意訳「曹周本」


第93回
   史太君は蓮を愛でて酒令を行い、賈探春は詔を奉じて東の大海に嫁ぐ
 さて一同が岸に上がると、賈母は既に曲廊に上がって来ていたので、みんなは笑って「ご隠居様はおはずみのようで、もういらっしゃったのですか?」 賈母は笑って「しばらく病んでいるうちに、蓮の花がこうも見事に咲いてくれたんだね。やっと良くなったばかりで、あんたたちと船に乗って遊べないのが残念だよ。さっきは誰かが笛を吹いて歌っているのが聴こえたけど宝玉だったかい?」 宝玉は「はい」と答えます。鳳姐は「ご隠居様、私たちは歌を歌って笛を吹いただけでなく、網を投げて十数匹の鮒や鯉を捕まえたんですわよ。あとでお酒を飲む時に、私たちが捕まえた魚もいただきましょうよ」。 賈母は「病気も良くなったから鮮魚のスープを一口飲んでみたいもんだね」。 探春は「鮮魚のスープは美味しいうえに食欲を増進して内臓を健康にしてくれますわ」と言って、厨房に数十碗の鮮魚のスープをこしらえるよう申しつけます。また、宝玉が摘んだばかりの蓮の花を五彩の花瓶に挿し、彫漆の大理石の卓上に置いて、「ご隠居様、ご覧ください。この蓮の花はいかがです?」 賈母はこれを見るなり非常に喜んで、「やっぱり宝玉と三ちゃんの考えは行き届いているね。ここには池一杯の蓮の花があるし、風が吹けば清らな香りが漂ってきて、心爽やかになるね。亭榭(あずまや)にも花を一瓶置いたら、とことん蓮の花を愛でることになるんだろうね」。 探春は「この建物は『藕香榭』ですから、蓮がなければつまらないですわ。ご隠居様、ご覧ください。ここに『芙蓉影破帰蘭槳(芙蓉の影を破りて蘭の櫂にて帰る)、菱藕香深瀉竹橋(蓮の香は深く竹橋に注ぐ)』の対聯がありますわ。私たちが先ほど船で戻って来た時の景色ではありませんか」。 賈母は「この対聯は誰が作ったんだい?」 宝玉は「私です。まだ私が小さくて、この園ができたばかりの時、たまたま園内を見て回っていた父上に出会い、道々で対聯扁額を作るように命じられたんですが、その後も使われることになるとは思いませんでした」。 賈母はいっそう喜んで、「幾つにもならないのに、こんな良い対聯を作ったんだね。さっき見ていたけど、おまえ達が蓮の花の多いところから戻ってきて、船が蓮の葉をかき分けて、川の水が竹橋に流れていたのは、正におまえが詠んだのとぴったり同じだったね」。

 この時、邢、王の二夫人、尤氏も来ていました。王夫人は宝玉が褒められたのを聞くと、非常に誇らしく思い、尤氏に笑って言います。「彼の父上は、奴は心を入れて勉強しようとしないと言っていましたけど、ご隠居様にはお褒めいただきましたわ」。 尤氏は「宝玉さんは聡明ですもの、ご隠居様がお可愛がりになるのはもちろん、愛しく思わない人はいませんわ」。

 鳳姐は蓮の花模様の雕漆の金の円卓を運んでこさせ、賈母を上座に座ってもらい、右側は王夫人、宝玉、宝釵、湘雲、黛玉、岫烟、香菱、左側は邢夫人、尤氏、李紈、鳳姐、探春、惜春、李紋、李綺の席とします。鳳姐と探春のは仮の席として、場に応じて賈母と姉妹たちの間に仕えます。また、外側の回廊には探春が命じて二卓を置かせ、自らが鴛鴦、琥珀、玉釧児、彩雲、平児、素雲、小紅、襲人らを座らせ、自由に飲食をし、蓮の花を愛で、酒令を行わせます。さらに侍書、翠墨に卓上で給仕をさせます。みんなが叫びながら拳を打ち始めたので、鴛鴦を呼んで一緒に賈母のところに行きます。

