意訳「曹周本」


第105回
   王煕鳳の巧言にて龍船を泛(うか)べ、史太君の陰魂は地府に帰す
 さてこの日、宝釵が王夫人の部屋にあいさつに伺うと、王夫人はちょうど彩雲に賜る品々の整理をしていました。宝釵は「彩雲を本当に環ちゃんに差し上げるのですか? 環ちゃんは年も若いし、今は学問に励まないといけない時期ですから、大殿様もお許しになられないのではないでしょうか?」 王夫人は嘆息して、「これも全部、趙の老いぼれがどうしてもと大殿様にお願いしたからなのよ。私は環児がますます勉強に身が入らなくなると思うんだけれど。こんなことになるとは私も思いも寄らなかったわ。まあ、宝玉さえちゃんとしてくれれば良しとしなくてはね。あの子はまだ毎日、林のお嬢さんを哀哭しに行っているのかい?」 宝釵は「毎日行ってはいますが、やっと落ち着いてきました。今は以前よりだいぶ良くなって、時間がある時は絵を描いたり、書物を紐解いたり、私たちと話をしたりしています」。 王夫人は頷いて笑い、「阿弥陀仏、やっと立ち直ってくれたんだね。あの子をよくなだめて、しっかり勉強させておくれ。来年の郷試でうまく挙人になれれば、あの減らず口も大人しくなるだろうからね」。 宝釵は笑って、「私もそう思っていますが、遠回しに言うしかないんです。あの方の性格は奥方様も御存知でしょう。急かしたりすると思わぬことが起きますから」。 王夫人は頷いて、「あんたがいれば安心だよ。あの子は襲人の話も聞こうとしないし、あんたに何とかコントロールしてもらって、環児みたいに好き勝手させないようにしないとね。そうなれば私たちは将来誰を頼りにしたらいいのか分からなくなるからね」。 宝釵は「環ちゃんのようにならないでしょうけど、あの方はいろいろなことに興味を持たれるので厄介ですね。私が気に掛けておりますので、どうぞご安心ください」と言うと、王夫人は頷きます。宝釵は王夫人に手を貸し、広げた品々を片付けてから辞しました。

 部屋に戻ると、宝玉は絵を描いており、宝釵が戻ったのを見て尋ねます。「姐姐、この『瑞雪図』をどう思う?」 宝釵はしげしげと見て、「このところ、ずっと描いていましたけどとても上手ですね。この松竹が雪に埋もれ、霜を凌ぐ様には天を衝くような不屈の気概があります。来年は郷試の年ですが、その心意気で試験に立ち向かうということですか? あなたが受験に前向きじゃないことは分かっていますけど、大殿様と奥方様はお認めにならないでしょう。もし挙人になることを考えず、蘭ちゃんや環ちゃんが選ばれでもしたら、私たちも人に顔が立ちませんよ。ですから私は、早々に準備をして間際にあたふたしないようにすべきと思います」。 宝玉は微笑して、「顔が立たないと言うのなら、あの貪官、禄盗人、国賊共こそが本当に顔が立たないというものだし、私は他の人に何を言われようと構わないよ」。 宝釵は「そうは言っても、本を読むのも有益な事ですし、わざわざ大殿様や奥方様を怒らせることもないでしょう」。 宝玉は筆を放り出し、あくびをして、「分かったよ、絵は描き終わったから本を読むとするよ。私も本を読んで、詰まるところ、古代の聖人賢者は私たちが何をすべきと考えていたのかはっきりさせたいと思っていたんだ。ちゃんと受験して挙子になったら、蘭児たちのことはもう言わないでよ」。 宝釵は口をすぼめて襲人に向かって笑い、何も言いませんでした。襲人は頭を軽く横に振りました。当の宝玉はなぜか気を良くし、本を取り出すと一人悦に入って読み始めました。


 さて、元春妃が亡くなった後、賈母は煕鳳に言われて元気を出し、あちこちへ足を運ぶようにすると、屋敷内も落ち着きを取り戻し、一年余りは無事に過ごすことができました。家廟の修復も終わり、祖先の位牌を安置して管理する者を置き、毎日線香をあげて供養しました。しかし、屋敷内は一層うらさびれて物寂しくなり、賈母も元気を奮い起こせなくなりました。

