意訳「曹周本」


第101回
   史湘雲、旧館に良朋を哭(な)き、賈宝玉、新婚に旧知を奠(まつ)る
 さて史湘雲は、黛玉が亡くなったと聞いて何度も弔問に行こうとしましたが、彼女の叔母は、湘雲が来年結婚するので家で針仕事をするようにと言うため、どうすることもできず、家で黛玉のことを思って何度も哀哭したのでした。その後、迎春も亡くなったと聞いて更に悲しみを募らせますが、やはり行くことが出来ませんでした。今度は元春妃が賜った宝玉と宝釵の婚姻であり、賈母が迎えを寄越しましたので、叔母も引き留めるわけにいかず、午後まで引き延ばしてからやっと行かせます。湘雲は急ぎ支度をして、緑色の垂れ幕を垂らした黒漆塗りの車(翠幄青綢車)に乗ってやってきました。まず、賈母のところへあいさつに伺うと、賈母は彼女を引き留めます。湘雲は瀟湘館に黛玉の哀哭に行きたかったのですが、賈母は湘雲を引き寄せて、「あの娘の柩はもう南方に帰してしまったんだよ。紫鵑、雪雁も同行したし、部屋づきの婆やが何人かいるだけで閑散として物寂しいよ」。 湘雲は「林姐姐が昇天されたのに私は来ることが出来ず、今まで気持ちが晴れませんでした。今日ようやく来られたのに、訪ねないわけにはいきませんわ」。 賈母はこの様子を見て、「分かったよ、姉妹の情が深かったんだから、思いっきり泣いてくれば気持ちもすっきりするだろう」と言って、珍珠と琥珀に同行するように言いますが、湘雲は「結構です。翠縷がいますから大丈夫ですわ」。 賈母も無理強いはしなかったので、湘雲は賈母のところを辞し、翠縷を連れて園にやってきました。翠縷は「林のお嬢様がお亡くなりになるとは思いもよりませんでしたわ。お嬢様は、林のお嬢様と聯句をされたことを覚えていらっしゃいますか?」

 湘雲は「忘れるはずがないわ。あの年の中秋節、凹晶堂の後ろの池の畔で月を眺めて聯句をしたけど、私が池に石を投げて『寒塘、鶴影渡り(寒塘渡鶴影)』の句を詠み、林姐姐は『冷月、花魂を葬る(冷月葬花魂)』の句を継いだわ。私はあまりに感傷に過ぎると言ったけど、果たしてこんなことになったわね。あの聯句の光景は目の前に思い浮かぶのに、もう姐姐はどこにもいないなんて!」 翠縷は「あの晩はずいぶん探しました。櫳翠庵でやっと見つけたんですわ。もう林のお嬢様にはお会いできなくなってしまったんですね」と言って、早くも涙を流します。史湘雲もすすり泣きます。二人が瀟湘館に着き、黛玉の寝室に来ると、きれいに飾り付けがされ、机の上には香が焚かれ、紙筆墨硯が置いてありました。湘雲は万感の思いがこみ上げ、「林姐姐、会いに来ましたよ!」と一声叫んで寝台の前にひざまずき、どっと涙を流しました。翠縷も湘雲の後ろでひざまづき、泣きながら「林のお嬢様!」と叫びました。

 湘雲はこれをたしなめながら、「私たち、生前はいつも一緒に詩を読み、賦を作って遊びましたね。あなたがいなくなったのに、別れを告げ、送ってあげることも出来ませんでした。思えば、私はいつも怒りっぽいあなたをからかって口争いばかりしていたわね。今になって悔やんでも遅いけど、天界で霊になられたのなら、妹妹をお許しいただき、夢で姐姐に会わせてくれればこの上ない幸せですわ」と言って、また声を上げて泣き始めました。

 部屋付きの婆やたちは泣き声を聞いて、誰か来たようだと出てみると、湘雲でしたので、急いで茶を出し、しばらく慰めるのでした。

 湘雲は机の上に墨と硯があるのを見つけてやっと泣き止み、涙を拭いて茶を二口飲み、傍らに腰掛けてちょっと考え、亡き友を悼む詩を一首書きました。

 凄清満目意彷徨、一葉随秋忽服喪。
 (凄清満目(=見渡す限り物寂しい)たる心は彷徨い、一葉秋に従いて忽ち喪に服す)
 篁竹風高低薄暮、芙蓉影瘦冠群芳。
 (篁竹(こうちく/竹林)に風高低なる薄暮に、芙蓉は影瘦せて群芳に冠たり)
 尋踪不晤桃花面、問迹難聞鶯語香。
 (踪を尋ねしも桃花の面は明らかならず、跡を問うも鶯鳴く香は嗅ぎ難し)
 流水高山空独奏、千呼万喚断人腸。
 (流水高山(=素晴らしい音楽)も空しく独奏され、千呼万喚(何度も呼びかける)せし断腸の思い)

 湘雲が声をひそめて詠み上げると、窓の外ですすり泣く声がします。行って見ると、それは宝玉で、悲痛な声で泣きじゃくっていました。湘雲は「いつ来たんです? 私は今日ようやく林姐姐を哀哭に来ることができたわ。棺さえ見ることが出来なかったんですから」と言って、また嗚咽し始めました。

