意訳「曹周本」


第97回
   賈宝玉は命を奉じて遠出し、賈元春は詔を賜りて姻戚を結ぶ
 さて宝玉は、賈母から相手は既に林黛玉と決めていることを聞いてからというもの、人が変わってしまいました。晴雯が亡くなってからは、宝玉が侍女たちと談笑することはあまりありませんでしたが、毎日侍女たちにわびを入れてニコニコと喜び、襲人に対しても「あんたの頭の花は少し地味だから、この枝のを挿してみてくれないかい?」と言ったり、秋紋の髪を梳いたりします。ある時は春燕、碧痕と双六をしたり、蝶を捕まえて遊んだりしました。

 襲人は宝玉が嬉しがっているので、これを好機と見て忠告します。「若様も書物を整理すべきですわ。今は大殿様が公務に忙しく、若様にお尋ねにならないので気にされていないでしょうけど、思い出してお尋ねになられたらどうお答えになるんです?」 宝玉はちょっと考えて「あんたの言うとおりだね。今日から私も書物を整理することにしよう」。

 そこへ焙茗が来て、「大殿様が二の若様をお呼びです」と言うと、宝玉はどきっとして尋ねます。「また賈雨村とかいう者かい? あの禄盗人はどうしていつも私に会いたがるんだろう?」 焙茗は「賈雨村様ではありません。何か緊急にお申しつけのことがあるようです」。 宝玉は急ぎ服を着替え、焙茗に付いて賈政の書斎にやってきました。

 賈政は宝玉を座らせて、「この頃はどんな書を読んでいるんだ?」 宝玉は立ち上がって、「まだ『四書』を読んでいます」と答えると、賈政は「おまえのせいで私も恥ずかしいわ。『四書』を読むのに何年もかかりおって! ちゃんと理解したのか?」 宝玉は「理解したところもあり、よく分からないところもあります」。 賈政は「あと二日したら私は公務で南方へ巡察に行くことになっている。お前も一緒に来なさい。向こうでお前に講釈してやろう」。

 宝玉はこれを聞くと、頭の上に雷が落ちたようで、何と答えていいのか分かりませんでした。賈政は「此度の南行は二ヶ月ほどだ。お前も大きくなったのだから、外のことも知らなくてはならん。姉妹たちと遊んでばかりいては手遅れになるぞ。だからお前も同行するんだ。御隠居様にはもう申し上げた。南方は私たちの原籍地なんだし、お前も行かなくてはならん」。

 宝玉は生まれてこのかた、遠くに外出したことがありませんでした。南方には確かに行ってみたいという気持ちがあるものの、賈政と一緒では万事自由になりませんし、また、黛玉を一人にして行くのも安心ができません。まして、自分の縁談はご隠居様が認めたとは言え、まだ決まったわけではありません。そう考えると思わず冷や汗が流れました。

 賈政は「どうした? もう行っていいぞ! 後日お前と一緒に出立するからな」。 宝玉は呆然として「はい」と答えます。賈政はさらに、「お前の書童のうち、李貴、焙茗、鋤薬の三人だけ連れて行き、侍女たちは行かないからな。分かったか?」 宝玉は頷いて退出し、まっすぐ王夫人の部屋に走っていき、わっと泣きじゃくります。

 王夫人は遠出のことだろうと思ったので、「何を泣くんだい? 大殿様がお前に一緒に付いて来るように言ったんだろう?」と尋ねると、宝玉は頷きます。王夫人も内情を知っていて、望みがないことが分かりました。王夫人は「お前も大きくなったんだから、父上と一緒に見識を深め、官界の何たるかを学ぶのは正しいことだよ。昨晩、お前の父上が申されて、私も結構なことだと思ったんだよ。今、襲人にちゃんと用意するように申し付けたからね」。 宝玉は涙を拭いて答えます。「私は今まで遠出したことがなく、ご隠居様、母上や姉妹達と遠く離れたくはありません。母上、ここはひとつ私を留めおいていただくように父上に言ってくれませんか?」 王夫人は宝玉を抱き寄せて、「怖がることはないよ。きっと父上を見て肝をつぶしたんだね。凶悪な虎も我が子は食べないと言うんだし、お前も安心して行ったらいいんだよ。食べる物や着る物については襲人にちゃんと用意させるし、道中では李貴や焙茗が世話をしてくれるんだし、南方に着いたら私たちの旧宅を見てきたらいいじゃないか。それに、林のお嬢さんは蘇州の人なんだし、お前も蘇州を見に行って二ヶ月で戻ってくるんだから何が怖いものかい」。 宝玉は蘇州に行って林妹妹の故郷を見られると聞くと、ちょっと嬉しくも思うのでした。