 折良く端午の佳節を迎えたので、この日、鳳姐は賈母に会いに伺い、賈母に対してこう言います。「明後日は端午の佳節です。ご隠居様、ここはひとつ、龍船を浮かべてみませんか? 私どもも以前のように賑やかに騒いで、みんなの気持ちを高めましょうよ」。 賈母はこれを聞いてとても喜び、「あんたはやっと少し良くなったばかりなのに出て来られるのかい?」と言うと、鳳姐は笑って「仕方ありませんね。頑張って参りますから、ご隠居様のおそばで一日楽しませていただきますわ」。

 賈母は興が乗ってきて、「だったら、李の奥方、琴の嬢ちゃん、李紋、李綺の嬢ちゃんにも来てもらうとさらに賑やかになるね。蓼風軒に二卓準備して、殿方は外廊にいてもらおう」。 鳳姐は「結構ですね。二ヶ所で宴を張れば婆やや侍女たちもみな来れますし、小者たちには龍船を漕がせましょう。人が多くなれば、それだけ賑やかになりますからね」。 賈母は「本当にそうだね」。

 鳳姐は「薛の奥様は香菱が亡くなってから元気がなく、先日も病気になられたとか。是非お越しいただいて、気晴らししていただきましょう」。 賈母は「私もそう思っていたんだよ。薛の奥方が病気とのことで、おととい宝ちゃんに見舞いに行ってもらったんだけど、もうだいぶよくなったそうだよ。数日もたてばきっと出向いて来られるだろうね。琴の嬢ちゃんにも来てもらおうかね。あの子はここを出て行ってからは部屋の中に閉じこもってばかりで寂しいだろうし、香菱が亡くなって話をする人もいないだろうからね」。

 そこへ折よく、李紈と宝釵が一緒に部屋に入ってきました。賈母は笑って、「ちょうどいいところに来たね。端午の節句に龍船を浮かべる相談をしていたんだよ。元妃娘娘が亡くなってから、我が家では楽しいことが出来なかったけど、今鳳ちゃんが提案してくれてね。ちょうど人を遣ってあんたたちに相談しようと思っていたところだよ」と言って、邢、王夫人と尤氏を呼びにやりました。

 しばらくしてみんなが揃いました。話を聞いて賈母の思いが分かりましたので、口を揃えて、「とても結構ですね。今年の端陽節は賑やかにいたしましょう」。 賈母はとても喜んで、「みんながいいと言ってくれるならそうしようじゃないか! 今はこれだけしか人がいないんだし、鳳ちゃんもまだ完治していないのに無理して来てくれている。明日はこの子には休んでもらって、珍さんの奥さん、珠の嫁さんと宝ちゃんに料理の支度を引き受けてもらえないかい?」 李紈、尤氏、宝釵はみな、「鳳ちゃんは休んでいないといけません。ご隠居様、全て私たちにお任せください」。 賈母は喜んで、薛未亡人、李未亡人、宝琴、李紋・李綺姉妹に人を遣り、端午の節句に龍船を浮かべることを伝えました。

 そこへ宝玉もやってきて、「邢妹妹にも来てもらいましょうよ。みんなが楽しむのに、一人で家にいたって寂しいでしょう」と言うと、邢夫人は「あんたは結婚したのに礼儀作法も分からないのかい。あの子のお姑さん(薛未亡人)がいるんだもの、来られるわけがないじゃないの」。 賈母は「邢の嬢ちゃんは妙師父と馬が合っていたね。ここはひとつ、二人で一緒にいてもらって、こちらから清浄な飲食物を届けてあげたらどうだろうね?」 宝玉は頷いて、「ご隠居様のお考えは周到ですね。惜しむらくは林妹妹、二のお姉様と三妹妹が...」と言いかけると、宝釵は慌てて宝玉に目配せします。鳳姐は急いで別の話で紛らわせようと、「明日は暑いですから、船の上をとばりで覆いましょう。私が明日準備しますわ」。 一同はしばらく話し合ってから散じました。

