意訳「曹周本」


第103回
   悲を含みて薨逝せし元妃は夢を托し 賭場を開いて賈芹は庵を閙(さわ)がす
 さて王夫人は、元春妃が病気になってからというもの、とても心を傷め、毎日『消災経』を人に読ませ、神や仏に加護を祈願し、跳神(巫女や祈禱師が神懸かりになって舞い狂う風習)によって厄を払ったりと、あらゆることを試していました。しかし、元春妃は持病が再発し、日一日と重くなっていきました。

 その日、宝釵が訪ねると、王夫人は物憂げな面持ちだったので、元春妃の病気のためだと思い、急いで慰めます。「奥方様はこのところだいぶ痩せられたようです。間もなくお正月ですから、することは沢山ございますよ。娘娘は病気になられましたが、太医院の侍医に毎日診てもらっています。市井の先生方よりずっと優秀ですわ。奥方様が気を揉まれて病気でもなり、娘娘がそれをお知りになれば、病気はかえって重くなりましょう」。 王夫人は頷いて、「ありがとう。あんたの言うことはもっともだね」と言って、宝玉の近況を尋ねます。宝釵はそれからようやく辞しました。

 見る間に大晦日の晩になりますが、元春妃が病気なので栄国府内はひっそりとしていました。賈政は賈母へのあいさつから戻り、腰を下ろすと何度もため息をつきます。王夫人が「元妃娘娘の病は重いんですか?」と尋ねると、賈政はかぶりを振って答えます。「娘娘の病気は侍医が治療してくれる。だが、うちの家運は傾いており、あんな愚か者を出してしまった。今、璉児に、明日にでも芹児を問い質して報告するようにと申し付けてきたところだ」。 王夫人は「芹児は庵の管理をしていますよね? いったいどんな罪を犯したんです?」 賈政は首を横に振って嘆息し、「芹児の奴には大役を任せるべきではなかったんだ。なんでも銀子を取って庵で賭博をしたんだそうだ。とんでもないことだ。明日、詳しいことが分かれば、もう奴に管理させるわけにはいくまい!」 王夫人は大きく息を吐いて、「ちょっと賭けごとをしただけっていうんでしたら仕方ないでしょう。事がはっきりしてからまた相談しましょう。何日かしたら、私はあそこの小道士、小坊主と小尼を呼んで娘娘のために何日か『消災経』を読み、法要を営みたいんです。芹児が来た時にはこっそり知らせてください」。

 賈政は頷き、王夫人には(年越しの)徹夜をする必要はないからと言って先に寝かせ、彩雲にロウソクの芯を切らせると、腰を下ろして本を読み始めました。彩雲は急いで上等の茶を注ぎ、薫籠を運んできます。また、手炉を持ってきて銅箸で灰を取り、賈政に渡します。賈政は「お前も眠りなさい。今日の年越しは私一人で本を読むとしよう」と言うので、彩雲はようやく退出しました。

 賈政はロウソクを手にして、昭明太子の編じた『文選』を開いて圏点(注意箇所を示すために文字の横に付ける小さな点)を付け、賈誼の『過秦論』の上編まで点を打つと、いささか気だるさを覚え、机に向かってうたた寝をし始めました。

 賈政の朦朧とした意識の中に、悲しみを帯びた一人の女性が現われます。普段着を装ったその女性は、目の前までやってくると一礼し、「父上!」と呼びかけました。賈政は探春が帰って来たのかと思いましたが、目を凝らしてよく見るとそれは元春でした。これには驚きを隠せず、「娘娘はどうしてそんな装いをなさっているのです? どうして宮中にいらっしゃらないのです? どうして夜更けにお一人でこちらにいらっしゃったのです? 陛下がお知りになられたら、我が一家は誅滅の危機です。どうか夜が明けぬうちに速やかに宮殿にお戻りください」。

 元春は涙を浮かべて、「人としての富貴は享(う)け尽くしました。どうすることもできないのです。もう娘娘でいることもならず、宮中に戻ることもありません。お育ていただいた父母の恩義に感謝するため、特に別れに参りました。また、一つお知らせすることがあります」。