 さらに王夫人は李綺、焙茗、鋤薬を呼び、口をすっぱくして申し付けるとようやく安堵するのでした。宝玉は賈母にあいさつに伺い、そのまま真っ直ぐ黛玉のところへやってきました。

 黛玉は彼が涙で顔を濡らしているのを見ると、何事かと思って尋ねます。「どうして泣いていらっしゃるの?」 宝玉は手を叩いて、「妹妹には言ってなかったけど、私は南方に行かなくてはならなくなったんだ」と答えると、黛玉はびっくりして尋ねます。「どうして南方に行かれるのです?」 宝玉は賈政の考えをひとしきり話し、声を上げて泣き出します。「母上におすがりしたら、母上も行くように言うんだ。妹妹の故郷の蘇州と揚州を見に行くのもいいだろうって」。 黛玉は思わず涙を流し、しばらくは心に多くの言葉がありながら言い出せないのでした。

 宝玉は、どうあっても行かなくてはならないのに、黛玉を悲しませることはないと思い、涙をおさめてこう言います。「二ヶ月もしたら戻ってくるんだし、南方に行ったら妹妹に代わって叔父様、叔母様の墓前であいさつをしてくるよ。私もこの機に妹妹の故郷を見て、帰ったら妹妹が毎日故郷を思い偲ばなくて済むように、詳しく聞かせてあげるね」。 黛玉は涙を拭いながら頷いて、「戻って来る時に、父母の墓にある木の葉や草を摘んで持ってきてください。それを見れば父母に会ったように思えますから。それから、蘇州のマツリカの花籠をいくつか持って来てください」。 宝玉は一つ一つに答え、さらにこう言います。「私が行ってしまうと、まず心配なのは妹妹のことだね。いつも一人でいないで絵を描いたり、四妹妹や兄嫁様(李紈)のところへ碁を打ちに行ったり、ご隠居様のところに遊びに行くといいんじゃないかな。私はいつも妹妹のことを気に懸けているよ。日が出て目を開けば、妹妹は起きたろうか、インコに餌をやっているだろうかと思うだろうし、夜に目を閉じれば、妹妹はもう眠っただろうか、今晩はどんな夢を見るだろう? 願わくば同じ夢を見て、船の上で会えたら楽しいだろうにと思うだろうね!」と言ったので、黛玉は泣くのをやめて笑い出し、「あなたは初めて外に出るんだから、いろいろ注意しないと。今は南方も暑いんだし、自分の部屋みたいに全て世話をしてもらうわけにはいかないわよ。道中は言うまでもなく、全て自分でやらないと。万事よく考えて大殿様を怒らせないようにして、二ヶ月をお過ごしになってね」と言って、身に着けていたビンロウの袋を宝玉に渡し、「持って行って、道中疲れて喉が渇いた時に袋の中のビンロウを噛んでもらえば、水の代わりになりますわ」。 宝玉は受け取って見ると、薄水色の錦の袋の上に五色の鴛鴦が縫い付けてあり、黛玉自ら刺繍したものであることを知って、急いで衣服の中にしまいます。

 宝玉はさらに紫鵑に別れを告げに行きます。紫鵑は「どうして行くと言ってしまったんです? 先日はそんなこと聞いていなかったのに」。 宝玉は「私も知らなかったんだ。父上に行けと言われたら行かないわけにはいかないよ。母上にもお願いしたけどダメだった。心配なのは林妹妹のことなんだ。お姐さん、どうかくれぐれもお願いするよ!」と言って紫鵑に一礼します。紫鵑はこれを引き起こして、「二の若様、ご心配なく。言われなくても分かっていますわ。私とお嬢様は血を分けた姉妹より親しいんですよ。二の若様はお嬢様が私をどんなに頼りにしてくれているかご存知ないんですか?」 宝玉は別れを告げて、「明日また会いに来るからね」と言うのでした。