 賈母のそばに涼み台を置いて鴛鴦を座らせると、探春は賈母の前に行って酒を差し上げ、賈母に蓮の花を見ながら酒令をするように勧めます。賈母はこれを受けて、一気に飲み干して言います。「三ちゃんは張り切っているね。私も今日こちらに来て、病気なんてすっかり消えてしまったようだよ」。 王夫人は「これもみな、三ちゃんの孝行心が菩薩様を感動させたのでしょう。ご隠居様もどんどん良くなってこられたようですし」。 賈母は「ただ座って酒を飲み、蓮の花を見ても面白くないからね。三ちゃんの言うとおり酒令をやろうじゃないか。ここには詩を作れる者も作れない者もいるのだから、わかりやすく誰でも楽しめるものはどうだい?」 一同は「分かりました」と答えます。 鴛鴦は「くじを引いて既成の詩に合わせるだけなら、みんなが出来ると思います」と言ってサイコロと盆を持って来させます。「まずご隠居様にサイコロを振っていただいて、右から順に数えましょう。当たった人がくじを引き、引いた番号で詩句の何番目の句かを決めます。ただし既成の詩句を選んで一首の詩にこしらえます。四句、八句の古詩でも構いません。韵や平仄(ひょうそく)はこだわらなくて構いません。既成の詩句がうまく出なければ、自作の詩でも結構ですし、雅語や俗語でも構いません」。 王夫人が「でも私たちに出来るのかしら。やはり姉妹たちの方がうまく出来るんじゃないの」。 鴛鴦は「簡単ですわ。詩といっても口から出任せに過ぎませんし、俗語を用いても構いませんし、決して難しくありません」。 賈母は「私も前に一度やったことがあるけど、何とか言えるものだよ。試しにやってみようじゃないか。ダメな時はまた別なのにすればいいんだから」。

 鳳姐はわざと嫌がるように言います。「ご隠居様、私を入れないでくださいね。詩なんかできるもんですか、罰杯を飲まされるだけですもの。さっさと身を隠すとしますわ!」。 鴛鴦は「酒令は軍令のようなもの、従わない方は三杯の罰ですよ」。 鳳姐は「鴛鴦ちゃんがどうして酒令を行うのか分かっているのよ。ご隠居様とお嬢様たち、宝玉さんのために私に罰杯を飲ませるためなんでしょう」。 鴛鴦は「早くこの方に罰として三杯差し上げて!」 鳳姐は驚いて許しを請うて、「好姐姐、どうぞご勘弁を! さっき船の上で一首民謡をこしらえて、私はもう詩翁になっちゃったのよ。嘘だと思ったら姉妹たちに聞いてごらんなさいよ」と言ったので、一同は皆笑います。

 鴛鴦が賈母にサイコロを振ってもらうと四の目が出て、数えると宝釵に当たりました。宝釵がくじを引くと、米字体で『西洲曲』の詩句「蓮心徹底紅(蓮の実は徹底して赤し)」と刻まれており、思わず顔を赤らめてうつむきます(訳者注:蓮心(蓮の実)=憐心(恋心)と同音。蓮の実は心の内を示し、女性の男性への思いを詠んだ句だから)。そこで一同は誰が第一句を詠むのかを数えると、賈母が最初の番だったので、みな笑って「やっぱりご隠居様が口火を切ってくださるのですね」。 賈母も辞退せずに「満塘荷叶翠(池一杯に蓮葉の緑)」と言うと、一同は「結構です」。 王夫人はちょっと考えて「聚会藕榭中(藕榭の中に集会す)」。 宝玉は蓮の花のことしか頭になく、李白の『独坐敬亭山(独り敬亭山に坐す)』の中の一句「相看両不厭(相看て共に厭わざる=互いに見つめ合って見飽きることがない)」を言い、宝釵は仕方なく「蓮心徹底紅(蓮の実は徹底して赤し」)」と続けます。 鴛鴦は「くじの裏に『三句の者は四句の者を敬って一杯、皆は首句の者を祝って一杯』と書いてありますわ」。 宝玉は酒を持ってきて、ようやく誤ったことに気付き、思わず宝釵に対して笑いかけます。宝釵は顔を真っ赤にして、知らないふりをして、ハンカチで口を覆って酒をひっくり返します。

 一同は、賈母に祝いの酒を差し上げるのに気を取られて気がつきません。一人黛玉だけは、これを見ると思わず頷いて嘆息します。もし二、三年前の黛玉だったら彼らを許せずに、きっと面と向かって皮肉ったでしょうが、今宝釵が顔を真っ赤にしているのを見ると、何とも可哀想であり、また、宝釵が日頃から自分に良くしてくれていることを思い、自分も元々彼女を親しい姉のように思っているので、何も言わずに、宝玉が彼女に頭を向けると、黛玉は顔を曇らせて、香菱の方に身を返して話をします。