 賈政は急いで跪き、恭しくお言葉を聴こうとします。元春はこれを引き起こして、「私はもう、どこの娘娘でもありません。今、虎年が過ぎ、丁卯(ひのとう)の兔年になります。大晦日が過ぎれば、警幻姐姐が迎えに来て私は太虚幻境に帰ります。父上も礼儀にこだわることはありません」と言うので、賈政もやむなく従いますが、太虚幻境やら何やらと聞いて呆然としていました。「陛下はあなたをどこかに出家なさるのですか?」 元春はかぶりを振って、「違います。これ即ち天機にて漏らすことはできません。父上にはご安心ください。思えば私共の賈家一門は、曾祖父が功業を立てられて以来、皇恩を賜り、栄耀栄華を誇って既に百年になります。今は陛下の覚えもめでたく、後ろ盾となってくださっています。しかし、天下に終わらない宴はありません。今ならまだ間に合うと私は思います。ひとつ、父上には官職を辞して隠居され、一族を引き連れて南京の旧宅に戻り、詩書を読み農作業に励めば、数十年は家を支えることができましょう。功名に惑い、虚妄(嘘偽り)を追い、利禄(利益)を貪れば、良いことはいつまでも続きません。いったん倒れれば、それこそ『白茫すっからかんの大地になれり』です。父上、先祖代々の墓地に手を入れて財収を得られるようにし、一族を連れて金陵に帰り、久遠の計(長計)を図るべきです。どうか私の話を覚えておいてください」。

 賈政はうつむいて聞いていましたが、驚いて全身から冷や汗が吹き出しました。さらに尋ねようとすると、二人の侍女が現れて元春を輿に乗せ、「警幻はこれ以上待てませんわ!」と言ったので、元春は涙を流して賈政と王夫人に一礼すると、たちまち姿を消しました。

 賈政は突然目が覚めますが、王夫人が夢の中で元春妃の名を呼ぶのを聞くと、びっくりして彼女を起こします。「夢の中で誰に会ったんだ?」と聞くと、王夫人は泣きながら、「今ほど夢の中で娘娘が別れを告げに来られました。もう娘娘ではないこと、私たちが早く身を引いて利禄や功名を求めなければ、まだしばらくは持ちこたえられるとおっしゃっていました」。 賈政は「不思議なことだ。私も今ほど同じ夢を見た。これは、うちの娘娘が薨去され、私たちの夢枕に立たれたのではなかろうか? 今はやっと子の三刻だ。どこにいけば消息が分かるだろう? 珍さんと璉児に探ってきてもらおう。事情が分からないと取り乱すだけだからな」。 王夫人は「そうですね。明るくなってから人を遣ればいいでしょう。今日はもう兔年になりましたが、あの年、占い師の方があの子に『虎兔相逢わば身に不利あり』と言ったので、不安になったのを覚えています。今、虎年から兔年になったわけですが、正に虎兔相逢うことの暗示だったのではないでしょうか?」 賈政は「占い師の話がどうして信じられよう。ただ、この件については何かいわくがあるのかもしれんな」。

 夫婦二人は向かい合って一晩中涙を流し、驚き、恐れ、悲しむのでした。翌日は早々に賈珍、賈璉たちに探りに行かせました。果たして欽天監(天文台)の陰陽司から知らせがあり、元春妃は昨夜の子の三刻に薨去し、貴妃の儀礼には則さずに喪を発する、とのことでした。屋敷内では泣き声が天地を揺るがさんばかり、賈母と王夫人は泣き悲しんで昏倒する有様です。賈赦、賈政、賈珍、賈璉、宝玉たちも皆駆けつけました。尤氏、李紈、宝釵たちも付き従って傍らで泣きました。

 鳳姐はこの知らせを聞くと、平児に扶けられて無理をして起き上がり、まっすぐ賈母の部屋にやってきました。賈母はやっと意識を取り戻したばかりで、涙はなおも止まりません。鳳姐を見ると涙を流して、「あんたはやっと少し病気が良くなったのに、どうして来たんだい? また倒れでもしたら、うちを支える者がいなくなってしまうよ」。 鳳姐は涙を流しながらはいと答え、賈母を慰めて、「娘娘はもう昇天なされました。ご隠居様もくよくよされない方がよろしいですわ。泣いて体を壊されたら、子や孫たちが心配いたします」。 賈母はかぶりを振って、泣きながら、「いずれ我々は倒れてしまうんじゃないだろうか! 我が家の財産だって娘娘がいなければ支えられるものかい!」 鳳姐は急いで慰めて、「娘娘は身まかられましたが、ご隠居様はご健在です。陛下も娘娘との昔の温情を懐まれるでしょうし、どうということはありませんわ。ここで元気を出さずにしょんぼりしていては本当に参ってしまいます! ご隠居様お考えください、間違っていますでしょうか?」

