意訳「曹周本」


第100回
   荼毒(とどく)に遭いて迎春は性命を軽んじ、恐怖を生じて元妃は初めて病臥す
 さて、迎春は黛玉が亡くなったことを聞いてとても悲しみ、毎日涙に暮れていました。孫紹祖は非常に不満で、「お前は日がな一日仏頂面をしているが、どうしたと言うんだ? 何千両もの銀子を使った挙げ句に、疫病神を娶って家運が傾こうとしている。まだ泣くんだったら、奥方だなんて思わずに厨房に行って飯でも作れ! また何千両かの銀子を使ってもっといいのを娶るだけだからな」。 迎春は急ぎ涙を拭いて、孫紹祖に外出用の服に着替えさせていると、なぜか玉佩(ぎょくはい)が床に落ちて粉々に砕けました。孫紹祖は忽ちカッとなり、いきなり迎春にビンタを食らわせます。迎春は今までこんな屈辱を受けたことがなく、顔を覆ってわっと泣き出します。

 孫紹祖は指をさして叱りつけ、「俺が何と言った? まだ泣くのか! お前を娶ってから碌な事がない。お前の親父は俺に数千両もの借金をこしらえてお前を売ったんだ。いっぱしの奥方だなんて思うなよ! 俺がお前を引っぱたいたからってどうした? 帰って泣きついたところで、お前の親父は何もできんのだぞ! お前は今日から厨房で飯を作れ! 婦人たる者を知らん奴を奥方になんかしておけるか! 明日にでも意に叶う奴を娶って、お前を妾にすれば、せいせいするだろうさ」。

 これには繍橘も黙っていられず、傍から口を出します。「旦那様もお休みになってください。お嬢様は玉佩を割っただけ、それがどれほどのことだと言うのです? ほかの奥様を娶るなんて仰らないでください。旦那様には穏やかに毎日をお過ごしいただきたいのです。お嬢様のことで日々騒ぎを起こしていることを、私どもの府の大殿様(賈赦)はもとより、二の殿様(賈政)、璉二の旦那様がお知りになったら、ただでは済みませんわよ。賈家の人たちが死に絶えたわけではないのですよ。お嬢様にはもう少し寛大になさってください! お嬢様を厨房に行かせると仰せでしたら、私が代わりに参りますから」。

 もともと繍橘は口が達者で、当初は孫紹祖に従っていたものの、その後は我慢できずに彼と騒ぎを起こしていました。紹祖が叱りつければ、繍橘は一歩も引かずに怒鳴り返し、彼が打とうとすれば、繍橘は頭からぶつかっていき、何度か大騒ぎをした末に、孫紹祖は幾分彼女を恐れるようになっていました。今、繍橘にそう言われると紹祖もややひるんで、「こんな根っからの泣き虫にも怒るなと言うのか! こいつがお前みたいだったら俺もこうまではしなかっただろうにな」と言って、銀子をつかんで出て行きました。

 迎春はようやく泣き出します。繍橘は慰めて、「お嬢様もあまりくよくよなさらないでください。口惜しさが積もり積もって病気にでもなったらどうされますか? 旦那様がますますつけ上がるだけですわ!」 迎春は涙を拭いて、「旦那様の横暴さを見ただろう、これからどうしたらいいんだい? お前は屋敷に戻って御前様(邢夫人)に報告しておくれ! あの方々が問い正してくれれば少し良くなるんじゃないかしら」。 繍橘は「旦那様は一言目には、うちの大殿様に数千両の銀子を使いこまれたと言っています。戻って言ったところでダメですわ。前回戻って報告した時も、逆に御前様にくどくどと言われました。璉の旦那様が一度いらっしゃいましたが、大殿様がお知りになって叱責されました。でも、お嬢様もあまりに弱腰すぎますわ。怒鳴られたら怒鳴り返し、打たれたら打ち返せば、旦那様も多少は遠慮されるんじゃないでしょうか。こんなふうに素直に従っていたら、ますます旦那様を増長させてしまいますわ」。 迎春は泣きながら、「私は小さい時から言い争いをするのは苦手だし、殴り合いなんてもってのほかよ。お前も見ただろう、あの人はまたどれだけの銀子を持って行ったことか! 毎日あちこちで女遊びをし、酒を飲むわ博打を打つわで、帰ってくれば私に当たり散らす。私を守ってくれるのはお前だけ。大殿様も御前様も頼りにできないのなら、私はずっと苦しまなくちゃいけないんだわ」と言って、また泣き出します。