 賈母は笑って「今日の酒令は雅俗ごちゃ混ぜで面白いね。宝ちゃん、早く振っておくれ」。 宝釵がサイコロを投げると三で、黛玉の番になりました。黛玉は無造作にくじを引くと、そこには陰鏗(いんこう:六朝時代の陳の詩人)の『渡青草湖(青草湖を渡る)』の中の「沅水桃花色(沅水は桃花の色)」とあり、数えると宝釵に首句が当たりました。宝釵は謝眺(しゃちょう:南北朝時代の南斉の詩人)の『江上曲』の「桂舟復容與(桂舟は再び悠然たり)」を続けます。湘雲は簡文帝(南朝梁の第二代皇帝)の『納涼』の「神蔡上荷心(大亀は蓮花に上る)」を選びます。黛玉は「沅水桃花色(沅水は桃花の色)」、岫烟は王僧達(南朝宋の官僚)の『答顔延年』中の「清气溢素襟(清気は胸中に溢れる)」を続けます。香菱は李白の『聴蜀僧濬弾琴(蜀僧濬の琴を弾ずるを聴く)』の「客心洗流水(客心は流水に洗われ)」を続け、李綺は駱賓王(らくひんおう:唐代の詩人)の『在獄咏蝉(獄に在りて蝉を詠ず)』の「南冠客思深(南の囚人は思い深し)」を選びます。李紋は杜甫の『旅夜書懐(旅夜に懐いを書す)』の「細草微風岸(細草微風の岸)」を述べます。惜春は常建(唐の詩人)の『破山寺後禅院(破山寺後の禅院)』の「初日照高林(初日高林を照らす)」を選び、探春は杜甫の『奉済駅重送厳公四韻(奉済の駅にて重ねて厳公を送る四韻)』の「幾時杯重把(幾時ぞ杯を重ねて握らん)」を引用します。鳳姐は慌てて「ちょっと考えさせて」と言ってから、笑って「私もできました。自作の句で『誰家吹笛音?(誰の家に吹きし笛の音ぞ)』よ」。 一同は「結構です。さすがは詩翁ですね」。 鳳姐は笑って「いかが? 私にかかれば一句なんて造作ないわよ」。 賈母は笑って「この様子ではしばらくは大口をたたきそうだね。もっと続けようじゃないか」。 李紈は王維(唐代の詩人)の『送綦母潜落第還郷(綦母潜(きぶせん)落第し還郷せしを送る)』の「行当浮桂棹(行きて当に桂棹を浮ぶべく)」を引用します。尤氏は笑って「私がどうして詩など分かりましょう。鳳ちゃんをまねて俗語を一句詠みますわ。『采蓮露霑衣(蓮露を採りて衣を湿らす)』よ」。 一同は笑って「韻が違っていますわ」。 鳳姐は酒を持ってきて尤氏を罰しようとします。「さっさと飲んでくれれば、私が代わるわよ」。 尤氏は「いいわ、あんたがどうするのか見ましょう」と言い、鳳姐の酒を受け取って一気に飲みます。鳳姐はちょっと考えてから、「でしたら、『采蓮露霑巾(蓮露を採りて布を濡らす)』よ」。 一同は「それなら結構ですわ」。

 邢夫人は鴛鴦に一句言うように促します。鴛鴦はちょっと考えて、「還舟藕香榭(船を藕香榭に返す)」と述べます。賈母は考えて「共做賞荷吟(共に蓮を愛でる吟を作る)」と結びました。一同は笑って「ご隠居様が上手に結ばれましたね。皆さん立って一杯お祝いしましょう」。

 賈母がサイコロを振ると九が出たので、笑って「九は李綺の嬢ちゃんだね。また私が第一句と結びの句を作るのではつまらないから、李の嬢ちゃんにもう一度振ってもらおう」と言うので、李綺は立ち上がって「はい」と答え、再度振ると四が出て、探春の番になりました。