 この言葉に賈母ははっと気づき、涙を拭いて、一同にこれよりは泣いてはいけないと申し付けました。

 賈母も気を取り直して座ると、少し元気が出たように感じました。そこで、鴛鴦と琥珀に扶けられてあちこちに顔を出しました。一同は賈母のこの様子を見て安心しました。これより鳳姐も我慢して家事を取り仕切るのでした。


 さて、賈璉は元春妃の薨去のために予定を数日遅らせましたが、その日、旺児に馬を用意させ、主従数名で騎乗してまっすぐ水月庵にやってきました。智通にも知らせずに突入し、庵の裏庭に至りました。賈芹はちょうど、よその道楽息子たちと大騒ぎしながら木陰で紅包(お年玉)を奪い合っており、傍らでは何人かの小尼が酒や茶を注ぎ、ふざけ合っていました。賈芹は騒ぐことに夢中で賈璉に気付きませんでしたが、智通が見つけて急いで出迎え、大声で叫びました。「璉の旦那様がいらっしゃいましたよ!」

 賈芹はびっくりして慌てふためき、サイコロを地面に落としました。道楽息子たちはまずいと知って、たちまち姿をくらましました。

 賈璉は怒りで顔が青ざめ、入ってくるなり彼を一瞥し、ふんと鼻でせせら笑って、「結構なことだな。芹児よ、ここはお前が金を賭けて遊んでいい場所か? いつも庵の仕事だと言ってこんなことをしていたのか? お前はここで好き勝手に振る舞い、誰も逆らえなかったんだろう? 暇な時は尼たちに遊び相手をさせていたなんて、私たちを死人とでも思っていたのか!」

 賈芹は驚いて肝をつぶし、両足が言うことを聞かずに地にへたり込み、ニンニクをつくようにペコペコと頭を下げ、口では「叔父上、どうかお許しを。どうか大目に見てくださいませ」と叫びます。賈璉は寄っていって賈芹の両足を蹴り上げ、旺児たちに彼を馬に乗せて連れて行くように命じ、「お屋敷に戻って大殿様(賈政)のお沙汰を仰ぐんだ」と言ったので、賈芹はさらに驚いて、どうしていいか分かりませんでした。

 賈府に戻ると、賈璉はしばらく外の広間にある小屋に入れておくようにと申し付けます。賈芹は泣いて許しを請いました。「どうか叔父上、うちには年老いた母がおります。甥めは年が若く、ちょっと思慮が足りなかっただけですのに、見逃していただけないんですか?」 賈璉は「馬鹿を言うな。お前がしでかしたことを考えてみろ。大殿様も既に御存知で、私だってとやかく言われるのに、お前を見逃せるわけがないだろう? 我が家の名声に泥を塗っておいて、どの面下げて許しを請えるんだ!」 賈芹は賈璉が本当に怒っているのを見て、それ以上何も言えずにわんわんと泣き出しました。賈璉は怒って叱りつけ、「この恥知らずめ、さっきはあんなに威張りくさっていたくせに。よく考えるんだな! 明日は私と一緒に大殿様に会いに行くんだからな」。 そう言って出て行き、旺児に少し食事をやるように申し付けてから部屋に戻りました。

 賈璉は鳳姐を見ると恨みがましく言います。「お前も病気になって耄碌したもんだな。芹児が庵でしでかした事を知らないのか?」 鳳姐は「芹児が何をしたっていうの? 庵の老尼も何も言っては来なかったわよ」。 賈璉は冷笑して、「庵の老尼が言って来るもんか。連中はぐるだからな。中に立ってどれだけ稼いだか分からんぞ! 騒ぎは大殿様の耳にも入り、私に調査を命じられたんだ。今日庵に行った時、芹児は何をしていたと思う?」 鳳姐が「きっとよそへ博打をしに行っていたのね」と言うと、賈璉は「よそでやっていたのならまだましだった。庵の中に賭場を開き、大騒ぎしてお年玉を奪い合い、小尼たちはその碌でなしどもに水や茶を差し出しているんだ。そんな庵がどこにある! 大殿様が知ったらどれだけお怒りになるか分からんぞ!」