 さて王夫人は、二日間慌ただしくして賈政と宝玉を送り出すと、ようやく一心地つきました。この日は賈母のところへ機嫌伺いに行くと、鳳姐もそこにいました。賈母は「宝玉はこれまで遠出したことがないんだし、父親と一緒では猫に出会ったネズミみたいに怯えているんじゃないかね。見識を広めるのは結構なことだし、次に行く時は怖がらなくて済むんじゃないかと思って引き留めはしなかったけどね」。 王夫人は「御隠居様のお考えはごもっともで、私もそう思います。宝玉も大きくなったことだし、外の決まりも学ぶべきですわ。将来曲がりなりにも物になれば、御隠居様に可愛がっていただいたのも無駄ではなかったわけですから」。 賈母は「そのとおりだね。だから私も行かせたんだよ」。 鳳姐は「宝玉さんは小さい時から姉妹たちに混じって育ちましたけど、お陰で宝のお嬢さんの度量の大きさや、林のお嬢さんの豊かな才情を知ることができました。私どものお嬢さんもみんな素晴らしく、宝玉さんが言うまでもなく、彼女たちを可愛がらない者はいませんわ。林のお嬢さんは芙蓉仙女のようで、教養があって才情に溢れ、彼女を可愛がらない者はいません。宝のお嬢さんは牡丹仙女のごとく育ち、礼節をよく知り、鷹揚でゆったりとしており、私どもの府内では上下の者を問わず、彼女を褒めない者はおりません。私は宝のお嬢さんを嫁に迎えられたらこの上ない福を享受できると思いますわ」。 賈母は頷いて、「宝のお嬢ちゃんはやっぱり素晴らしく、多くの姉妹達でもあの娘に並ぶ者はいない。将来どんな福を得られるか分からないね。そろそろ宝玉の縁談も考えないといけないね。あの子の父上が戻ってきたら、私たちでよく相談するとしよう。私は身内で縁談を進めたほうが外からの者よりはいいと思っているよ」。

 王夫人はこれを聞いてひそかに喜び、賈母は宝釵のことを言っていると思ったので、「ご隠居様がお決めくださいませ。身内でしたら心当たりがおありでしょうから」。

 鳳姐も賈母が宝釵のことを言っているものと思い、戯れに「私たちのところにはあんなに素晴らしいお嬢様がいるんですよ。器量良し、性格良しで、探そうとしたってそうそう見つかりませんわ! 外からの者よりどれだけ良いか分かりません。早くお決めにならないと他の人に持って行かれてしまいますわよ」。 賈母も頷いて、「あの子の父上が帰ってきたら決めるとしよう! 林のお嬢ちゃんと宝玉は小さい時から気が合い、二人一緒に育ち、性格も良く分かっている。林のお嬢ちゃんは体は弱いけれど、結婚したら日一日と良くなるだろうし。私は、宝玉と林のお嬢ちゃんは生まれた時から結ばれる運命だったと思っているんだよ」。

 王夫人は当初、賈母が宝釵を褒め、縁談は身内でと言う話だったので、賈母も宝釵を考えているのかと思いましたが、ここに来て黛玉に決めていると言われ、びっくりしてしばらく言葉を継げませんでした。

 鳳姐はとっさに機転を利かせ、笑って答えます。「ご隠居様のお考えは万全ですわ。林妹妹なら器量は言うまでもありませんし、才知もずば抜けており、百人から一人を選び出すのに林妹妹を選ばない者はおりますまい! この縁談が決まれば、お隠居様ばかりでなく、宝玉さんもどれだけ喜ぶか分かりませんわ!」。 賈母は笑って、「あんたもそう言ってくれるのならそうしようじゃないか! その時が来れば客人を大勢集めて賑やかにやるとして、嫁入りについては後日あらためて相談しようじゃないか」。 これには王夫人もどうしようもなく、ただ頷いて鳳姐とともに退出しました。

