのに、くれようともしないなんて」。 黛玉は立ち上がって「私の書画は、私が上げたいと思った兄弟姉妹に上げるんです」。 趙氏は「あんたは宝玉に上げる物は沢山持っているんだもの、弟に一幅あげるくらいなんだというのさ」。

 探春は「環ちゃんが大殿様に贈るからって、上げるわけにはいきませんわ。お母様もしっかりしてください。近頃、環ちゃんはあまり勉強をしておらず、いずれは妓楼通いになるだろう、なんて噂を聞いていますよ。とんでもないことです。殿様はお忙しいんですから、お母様は環ちゃんをもっとしつけていただくべきで、彼が禄でもないことばかり覚えてくるのを放っておいたら、いずれお母様の差し障りになるのではありませんか?」 趙氏は怒って立ち上がり、「私はあんたに画をもらいに来ただけじゃないか。くれないのはまだしも、逆に私に説教をくらわすなんて。あんたの弟が誰の恨みを買っているって言うんだい? 今じゃ大殿様に可愛がってもらっているんだから、いずれ芽が出れば、あんたたちも羨むことになるんだよ。なのに、文句ばかり並べて」。 探春は「誰かに頼って芽を出そうなんて考えないことですわ。自分さえまじめにやっていれば、誰の怒りを買うこともないでしょうけど、正道を歩まずに皇帝や老子様を頼ろうとしたって、ダメになるのは目に見えていますわ。環ちゃんはまだ小さいんですもの、お母様は彼が正道を歩むように諭してやるべきでしょう。今まじめに勉強させずに、人様に頼ろうとばかりしていたら、日一日とダメになってしまいますよ」。 趙氏は怒りにあえぎながら、「もう結構! 私はあんたみたいな娘を生むんじゃなかったよ。あんたも私の生んだ娘だとは認めていないようだし、自分たちで勝手にやるとするさ。環ちゃんが出世する日が来たら、世話してくれた人の恩に報いたんだと分かるだろうさ」と言って、ぷんぷんしながら行ってしまいました。

 探春は、趙氏が遠くに行ってしまってからやっと腰を下ろし、涙がどっと溢れます。趙氏の話を思い出すと心中冷たいものがありました。また、この邸内のことを考えると、思わず嘆息して、「一人一人がみな恨みを募らせているみたいで、『樹木が倒れて猿が散り散りになる』日も遠くないのかもしれない。私が荒波を押しとどめようとしても無理みたいね。やっぱり各自がそれぞれの身の振り方を考えるべきなんだわ!」 侍書は、探春が怒っているのを見て、息を殺して傍らに立っていました。探春は冷笑して「いいわ、私も今は構っていられないわ!」 侍書らはいそいで水を汲んできて、探春に顔を洗わせるのでした。

 趙氏は戻ってからもしばらくわめき散らし、心中ますます怒りが募ります。自分の生んだ娘が他人の方を向いて、自分の実母や弟に見向きもしないなんて話があるもんか! でも、お前がいくら頑張ったって、嫡出にはなれないんだ。所詮は私の腹から出てきたことは違いないのに、何を得意気になっているんだい! 賈環は傍らで皮肉って、「私は行くなって言ったのに、聞かないで行くから、詰まらない目にあうのさ!」 趙氏は彼を指さしながら、歯ぎしりして、「この甲斐性なしめ! お前のためにやっているのに、逆に私を非難する気かい」。 賈環は相手にせず、遊びに行ってしまいました。


 一方、宝玉は、芳官・藕官の事がまだ片付いていないことを気にして、そわそわしていました。襲人はこれを自分の足がまだ完治しないためだと思い、宝玉を慰めて言います。「ちょっと足をくじいただけで、もう歩き回れるようになりましたし、何を心配されることがあります? 自分の用事があるなら済ませに行くなり、林のお嬢様や宝のお嬢様のところへ遊びに行くなりすればいいでしょう。ここでそわそわと歩き回ることはありませんわ」。