 繍橘は嘆息して、「いけません、いけません、最初からこの婚儀をなさるべきではなかったんです。お嬢様だけが苦しみ、大殿様も御前様も手をこまねいて何もしてはくれません。ですから、お嬢様は気になさらずに、もっと体を大切になさるべきです。菩薩様が見てくださっているのなら、旦那様がひどい目に遭って心を入れ替えてくれるかもしれません」。 迎春は頭を振って、「あの人が心を入れ替えるようなら太陽も西から昇るわ。今日はとうとう手を上げたし、これからいったいどうなるのかしら! いっそのこと息が止まってしまえば楽になれるのに」。

 繍橘は慌てて、「お嬢様、そんなことを考えてはいけません。これがどれほどの事だと言うんです? 旦那様は薄汚いお金を頼みにして、お嬢様が弱腰なのをいいことに、お嬢様の前でだけ威張り散らしているんですわ! お嬢様が良家の令嬢であることを知らない者はいませんし、一度私どもの邸で非難してくれれば旦那様も罪に問われるでしょうし」。 繍橘はしばらく慰めてから、用があるので出て行きました。

 迎春は一人になると、後先のことを考えてすっかり落ち込みます。自分は小さい時から実母がおらず、御前様に養ってはいただいたものの、事情を知ったからといって非難してはくださるまい。もし三妹妹がいたら何か策を考えてくれたかもしれないけど、東海国に行ってしまった。宝玉さんは心配はしてくれても、何もできないだろうし、璉二のお兄様は父親には逆らえないだろう、と思案に暮れます。

 そして、迎春はふと林黛玉のことを考えます。屋敷内でも一目置かれ、彼女の立場は自分よりずっと良いものだった。甄宝玉に嫁ぐと聞いていたが、甄家は良い家柄だし、甄の若様も良い方だったのに、思いを遂げられずに憤死してしまった。自分はといえば、孫紹祖という残忍な男に嫁ぎ、愛情も思いやりもないのはまだしも、毎日迫害を受け、苦しみを舐め尽くして虚しく生きたところで何の楽しみや面白みがあるだろう! 一日生きれば苦しみが一日増えるだけ。林妹妹はこの世を離れることができたけど、私も何の未練もない。幸い子供もいないし、心残りもないし、死んだら清浄な身のまま解脱できるだろう。こう思い至ると気持ちも落ち着き、衣装箱を開けてきれいな衣服に着替え、アクセサリーをつけ、ひとしきり泣いてから、ついに腰紐を解いて梁の上に掛けました。まさに自尽しようとすると、宝玉、探春、惜春、宝釵、岫烟ら兄弟姉妹のことが思い浮かび、さらに、ご隠居様や大奥様はこれまで自分を可愛がってくれ、おすがりすればまだ活路は見いだせるのではないかとも思ったものの、ご隠居様は年を召され、自分は何の孝行もできず、逆に心配をかけている。それに、生き長らえたところで彼のあざけりを受け続けるだけ、何の意味があろう? そして、鏡に向かってまたひとしきり泣き、鏡の中の自分を見れば、花の如き容貌で、かくも若くして命を散らす運命とは思いもよりませんでした。