 二人が王夫人の部屋に戻ると、王夫人は気色ばんで、「あんた、どうして心変わりしたんだい? ご隠居様が林のお嬢さんに決めたとおっしゃったら、手のひらを返したように彼女は素晴らしいなんて褒めたりして。いったいどうしたらいいんだい? 私は混乱しているよ」。 鳳姐は笑って、「奥様は聡明でいらっしゃるのに、どうして困ることがあるんです? ご隠居様が林のお嬢さんに決めるとはっきりおっしゃった以上、私たちがどうして楯突けます? ご隠居様が私たちの考えを知れば、元妃娘娘から賜婚(皇族から結婚を命じられること)をくだされるのにも支障が出ます。どのみちご隠居様がおっしゃられただけで、正式に決まったわけではありません。奥様が明日参内なさり、元妃娘娘から御意向を賜れば事は決します。ご隠居様が反対しようにもどうにもならず、誰も知らぬ間に全てが決まるのですから、わざわざあの場で不興を買うことはないでしょう」。 王夫人は怒りを笑いに転じて、「あんたには勝算があったんだね。明日はあんたも一緒に参内しておくれ、人が多い方がいろいろと都合がいいからね」。

 鳳姐は考えます。元妃娘娘が賜婚をくだされれば、ご隠居様はきっと疑惑を持つだろうし、すぐにくだされなければ、ご隠居様が林のお嬢さんに決めたと公言なさるだろう。自分が一緒に行けば、疑われることは避けらない。そこで笑って、「二の殿様(賈璉)が蓉ちゃんと一緒に帰ってきてからまだ二日目で、庄園で手を着けないといけないことが山のようにありますので、奥様は構わずにご隠居様と参内なさってください。ご隠居様には何も言わず、申したいことを紙に記し、元妃娘娘に目配せして密かにお渡しできれば、ご隠居様にも疑われることはありますまい」と言うと、王夫人も承知するしかありませんでした。

 果たして、賈母と王夫人が戻って二日と経たずに、元春妃から『金玉良縁』を賜り、宝玉と宝釵を連れ添わせ、末永く契りを結ばせるように、との御意向が伝えられます。

 賈母はあっけに取られて椅子に座りこみ、何も言い出せませんでした。王夫人は顔に喜びを隠しきれず、鳳姐はまじめ顔でびっくりした面持ちを装い、急ぎ身辺の侍女たちに、このことをむやみに触れ回らないよう申し付けます。侍女たちは「はい」と答え、「こんなことを言い触らしたりするもんですか」と言います。鳳姐は振り返ると、驚いた顔をして、「これはどういうことかしら? 元妃娘娘はもともと宝玉さんと宝妹妹を結ばせるつもりだったんじゃないでしょうか!」 賈母は冷笑して、「先日参内した時には娘娘は何もおっしゃられなかったのに、どうして今日になって賜婚をくだされたんだろうね」。

 王夫人は喜色満面でしたが、これを聞くと慌てて、急ぎ立ち上がって答えます。「先日ご隠居様と一緒に参内した際、鳳藻宮では日常のことをいくらかお話ししたのみで、宴が終わるとすぐ戻ってきました。ご隠居様が聞いていらっしゃらないのに、私が存じるはずもなく、元妃娘娘がどういうお考えなのかは見当もつきませんわ」。 鳳姐はわざと眉をしかめ、息を殺して侍立します。しばらくしてから、「そうだわ、ご隠居様はお忘れですか? よくよく考えてみますと、元妃娘娘はもともと宝玉さんと宝妹妹とを結婚させようとのお考えではなかったのでしょうか。宝玉さんは小さい時から元妃娘娘に教えを受け、姉弟とはいえ母子や子弟も同然で、宝玉さんのことは特に気をかけていらっしゃいました。元妃娘娘が省親されたあの年のことを覚えていらっしゃいますか? 姉妹たちへの賜り物は全て同じでしたのに、宝玉さんと宝妹妹へは別の同じ物でした。あの時は私たちも分かりませんでしたが、今考えてみると、元妃娘娘は早くから宝妹妹がお気に入りだったのではないでしょうか? あの時は宝玉さん、宝妹妹とも年が小さかったので娘娘も取り上げなかったのでしょうが、今、三妹妹が嫁がれ、二人とも大きくなり、婚儀を進めるべき時とお考えになったのはないでしょうか。娘娘がご隠居様と奥様の前で話を持ち出さなかったのも、きっと私たちをびっくりさせて喜ばせようとのお考えだったのでは。ですから事前に話を漏らさず、突然婚姻を賜ったのでしょう。元妃娘娘もずいぶん気を遣われたんですわ!」 王夫人も「なるほど、そんなところなんだろうね」。