 翌日、鳳姐は人に言いつけて龍船の準備をさせました。

 端午の当日、鳳姐は無理に起き上がり、朝早くから平児を連れて園にやってきました。李紈、宝釵、尤氏も次々にやってきて、鳳姐を見ると、「何をしに来たのよ? あんたがいなければ私たちも龍船を浮かべられるんですから、さっさと休みなさい」。 鳳姐は「ご隠居様がせっかくお弾みになっていらっしゃるんですもの、あんたたちがみんな楽しむのに私一人にベッドで横になれって言うの? そんなの不公平よ! 今日は人が多いんだし、船もいっぱい用意したわよ! 各部屋の侍女たちもみんな乗せて、小童たちに競争させればますます賑やかになるわ」と言うと、頭を上げて周囲を見渡しますが、賑やかさのカケラもありません。広大な園内にほとんど人影はなく、藕香榭のあたりで数人の婆やが掃除をしているだけでした。鳳姐は思わず嘆息し、龍船の上に行って小童たちを取り仕切ろうとします。宝釵、李紈、惜春はこれを押し留め、「今日はゆっくり休みなさいよ! 私たちの準備が不十分だからって、全部引っかき回さないでよ」。 鳳姐はやっと笑って惜春の部屋に行きます。

 さて、賈母は朝食を済ませると、鴛鴦、琥珀、翡翠、珍珠を伴って園に入り、あちこち見てから蓼風軒に行きたいと言います。そこで、そのまま怡紅院に行ってみると、庭はがらんとして、荼蘼(どび/トキンイバラ)が咲いて、落ちた花が地面を埋め尽くしていました。

 部屋づきの婆やたちは、賈母がやって来たのを見て急いであいさつしました。賈母は頷いて、「ここには人が住んでいないけど、きちんと片付けておかないといけないね。このように寂れて、地面を埋め尽くした花を掃除する者もいないようではあまりに体面が良くないからね」。 婆やたちは「はい」と答え、急いでホウキを取ってきて掃除しようとします。

 鴛鴦は「何をしているの? 本当に老いぼれね。ご隠居様がここにいらっしゃるのに地面を掃いたりしていいと思って?」 その婆やは自分の頬を叩いて、笑って「お嬢様のおっしゃることはごもっとも。でも老いぼれでしょうか? ご隠居様の申しつけを伺ったので掃除を始めたのです。ご隠居様に背いたら生きてはおれません」と言って、また自分の頬をピシャリと叩きましたので、鴛鴦たちもみな笑い出しました。

 賈母は一同を伴って沁芳亭にやって来ましたが、人影一つ見えません。賈母は思います。今園内はひっそりとしていて、端陽の節句でもこの有様なら、冬になればさらに寂しいことだろう。そこで鴛鴦たちに向かって、「珠の嫁さん、四の嬢ちゃん、妙師父、邢の嬢ちゃんはまだここに住んでいるんだろう? みんなどこに行ったんだい? 人っ子一人いないじゃないか」。 鴛鴦は「今日は端午の節句ですから、皆さんも部屋で忙しくされているんじゃないでしょうか。まだ時間も早いですから」と言っているうちに瀟湘館の前にやってきました。

 賈母が足を止めると、門前は菖蒲、艾葉(がいよう/ヨモギ)にまだ覆われてはおらず、風が吹くとひやっとする寒さを感じますが、賈母は入っていこうとします。鴛鴦は慌てて押し留めて、「ご隠居様、やっぱり龍船を見に参りましょう! ここは風が強く、ご隠居様も良くなったばかりですから、行かれない方がよろしいですわ!」 賈母がそれに答えようとすると、宝玉が瀟湘館から現われ、賈母を見て「ご隠居様もいらっしゃったんですか?」 賈母は宝玉の目のふちに涙の跡があるのを見て、考えを変え、彼を引き寄せて、「みんなで四ちゃんのところに龍船を浮かべに行こう。あんたの奥さんはもう着いたんじゃないかね」と言って瀟湘館には入らずに、宝玉を連れて暖香塢にやってきました。