 宝玉は涙を拭いて、「あんたが来たと聞いて急いでやって来たんだけど、あんたはとても悲しんで泣いていたので驚かしちゃいけないと思ったんだ。でも、あんたの詩を聞いたら我慢できなくなって泣き出してしまった。この詩を聞いて、あんたも林妹妹の知己だということが良く分かったよ。林妹妹が私たちを置いて逝ってしまい、本当に辛くてたまらないんだ!」 湘雲はこれを聞いて、「林姐姐が昇天され、悲しまない者はいないわ。あなたもきっといたたまれないんでしょう。でも、娘娘が賜婚された以上、あなたがもし宝姐姐を捨て置いたりすれば、宝姐姐は将来誰を頼ればいいんでしょう? 亡くなった方のことを忘れてはいけないけど、この婚儀をまとめることも大切よ。林姐姐の霊もあなたを責めはしないでしょう。あの方は分かった人ですし、宝姐姐とも仲が良かったわ。他にどうしようもないでしょう?」 宝玉は、宝釵が自分に出家を促し、紫鵑は去り行く前に『金玉婚姻』をまとめるように勧めたことを話しました。

 湘雲は嘆息して、「さすがは宝姐姐ね。その思いを知った上で、あなたは愛に殉じたいからって姐姐を見捨てるつもり? 本当に出家してしまったら済まないとは思わない? この婚儀が成れば、林姐姐だってきっとあなたを恨まないわよ」。 宝玉は天を仰ぎ、長嘆して、「天よ、天よ、私は危うく人の道を外れるところでした。林妹妹、私の夢に出てきておくれよ! 私の心はもう砕けてしまいそうだよ」。 湘雲はその傍らで涙が止まりません。

 妙玉がいつの間にか瀟湘館に来ており、宝玉・湘雲の話を聞くと、「逝く者は忽ち逝き、生きる者は生き続けます。心中に真理があればこそ万事に心安らぐことができるのです」。 宝玉は「妙師父は身は檻外にありながら、無窮の楽(尽きることのない楽しみ)を享受されています。私は濁物にて、死ぬことも生きることもできず、悩み苦しんでいます。本当に妙師を羨むばかりです」。 妙玉は嘆じて、「何が羨ましいの? 仏門も平穏ではなく、悟りを開くのは容易ではありませんのよ。私も林のお嬢様を悼む詩を一首作りました。友情を追憶するだけですから、お二人はちょっと座を外してくださいませんか? 読んだら燃やしてしまいますので」。 宝玉は「林妹妹を悼むのでしたら、私たちにも聞かせてくれませんか?」 妙玉は「分かりました。では、お二人はお立ちください。私が先に一礼させていただきますから」と言って、便箋を取り出して読み上げました。

 君本芝蘭、性属幽香。
 (君は本来芝蘭(しらん/才徳優れた人)にて、性は幽香(ほのかな香り)に属す)
 傲世不群、蘭心自芳。
 (傲世に群れず、蘭心(高潔なさま)自ら芳ばし)
 離根轉蓬、飄飄何極?
 (離根転蓬(てんぽう/流浪する)し、飄飄たりて何ぞ極まる)
 南雁北飛、豈無風雪!
 (南雁は北へ飛び、豈(あ)に風雪無きや)
 蛾眉見忌、倩女離魂。
 (蛾眉(美人)は忌まれ、倩女(せんにょ/うら若き女性)は離魂す)
 芳姿摧折、泪洒重門。
 (芳姿は摧折(さいせつ/くじき折れる)し、涙は重門に灑(そそ)ぐ)
 虎丘黄昏、呉江楓冷。
 (虎丘の黄昏、呉江の楓冷やかに)
 孤魂何処、衰草枯影。
 (孤魂は何処なるらん、衰草の枯れし影)
 悼君千里、君其有知。
 (君を千里に悼むも、君其れ知ること有らんや)
 呼君不応、痛徹我思。
 (君呼ぶも応ぜず、痛切なりし我が思い)
 哀哉、尚饗!
 (哀しいかな、尚饗(しょうきょう/「どうかこの供物をお受けください」という意味の結語))

 読み終わると宝玉、湘雲はすすり泣きます。妙玉は「お二人とも泣かないで。ここは無人ですから、私の庵にお休みに来られてはいかがですか?」と言うので、宝玉と湘雲は妙玉に付いて櫳翠庵にやって来ました。

 妙玉は宣徳窯(景徳鎮で焼かれた磁器)の五彩の蓋付きの湯飲みでお茶を出し、二人はこれを受け取って飲みます。妙玉は「かつて林のお嬢様がいらっしゃって、茶をお飲みになったのを覚えています。あれは蟠香寺の梅の花に積もった雪水でしたが、今は雨水しかありませんけど」。 宝玉は「この水だって得難いものですよ。妙師父のところは清浄で、真に俗世を離れた蓬莱山ですから」。 湘雲は「私は動を好み、静は好まないけど、こちらに伺って、この清冽な香を嗅ぐと、本当に爽やかで、正に神仙の地だわ。二のお兄様はあの年、私たちが前方の山石のところで遊び、お兄様が紅梅をいただいて来たことを覚えてる? こちらの紅梅ももう咲くんじゃないかしら」。 妙玉は「庵の紅梅は咲き始めたところですが、後ろのロウバイは大雪の中でも全て開きましたわ」。 宝玉は「今、梅の花を愛でたって何の趣きもないよ。うちでは行く人は行き、死ぬ人は死んで、みんな離れていってしまったし、来年は雲妹妹が結婚する番だ。この素晴らしい園だって日一日と荒れている。いずれ園に入ったら、『良辰の美景は如何なる天、覚心の楽事は誰が家の院ぞ(良辰美景奈何天、覚心楽事誰家院)』とでも詠んでみたいな」。 妙玉は「人事代謝あり、歳月は短促にあり(人の世は絶えず動き、月日は短い)です。私たち檻外の人はそんな句は詠みませんわ」。 湘雲も「私は楽天家ですけど、そんな句は読まないわ。気持ちが変われば詠むようになるのかしら」。 一同は座ってしばらく話をし、再びお茶を飲んでから辞しました。