 賈母は元春妃の賜婚には納得できませんでしたが、何かを言うわけにもいかず、さっさと宝玉と黛玉の婚儀を決めておかなかったことを深く悔やみますが、既に手遅れでした。ため息をついて、「宝玉と林の嬢ちゃんは一緒に育ち、二人が小さい時から仲が良いことを娘娘は知らないんだよ。宝玉は出かける前に、私に林の嬢ちゃんとの事を決めてくれるよう頼みに来て、私は承知してしまったんだよ。今、宝の嬢ちゃんに代わってしまい、南方から戻った時に私は二人に何と言えばいいんだい?」 鳳姐はわざと眉根を寄せたのち、「ご隠居様、ご安心下さい。ご隠居様が心配なされるのは宝玉さんのみならず、林妹妹のことです。私たちだって二人が結ばれることを望んでおりましたわ。でも今、勅意を違えるわけにはいかず、どんなに望んでももう叶いません。他に万全の策を講じるしかありませんわ」。 賈母は冷笑して、「私も年を取り、耄碌してもう役には立たないよ。どんな策があると言うんだい? さっさと二人の婚儀を決めておくんだったよ。今はあの二人が何かをしでかさないことを望むばかりだよ」。

 鳳姐は賈母が怒っていることを知って談笑しようはせず、王夫人は声を殺して侍立し、一言も話そうとしません。

 またしばらくしてから、鳳姐が無理に笑顔を作り、「一つ策がありますわ。使い物になるかどうかは分かりませんけど」。 賈母はため息をついて、「事ここに至れば、物になる、ならないの話ではないよ。二人が困らないで済む方法があるのなら言ってごらん!」 鳳姐はこれに答えて、「まず、娘娘がくだされた賜婚の件は林のお嬢さんには隠しておきます。宝玉さんは幸い家にいませんから、私たち以外には一切漏らさずに、先に林のお嬢さんの事を片付けます。林のお嬢さんの婚儀さえ決まれば、あとは何とかなるでしょう」。 賈母は「林の嬢ちゃんは小さい時から宝玉とともに育ったせいで、二人はとても気が合っている。宝玉をもう一人探すなんて出来はしないだろう」。 鳳姐は答えて、「ご隠居様はお忘れですか? 数日前に、私どもの家にもう一人の宝玉さんが加わったじゃないですか。甄の奥様と若様はまだ都にいるんですから、人を遣って婚儀を持ちかけましょう。甄の奥様と若様はきっと望まれるはずです。林のお嬢様には甄の奥様も会われたことがありますし、甄家の宝玉さんに釣合わないことはないでしょう? 林のお嬢様には宝玉さんに決まったとだけ言えば林妹妹は喜ぶでしょうし、婚儀の日に甄家の若様に会っても、きっと私どもの宝玉さんだと思うでしょう。後日分かっても、もう取り返しはつきませんわ。それに甄宝玉さんとうちの宝玉さんは器量も同じですし、甄家はとても裕福ですし、事ここに至れば林のお嬢さんが何かを言えるでしょうか? その後で、うの宝玉さんは娘娘が賜婚をくだされた以上、ご隠居様を恨むことはありません。ご隠居様、いかがです! 林妹妹が嫁入りしてしまえば、私どもの宝玉さんが戻ってきた時にはもうどうにもならず、私たちが娘娘の賜婚の御意向を示せば、宝玉さんは宝のお嬢さんともともと仲良くしていたんだし、娘娘の賜婚ですから覚えもめでたく、それ以上何を望む必要がありましょう。これで全てが上手くいくじゃありませんか。ご隠居様、よくお考えください。この策ではいかがです?」