 迎春がそのように考えていると、突然、外で人が慌ただしく走ってきて叫びます。「旦那様が酒に酔って、梨香院で一人の娘を争って殴り合いのケンカをされた! 帳元(帳簿を取り扱う役職)に金を取ってくるように使いを寄越された! お帰りになったらどうなるか分からんぞ! みんな気をつけろ!」 迎春はこれを聞くと、孫紹祖が帰ってきたら、また疫病神だ何だと怒鳴りつけられるに違いないと思い、ついに決心し、歯がみして括り紐に飛びこみました。繍橘が入って来た時には、迎春は首を吊ってぐったりしており、慌てて助け下ろしますが、既に事切れておりました。

 繍橘らは泣きながらも、賈家に知らせを寄越します。しかし、賈赦と邢夫人はこれを押しとどめ、「あの娘が死んだことを言い触らすんじゃない。嫁ぎ先を問い質して大騒ぎをしたところで、我が家も面目丸潰れだからな」と言って、賈璉だけを葬儀の準備に行かせます。

 孫紹祖は迎春が首を吊って死んだのを見て、いささか恐怖を覚えました。賈璉が来たのも詰問のためではないかと思い、急いで一礼し、もし賈府が納得できないのであれば賈赦が使い込んだ銀子をチャラにしたいと申し出ます。賈璉は賈赦の体面を考えて、これに従うしかなく、賈赦の借用書を取り戻し、迎春のアクセサリーを受け取ると、それ以上は何も言及しませんでした。孫紹祖は占い師に頼んで日を選んで入棺し、また二、三十人の僧侶と道士に数日間読経をさせ、二十一日後に出棺して、そそくさと迎春を埋葬しました。賈璉はようやく屋敷に帰り、賈赦と邢夫人に報告を行いました。

 賈赦はそれを聞いてしばし嘆息し、邢夫人も目に涙を浮かべて、迎春は小さい時から福がなく、こんな苦しい思いをしたのも運命であり、誰も恨むことはできない、と言います。王夫人は可愛がっていただけに何度も泣き腫らすのでした。

 宝玉は黛玉の柩を送り届けて帰りましたが、迎春の死を聞いて泣き崩れます。惜春も悲しみに暮れ、「林のお姐様が逝かれた後に、こんな辛いことが待っていたなんて。人はどうして人に弄ばれるのでしょう? 妙師父のように出家して俗世を離れられれば苦悩から逃れられるでしょうに!」 周囲の者は、彼女が腹立ちまぎれに言っているのだろうと思いましたが、宝玉だけはこれを聞くとハッとして、それなら多くの苦しみから抜け出せるはずだ、としばらく馬鹿げた考えを起こすのでした。


 さて、昨年は丙寅の寅年に当たり、元春妃は『金玉良縁』を賜って宝玉と宝釵の婚儀をとりまとめるように伝えたものの、上手くいきませんでした。そのうちに、黛玉が亡くなり、宝玉も死なんばかりに泣いたと伝え聞くと、心中面白くありませんでした。しかし、考えてみれば、黛玉は三従四徳(女性が守るべき徳目)に従わず、宝玉に邪な気持ちがあり、その破廉恥な行為は死んでも当然の報いであり、絶対に彼女を宝玉と結婚させるわけにはいかなかった。口ではそう言っても心は一向に晴れず、さらに、宝玉も自分を見失って泣き悲しんだということで、小さい時から彼を教育してきた甲斐もなかったと思い、心中鬱々として心ここにあらず、次第に眠りに落ちていきました。すると、目の前に女の子がいるようであり、次第に見え隠れしながら彼女の座椅子の前に歩み来て、元春を見ても跪かずに、傍らに立って怒りの目で見ています。

 元春妃は尋ねます。「あなたはどなた? こちらへは何の御用なの?」 その女の子は冷ややかに笑うばかり、ついにはこう言います。「娘娘は正に、貴人忘事多し(偉い人は一々人のことなど覚えていられない)というもの、私のこともお忘れになられたのですのね」。 元春妃がよくよく見ると、その女の子は天女のような器量に、すらりとして人をハッとさせる美しさがあり、確かにどこかで会った覚えがあります。その女の子は冷笑して、「やはり娘娘は、私を死に追いやっただけのことはありますね。姑蘇の林黛玉は潔白でしたのに、娘娘みたいな福ある方がどうして私にひどい仕打ちをされたのでしょう!」