 宝玉は、焙茗に芳官たちのことを聞きに行きたいと思っていたので、これに乗じて出かけます。二の門まで来ると、賈芸と焙茗がいそいそとやってきました。

 宝玉が会うなり「うまくいったかい?」と尋ねると、賈芸は「今日やっと片付きました。水月庵の智通は庵から人を出すことに難色を示していましたが、十数両の銀子を贈り、小間使いの侍女を買ったおかげで、ようやく芳官を出してくれました。今日はちょうどよい静かな寺院も見つけてきました。実は櫳翠庵の妙玉師父が以前住んでいた牟尼院で、とても静かで趣のある院ですから、あそこで修行できれば申し分ないでしょう。あそこの老尼には話がついていますし、毎月銀子と食料を送ることにします。二日たてば芳官が移り、一心に修行に励むことでしょう」。

 宝玉は頷いて、「結構だね。でも、藕官と蕊官を送り返す方の話はどうなっているんだい?」 賈芸は「あの二人は面倒なことが多いんです。二人は実家には戻りたくないそうで、戻ってもまた売られるだろうと申しておりました。また、二人はお互いに離れたくなく、生死を共にしたいそうです。二人にどうやって生計を立てていくのかを尋ねると、二人とも既に仕事は決めており、歌を売って生業にしたいそうで、教坊(音楽や舞踏などを司る官署)で登録する手助けをして欲しいとのことでした。それで、若様に決めていただきたいのですが、彼女たちの意思に従いましょうか、それとも他のやり方にしましょうか?」 宝玉はちょっと考えて、「歌を売りたいのなら、それも生計を立てる道だし、彼女たちの言うとおりにさせよう。ただ、彼女たちだけで歌を売るのかい、それとも別の者と一緒にやるのかい?」 賈芸は「尋ねましたら、自分たちで歌いたいと申しておりました。昨日、私と焙茗で住まいをを探して参りました。実は、牟尼院の近くに三間の家屋があり、歌の練習をするにも丁度よく、売り主の言い値も高くないので、買って彼女たちに住まわせたいと思うのですが、叔父上は満足いただけますでしょうか?」 宝玉は「よくやってくれたね。お金はいくらかかっても、焙茗に届けさせるよ。先日、煕鳳姐姐には、友人が病気で銀子が百両要ると言っておいたから、帳場に行けば、すぐに払い出してくれるよ」。 焙茗は「計算すると、かかるのはおよそ七十両ちょっとですから、まだ余りますね」。 宝玉は笑って「だったら、蕊官と藕官にやって、日用品や食料を買ってもらえばいいさ」。

 宝玉がまた賈芸を褒めると、賈芸は笑って「叔父上が良いことをされるのに、甥がお手伝いをさせていただくのは当然ですよ。ただ、叔父上には今後もこの甥をお引き立ていただき、ご相談させていただく時に、お口添えさえいただければ、それが甥の幸せです」。 宝玉は訝って「何かあるのかい?」と尋ねると、賈芸は口をすぼめて笑い、「いずれ叔父上のところにお願いにあがります。今はまだ早いですから、何も申し上げません」と言って、宝玉と別れました。

 宝玉は心のつかえがやっと取れると、惜春のことを思い出しました。最近はどうしているんだろう? 今日は陽気も穏やかだし、四妹妹に会いに行ってみよう。そう思って、藕香榭まで来ると、李紋、李綺、湘雲、岫烟がかくれんぼをしており、平児と巧姐もそこにいました。宝玉が来たのを見ると、皆笑って「また一人いらしたわ」と言います。宝玉も笑って「楽しそうだね。みんな隠れてよ、私がみんなを捕まえるから」。 李綺は笑って「私、捕まえられなくて困っていたの。宝のお兄様が鬼をやっていただけるなら、私も隠れようっと」。

 巧姐も隠れようとしたので、平児は「もし見つかったら鬼になるのよ。他の人を捕まえられるの?」と言いますが、巧姐はどうしても聞きません。そこで平児は「分かったわ、あなたも隠れなさい。ただし、見つからないところに隠れることと、水に落ちたりしないように注意するんですよ」。 巧姐は大喜びで、大きな木の後ろに隠れます。