 湘雲は宝玉に向かって、「あなたは結婚するんだから、怡紅院には住めないんじゃないの? さっき『いずれ園に入ったら』って言っていたけど」。 宝玉は「私はまだ怡紅院に住むつもりだったけど、瀟湘館に林妹妹を泣きに行くつもりだと思われたのか、母上がどうしても認めないんだ。今ではもう、母上の部屋の前の東廂房わきの耳房を片付けて、私が結婚してからの新居にするつもりみたいで、私にはどうしようもないんだ」。 湘雲は「引越したほうがいいわ。林姐姐がいなくなり、園内はますます寂しくなって、こんな大きな園なのに住む人がいなくなったみたい。ここを出て月日が経てば、いろいろと変わるかもしれないわよ」。 宝玉は嘆息して、「何が変わるって言うのさ? 出て行ったところでこの心は変わらないよ」。 湘雲もひとしきり嘆息して、「あなたの真心は立派なものよ。でも、宝姐姐だって可哀想だもの、気遣ってあげてね。私、今から会いに行ってくるわ。食事には参りませんからって、御隠居様に言っておいて」。 宝玉は頷き、湘雲はそのまま行ってしまいました。宝玉が賈母のところに戻り、食事をしたことは一々述べません。

 さて宝玉の婚礼の日が近づき、鳳姐と王夫人は部屋の飾り付けを見に訪れ、周瑞の妻に一つ一つ説明させて確認しました。翌日は薛蟠、薛蝌が庚帖(こうじょう/生年月日時間を干支で記した書付け)を持ってきました。鳳姐は人を遣って薛未亡人に結納の日にちを伝える一方、贈答品の目録を賈母、王夫人に送って目を通してもらいます。王夫人はこれを見て、玉釧児、彩雲に命じて一つ一つ点検させると、金銀の首飾りが百件、衣服が百着余り、その他に各種の手織り工芸品が数十巻でした。結納の日になると、元春妃が賜婚を命じられ、抬盒(たいごう/担いで運ぶ箱形の木製物)の上に赤い錦緞(文様を浮き織りにした絹織物)が敷かれて飾り付けられ、両面には元春妃が賜った大金元宝(金の冠状の縁起物)と喜字灯(喜の文字をあしらった提灯)が一対にされました。別の抬盒には玉如意(棒状の縁起物)と金の福寿双喜の執壺(しつこ/水や酒などを注ぐための注器)が一対にされました。その他に四対の抬盒があり、色とりどりの織物で飾られ、その後方で結納の儀が行われました。

 薛未亡人も日を選んで薛蟠、薛蝌を遣わし、嫁入り道具を何箱も届けさせました。鳳姐は周瑞の妻、旺児の妻を率いて装飾を整えます。

 婚儀の日を迎えると、邸内には鮮やかな提灯が並び、楽器が打ち鳴らされます。このところ、黛玉は昇天し、迎春は無惨に亡くなり、元春は病気になり、賈母はやるせない思いを抱えていました。王夫人は鳳姐にこっそり申しつけて、万事を節約させます。

 賈政は公務に忙しくて構う余裕がなく、賈珍、賈璉に申しつけて万事を切り詰めさせました。幸い、薛未亡人は身内で平素からそれほど気を遣わなくてよかったし、親戚も王子騰や史侯などの者と数名の友人だけとしました。北静王は羊脂玉の夔龍紋(きりゅうもん)が彫られた花插屏(小さなついたて状の置物)を一対、漢代の玉の松鶴が彫られた筆立てを一本、金の如意茶盤を一対賜わりました。馮紫英は羊脂玉の松鶴が彫られた山子(山水人物が彫られた置物)一件を賜わりました。親友たちもそれぞれ贈り物を寄越しましたが、ここでは一々述べません。

 この日、宝玉は元気なく、けだるそうにしていました。襲人は急かして、「若様、どうしました? 間もなく花嫁の御輿が大門にいらっしゃるというのに、まだそんな御様子で!」 そこへ鳳姐が入ってきて、有無を言わさずに引っ立てて着替えさせ、「あんたは今日は新郎なのよ。人生で一度の大事だっていうのに、他人事みたいね」と言い、宝玉は鳳姐の言うとおりにするしかありませんでした。

 やがて、十二対の宮灯(宮廷式ランタン)が楽器の鳴り響く中で大門に入り、輿が正門から入ってきました。介添えは輿を降りる新婦を手助けし、喜娘(婚礼の世話をする侍女)二人が赤い絹を新婦の肩に掛けます。賈珍は宝玉を前に出してこれを迎えさせます。栄禧堂に至ると、介添えの呼びかけで二人は天地に拝礼します。尤氏、鳳姐は賈母を支えて座らせ、二人は賈母に四回拝礼し、賈政、王夫人に向かって大礼をしました。二人は互いに礼を交わしてから部屋に入って喜床(新婚用に飾られたベッド)に腰掛け、酒を酌み交わします。宝玉は宝釵の蓋頭(花嫁がかぶる赤い布)を取り、鶯児らが宝釵の髪を梳きます。金糸でつないだ真珠や宝石を通し鳳凰の形をした簪(金絲八宝攅珠鳳釵)を挿し、昇る朝日の勢いを見せた鳳凰五羽に真珠をかけ連ねた簪(五鳳朝陽挂珠)とビロードで作った花(絨花)などを付け、化粧と衣服が整って恥じらう様は、正にまばゆいばかりの美しさです。

 しかし、宝玉はこんなことを考えていました。もしここにいるのが宝釵でなく黛玉であったらどんなに楽しかったろう! きっと躍り上がらんばかりに喜んだことだろう。ただぽかんと宝釵を見ているだけでした。