 元春妃は省親の折に一度黛玉に会っただけでしたので、はっきりとは覚えていませんでしたが、よく見ると確かに林黛玉その人でした。そこで尋ねます。「あなたは林の叔母様の娘の黛玉さん? 屋敷に省親した時に会ったのを覚えているわ、本当に良い器量ね。でも、名門の娘であるあなたは、女性としての本分を守るべきだったわね。宝玉に邪な気持ちなど持つべきではなかった。自ら破滅を招いたのよ。あなたにひどい仕打ちなどしていないわ!」 黛玉は冷笑して、「娘娘のその言葉が私を亡き者にしたのです。私と宝玉さんにはやましいところなどなく、兄妹間の親しき情があっただけですのに、どうして邪心ありなどと決めつけるのです? 娘娘は富貴を愛して卑賤を愛せず、金玉を好んで草木を好まないのです。信じられないのでしたら、その心を切り開いてみましょうか?」 元春は答えることができません。

 突然一陣の寒風が吹き、元春妃は身震いしてハッと目を覚まします。今しがた見た夢のことを思うと心中とても訝しく、宮女たちにも打ち明けずに平静を装うのでした。

 実は元春妃は、黛玉が亡くなる時に紫鵑の手を取って、自分は潔白であり、蘇州に帰りたいと言っていたことを聞いていました。ですので、このような夢を見ても不思議ではないのですが、元春妃は恐れを抱いてしまい、黛玉が自分の命を取りに来たものと思って毎日驚き恐れているうちに、次第に病気になっていきました。花盤を送らせ、紙銭を焼かせ、毎日侍医に診てもらいます。

 近頃、皇帝陛下は一人の宮女を寵愛し、栄妃として冊封し、終日栄妃と歌舞に酒宴にと楽しんでいました。

 その日は元春妃も側におり、それとなくいくつか忠告をしたため、栄妃はつまらない思いをしました。陛下は口では何も言いませんでしたが、これより次第に元春妃を遠ざけるようになりました。元春妃が病気になっても陛下は見舞いに来ず、元春妃は怒りに震えて、病気は次第に重くなります。しかし、報告を受けた陛下は少し煩わしげに、「どうして体を大切にせずに病気になったりしたのだ? 御医には診てもらったのか?」と淡々と尋ねただけで、一度だけ会いに行ってそれきりとなりました。

 元春妃は宮内で横になり、管弦の調べを聞いては涙を落とすのでした。心に悩みを抱え、時に怯えた様子を見せ、話すこともうまくできなくなりました。陛下に怪しまれ、宮女たちに嘲笑されるのを恐れ、季節の変わり目で病気になったとだけ告げ、日一日と痩せていきます。陛下は栄妃と遊び楽しむばかりで気にも懸けず、数十日のうちに数回、様子を伺いに太監を寄越しただけ。元春妃の病気は日増しに重くなっていきました。

 さて、季節は冬になり、賈母は寒くて動くのが億劫になっていました。その日、賈赦は賈母へのあいさつに伺いましたが、門前に二人の宦官がお出でになられましたと侍童が告げたため、賈赦は急ぎ出迎えると上座に座ってもらい、上等のお茶を出させます。宦官は「こちらの娘娘が御病気になられたゆえ、陛下の詔を承りました。肉親の者二名が見舞いに参内せよ、男の者はならぬ、明日の辰の刻に参内し、申酉の刻に退廷すること、くれぐれも間違いのないように」。 賈赦は急ぎ身を起こしてはいと答えます。賈赦は宦官らを二の門まで送ると、戻って賈母に報告しました。

 賈母はこれを聞いて心配し、「どんな病気だろうね? 二人と言うなら私と太太(王夫人)で行くとしよう。あんたたちは人をやって様子を探っておくれ」。 賈赦ははいと答えます。