 鳳姐は考えます。賈芹はそもそも自分が遣わしたわけだし、こんな騒ぎを引き起こした以上、さっさと首にしたほうが身のためだわ。そこで、「娘娘がお亡くなりになった以上、あそこに小坊主、小道士、小尼たちを留め置いても仕方ないでしょう! いっそ解雇してしまえば費用も浮かせましょう。明日にでも大殿様に申し上げてください!」 賈璉は頷いて出て行きます。

 そこへ賈芹の母の楊氏が入って来ました。手に大きな包みをぶら提げ、鳳姐を見ると急ぎあいさつして言いました。「叔母様の病気は良くなられましたか? もっと早くご機嫌伺いに来るべきでしたが、芹児がいつも家におらず、家事も多いので、今までご無沙汰してしまいました。心ではいつも叔母様のことを思っておりました」。 鳳姐は「あんたもよく気付いてくれたわね。今は薬を飲んだのでだいぶ良くなったわ」。

 楊氏は涙を拭いながら、「芹児が庵で仕事ができるのも、叔母様が私たちのことを気に掛けてくださったからです。私と芹児は叔母様のことを思わない日はありません。今ほど、芹児が何やら決まりを破って、前庭の建物に閉じ込められたと聞きました。奥様は心優しいお方ですから、甥めが年若く物を知らないのを哀れんで、どうか叔父様にお許しを請うてはいただけませんでしょうか。今後は二度といたしませんので」。 鳳姐は冷笑して、「あの子のことは全然知らなかったのよ。今は私も病気だから、そんな事に構う元気はないわ。うちの旦那様が大殿様の命を受けて引っ立てて来たのよ。大殿様は自ら問い質すんですって!」

 楊氏は、賈政自ら問い正すと聞いて、罪は軽くないことを知り、びっくりしてどうしていいか分かりませんでした。それでもなお鳳姐にすがって、「私が年老いた今、あの子しかいないんです。叔母様には私の面の皮の厚さに免じて、どうか叔父様に頼んでいただき、大殿様の前で庇い立てしていただければ、ごまかし通せるのではないでしょうか?」 鳳姐は「ごまかし通せるもんですか。庵でしでかした事が許される事かどうか、あんたもあの子に聞いてみたらいいわ。私とうちの旦那様でさえ拙いのよ。大殿様にどの面下げて頼みに行けっていうの? 大事にならずに済めば芹児にとってもっけの幸いだし、ダメなら自業自得よ。あんたもくよくよしないでね。いらいらが高じて病気になったら大変ですもの」。 楊氏は頷きますが、鳳姐に助ける気がないことを知ると、どうすることもできず、立ち上がって、「叔母様にはよく養生なさってください。私はあの子に会って参ります。あの罰当たりに対して私はどうしたらいいのでしょう!」と言いますが、鳳姐は慰めるばかりで、「時間があったらまた話に来てちょうだい」と言って、賈芹の事には触れもしません。楊氏はもう望みがないことを知り、泣きべそをかきながら出て行きました。心はむしゃくしゃし、こう思うのでした。 正に『鶏を盗み損なって一握りの米も損する(=元も子もない)』ということだわ! こんなに無駄金を使ってしまった。それから賈芹に会いに行ったことはくどくど述べません。


 さて、宝玉は元春が薨去してからというもの、日々喪失感で呆然としていました。思えば、自分は小さいときから元妃娘娘と共に賈母の側におり、彼女が心を込めて教え育ててくれたお陰で、入塾もしないうちに数千もの文字を叩き込んでもらった。姉弟とはいえ、母子も同じだった。その後、彼女は選ばれて宮中に上がり、陛下の寵愛を得て鳳藻宮尚書に封じられ、さらに賢徳妃の封号を賜り、まさに繁栄を極められた。それなのに、突然薨去し、貴妃の儀礼には則さずに喪が発されるという、理解しがたい扱いを受けている! 所詮、栄耀栄華は瞬く間にはかなく消え去るものなのだ。高貴や栄華がどれほどのものだというのだ? そこまで考えると、一人足の向くまま園内にやってきました。

 それほどの時が経ったわけでもないのに、園内の様子は大きく変わっていました。もう初春なのに寒風が吹き、見渡すかぎりうらぶれています。壮麗な亭台楼閣の幾重もの戸は固く閉ざされて鎖が掛けられ、花や木々も物寂しく、宝玉は心にぽっかり穴が開いたような感じがして、しばらくさまよううちに、いつしか大観楼の前まで来ていました。