 襲人が寄ってきて、宝玉をそっと押しながら、「若様はどうして何もおっしゃらないのです? 宝のお嬢様が気を悪くされますよ」。 宝玉は嘆じて、「宝姐姐は怒ったりしないよ。あの人は林妹妹が天から見ていることを知っているんだから」。 襲人はおかしくもあり、腹立たしくもあり、「またでたらめをおっしゃって。林のお嬢様はもう南方に帰られましたのに、ここで見ているわけがありませんわ」。 宝玉は「あんたこそ分かっていないよ。林妹妹は天に昇ったんだから、天の上から見ることができるのさ。夜になったら私は彼女を祀るよ」。 襲人はこれを聞いて、怒るわけにもいかず、笑うわけにもいきませんでした。そこで「ますますでたらめを! 新婚の日に縁起でもありませんわ。奥方様がお知りになったらきっとお許しになりませんし、大殿様に打たれる羽目になりますわよ!」と言うと、宝釵は襲人に出て行くように目配せをし、襲人は仕方なく部屋を出て行きます。宝釵は「林妹妹を祀られるのですか? 私も今日は彼女を祀るつもりでしたわ」。 宝玉はこれを聞くととても喜び、「よし、今晩は私たちで林妹妹を祀るとしよう」と言って、急ぎ申し付けてロウソク、香、供物を取りに行かせようとします。宝釵は「慌てないで。そんなに大騒ぎしては、御隠居様や奥方様に気付かれてしまいますわ。もし大殿様の耳に入ったらどうするんです。私の考えですが、ロウソクは用いず、香炉に香を一つだけ焚いて外の間の机に置き、天に向かってお互いに祀りましょう。心を込めれば林妹妹もきっと許してくれるでしょう。さらに言えば、私たち自身の香でしたら、外から持ってきたものより清浄ですわ」。 宝玉はちょっと考え、それも道理だと思い、「そうしよう!」と言いました。

 宝玉は麝月、秋紋らに外の部屋で香を焚くように言い、薫籠(香炉にかぶせる籠)を持っていかせました。夜になると、宝玉と宝釵は外の部屋に行き、窓辺に机を運び、香炉を置いて飾り付けをします。月は既に出ていました。

 宝玉は宝釵に「やっぱり姐姐が先に祀って。祀り終わったらここで見守ることはないから、どうぞ先に寝てください」。 宝釵は彼が黛玉と存分に話をしたくて自分が邪魔なのだと分かりましたが、好きにさせたほうがよいと思って何も言いませんでした。そして、祭壇の前で先に叩頭すると、紙箋を一枚取り出し、「新婚の今宵、本来は妹妹が婚儀を迎えるべきでした。娘娘の賜婚の前にはどうにもならず、妹妹は命を絶ちました。私の心は深い悲しみの中にあり、『南浦・亡友を悼む』の詞を一首したためて妹妹を祀りますので、妹妹はきっと私の心の内を知っていただけるでしょう」と言って、こう詠むのでした。

 玉宇瀉清輝、漏声移、曾憶紅梅開処。
 (玉宇(天界)より注ぐ清光、漏声(水時計≒時)は移り、曽て憶えし紅梅開く処)
 吹笛落梅花、芳菲歇、宝井分香争句。
 (吹笛に落つる梅花、芳菲の歇(ほうひのけつ/花咲き乱れる春)、宝井に分香し句を争う)
 仙姿綽約、断腸還听鶯声語。
 (仙姿は綽約(しなやか)にして、断腸し又聴く鶯の声)
 哀思最苦、傷奔月嬋娟、棄儂而去。
 (哀思は最も苦しく、傷みて奔る月は嬋娟(せんけん/美しい)たりて、我を棄てて去る)
 珠房倩影沈沈、不尽腮辺泪、啼痕如許!
 (珠房に倩影(せいえい/美しい面影)沈沈たり、頬辺に涙尽きず、啼痕此くの如し)
 但換得君帰紅綃帳、愿逐虎丘山土。
 (但し君を得て返す紅き綃帳、願いて逐いし虎丘の山土)
 飛星傳恨、凭誰和露立朱戸、
 (飛星恨みを伝え、誰に凭りて朱戸を露立せし)
 旧時情侶、若念旧時情、夢魂還住。
 (旧時の情侶、若し旧時の情を想えば、夢魂は又留まれり)

 宝玉はこれを聞くと思わず涙がこぼれ、「姐姐のその詞を妹妹が知ったら、きっと天上で知己だと感謝してくれるだろうね」。 宝釵は涙を流して、「姉妹たちは仲良しでしたから、言いたいことがあれば構わずに言ってきたんですもの。私は思っていたことを述べただけで、感激してほしいだなんて思ってもいませんわ。あなたもしっかり追悼すれば、林妹妹はきっと分かってくれるでしょう」。 そして鶯児や襲人たちに部屋に入るように言うと、宝釵はそっと戸に鍵をかけ、宝玉一人に静かに哀悼させます。

 襲人は宝釵に付いて後室へ行くと、「奥様はどうして若様を放っておかれるのですか? 新婚の夜に林のお嬢様を哀悼するだなんて、縁起でもありませんわ」。 鶯児も「わざわざこの日を選んで林のお嬢さんを祀り、あんな悲しい詞を詠まれるなんて、お嬢様はどういうおつもりなんです?」 宝釵は涙を流して答えます。「あんたたちに宝玉さんの心が分かるもんですか。祀らせずに心に留めて、病気にでもなったら将来どうするの? いっそ全てを吐き出させれば心中すっきりするわけだし、そんなに忌み嫌うことじゃないのよ!」 これには鶯児、襲人も嘆息止みません。

 その宝玉は、みんながいなくなったのを見ると、香を一つつまみ、うなずいて窓の外に向かって一礼して言います。「林妹妹、あんたが霊魂になったのなら早くお出でください! 私の心の内を全てあなたに話します。今晩はあなたを哀悼して読みますから、あなたはきっと私の心を知るでしょう。天の霊となっても、どうか私を捨て去らないでください!」と言うと、一礼して『仙妹を悼む詞』を取り出し、涙ながらに詠みました。