 実は、宝玉は結婚後もちょくちょく園に来て黛玉を弔っていました。端陽の節句のこの日、賈母が龍船を浮かべることに興をそそられ、宝釵が朝早くから準備に出かけたので、宝玉は園に入って瀟湘館にやって来たのでした。

 五月になったとはいえ、園内は人も少なく寂しさを感じます。門を入ると門庭はひっそりとしており、竹影は不揃いで、落葉が地に満ちています。宝玉が部屋に入って四方を見回すと、緑色の薄紗(はくさ)が掛けられた窓にかつて見えた美しき姿はなく、ありし日の黛玉を思って一人腰を下ろし、頭を抱えて思いにふけり、両頬に涙が流れます。宝玉は悲痛極まって叫びます。「林妹妹! 今日は端陽の節句だから菱の実、桜桃、張子の虎、粽を持ってきたよ! 一緒に屈大夫(屈原)をお祀りしよう! 妹妹は彼の知己だ。あんたは今どこにいるんだい? あんたには知って欲しい。あんたが花を葬った花塚に、私がどれだけの落花を埋めたことか。あんたが生前に遊んでいたオウムがどれだけあんたの名を呼んだことか。あの斑点のある涙竹を私はどれだけ撫でたことか。あなたが詩を吟じ賦を作った声をどれだけ聴きたいと思ったことか。昔の交情は泡と消え、芳姿は灰となった。鴛鴦枕(鴛鴦を刺繍した婚礼用の枕)を用意して待っているのにどうして夢に出てきてくれないんだい?」

 宝玉は泣き叫び、悲しみで心が張り裂けんばかり。体が支えられず、机の上に突っ伏して意識が遠くなりました。ふと見れば、黛玉が竹の影から小走りで歩いてくるではありませんか。宝玉は喜んで駆け出し、「林妹妹! やっぱりあんたは生きていたんだね。やっと会えたよ!」と叫びますが、あっという間に黛玉の姿は消えてしまい、宝玉はびっくりして目が覚めました。すると、遠くでしくしくと啜り泣くような声が聞こえ、それはかつての黛玉の泣き声にも似ているようです。宝玉は慌てて涙を拭き、じっと聞き耳を立てますが、もう何も聞こえません。思わず頷いて嘆息し、「ずっと思っていたからこそ、やっと妹妹に会えたんだね」。そして中庭に歩み出て、空を仰いで一礼してから、トボトボと瀟湘館を出たのでした。そして、門前で賈母とばったり出会ったというわけでした。

 そこへ、邢、王の二夫人、薛未亡人と宝琴が園にやってきました。賈母が宝玉を連れて前を歩いているのを見て駆けつけます。

 薛未亡人は「ご隠居様も今日はずいぶんお弾みになられて、こんなに早くいらっしゃったんですね。ご隠居様のところに伺いましたら、もう出かけられたと聞きましたので駆けつけました」。 賈母は「病気になったと聞いていましたけど、良くなりましたか? 今日は端午の節句で天気も良く、園に遊びに参ったのに、人がいないと話していたら、ちょうどあなたたちが来てくれましたよ」。 薛未亡人ははいと答えて、「医者の薬を飲みましたのでもう良くなりました。せっかくご隠居様にお誘いいただきましたので、今日は遊びに参りました」。 賈母はこれを聞いてとても喜びます。

 薛未亡人は園に入って随分物寂しいと思いましたが、賈母は賑やかなことを好み、物静かなことは好まないことを分かっているので、『寂しい』の言葉は使わずに談笑しました。賈母は人が少し増えたので寂しいとは思わず、しだいに喜色を浮かべるのでした。

 そこへ、李未亡人、李紋、李綺もやって来たので、賈母は言います。「今日はこうしてみんな揃ったね。珍ちゃんの奥さん、珠児の嫁さん、宝ちゃんは先に行ったから、私たちも早く行こうじゃないか。待たせちゃいけないからね」。 一同は賈母を取り囲み、藕香榭から「穿雲」「渡月」の文字が刻まれた大石で挟まれた小道をくぐり、南に向いた正門を入り、遊廊を過ぎると、「暖香塢」の扁額を掲げた建物が見えてきました。