 翌日の明け方、鴛鴦、琥珀、珍珠らは賈母の髪を梳き、身仕度を整えると、王夫人も支度をしてやってきました。二人は一緒に朝食をとり、籠に乗り込み、賈赦、賈政らは二の門まで送ります。こちら賈珍、賈璉は林之孝、頼昇、頼大、周瑞、旺児らを連れて馬に乗り、西垣門外まで来て待機します。

 やがて、籠が皇宮の門に到着すると、数名の宦官が案内に立ち、そのまま元春妃の宮殿に至りました。 「宮中の細かい礼式は不要、機嫌伺いのみでよい」との指示があったので、賈母と王夫人は感謝し、寝台の前に進み出てあいさつをし、元春妃に促されて座り直します。見れば、粧花緞の龍袍(龍の刺繍のある長着)の上衣を着て寝台に横たわった元春妃はひどくやつれ、不安におののく表情を浮かべていたため、不安に思い、急ぎ尋ねます。 「本日のお体の調子はいかがですか? 僅かばかりの間にどうしてこんなにお痩せになられたのです?」 元春妃は目に涙を浮かべて、「今日はあなた方に来てもらえると聞き、少し良くなったようです。あなた方のことはいつも気に懸けていたんですよ。御隠居様と母上はお元気でしたか?」 賈母と王夫人は立ち上がって、「娘娘の御福のお陰で日々元気にやっております」。 元春は「私はこのところ、少し気持ちが落ち着かないんです」。 賈母は「少し思い詰めておられるのでしょう。娘娘のお体こそ大事ですから、この老いぼれや母君のことを気に懸けることはございませんよ」。

 元春妃は宮女たちに申し付けて部屋から出すと、こう言うのでした。 「私のこの病気はどうも妙なんです。ちょっと前に林妹妹が夢に出てきたのですよ」。 王夫人はびっくりして全身に冷汗をかき、「林の嬢ちゃんはとうに南方に帰りましたわ。きっと、娘娘があの子のことを思えばこそ、そんな夢を見たのでしょう」。 元春妃は「林妹妹は私に向かって潔白を訴え、私の命を頂戴すると言っていました」。 賈母はこれを聞くとわなわなと震え、立ち上がって言います。 「娘娘には御安心を。林の嬢ちゃんはとっくに南方に送って埋葬しました。このように奥深い宮殿にどうして入って来られましょう。間もなく娘娘の賜った『金玉良縁』が成ろうとしています。娘娘の賜婚で賈家も輝きを増すことでしょう。これもひとえに娘娘が宝玉を教え導いていただいた賜物です。早く御身を回復され、賈家の福が永久に続きますようお祈り申し上げます」。 元春妃は「林妹妹は御隠居様の外孫です。彼女がまだ納得していないといけませんから、御隠居様には私に代わって林妹妹に祈祷をしてください。あなたが清廉潔白なことはよく分かったと伝えてほしいのです」。 賈母は涙を流し、「娘娘の御心に叶いますよう、今晩にもあの子の霊に報告することにします」と答えるのでした。

 元春妃は、賈母が承知してくれたので、顔にも喜びを浮かべ、いささか心が楽になりました。

 そこへ宮女が来て、「賈府の奥方様、領宴(宮中で開かれる宴)の時刻になりました」と告げたので、元春妃は賈母と王夫人に行くように命じます。賈母たちは二人の宮女と数名の宦官に付いて外宮に案内されます。領宴が終わると、再び礼を述べに戻り、宝玉が熱心に勉強しているといった話をし、元春妃はこれを聞いて喜ぶのでした。

 たちまちのうちに酉の刻が近づいたので、賈母と王夫人は急ぎ元春妃にいとまを告げ、宮女に付いて内宮門に至り、そこから四人の宦官に付いて退廷しました。

 賈母たちが籠に乗って西垣門外に至ると、賈珍、賈璉らが出迎え、元春妃の病状について尋ねます。賈母はただ頷いて、「気にすることはないよ、ちょっと痩せられただけだから」と言うと、一同は何も言わず、賈母と王夫人の籠を取り囲んで皇宮を後にしました。