 是年月日、五内摧奔、怡紅濁玉、
 (是年(このとし)の月日、五臓は摧(くじ)けて奔り、怡紅の濁玉は)
 告子英魂。君本仙姝、来此是享。
 (君の英魂に告ぐ。君は元より仙姝(せんしゅ/仙女)にて、此に来たりて是を享(う)けよ)
 君之生兮在虎丘、君之皇考兮本名流、
 (君の生は虎丘に在り、君の皇考(=父)は元より名流(=名士)にして)
 君之萱堂兮賈門閨秀、君之名兮黛玉生愁。
 (君の萱堂(=母)は賈門の閨秀(=賢婦人)、君の名の黛玉は愁いを生む)
 芙蓉為面兮嬌無娜、桂樹為骨兮独傲中秋。
 (芙蓉は面と為りて嬌娜(きょうだ/可愛らしさ)無く、桂樹(=月の世界にある木)は骨と為りて独り中秋に傲(おご)れる)
 木蘭為心兮可羞霜月、蕙芷為性兮芬芳自留。
 (木蘭は心と為りて霜月(=寒夜の月)に羞じ、蕙芷(けいし/蕙蘭と白芷)は性と為りて芬芳(ふんぽう/良い香)を自ら留むる)
 南雁北飛兮歇此江浦、両小無猜兮楽此悠悠。
 (南雁は北に飛びて此の江浦に歇(やす)み、両小無猜(りょうしょうむさい/幼なじみ)は此の悠悠たるを楽しむ)
 繞床弄梅兮騎竹馬、喧声但逐兮紙鳶浮。
 (床(=井戸の縁)を繞(めぐ)り梅を弄して竹馬に騎(の)り、喧声(けんせい/騒がしい声)に但だ逐(お)われて紙鳶(たこ/凧)浮かべし)
 被荷衣兮結蓀帯、乗鸞車兮搴汀洲。
 (荷衣(かい/蓮の葉で作った仙人の服)を被り蓀(そん)帯を結び、鸞車(らんしゃ/神仙の乗る車)に乗りて汀洲(ていしゅう/中洲)を搴(と)る)
 洛水之神挙棹、萼緑花兮泛舟。
 (洛水の神は棹を挙げ、萼緑の花を舟にして泛(うか)ばす)
 素娥舞于蟾窟、弄玉吹簫秦楼。
 (素娥(月に住む仙女)は蟾窟(せんくつ/月)に舞い、弄玉(秦の穆公の娘で簫の名手)は秦楼にて簫を吹く)
 九嶷賓兮来迎、独与予兮星漢遨游。
 (九嶷の賓は来迎し、独り我と星漢(=天河)を遨遊(ごうゆう/漫遊)す)
 桂棹兮蘭桨、采芙蓉兮江頭。
 (桂の棹と蘭の桨(しょう/舵)、芙蓉を採りて江頭(=江岸)へ)
 撫琴瑟兮為誰、飲玉露兮香江。
 (琴瑟(きんしつ)を撫すは誰が為ぞ、玉露(=酒)を飲みて香江へ)
 折馨香兮遺所顧、楽莫楽兮竟忘憂。
 (馨香(けいこう/良い香)折れて遺す所を顧み、楽は楽に莫(な)く竟(つい)に憂いを忘れる)
 孰蟪蛄兮啾啾、更雄虬兮如虎。
 (何ぞ蟪蛄(けいこ/セミ)は啾啾(しゅうしゅう/しくしく泣く)たり、更に雄虬(きゅう/ミズチ)は虎の如し)
 饕餮嗜欲兮謂鳳無徳、鴟鶚不潔兮偏与為伍。
 (饕餮(とうてつ/中国神話の怪物)は嗜欲(しよく/欲望のままの心)あり、謂(おも)えらく鳳は徳無く、鴟鶚(しがく/フクロウ)は不潔にして偏に伍を為さん)
 薄深林兮君心栗、聞虎嘯兮惊行路、
 (薄き深林に君の心は慄(おのの)き、虎嘯(こしょう/虎が吠える)を聞きて行路(=行く人)は驚く)
 蕪艾生兮難挙歩、蟋蟀鳴兮悲遅暮、
 (蕪艾(ぶがい/雑草)生じて歩を挙げ難く、蟋蟀鳴きて悲しき遅暮に)
 厳霜雪兮元適処、玉骨沈兮為塵土。
 (厳しき霜雪は元より適う処なりて、玉骨(=白骨)沈みて塵土と為る)
 銀瓶炸兮魂何許!惊聞此訊今裂我肺腑。
 (銀瓶炸(はじ)けて魂は何許(いずこ)、驚きて聞きし此の訊(じん/たより)に今裂くる我が肺腑)
 月色凄迷兮宝鏡生涼、帝子臨去兮洒泪瀟湘。
 (月色凄迷(せいめい/わびしくかすむ)にして宝鏡生じて涼しく、帝子(=帝王の子女)去るに臨みて涙を瀟湘に灑(そそ)ぐ)
 竹泪難干兮顆顆皆香、撫此篁竹兮痛断人腸。
 (竹の涙は乾き難く顆顆皆香り、此の篁竹を撫でて痛く人腸を断つ)
 今夕何夕兮紅燭泪長、華冠麗服専空対清光、
 (今夕は何の夕べぞ紅き燭涙は長く、華冠麗服(=きらびやかな冠服)は専ら空しく清光に対し)
 思君不見兮心事浩茫!
 (君を思えども見えず、心事は浩茫(こうぼう/とても広い)たり)