 賈母はちょっと考え、鳳姐の思いついたこのやり方で進めるしかないと思い、溜息をついて、「分かったよ、既に宝玉には賜婚がくだされたんだし、林の嬢ちゃんも甄家の若様なら喜んで嫁ぐだろうね。明日人を遣って、林のお嬢さんに婚儀のことを伝えるとしよう」。 王夫人と鳳姐は「はい」と答え、賈母の顔にもだんだん喜びが見えてきました。

 鳳姐はさらにこの機に乗じて、「私が言うまでもなく、娘娘のこの賜婚で私どもの家には天下にも得難い二つの玉が手に入ります。これこそご隠居様の福のたまものですわ」。 賈母は嘆じて、「結ばれる運命だった一対の玉はバラバラになってしまったのに、どこに福があると言うんだい?」 鳳姐は笑って「ご隠居様、よくお考えください。もし林妹妹が宝玉さんと結婚しても、我が家での喜び事は一つだけです。でも、林妹妹がもう一人の宝玉さんを手に入れ、宝玉さんが宝妹妹を迎え入れることで、宝黛で結ばれるより、二人の玉が多く手に入るではないですか。私どもの家もますます賑やかになりますわ! ましてや、宝妹妹の人品、性格、品行はご隠居様も御存知の通り、宝妹妹はとても孝行者ですから、ご隠居様にも尽くしてくれましょう。今、私どもの家では寅年に卯年の物を食べてしまう有様です。宝玉さんには玉があり、宝妹妹には金があり、金と玉が一対になれば富と貴が揃います。娘娘がこの婚儀を賜られたのも、そういう考えがあったのではないでしょうか。まして、甄家の若様もうちの宝玉さんと同じく聡明で風流な方ですし、ご隠居様の元に揃って孝行してもらえるならこの上ない幸せというものではありませんか! 人も財も増えるのは、ご隠居様の福あってのものですわ!」と話すと、賈母も嬉しくなってきました。

 賈母も当初は宝釵との婚儀を考えないわけではありませんでした。宝釵は寛大で人当たりが良く、薛家には十分な財もある。でも、黛玉は小さい時に父母を亡くして自ら引き取って育て、宝玉と小さい時から仲が良かった。いつぞやは黛玉が「帰る」と言って宝玉は正気を失ってずいぶん腹を立てたこともあった。さらに、黛玉は病気がちで、このことを知ればその命を縮めるかもしれず、自分が二人の孫たちを苦しめてしまうのではないだろうか。熙鳳の考えはなるほど妥当なようだし、確かに我が家は一年一年と厳しくなっている。宝玉がこの先頼りとすべきものも心細いし、黛玉が嫁ぐ甄家もとても富裕だ。このように思うと、頷いて何も言いませんでした。

 王夫人は賈母が喜んでいるのを見て、ようやく安心します。そして、王子騰夫人に頼んで甄家に縁談を持ち込みます。甄の大殿と甄夫人は史太君の実の外孫と聞き、会ったこともあったので、天女のような器量に加えて非常に聡明で淑やかであることを知っており、さらに教養があって詩詞歌賦全てに通じていると聞くと非常に喜び、すぐに承諾したうえに、『うちの宝玉では林のお嬢様に不釣り合いではないでしょうか!』とさえ言ってきました。王子騰夫人は甄の大殿が引き受けたので、すぐに来邸して賈母に報告し、賈母もとても喜びます。

 甄家では吉日を選んで結納の品を贈ってよこし、鳳姐は事前に全ての手はずを整えて、情報が漏れないように周辺の者たちの口をふさがせます。黛玉は大観園内の瀟湘館に閉じこもっていたので何も知りませんでした。

 数日たって、賈母はようやく瀟湘館を訪れ、鴛鴦、琥珀には外に遊びに行かせます。黛玉は祖母自らやって来たので、何事かと思って急ぎ出迎え、賈母を扶けて椅子に座らせ、自分が用いている金粉で梅花が描かれた茶碗に蓋をしてお茶を差し出します。賈母はこれを引き留め、「良い子だから早くお座り、何も要らないよ」と言って涙をこぼします。そこで黛玉は傍らの椅子に腰掛けました。