 賈赦、賈政らは二の門で迎え、賈母に付いて部屋に戻ります。賈母が着替えを済ませ、茶を飲んでから、元春妃の病について尋ねます。賈母は「今日は随分好くなったようで、どうということはないよ。少し気持ちが落ち着かないようだね」と言うと、賈赦、賈政らもようやく安心し、賈母に休まれるよう促してから退出しました。

 賈母は線香、ろうそくと供物を用意するように申し付け、一同には何も言いませんでしたが、心中では奇妙に思っていました。黛玉は本当に元妃娘娘を恨んでいるのだろうか? 賈家の将来のことを考えると長い嘆息がやみません。一方で、祭壇をしつらえさせると、夜が更けてから南に向かって黛玉の霊に黙祷し、こっそりと、「元はと言えば、私がさっさとお前達の婚儀を決めておかなかったことだ。元妃娘娘を恨んではいけないよ。娘娘もお前が清廉潔白であることは分かっているのだからね。娘娘は私の孫娘、病気になったら私はいてもたってもいられないのだよ!」と言って、満面の涙にくれます。鴛鴦らは賈母が祈祷を終えたのを見ると、祭壇を片付け、賈母を部屋で休ませます。翌日、賈母は頭痛を覚え、体の調子も良くありませんでした。

 鳳姐はこのところ、宝玉の婚儀の準備に忙しく、手を放すことができませんでした。一昨日には元春妃が病気になったと聞き、今また賈母が病気になり、非常に慌てました。平児に申しつけて、「あんたにお願いするわ。周瑞に、あっちの部屋の表装は終わったかどうか聞いてきてちょうだい。あっちのおばさん達にも何人か手助けにまわるように言ってちょうだい。私も御隠居様に会ってくるわ」。 平児は送られてきた銀器を数えながら、「旺児の奥さんに言って周瑞の妻に行ってもらいました」と答えると、鳳姐は頷いて、「男の人も二人まわしましょう! あんたたちもよろしくね」と言って、まっすぐ賈母の部屋へやってきました。

 賈珍と賈璉はちょうど王太医が脈を取るのに付き添っていました。王太医は脈を取り、舌を看ると、しばらくしてから、「御隠居様の脈は浮にして虚、お悩みが過ぎたところに加え、風邪を召されたものと思われます。少し目眩はいたしませんか? 処方箋を書きますので、飲んで気持ちがさっぱりされましたら、もう一剤お飲みください。私は後日あらためて診察に参ります。御隠居様にはよくお休みになり、何事も気になさらず発散なされればすぐに良くなられましょう」。そう言って一剤の処方箋を書き、賈珍と賈璉にあれこれと申しつけてから辞しました。賈珍、賈璉たちは垂下門外まで送ってから、戻って鳳姐と話をします。

 鳳姐は賈母の世話をしながら、「御隠居様、よくお休みになられて。宝玉さん、宝妹妹のことは万事上手くいっています。来月の婚儀を御覧になればきっとお喜びになられましょう!」 賈母は頷いて、「珍さんに入ってもらっておくれ。頼みたいことがあるから」。 賈珍が急いで入ってくると、賈母は「璉児は林の嬢ちゃんを送って戻ってきたばかりで仕事も多いだろうから、娘娘の病については、毎日あんたが人をやって探らせ、私に知らせておくれ」。 賈珍は「はい」と答えます。賈母が鳳姐に「みんな出て行っておくれ! 私も休むから」と言うので、鳳姐は賈珍と共に退室しました。