 松柏蕭蕭兮枯冢寒、魂魄難覓兮泪闌干。
 (松柏は蕭蕭(=物寂しい)たりて枯塚(=荒れ果てた墓)は寒く、魂魄覓(もと)め難く涙欄干(らんかん/盛んに流れ出る)たり)
 撫笛還弄兮旧時曲、墨迹猶存兮巾袖間。
 (笛を撫して還た弄ぶ旧時の曲、墨跡は尚も存する巾袖(=服装)の間)
 紅梅白雪兮枉為誰待? 宝鏡生凉兮玉衣空閑。
 (紅梅の白雪は枉(ま)げて誰が為に待つ? 宝鏡生じて涼しき玉衣の空閑)
 断魂幽梦兮空悲苦、郁郁何極兮羽高挙。
 (断魂(=深い悲しみ)の幽夢(=夢)は空しき悲苦(ひく)、郁郁として何ぞ極まり羽高く挙げん)
 乗騏驥兮駕赤兔、登昆侖兮車道阻。
 (騏驥に乗り赤兔に駕(の)り、昆侖に登りて車道を阻まん)
 臨湘水兮船容与、過河梁兮旗不舞。
 (湘水に臨みて船は容与(ようと/ゆったり)とし、河梁(=橋)を過ぎて旗は舞わず)
 悲吾心兮多風雨、雷鼓鳴兮惊風露、
 (悲しき我が心に風雨多く、雷鼓(=雷のとどろき)鳴りて風露に驚く)
 醒来還与兮何人語?
 (醒め来て還り何人ぞ語れり)
 呼君兮君不聞、喚汝名兮汝不至。
 (君を呼びしも君は聞かず、汝の名を喚きしも汝は至らず)
 華灯閃閃、雨雪飄飄、夜風颯颯、落木蕭蕭。
 (華灯(=飾り提灯)は閃閃たり、雨雪は飄飄たり、夜風は颯颯たり、落木は蕭蕭たり)
 古寺凄風、猿悲鬼泣。荒丘冷月、肌凍骨寒。
 (古寺の凄風(せいふう)、猿悲鬼泣(→悲しげに泣く例えか?)。荒丘の冷月、肌凍り骨寒し)
 誰為温汝? 誰為伴汝?
 (誰が為に汝を温むる? 誰が為に汝を伴う?)
 心其碎矣、思其止矣、魂其断夫、肝其摧矣。
 (心は碎け、思いは止まり、魂は断たれ、肝(=内心)は摧ける)
 生焉有楽! 婚焉有福! 寒衾不暖、待子英霊。
 (生に楽有りや! 婚に福有りや! 寒衾(かんきん/冷たい布団)は暖からず、君の英霊を待つ)
 君其有知、寄夢来斯! 鳴呼哀哉、尚饗!
 (君は其の有ることを知り、夢に寄りて此処へ来たらん! 鳴呼哀しいかな、尚饗!)

 宝玉は詠み終えると、祭文を炉の中で焚き、服を正して座り、深く瞑想をします。襲人は外から音がしなくなってから催促に来て、「二の若様、お休みください! 夜は更けて寒いのに、そうして座っていては病気になってしまいますわ。奥様は部屋で若様をお待ちですよ!」 宝玉は「寝るように言っておくれ。あんたは窓を閉めて薫籠を持ってきてくれ」。 襲人は「若様、それはどういうことです? 奥様が林のお嬢様をお祀りになったのに免じて、若様もお休みになるべきですわ」。 宝釵は慌てて出てきて、「その必要はないわ。ここで一人にしてあげれば、心も楽になるんですから」。 宝玉が頭を上げると、宝釵の満面に涙の跡があるのを見て、憐憫の情を起こし、一口嘆息して立ち上がり、「やっぱり部屋に行くよ。夜はもう更け、林妹妹も遠くに行ってしまっただろう。ゆっくり休むことにするよ」。 宝釵は黙して言葉もなく、宝玉をしばらく見てから頷きました。襲人は彼ら二人に付き添って部屋に入りますが、宝釵が「あんたもずいぶんお仕えしたんだからお休みなさい」と言うのでようやく辞し、そっと戸を閉めました。そして、先ほど香が焚かれた香炉を片付けて薫籠の側に座ると、思うところがあって思わず涙がこぼれました。

 若様が詠んだ相手は林のお嬢様だった。新婚の夜だというのに、宝のお嬢様を心にも掛けない。まして自分なんて言うまでもない。それに、若様は勉強が嫌いだし、こちらのお屋敷も年々悪くなる一方で、自分はこのところ振り回されてばかりだ。将来はどうなってしまうんだろう。自分が側室になっても人の世話をする者にすぎず、邸内では年かさの侍女にさえ及ばない。ご隠居様の部屋の年配のお妾さん、上の大殿様(賈赦)や大殿様(賈赦)の部屋のお妾さんのうち、誰一人尊敬されている者はいない。むしろ、側室になって苦しんでいるではないか。そう考えると、一層声を殺して嗚咽するのでした。

 さて、宝玉と宝釵の結婚が成って王夫人はとても喜びました。賈母も宝釵が孝行で賢淑なのを見て喜びますが、黛玉の死や元妃の病気のことを思っては、時に悲しい思いをしていました。