 宝玉は背を向けていましたが、平児はみんなが姿が隠したのを見て、手を三回叩きます。宝玉が後ろを向き直ると、全く人影が見えません。平児は「よく探してくださいな。みんな確かにここにいますから」。 宝玉がしばらく注視すると、東の廊柱の後ろに服のすそが見えています。そこで、抜き足差し足、捕まえようとした時、その人はぱっと走りました。見れば李紋、宝玉は慌てて追いかけますが、李紋は既に遠くまで走っていって、手を叩きながら、「宝のお兄様、私はここよ。追いかけていらっしゃい!」 宝玉は追いかけようとしますが、近くの廊柱の後ろに湘雲を見つけ、李紋はさておいて湘雲を追います。しかし、湘雲も遠くに走っていって、手を叩きながら、「宝のお兄様、私はここよ。追いつけないわよ」。 宝玉が追いかけようとすると、李綺、岫烟、巧姐がみんな飛び出てきて、手を叩きながら宝玉を呼びます。宝玉は、また気が変わって岫烟を追いかけますが、全く追いつけません。そこで、地団駄を踏みながら、「みんな猿みたいにすばしこいんだもの。どうして女の子に追いつけないんだろう?」と、立ち止まってしばらく考え、はっと気がつきます。目標も決めずに右に左に走ったって、追いつけるわけがないじゃないか!

 見れば、李綺が手を叩いて笑っており、一番距離が近いので、まっすぐに彼女を追いかけます。李綺は宝玉が来たのを見ると、急いで向きを変えて走ります。李紋、湘雲、岫烟は手を拍きながら、宝玉を呼びますが、宝玉は全く取り合いません。李綺は慌てていたので、前に走ることだけに気を取られ、見る間に池のほとりにまっしぐら。宝玉は急いで足を止め、大声で呼びます。「妹妹、早く止まりなよ! 追いかけないからさ!」

 実は、ここの地形は長い坂道になっていて、下に池がありました。李綺はどうして止まれましょう。足を止めようとした時には、もう水の中に落ちていました。水亭の上では平児や李紋たちが慌てて声を上げ、宝玉は服を脱いで助けに行こうとします。平児は大きな声でこれを制し、「行かないで! 女船頭たちが船で助けに来きますわ!」

 藕香榭には船が停まっており、女船頭たちは、娘たちと宝玉が亭の上で遊び戯れているのを、船を操りながら見ていました。李綺が急に走ってきて、宝玉がその後ろを追いかけてくるのを見ると、慌てて「走ってはいけません!」と叫びます。しかし、李綺は止まれずに水に落ち、女船頭たちは慌てて船を寄せ、すぐに助け上げました。

 李綺は少し水を飲み、顔面蒼白で、全身ずぶ濡れだったので、平児は急ぎ竹椅子を持ってこさせ、李綺を惜春のところに担ぎ込みました。

 この時、李紈が知らせを聞いて駆けつけると、惜春、平児、李紋、岫烟らがお湯で彼女の体を温め、生姜湯を飲ませており、もう衣服は替えていました。ようやく安心して、素雲に清潔な服を持ってきて着替えさせ、更に毛皮の服を着させます。「私、あんたは事故を起こすって言ったのに、聞かないんだから。今はどんな具合なの?」 李綺はこれに答えて、「もう温かくなりました。私、水晶宮に遊びに行きたかったのに、大門まで行かないうちに引っ張り戻されましたわ」と言うので、一同は笑い出します。