 賈母は涙を拭いて、「私が今日来たのは大事なことがあるからだよ。私が授かった女の子はお前の母さん一人だけで、小さい時からとても可愛がってきたけど、不幸にして私より先に亡くなってしまった。お前という外孫を残してくれたけど、小さい時から災難続きで体も弱く、ずいぶん心配させられてきたもんだよ。私のもとでお前も大きくなり、良い人を見つけてやらないと、あの世でお前の母さんに合わせる顔がない。今お前に言うけど、お前の結婚相手は既に宝玉に決まっていて、お前には喜んでもらえると思うし、宝玉も喜んでいる。何日か過ぎたら婚礼になるけど、後日もし意に沿わないことがあってもどうか私を恨まないでおくれ。私も年を取って、自分の思い通りにばかりはならないんだよ。お前の婚儀が済めば、私の心配事も一つなくなるというわけさ」。

 黛玉は恥ずかしさで顔を真っ赤にし、涙をぽろぽろとこぼし、うなだれて言葉がありませんでした。相手が宝玉に決まったと聞いてほっとしてしまい、賈母の話に裏があることなど思いもしません。祖母は自分が小さい時から心配してくれていたと思うと感激に堪えず、自分の父母が健在であればきっと喜んでくれただろうと思うのでした。

 賈母はまた黛玉の手を握って、「良い子だから、泣かないでおくれ。お前が泣くと私の心もぐちゃぐちゃになるよ」と言ってまた涙をこぼします。黛玉は急ぎ絹のハンカチで賈母の涙をぬぐいますが、賈母は黛玉を抱き寄せて泣き止みません。しばらくすると涙にむせびながら、「私はもう行くけど、悲しむことはないよ。いずれきっと日一日と良くなるだろうからね。あの宝玉というのも本当にいい子だから、お前も楽しく毎日を過ごしなさい。体を大切にするんだよ。これは私にもどうすることもできなかったことなんだとお前もいずれ知ることになるよ。よくよく養生して、嫁入りの日に備えるんだよ!」と言い終えて立ち上がり、黛玉の涙を拭いてから頷いて去りました。

 黛玉は賈母が瀟湘館を出るまで付いていき、鴛鴦に扶けられて立ち去り、その影が見えなくなってから部屋に戻りました。しばらくの間涙を流し、泣いたり喜んだりするのでした。

 紫鵑と雪雁は、今回ご隠居様がいらっしゃったのは黛玉の婚儀が決まったからであることを知り、とても喜びました。

 黛玉は雪雁に線香とロウソク、瓜を用意させ、夕食後、まず沐浴して着替えをします。雪雁と紫鵑に香炉を置く机を設えさせ、その上に瓜を置き、部屋の戸を閉めると一人で香を焚き、両ひざをついて拝礼し、父母の霊に対して祈祷を行います。思わず悲喜こもごもとなり、顔中を涙で濡らし、最後に「今、娘は落ち着くことになりました。来年の清明節には必ず宝玉さんと墓を清めに故郷に戻ります。その時にはお墓を修復し、父母があの世で辛い思いをしないようにいたします。それが娘のわずかばかりの孝行心です」と言って、祈り終えてまたひとしきり泣いてから、紫鵑と雪雁に言って机と瓜を片付けさせ、椅子に座ってしばらく沈黙します。紫鵑と雪雁は片付けが済むと、共に黛玉に向かってお祝いを述べて叩頭しました。黛玉は顔を赤くして、「めでたくなんてないわ。外に言い触らさないでちょうだい。人が聞いたらいい笑いものよ。私は結婚を決めて欲しいなんて思っていなかったし、父母の墓を一生守っていければよかったのよ。ご隠居様にお世話していただけなかったら、私たちの自由にはならないんですもの!」 雪雁は笑って、「よろしいじゃないですか、これからお嬢様はもう人様のお世話にならずにやっていけるのですから。私たちも侍女として鼻が高いですわ」。 紫鵑は「私たちもお嬢様に仕えていた甲斐がありましたわ、お嬢様が今日は心から喜んでいらっしゃるんですもの! お嬢様、もうお休みください。夜は更けて涼しくなってきましたので、寒いところに長く座っていてお嫁に行けなくなったらどうします!」と言ったので、黛玉は顔を赤くして紫鵑の手を叩き、「またバカなことを言うのね」と言うと、二人の手を借りて横になりました。