 その日、宝釵は賈母にあいさつにやって来ました。史湘雲は部屋で髪を梳いていましたが、急いで出てきて、「二のお兄様はどうして一緒じゃないの? 互いに寄り添ってこその夫婦じゃないの。結婚したらお兄様もお姉様に良くしてくれると思ったのに」。 宝釵は「そうもいかないわよ。今日は早くに芸児(賈芸)が呼びに来て、友達が病気になったからって言づてをして出て行ってしまいましたわ」。 賈母は「その芸児も分からない子だね。宝玉は結婚したばかりなのに、呼び出してどうするつもりだい? また何か騒ぎを起こすかもしれないし。結婚してあんたと一緒になったんだから、よく気を使っておくれ」。 宝釵は急ぎ「はい」と答え、続けて「ご隠居様、ご安心ください。焙茗や鋤薬たちが付いていますし、あの人もいつまでもやんちゃな時のままではありません。しばらくしたら何事もなく戻って参りますわ」。 賈母は頷いて、「それなら私も安心だよ。雲ちゃんは何日かしたら行ってしまう。あんたたち二人は仲が良かったんだから、部屋に行ってじっくりと話をしなさい。この子の嫁ぎ先からは、数ヶ月したら吉日を選んで迎えを寄越すからって何度も言ってきているからね。そうなれば、顔を見るのも難しくなる。私たちがどんなに望んだって来られなくなるんだからね」。

 史湘雲は恥ずかしさで顔を真っ赤にしますが、賈母が『望んだって来られなくなる』と言うのを聞くと、たちまち悲しくなって涙を落とします。宝釵はすぐに湘雲を引っ張って部屋に入り、彼女の髪を梳いてやりながら尋ねます。「日にちは決まったの? あんたはいつも家で何をしているの? あんたの叔母様からはどんな首飾りをいただいたの?」 湘雲は「日にちはまだ折り合わないんだけど、おそらく四月か五月になるでしょうね。家にいたって何もいいことなんてないわ。どうせ嫁に行けば針仕事をして、慌ただしく息もつけなくなるでしょうし。首飾りはこのくらい付けただけでも、叔母にぶつくさ言われるのよ」。 宝釵は髪をすき終えると、しげしげと眺めて、「普段であればそれぐらいで十分だろうけど、結婚となれば、嫁ぎ先の人たちにあれこれ言われちゃうわね」。 そして、小箱を一つ取り出して湘雲に渡します。中には金糸と点翠(てんすい/カワセミの羽毛を使った手工芸品)に真珠をかけ連ねた鳳形の簪(金絲点翠欑玉鳳釵)と純金のミズチがとぐろを巻いた金の首飾り(赤金盤螭金項圏子)、その他にも金や真珠の首飾りが十数点入っていました。湘雲はびっくりして、「お姉様は結婚したばかりで、これらを付けていなくちゃいけないのに、どうして私にくださるの?」 宝釵は「私にはまだあるから、持って行ってしまっておきなさい。叔母様に見せてはダメよ。知られたら一つ残らず取り上げられますからね。間もなく結婚だっていうのに、嫁ぎ先の首飾りを付けさせてもらうわけにもいかないでしょう。私たちにとっては金や宝石なんか珍しくもないけど、あんまりみっともないと嫁ぎ先でも体裁が悪いわ。狭量な人は物を見て人の値うちを判断するんだし、わけもなく詰まらない思いをすることはないわ」。 史湘雲は宝釵を引き寄せて感激のあまり涙を流し、「お姉様はこんなにも私のことを思ってくれているのね。貴重な品をこんなにいただき、どう報いたらいいのか分からないわ」。 宝釵は笑って、「よそよそしいわよ。私たち姉妹の間でまだそんなことを言うの? 嫁ぎ先で嫌われて、面目を失ったらどうするの? こればかりの首飾りがどれほどのものだって言うの? 私たち姉妹の情の方がずっと重いのよ」。 湘雲は涙を拭い、宝釵を引き寄せて何も言えませんでした。

 宝釵は「他には何があるの? 早く持っていらっしゃい。代わりにみんな片付けてあげるから」。 湘雲は「大丈夫よ。昨日ご隠居様からも衣服やアクセサリー、首飾りといった物をいただき、鴛鴦さんが整理してくれたわ。加えてお姉様にもいただいたので、もう十分よ。でも、今回行ってしまうと、いつまた会えるか分からないわね! どうぞお体大切に。二のお兄様の心には林のお姉様しかいないとはいえ、結婚したからには日一日と薄らいでいくでしょう。あなた方二人が相思相愛でいてさえくれればこんなに嬉しいことはないんだから」。 宝釵は「安心して行きなさい。機会があればきっと迎えをやるから。私たちのことは心配しないで。宝玉さんも日一日と良くなっているし、近頃はずいぶん元気になったわ」。 湘雲は「二日経ったら行くわ。以前住んだ蘅蕪苑の情景が想い出されるから、園で遊んできます。今回行ってしまえば、もう見ることは難しいでしょうから」。 宝釵は「それなら私も一緒に行くわ。私も住んでいた部屋を見てみたいし。遅くならないうちに行きましょう」。 二人は鶯児と翠縷を連れて園に入りました。

 宝釵と湘雲の二人は、しばらくあちこちを回ってから蘅蕪苑にやってきました。鶯児と翠縷も道すがら嘆息し、物はあっても人はおらず、園内がずいぶん寂しくなったと感じました。

 湘雲は「この部屋は元のままね。ただ、お姉様が出てからは留守を守る婆やが二人いるだけで、この美しい景色も無駄になってしまったわね。今日は十五夜だから、私はここで月を愛でたいわ。思えば、数年前の八月十五日、私と林のお姉様がご隠居様のお供をして夜半まで月を愛で、その後に凹晶館で聯句をしました。今は聯句をしたくても、林のお姉様はどこにもいないのね」。 宝釵は「それなら今晩は月見に付き合うから、私と聯句をしましょう。ただ、園内は寂しく、夜も更けたけど怖くはないの?」 湘雲は「何が怖いもんですか。私たち数人だけで、こんなふうに寂しい方が今の心境にはぴったりくるわ。山の上に行きましょうよ!」