 見れば、庭は物寂しく鳥が飛び交っています。含芳閣の各所の壁の絵も剥げ落ち、装飾や彫刻が施された梁や窓には蜘蛛の巣が張っています。庭の前をしばらくうろついてから欄干に寄りかかり、こんなことを思うのでした。元春妃が家に戻ってきた省親の時はなんと賑やかだったことか。園内には灯火がずらりと並び、壮麗な楼閣には鳴り物の音が響き渡っていた。まさに富貴風流の極みであり、みなが敬拝したものだ。あれからどれだけ経ったというのか、人は亡く、物は変わり、珠玉は砕け散った。園内には人影さえ見えず、身の毛もよだつ寂しさだ。今後誰一人入って来なくなるのではないだろうか。

 宝玉は悲嘆に暮れ、元春妃が教え諭してくれた恩義に思いを馳せますが、また、彼女が『金玉良縁』を賜ったことに思い至りました。思わず嘆息し、「姉上は宝玉を可愛がってくださったのに、どうして宝玉の心中はお分かりいただけなかったのか! 私の心中をご存知ないのに、どうして婚姻を賜られたのか! 賜婚されるのであれば、福も賜られるべきであったろう! どうして林妹妹ではなく、宝姐姐を賜られたのか? 今や林妹妹は既に亡く、姐姐は私を愛してくれるが故に私を傷つけている。今の私に何の楽しみ、何の福があろう! ああ天よ、私を耐え難き境地に置き、死ぬことすら許さないとは! 姉上がお亡くなりになってよく分かった。こればかりは恨まずにおれようか!」 宝玉はぶつぶつ言っているうちに、秘めていた怒りがこみ上げてきて、元春妃を弔うよりも責める気持ちになってきました。

 宝玉が愚痴をこぼして悲痛な思いに浸っておると、雲の中から賈母がやってきたような気がしました。賈母は元妃娘娘に祈念して、「林の嬢ちゃんの御霊に、元妃娘娘はあんたが潔白無罪なことは分かっているからって言っておきましたよ」。 すると、黛玉が天空からやってきたような気がして、賈母に向かって、「ご隠居様、ご安心ください。元妃娘娘は既に悟られました。この栄耀栄華が偽りであることをお分かりになり、大殿様に南方の実家に帰って生計を立てるようにとおっしゃられました。私は決して恨んだりしません」。

 宝玉が黛玉を呼ぼうとしたその時、ぱっと目が覚めました。手で目をこすり、よくよく考えると、これらの話はご隠居様と鴛鴦さんが教えてくれたものだ。どうして混同してしまったんだろう? 元妃娘娘が亡くなり、悲しくて堪らないというのに、逆に彼女を恨むなんて自分はとんでもない奴じゃないか。そこまで考えると、また元春妃の境遇を嘆じて止まないのでした。

 宝玉が黙考していると、ふいに後方から「二のお兄様」と呼ぶ声がし、惜春であることを知って急ぎ涙を拭いて振り向きました。

 惜春は尋ねます。「お一人で元妃のお姉様を弔いにいらっしゃったの? 私もそのつもりで来て、思いがけずお会いしましたわ」。 宝玉は「思えば、姉上は生前栄耀を極め、みんなに敬われていた。それが今、お亡くなりになって、みんなに悲しまれているんだね」。 惜春は「お兄様は一人木陰で長嘆し、欄干に腰掛けてぼんやりされていましたから、悼みに来られたことは分かりました。元妃のお姉様のように栄華を極めた方がこのように薄命では、いずれ私なんかどうなるのでしょう。ですから、私は覚悟を決めました。人に踏みつけにされる時が来たら、さっさと身を引くつもりですわ」。 宝玉は「妹妹は高潔な人だけど、もっと楽に考えたらいいんじゃないかな。まだ若いんだから、本当に追い詰められることなんてないさ!」 惜春は嘆息して、「この屋敷でお兄様と何人かの姉妹以外でしたらどうなったって構いません! 私たちが先に動けば、その時に誰かの思うままにはならないはずですわ」。

 二人が議論していると、一人の婆やが庭の掃除にやってきましたので、惜春は櫳翠庵に妙玉に会いに行きましょう、と宝玉を誘います。宝玉は惜春と一緒に山をぐるりと回って登り、櫳翠庵にやってきました。邢岫烟もそこにおり、妙玉は彼女と詩文を論じていました。二人が来たのを見ると、笑って「今日はお揃いでお出でいただいたんですね。お二人は約束なさっていらっしゃったの?」 惜春は「思いがけず二のお兄様とお会いしたので、お誘いして一緒に来たんです。気になさらないで!」 妙玉は笑って「いらっしゃったからにはゆっくりしていってください。ちょうど詩文を論じていたんですが、こうしてお二人が加わられましたね」と言いながら、二人に上等のお茶を注ぎます。