 探春がくじを一本引くと、何遜(かそん:南北朝時代の文学者)の『別沈助教』の「一朝別笑語(一朝別れて談笑す)」の句でした。李綺は北斉の肖愨の『秋思』の「芙蓉露下落(芙蓉の露は下に落ち)」で始め、李紋は何遜の『送韋司馬別(韋司馬を送りて別れる)』の「蕭蕭行帆挙(蕭々として帆を挙げて行く)」を引用し、惜春は柳惲(りゅううん:南朝宋から梁にかけての官僚・文人)の『江南曲』の「祗言行路遠(敬言行く道遠し)」を用い、探春は「一朝別笑語(一朝別れて談笑す)」を続けます。一同が「これは送別の詩ではないですか?」と言うと、鴛鴦は「まさに送別の詩ですね。ですから、くじには参加者は送別の一杯を飲み、このくじを引いた者は、答えて返礼の一杯を飲むと書かれています」。 一同は杯を持ち上げます。

 そこへ頼大の妻と林之孝の妻が息せき切って走ってきました。「外に聖旨が届いており、大殿様が跪いて受けております。ご隠居様と大奥様、奥様方にもお越しいただくようにとのことです」。 一同はこれを聞くと不安になり、賈母は身を起こして尋ねます。「何事なのか、お前達は知らないのかい?」 頼大の妻は「おそらくは三のお嬢様のことです」と答えます。 賈母は急いで王夫人、鳳姐らとと共に出ていきます。姉妹達もみなこれに従います。


 すぐに賈府では上下の者がみな知ることになりました。探春が東海国の王妃に選ばれ、皇帝から公主の地位を賜り、来春に輿入れすることになったのでした。

 王夫人は両目を泣きはらし、賈母も悲しみで涙が止まりません。姉妹達は探春の人柄や行いがずば抜けていたことを思い、どうしても別れ難くてみんなが声を潜めて泣きました。

 宝玉は部屋に戻ると大声で泣き叫びます。「三妹妹のこと、あんたたちも聞いただろう? 一人一人いなくなって私だけ取り残されるんだ!」と言って、更に大泣きするのでした。

 襲人も当然探春とは離れ難いのですが、宝玉が泣き止まないのを見ると、悲しみをこらえて「三のお嬢様が来春異国に行かれることになって、悲しまない者がいましょうか! あなた方は小さい時から一緒に育ち、園内で一緒に暮らしてきたのですから、突然お別れしないといけなくなれば、若様は言うまでもなく、私だってとても悲しいですわ。でも、三のお嬢様の事は簡単には申し上げられません。私は思うのですが、お嬢様が今日、詩社を起こしたのは、この園を去ることになるのを知っていたのではないでしょうか? 三のお嬢様は自分の考えを持っておられますし、本日も淡々と詩詞を詠まれていましたが、東海国に行って事を成したいということだったのかもしれません。二の若様は激励こそすべきで、こんなふうにメソメソしていては三のお嬢様の心を乱してしまいますわ。ご隠居様、奥様もご覧になったら心配が増えるのではありませんか?」

 そう言われると宝玉は涙をおさめ、しばらく言葉もありませんでしたが、嘆息して言います。「三妹妹が行ってしまうと、この園にもますます住む人がいなくなり、いずれ私たちも出ていかないといけなくなるんじゃないかな」。 襲人は「何を言われますか。園内に住む人はまだまだ多いですもの、元宵節の灯籠見物にどれだけの人がいらっしゃいましたか? とにかく、しばらくは三のお嬢様のところに会いに行ってください。もうすぐお別れなんですから、じっくり話をされるとよいですわ」。 宝玉は頷いて、夕食も待たずに横になりました。襲人は宝玉が受け入れ難い気持ちでいることが分かるので、何も言わずに傍らで払子を持って小虫を払うのでした。

 宝玉は眠れずに足をバタバタさせていましたが、やがてゆっくりと眠りにつきました。

 襲人は外のベッドで眠れずにいましたが、突然宝玉が「晴雯!」と叫んだので、襲人は慌てて起きあがります。しかし、宝玉が他に声を立てないので、既に眠っていて夢の中で叫んだことを知り、思わず軽く嘆息しました。