 宝釵は湘雲に付いて藤蔓を引っぱり、山の斜面を登ると、間もなく月が昇ってきました。林中にはねぐらに帰る鳥が飛び回り、烏や雀が鳴いています。

 湘雲は「今晩は月がとっても綺麗ね。今日の聯句は騒体詩(戦国時代の楚で生まれた詩のスタイル)で自由に作ってみない?」 宝釵は「いいわよ。なら、あんたから先にどうぞ。私は続けますから」。

 湘雲は首をかしげますが、ふと思い付いて詠み上ます。「月上西山満空林(月は西山に上がり、空林に満つる)」。 宝釵は頷き、「最初の句としては上出来ね」と言って続けます。「関河万里兮入秋心。蘅蕪人静兮鳳露白(関河万里に入りし秋心。蘅蕪は人静かにて鳳露は白き)」。 湘雲は「速いわね、私も続けるわ。葛藤動兮鳥心惊。蘿径何須兮縁客掃(葛藤は動き鳥心は驚く。蘿径(らけい/蔓の茂る小径)何ぞ須く客の為に掃く)」。 宝釵は「その句は上手いわ、ぴったりな例えね。私もじっくり考えるとするわ」と言って、しばらく思案してから、「薜荔蕭疏兮我来勤。尋故迹兮秋声早(薜荔(へいれい/オオイタビという蔓性植物)も蕭疏(しょうそ/まばら)にて我忙しく来る。故迹(=旧跡)を尋ね、秋声早し)」。 湘雲は笑って、「その『我来勤(我忙しく来る)』の三文字はさらっと出ましたけど、この情景にぴったりね。どんな句を続けようかしら?」

 ちょっと考えて、「訪旧惟有兮月知音、曠野朗兮流霜降(旧知を訪ねしもただ月の知音のみ有り、広野は朗かにて流れし霜降)」。 宝釵は笑って、「『月の知音(月知音)』の三文字はよく思い付いたわね。下の句も抜け出したわね、対句はどうしようかしら?」 そして顔を上げて天を仰ぎ、「天清冷兮幽径明、意綿綿兮誰解語(天は清冷にて幽径は明るく、情意は綿綿として誰ぞ語を解す)」。 湘雲はこれに続けて、「心羡羡兮我知情。蟾光明兮増情重(心羨みて我は情を知る。蟾光(せんこう/月光)明るく情重増す)」。 宝釵は急ぎ続けて、「一簾霜影兮伴秋声。情懐度入兮歌詠発(一簾の霜影(=月影)は秋声を伴う。情懐渡り入りて歌詠(=歌)を発す)」。 湘雲はちょっと考えて、「吟未尽兮睇猶顰。今宵一別兮天涯路(吟じて尽きず睇(ぬすみみ)て尚顰める。今宵別れし天涯(=異郷)の路)」。 宝釵は大きく息を吐いて、「何日帰来兮共擁衾(何れの日ぞ帰来して共に衾(きん/ふとん)を抱かん)」。 湘雲は急ぎ奪い取って、「陽関一唱兮関山隔(陽関にて唱(うた)えば関山隔てし)」。 宝釵は「山水連兮情不分。送君去兮沅水浦(山水連なりて情分かたず。君を送りて去りし沅水(げんすい)の浦)」。 湘雲はむせび泣きながら、「載雲霓兮越湘江。云中君兮难会合(雲霓(うんげい/雲と虹)載せて湘江を越える。雲中の君に会合(=落合う)し難し)」。 宝釵は「どうして落ち合えないって分かるの? 騁麒麟兮步高崗。鳳凰蔽兮迎汝(麒麟は騁(は)せて高崗(=高台)を歩く。鳳凰覆いて汝を迎える)」。

 湘雲が更に続けようとすると、背後で続ける声がありました。「玉鸞鳴兮鏗鏘。馭太虚之長風(玉鸞(ぎょくらん/伝説の霊鳥)鳴きて鏗鏘(こうそう)たり。太虚(=天空)の長風に馭(はせ)る)」。 宝釵と湘雲が振り返ると、それは宝玉でした。「いらっしゃい。こんなに遅くにどうしたんです?」 宝玉は「帰ったらあんたたちがいなかったんで、ご隠居様の部屋の者に聞いたら、園に行ったって言うから、ここだと思って迎えに来たんだ。あんたたちが聯句をしていたので、思わず続けてしまったというわけさ」。

 宝釵は秋紋と麝月が付いてきたのを見て安心し、「素敵ですね。ではどう続けましょうか。そうね、観宇宙兮八荒、瞰泰山之崇阿(宇宙を観て八荒、泰山の崇阿(=高山)を臨む)」。 宝玉は「臨重華之紫房(重華の紫房を臨む)。披軽觳兮華閣、飲芳髓兮瓊漿(軽觳(けいこく/絹)を纏いし華閣、芳髓の瓊漿(けいしょう/美酒)を飲む)。听紅楼兮妙曲、感薄命兮情傷(紅楼にて妙曲を聴き、薄命を感じて情は傷つく)。已矣乎(やんぬるかな)! 盈虚有数、不可强求(盈虚(えいきょ/月の満欠け)は数有りて強求できず)。盛筵難再,盛世堪憂(盛筵難再(=好機は二度来ない)、盛世堪憂(=盛代を憂える))。人生本自如朝露、何如今日共吟謳(人生元より朝露の如く、何如ぞ今日は共に謳吟せん)」。 宝釵は「その結びはなかなか面白いですね、あまりに物悲しいですけど。夜も更けましたからもう戻りましょう、ご隠居様に心配をかけるわけにはいきませんから。明日また会いましょう」。 湘雲も立ち上がり、何人かの侍女に取り囲まれ、月明かりに照らされて揃って園を出ました。湘雲は賈母の所へ戻って休みました。続きはどうなるでしょうか、次回をお聞きください。