 賈珍は鳳姐に尋ねます。 「娘娘の病気は重いようだが、実際どんな具合なんだい?」 鳳姐は「私にも分からないの。大殿様が毎日太医院に探りに行かれているわ。御隠居様も気に懸けていらっしゃるんじゃないかしら」。 賈珍は頷いて、「御隠居様が参内した後に頭を痛められたのも娘娘の病気のためだったのだろうな」。 鳳姐は「ともかく宝玉さんの婚儀が差し迫っています。あなたの弟(賈璉)も、林の嬢ちゃんの柩を送ってきたら、今度は二妹妹(迎春)の事だもの、落ち着かないわ」。 賈珍は「叔母上(熙鳳)と二の叔父上(賈璉)は宝兄弟(宝玉)と宝妹妹の婚儀の支度に戻ってくれ。あれが終わらないことには他のことに手が回らないからな。娘娘の病気については私のところで探りに行かせるよ」と言って鳳姐と別れました。

 さて、元春妃は賈母が見舞いに参内してからは、賈母が彼女を救ってくれるものと思っていました。さらに、この数日は栄妃が見舞いに来たので、陛下も二度見舞いに訪れ、元春妃も心が楽になって病気も日一日と良くなっていきました。

 賈珍はようやく夏太監から、元春妃の病がだいぶ良くなってきたとの情報を聞き出し、王医院でも問い尋ねると、すぐに馬に鞭打って戻り、賈母に報告しました。

 この時、邢・王の二夫人、尤氏、李紈、鳳姐、宝玉、惜春はみな賈母の所に集まっていて、この知らせを聞いてとても喜びました。賈母が「珍さん、もう一度聞かせておくれ」と言うと、賈珍は夏太監のところで聞いた話を一つ一つ賈母に話し、「その後で太医院にも行って聞きましたが、この通りとのことでした」。 賈母は喜んで、「我が家に福があったお陰で娘娘の容態も良くなられたんだね」。 王夫人は喜んで目に涙を浮かべ、念仏を唱えるのでした。

 賈母は賈珍を褒め、鴛鴦に秋香色の貂皮の花模様の刺繡が入った上衣を取り出させて、賈珍に与えました。賈珍は賈母がこうも喜んでいるのを見て、ますます嬉しくなりました。

 そこへ賈璉が、賈母の診察に来た王太医を連れてきました。賈母は顔に笑みを称え、心うきうきとしています。王太医は脈を診て訝しがり、「御隠居様はもう薬を服用することはありませんな。今日はどうしてこんなに良くなったのです?」と言って、なおも一剤の処方箋を書いて辞しました。

 そこへ、琥珀が粳の粥を半碗持ってきましたが、賈母はペロリと平らげて、「明日は何か足しておくれ」と言ったので、一同は賈母がこうも早く良くなったのを見て喜ぶのでした。

 賈母はとても喜んで、多くの品物を取り出させて皆に分け与え、惜春は鶴氅(かくしょう/鶴の羽毛で作った衣)を賜りました。賈母は「以前、あの雀金のを宝玉に、鴨の毛のを宝琴にあげたけど、この鶴氅も上等なものだから、お前にあげようね」。 惜春は急ぎ礼を述べます。

 宝玉は笑って「四妹妹おいで、私が着せてあげるから」と言って、惜春に着せてやり、笑って、「あんたが着ると本当の仙人みたいだね」。 賈母が「四ちゃんは小さい時からおめかしが好きではなかったけど、この鶴氅はお似合いだね」と言うと、惜春は顔を赤らめ、うつむいて笑います。

 鳳姐は「四妹妹、いらっしゃい。私がおめかしさせてあげるわ」と言って、平児に新しくこしらえた綿のスカートを持ってくるように申し付けます。惜春は笑って「いいわよ、私をおもちゃにしないで。いつもの服で十分ですわ」とは言ったものの、賈母の手前、鶴氅を脱ぐわけにもいきません。宝玉がこっそりと「着ればいいじゃないか。心が綺麗だったら何を着たって一緒さ」と言うと、惜春は頷きます。

 賈母は毎日、賈珍に元春妃の病気について探らせ、日一日と良くなっていることを知ると、賈母の心も日一日と清々しくなっていき、毎日天神と黛玉に祈祷をしました。たちまち宝玉の婚儀の日が近づき、賈母は人をやって史湘雲に迎えに行かせました。続きはどうなるでしょうか、次回をお聞きください。