 翌日は日が高く昇っても、宝玉と襲人は目を覚まさずに眠っていました。秋紋は部屋の片付けにきますが、昨晩寝るのが遅かったのだろうと思って邪魔しないようにします。

 襲人は眠りが浅かったので、人が来たのに気付いて目を覚まし、見れば秋紋だったので「何時になったの?」とこっそりと尋ねます。 秋紋は「太陽がお尻に当たっていますよ。お二人ともまだ寝ているようでは人に笑われますよ」。 襲人は顔を赤くして、「あんたもひどいことを言うわね」と言って、口をとがらせ、「昨晩あの方は、三のお嬢様のことで一晩頭の中がぐちゃぐちゃになって、明るくなるころにようやく眠ったんだけど、夢の中で『晴雯!』って叫んだのよ」。 秋紋はびっくりして「あなたを呼ばなかったの?」 襲人は口を滑らせたことに気付いて、「もともとあの方が寝る時は晴雯さんがお世話することが多かったので口をついて出たんでしょう」。 秋紋は嘆息して「先日奥様が晴雯さん、四児、芳官を追い出してからというもの、二の若様は未だに受け止めることができず、戻られても以前のように談笑することもなく、溝が出来たようよ。私たちだって誰かに陰口を叩かれたらと思うと冷や冷やだわ」。 襲人は「私たちだってどうなるか分からないんだから気をつけないとね。晴雯さんや芳官だって大したことではなかったのに、奥様に知られてつまらない目に遭ったんだもの。私たちは二の若様に大人しくしていただいて、余計なことをせず、心配をかけないようにしないと。晴雯さんや芳官がいなくなって二の若様はまだ慣れていないのよ。私たちも最初は慣れなかったけど、だんだんと出来るようになったわ」。

 宝玉も深い眠りではなかったので、人が来たのを聞いて目を覚まし、秋紋と襲人の会話を聞いて、晴雯を思う気持ちが止まず、夢の中で晴雯を呼んでしまったことを知りました。秋紋が去ってから、宝玉はやっと起きて「どうして寝過ごしてしまったんだろう?」と言うと、襲人は「私もやっと起きたところです。早く起きて、髪を梳きますから、三のお嬢様のところへ行ってくださいませ」。

 宝玉はようやく起きると、身支度と朝食を済ませ、瀟湘館に黛玉を誘いに行きました。黛玉は既に秋爽齋に行っていたので、宝玉も急いで秋爽齋に向かい、途中で李紋、李綺に会ったので、三人で一緒に探春のところにやってきました。黛玉、湘雲、宝釵は既に来ており、しばらくして惜春もやってきました。一同は座って涙を流します。

 探春はしばらく泣いてから、涙を止めて逆にみんなを慰めます。「みんな泣かないでください。まだ一緒にいられる日があるんですから。つまらない話をしたところで、将来も一緒に遊べるわけではないんですよ」。 宝玉は涙にむせびながら、「昨日の蓮花社は三妹妹が起こしたもの。最初も三妹妹が立ち上げた『海棠社』だったから、これこそ有終の美だね。今後再び詩社を起こしたところで、どこに情緒があるだろうか。三妹妹に新たに詩詞を作って贈りたいんだけど、心乱れて作れないので、昨日の詩詞をそれぞれが書写して三妹妹に記念として贈ろうと思うんだ」と言うと、一同は「はい」と答えます。探春のところはとても広く、侍書はこれを聞くなり玉硯を持ってきて玉葉素箋を敷き広げます。探春が自ら墨をすり、宝玉が筆を取って昨日作った『鶴橋仙』の詞を書きました。湘雲も昨日作った『更漏子』を書き、黛玉も王羲之の行草書で『蓮船曲』を書きます。続いて宝釵、惜春、岫烟、李紋、李綺もそれぞれ書写し、李紋は李紈、宝玉は鳳姐、宝釵は香菱の一首をそれぞれ代筆しました。

 探春は「私が作ったあの詞も書写して姉妹達に贈りましょう」と言って侍書に紙を敷かせると、昨日船上で作った詩詞を全て書いて贈ります。それから、一同は探春に付き添って賈母のところにやって来ました。王夫人もこちらにおり、両目を腫らすほどに泣いており、賈母も涙を流していて、探春が来たのを見ると「三ちゃん!」と叫びます。探春は賈母の懐中に頭から飛び込みます。賈母は抱き寄せて泣き、「私がどうしてお前を手放せようか!」と言うと、探春は涙を止められず、跪いて慰めます。「私は不肖ですが、日頃よりご隠居様と奥様には良くしていただき、今は悲しませております。ご隠居様と奥様が私のために泣いて体を壊されたら、私は死んでも身を葬るところがありません。東海国は良いところで、国王も賢明な方と聞いています。あちらに行っても良きこともございましょう。帰れる時があれば帰ってこれるかもしれません。ご隠居様と奥様にはお体大切に、百歳までも長生きしていただければ私の幸せと存じます」。