 黛玉は眠れるはずもなく、月の光がほの暗く、竹影が揺れ動くのを見ると、ベッドの上で何度も寝返りを打ち、こう思うのでした。もし宝玉さんが家にいてこの知らせを聞いたらどんなに喜んでくれるだろう。今は帰路の道中で風塵にまみれているのでしょう。今晩はどこの宿舎にいるのかしら。この月を見て、この件を心に懸けて一睡も出来ていないのではないかしら。窓辺で遠くを眺め、詩や賦を作って胸中の憂いを詠んでいるのかもしれない。黛玉は宝玉が遠方でいかに自分を思ってくれているのかと考えると、どうしても眠れず、思わず『青玉案』の詞を一首口ずさみます。

 疏簾淡月瀟湘暮、竹影動、風初住。(疏簾(粗い簾)の淡月は瀟湘に暮れ、竹影動き、風初めて止む)
 靖夜悠悠誰与共?(長き靖夜(安らなる夜)を誰と共にせん)
 天涯海角、佳音如許、无限思量処。(天涯海角(天地の果て)にも吉報はかくの如し、限りなく思う所あり)
 閑愁暗恨何情緒、選做傷心泪無数。(閑愁暗恨(人知れぬ憂慮)に何ぞ情緒あらん、選びし傷心に涙は数知れず)
 灑向誰辺千百度?(誰がために幾度も注ぐ)
 呉山、湘水、虎丘、南浦、更向帰来路。(呉山、湘水、虎丘、南浦、学びて往路に向かう)

 黛玉は服を羽織ってピンク色の薄紙に書写し、何度か詠み返してからようやく眠りにつき、五更(午前四時頃)になってからうとうとと寝入りました。翌日、目を覚ますと、インコを見て急いで餌をやりに行き、宝玉が言っていたことを思い出します。毎日目が覚めたら、妹妹は起きただろうか、インコに餌をやっているだろうかって考えるよ。思わず微笑んで、「見ていますか? ちゃんとインコに餌をやったので、心配しなくていいわよ」。


 黛玉が宝玉のことを思い慕ったことはさておきます。さて、賈璉が戻ってきたのち、賈珍と賈蓉は賈璉が庄園のことに苦心して奔走してくれたことに感謝して酒席を設け、賈璉に楽しく飲んでもらいました。

 その日、賈珍は不在で、賈璉は賈蓉にこう言います。「私も疲れたよ、何か面白いことはないかい?」 賈蓉はこれを聞くと賈璉の考えをくみ取り、笑って「叔父上さえよろしければ素敵なところがあります。でも叔母様の手前、どうして叔父上をお連れできますでしょうか!」 賈璉はこれを聞くと嬉しくてたまらず、「あんたがいつも私のことを気に懸けてくれていることは分かっているよ。尤二姐の時はびっくりしたけどね。だけど、私たちが外で何かやろうと、あいつが一々分かるわけはない。慎重に行動すればバレるもんか」。 賈蓉は笑って、「私の父が小翠香というのと昵懇にしていて、薛の旦那と毎日そこへ通っています。それを知って私も一人で行ったんですが、遊郭の妓女としてはまだ無名であるものの、名のあるのよりずっと良いんですよ。くわえて静かなところなので、私も毎日通っているんです。二の叔父さんにその気があるなら、一緒に行きましょうよ」。 賈璉は喜色満面で、「是非連れて行ってくれよ。後でとびきりの侍女を買ってあげるからさ」。 賈蓉は「叔母様に知られたら大変ですよ、感謝されても困りますよ」。 賈璉は「なんだい、そんなにビクビクして! あの焼餅焼きが私たちに干渉できて、私たちが何もできないとでも言うのかい? あいつに聞かれたら、私がやったと言えばいいさ。その後は私たちがバラバラに行くようにすれば、知られたところで関わりないことだし、私たちも侍者を付けず、私もなるべくここに来ないようにすれば、バレることはないよ!」と言うと、賈蓉はやっと安心し、二人はそのまま遊興にふけりに行くのでした。後の事を知りたければ次回をお聞きください。