 平児は笑って「お嬢様は水に落ちるのが怖くないんですか? 竜宮に遊びに行きたいだなんて!」 李紈は「聞いた? この子はこの通りやんちゃなのよ!」 平児は「もう春になったとは言え、まだ寒いですから、ずぶ濡れになった上に、風に吹かれて熱でも出てはいけませんね。こちらの四のお嬢様のところで少し休んでいただきましょう。温かくしてお眠りください。私、薬を持ってきますので、まずは風邪の予防に努めましょう」。 李紈は「そうね。素雲にあなたに付いて行ってもらい、あなたは戻らなくてもいいわ。しばらくしたら、稲香村に連れていくから安心していいわよ」。 平児は頷き、素雲と一緒に巧姐を連れて、部屋に戻ります。二瓶の傷風感冒丸と二包の銀翘解毒丸(ともに風邪薬)を素雲に渡して、「お湯で飲んでね。予防にはこの丸薬を二十粒も飲めば効果がありますから」。 素雲は笑いながら「私たちの三のお嬢様もやんちゃが過ぎますね。水の中にまで遊びに行くなんて! 風邪を引かないように、しっかり薬を飲んでもらいますわ!」と言って丸薬を受け取り、平児と別れました。

 巧姐は笑って平児に言います。「今日は楽しく遊んでいたのに、あいにくあんな事故を起こしてしまいましたね。明日はまた宝叔父さんにお願いして、かくれんぼの続きをしなくちゃ」。 平児は笑って、「あなたのお母様はまだご存知ないんですよ! もしあなたがその中にいたとお知りになったら、あなたは跪いてお説教される羽目になるわよ。なのに、まだかくれんぼをしたいだなんて!」 巧姐はびっくりして泣き出しそうになり、平児に懇願して、「絶対お母様には言わないで! 私も叱られなくて済みますし、あなたも私が遊ぶのを許したんだから、叱られるに決まっています。何か打つ手を考えましょう」。 平児は笑い出して、「病気になったふりをなさいな! お母様がお知りになっても、叱るのはまずいでしょうから」。 巧姐「いっそのこと、しばらく書の勉強をしようと思うの。お母様が帰ってきても、私が勉強しているのを見たら、怒ることはないでしょう」。 平児はこれを聞いて喜び、小紅に文房四宝(筆・墨・硯・紙)を持ってこさせ、また、自らは王羲之の『蘭亭集序』を持ってきます。巧姐は窓辺で書写し始めました。小紅は、巧姐が心を込めて臨書しているのを見て、緑茶を運んできます。巧姐は何口か飲むと、また精神を集中して書写し始めました。

 しばらくして煕鳳が戻り、巧姐がまじめに書写し、机の上には既に何枚か並べてあるのを見ると、喜んで褒めて言います。「嬢ちゃんも努力することを知ったのね。あんたの母さんは生まれてこの方、人に及ばないものはなかったけど、字を知らないばかりに馬鹿を見てきたんだもの。危うく人に騙されかけたこともあったわ。あんたも大きくなったんだから、時間がある時は字を書き、本を読みなさい。将来人に騙されないようにね」。 そう言いながら、巧姐の書いた書を取ってきて見ます。煕鳳は字が読めませんが、邸内で掛け軸や対聯をずいぶん見ていますので、巧姐の書いた字は整っていて筆力があると思い、持って行って賈母に見せます。賈母は果たして喜び、「嬢ちゃんは小さいのに、こんな上手に字を書くんだね」と言って、鴛鴦に端硯(端渓の硯)を選ばせて巧姐に贈るとともに、その書を彼女の祖父に送って見せるのでした。

 賈赦、賈政らは、これを見るとべた褒めし、「さすがは我が家の娘だ。小さい時から受けている教育が違う」と言って、たくさんの褒美を与えました。

 煕鳳はますます喜び、時間があれば巧姐に書を読ませ、字を書かせます。しかし、巧姐は何日か字を書くと飽きてしまい、時間があっても刺繍をし、やがて陽気が暑くなると、小紅を引っ張って稲香村に行き、蝶やバッタ、キリギリスを採って遊ぶようになります。鶯児が麦ワラで精緻な小籠を編んでくれたので、巧姐は非常に喜び、キリギリスを入れて賈母に贈り、「お婆さまの慰みにクツワムシを贈ります」と言います。賈母は人々に巧姐の孝行心を褒めました。煕姐は非常に鼻が高く、心中嬉しく、ますます巧姐を可愛がりますが、これはのちの話。後がどうなったのか知りたい方は、次回をお聞き下さい。