 一同は探春がこうも冷静なのを見て不思議に思い、次第に落ち着いてきました。王夫人は涙を拭いて「お前が行って一人孤独になってしまうのに、どうして安心できよう!」と言うと、侍書と翠墨は跪いて、「ご隠居様、奥様にはご安心を。私たちも三のお嬢様に着いてまいり、今まで通りお仕えします」。

 鳳姐も既に来ていましたが、探春の話を聞くと、急ぎ涙を止めて慰めます。「事ここに至れば、三妹妹には喜んで行ってもらいましょう。一つには、ご隠居様と奥様が体を壊されれば三妹妹は安心できません。二つには、三妹妹は少し遠くに嫁ぎますが、二度と会えないというほど遠いわけではないでしょう。元妃娘娘は皇都の宮殿にいて会うことは叶わず、二妹妹はいつ帰ってこれるか分からない有様です。女の子は大きくなれば皆飛び立っていかねばなりません。今、三妹妹は誰よりも高く飛ぶわけです。少し遠いとは言え、私たちの誰が王妃になどなれましょう。三つには、私たちの家から二人の王妃が出たんですから、喜んでお祝いをすべきでしょう。期限はもう決まっていますし、私たちは着いていくことができずに泣いているわけですが、将来はバラ色やもしれません。四つには、探らせた者が申すには、東海国というのは良い所で、東海王は徳も才もあり、人品も素晴らしき方とのこと。今、私どもの三の嬢ちゃんだけが選ばれたのです。三妹妹もとても才能のある人ですから、かの国を助けて安定させてくれれば、私たちの誇りですわ。お祝いもせずに泣いていてどうしましょう!」 話が終わると賈母と王夫人は笑って、「あんたの言うことももっともだ。今は楽しくやろうじゃないか。嫁入り道具をどっさり用意して、異国の人に笑われないようにね」。 鳳姐は「十六の行李は全て用意できております。陛下から賜ったものも多すぎるくらいです。何も心配は要りませんわ」。

 この数日、趙氏もとても喜んで、賈環を連れて探春を何度も訪ねてきて言います。「お前も福に恵まれてあちらに行くことになったね。私たちも鼻が高いよ。あちらの君主様はあんたを大事に思ってくれて、わざわざ帰国して婚儀の式典の準備をしてくれているそうじゃないか。もし将来いい目を見ても、どうか実の母と弟のことを忘れず、趙家のことも気にかけてくれれば、私があんたを産んだのも無駄ではなかったことになるんだからね」。 探春は「母上は何を言っているのです。私があちらに行ったら死ぬも生きるも分からないのですよ。どこでも福は得られますわ。私が行ったら、母上にはよく考えて事を起こし、人様といざこざを起こさないようにしてください。環児もしっかり勉強しないと創業も守成もできないんですよ。私の今日の話、母上もよく考えておいてくださいね」。

 宝玉、李紈と姉妹達は、探春がここにいられる日数も多くないことから、皆連れ添って頻繁にやってきます。心ばかりの祝いとして詩を贈る者、絵画を贈る者、扇子を贈る者、花籠を贈る者もおりました。時折宝琴も帰ってきて、自ら探春にたくさんの南方の品々を贈ります。探春も一つ一つに返礼をします。

 その日、宝玉はあるものを懐に隠して「私も三妹妹に贈るものがあるんだけど、何だか当てられるかい?」と言うと、一同は「でも本や絵画は既に出ているし、他に何があるっていうんです?」。 宝玉は懐から取り出し、「見てごらん、これは何だろうね?」と言って目の前に差し出します。

 湘雲が近寄って奪い取り、「万華鏡じゃないの? 見せてもらえば分かるわ」と言いながら、その筒に目を寄せます。宝玉が「外に出て遠くを見てごらん。室内で見たって分からないよ」と言うので、湘雲は秋爽齋を出ると、みんなもこれに付いて出ます。