 岫烟は「今ではみな離れ離れになってしまい、集まるのも難しくなりました。今日は思いがけずあなた方にお会いできましたわ」。 宝玉は「詩文を論じていたということだけど、いったい何を議論していたの? 私たちにも聞かせてよ」。 岫烟は「女性の中にも才あって素晴らしい詩を作る人がいると申していたんです。例えば、許穆(きょぼく)夫人の『載馳(さいち)』、班婕伃(はんしょうよ)の『紈扇(がんせん)』、蔡文姫の『悲憤の詩』、その後代の謝道韫(しゃどうおん)、上官婉児(じょうかんえんじ)、李清照、魏夫人、みんなずば抜けた才を示されましたわ!」

 妙玉は「私は南宋末の管夫人の詩をご覧いただきたいんです。実に面白みがありますので。この管夫人は詩画(詩文などの文字と絵画を組み合わせたもの)にも書にも優れ、卓越した筆運びで誉れ高く、夫の趙孟頫(ちょうもうふ)と共に『春江垂約図』を描いたことも文学界では美談として伝わっています」と言って、一幅の書を宝玉に渡します。

 宝玉はこれを受け取り、見るなり喜んで、「この詩には本当に品と清廉さがあり、趙子昂(=趙孟頫)先生より遥かに勝っていますね」。 惜春が「いったいどんな詩ですの? 読んで聞かせてください」と言うので、宝玉は読み上げます。

 人生貴極是王侯、浮利浮名不自由。争得似、一扁舟、弄風吟月帰去休
(人生の貴き極みは王侯にて、浮利浮名は自由にならず。争い得るに似て、一扁の船、風を弄び月に吟じて帰り去りて休まん)

 惜春はそばに来て見て、思わず頷いて嘆息し、「本当に並々ならぬ気概です。その後、趙子昂は彼女の忠告を聞かず、宋朝の滅亡後には元朝に投降したそうですね。どんなに多才であっても台無しでしたね」。 宝玉も感心して、「女子でありながら民族の大義を知り、羞恥の心を持ち合わせている。世の中の男子が比べ物にならないとは実に恥ずべき事だね。妹妹は花蕊夫人の詩を覚えているかい? 『君王城頭竪降旗、妾在深宮哪得知。十四万人齊解甲、更無一個是男儿(君王は城頭(=城壁の上)に降旗を立て、妾(=私)は深宮にて何ぞ知り得ん。十四万人は齊(ひと)しく甲(=武装)を解き、更に無きや一介の男児)』。 何という忠義と憤怒だろう! 世の男どもはみな敬服すべきだね」。 惜春、妙玉、岫烟もみな頷いて賛同します。

 一同はまたしばらく議論をしました。妙玉が「詩を作るに当たっては、古人と同じものを求めるより、異なるものを求めてこそ新しい表現が生まれ、自身を確立することができるのです」と言うと、岫烟は首を振って、「あなたの言われるような境地に誰が達することができますか。やはり、楊誠斎が言っているように、初めて詩を学ぶに当たっては、古人の上手な詩を学び、二字なり三字なりを収めてこそ、初めて応用することができ、いずれは心底の思いを表すことができるんですわ」。

 一同が賑やかに議論していると、秋紋と春燕が探しに来て、「若様はこちらにいらっしゃいましたか、ずいぶん探しましたわ。今では園内も物寂しいのに、若様は一人でお入りになったので、二の奥様はともかく、大奥様はお慌てになって私たちを探しに寄越したんですよ」。

 惜春が「また賈雨村とかいう人が来て、大殿様が探していらっしゃるんじゃないかしら!」と言うと、宝玉は「賈雨村はずいぶん出世したから、うちの屋敷がこんなに廃れた以上、もう付き合いたがったりはしないさ!」 惜春と岫烟はともに嘆息して、「本当に恥知らずの小者ですね! 初めから知り合いになるべきではなかったんですわ」。 妙玉は「忘恩不義の輩ですね。得てして世の中の者たちは皆そんなもの、賈雨村とやら一人にとどまるもんですか!」

 一同はしばらく嘆息してから辞しました。続きはどうなるでしょうか、次回をお聞きください。