 湘雲は「あら、あらら」と叫んで、「恰紅院が近くなってはっきり見えるわ。沁芳亭もくっきり見えるし、亭の上で蘭児と環ちゃんが遊んでいるわ! みんなには見えないの?」 一同は「どこにも見えませんわ」。 宝釵は「きっと望遠鏡ね。琴ちゃんから聞いたことがあるわ」。 宝玉は「その通り、望遠鏡です。三妹妹に贈ろうと思ってわざわざ持ってきたんです。私たちの事を懐かしく思った時には、遠くこちらを見てもらえるでしょう」と言って、湘雲のほうを振り向いて、「あんたは十分に見たでしょう。みんなにも見せてあげなよ」。 湘雲が宝釵に渡すと、宝釵は黛玉に渡して、「あなたが先にご覧なさい」。 黛玉は受け取って目の上に当て、「私は故郷が見たいわ」と言ってしばらく見てから、「見えないわ、私の住む瀟湘館が目の前に来ただけじゃないの」。

 探春は、望遠鏡は彼女が持って行って故郷を眺めてもらうものと聞くと、思わず胸が熱くなり、宝玉の思いやりに感激して涙がこぼれます。

 宝玉は黛玉に向かって、「もし気に入ったのなら、明日もう一本持ってきてあなたに贈りますよ」。 黛玉がかぶりを振って、「持って来なくていいわ。故郷が見えないのでは悲しみが増すだけですもの」。 これには宝玉は言葉もありません。

 侍書、翠墨ら同行する者は、数日実家に帰って父母や親友に別れを告げます。肉親の情から離れがたく、涙に暮れますが、彼女たちには見識があり、「海外に行けば見聞を広め、世間を見ることもできて得難いものです。三のお嬢様が帰省する時は私たちも一緒に戻りますので、また会うこともできますわ」と言い、人々は彼女たちが望んで行くことを知ると、それまでとしました。

 その日襲人は、探春と部屋の者に会いに来る途中で侍書にばったり会いました。襲人は彼女を捕まえて、「ちょうどあんたに会いに来たら、あんたの方から出てきたのね」。 侍書は「鴛鴦姐さんに会いに行くところでしたけど、思いがけず会えましたね。あとで会いに行く手間が省けましたわ」。 二人は静かなところに腰掛け、侍書は花を二つ摘んで匂いを嗅ぎます。

 襲人は巾着を取り出して、「この巾着をあなたに贈るわ。中の水晶の指輪も私からの記念品よ」。 侍書は「お心遣い感謝します。昨日は平児さんに玉の腕輪をいただき、鴛鴦さんと玉釧児さんもいくつかの物を贈ってくれました。これらの品は今はありふれた物ですが、あちらに行ったら何度ひっくり返し、何度身につけ、何度思い返し、何度口にする大切なものになるか分かりません。これらはみな、姉妹達たちの心のこもった得難いものです。去るのが辛いのもこれらのためですわ」と言って、目の縁を赤くし、うなだれて花を引きちぎりました。

 襲人も目を赤くして、「あんたが離れ難くて、私たちが何とも思わないわけはないでしょう。これもみな『理』のためじゃなくて? 三のお嬢様が東海国に行くのは、大きな『理』のため、あんた達が付いていくのもこの『理』を十分に尽くすため。天下に終わらない宴会はないとは言え、あんたがこれから行く場所は、多くの人が望んでも行けないところだし、お仕えするのは将来ある一国の君主様だもの! 三のお嬢様も才知のあるお方だし、私が言うことでもないけど、あなた方主従がしっかり君主様を補佐して国家を治められれば、高い地位を築けるかもしれない。ここに残る私に比べたら、遥かに素晴らしい一生じゃないの」。

 侍書は襲人の肩に手を置き、揺すって言います。「姐姐焦らないで。宝の二の若様はあなたに良くしてくれているし、奥様は毎月あれだけの銀子をくださる。すぐに姐姐はお妾さんにおなりでしょうから、私にもお祝いの酒を飲ませて下さいな」。

 これには襲人も跳ね起きて、指さして笑って罵り、「この死に損ないの小女郎、何をでたらめ言っているのよ! その口を引き裂いてやるから、あんたなんか宮殿にも入れず、嫁にも行けなければいいんだわ!」と言って、侍書を捕まえようとします。侍書はさっと駆けだして、笑いながら、「お妾様、今回だけはお許しを! 私が言ったのは全て本心からです。なのにムキになって私に腹を立てるなんて!」 襲人は怒りと可笑しさで足を踏みならします。続けて何かを言おうとした時、宝玉と黛玉が秋爽齊から出てきたので立ち止まります。

 宝玉は目の前にやってくると、「あんた達、かくれんぼをしているのなら早く隠れなよ、私があんた達を捕まえるからさ」。 侍書は笑って、「ちょっと揉めていたんです。先ほど草合わせをしていて、襲人さんがずるをしたものですから、二の若様に仲裁をしていただきたいんです」。 黛玉は笑って「彼女は私の兄嫁ですもの、人を騙したりはしないわ。あんたが難癖をつけたに決まっているわ」。 侍書は手を叩いて、「林のお嬢様にはっきり言っていただいたわ! 私がでたらめを言ったわけではないということですわ」。 襲人は笑って、「林のお嬢様も混ぜ返さないでください。私は従僕の身にすぎません。林のお嬢様が海外に嫁いで王妃になっていただけたら、私もからかわれずに済みますわ」。 黛玉は笑って、「私に三のお嬢様のような福が授かれるもんですか。みんなが王妃になれるのなら、誰が民百姓になるのよ! 私は凡人で結構よ」。 一同はしばらく談笑してから別れ、襲人は宝玉と一緒に帰りました。

 見る間に半年が経過し、この年は年越しも十分に出来ないまま、みんな忙しく探春の嫁入り準備に暮れました。

 程なくその日を迎え、その日、栄寧二府は子の刻(夜中の十二時)から灯火が点されます。寅の刻(午前四時)には執事の太監が到着しました。鳳姐は籠に探春を乗せ、まず寧国府にて宗祠に拝し、続いて賈母、賈赦、賈政、邢・王二夫人に叩頭してあいさつをします。

 鳳姐はこっそり王夫人を引っ張って「奥様はお泣きにならないでください」と言ったので、王夫人はハンカチで涙を拭きます。探春は涙ながらに姉妹や兄嫁にあいさつをしますが、みんなが離れがたき思いを抱いていました。

 たちまち時間となり、一同は探春を取り囲んで栄禧堂に入ります。数名の執事太監が入ってきて探春に籠を代えるように促すと、探春は衣服を替え、榮禧堂で大礼を行ってから、執事太監に支えられて金の頂に黄金の鳳凰を縫い取った御輿に乗ります。前方の執事太監は数珠、ハンカチ、うがい盆、払子を捧げ持ち、探春を乗せた輿は妙なる音楽が響く中で、次第に遠ざかっていきました。

 遠くに行ってしまうと栄国府内では泣き声が起こり、賈政も傍らで涙が止まりませんでした。探春は数日宮中に上がって鳳藻宮で元春妃と会見し、姉妹が相見えると語り尽くせぬ惜別の情がありました。さらに二日が過ぎ、東海王が別殿に賈府の男女六名ずつを招いて宴を開き、男性は賈赦、賈政、賈珍、賈璉、宝玉、賈環、女性は賈母、邢・王夫人、尤氏、李紈、鳳姐が出席しました。

 その日は五鼓(朝三時)、賈母らは爵位に沿った装飾を行い、輿で宮中に上がって宴に参加しました。皇帝が聖旨を賜り、藩王の礼に対して互いに相見えました。賈母ら一同は跪こうとしますが、東海王と王妃が急いで手を取って引き起こします。王妃が賈母ら一同に対して家礼を行ってから、便殿で宴が開かれ、東海王は自ら一人一人に酒をつぎます。

 賈母らは東海王が容貌優れ、立ち振る舞いが優雅で、謙虚で礼儀正しいのを見てとても喜びます。宴が終わると礼を行って別れを告げます。

 探春は片手に賈母、もう片手に王夫人を引いてしばらく嗚咽し、言いたいことは山ほどありながら言葉にならないのでした。最後にようやく、「ご隠居様、奥様、お体にお気をつけて。私は参りますが、これよりは御懸念なさらずに」と言うと、賈母らは涙を流して、「王妃様には心安らかに、老いぼれを気になさることなく、早く戻られて会えることを心待ちにしております」と言って輿に乗って立ち去りました。

 翌日、探春は東海国王に付いて龍船に乗り、一路東海国へ向かいました。この後はどうなるでしょうか、次回で詳しく申し上げます。