 尤氏、李紈、宝釵は急いで迎えに出てきて、惜春も部屋を出てきました。

 賈母が「鳳ちゃんが病気で今日はまだ来ていないから、あんたたちが用意してくれたんだね」と言うと、鳳姐が暖香塢から出てきて笑って、「私はご隠居様より早く参りましたのよ。来ていないだなんておっしゃらないで」。 賈母は笑って「やっと少し良くなったのに、何をしに来たんだい?」 鳳姐も笑って「構うもんですか。今日はご隠居様のおそばでたっぷり楽しませていただきますわ」。

 賈母はたくさんの人が集まったのでとても喜び、惜春の部屋に入りました。惜春は賈母、薛未亡人、李未亡人、邢・王二夫人に黄緑色の花の散らし模様の入った覆いを掛けた椅子に腰掛けてもらいます。鳳姐は急ぎ小さい蓋つきの磁器の茶碗で茶を賜り、「ご隠居様、お茶を飲まれてからしばらくしたら、龍船を見に参りませんか?」と言うと、惜春は窓を開けて、「外に出なくても、ここからはっきりと見えますわ」。

 そこで賈母は窓の外をしばらく眺め、「四ちゃんのところは景色が良くて、よそとは比べものにならないね。蓮の花がきれいに咲いて絵の中に入り込んだかのようだよ」。 鳳姐は「ご隠居様がお気に入りでしたら、園にお越しになって何日かお住まいになられたらいかがです? 四妹妹も喜びますわよ」。 惜春は「ご隠居様がお望みでしたら、願ってもないことですわ!」 賈母は「私みたいな老いぼれが来たら叱られてしまうよ。私はちゃんと空気を読めるからね」と言ったので、一同は笑い出しました。

【補注】虎符
中国では疫病や害虫の発生しやすい五月は悪月とされ、邪気を払うために綾羅のきれで作った小虎の形をした虎符を身につけました。

 惜春がこれに答えようとすると、賈赦、賈政、賈珍、賈璉、賈蓉が揃ってやって来て、一人一人が腕に虎府(こふ)をつけており、賈母にあいさつをします。

 賈環と賈蘭は龍船を見ると、さっそく船上に駆け上がり、櫂を手にとって漕ごうとします。慌てて李紈が岸の上から叫び、「あんたたちは岸辺を漕ぎなさい。池の真ん中に行ってはいけませんよ。水に落ちないようにね」。

 小者たちも船を漕ぎたくてうずうずしていましたが、賈璉が来て怒鳴りつけます。「ご隠居様と大殿様がまだ乗船されていないんだぞ。さっさと岸に戻りなさい。さもないと大殿様にお叱りいただくからな!」 賈蘭は慌てて櫂を放り投げ、賈環もがっくりと項垂れます。

 実は賈政と賈赦は、賈珍と賈璉たちを引き連れて後方にある修復した家廟を見に来たのでした。二人が戻ると、渡り廊下に机を並べ、男共はここで酒を飲みながら拳を打ち始めました。薛未亡人、李未亡人はそのまま蓼風軒の室内にいました。表では同色の琺瑯(ほうろう)の食器、中では定窯(ていよう/河北省にある名窯)の碗や皿が並びました。

 賈母は室内で薛未亡人、李未亡人と共にしばらく過ごしてから、邢、王夫人を伴って、孫や子たちと酒を飲みに出てきました。

 賈赦はニエロの西洋の彫刻が施されたポットを取り出し、賈政は杯を取って賈母に酒を注ぎます。賈母は喜んで、「こんなにみんなで楽しく過ごすのは久しぶりだね。今日は薛の奥方、李の奥方にも来てもらったけど、人が多いとやっぱり賑やかだね。みんなと菖蒲酒と雄黄酒(ゆうおうしゅ/硫黄を混ぜた酒)を飲もうと思って出て来たよ。この菖蒲酒と雄黄酒は厄除けになるから、あんたたちもたんと飲むといいよ。みんなで賑やかに酒令をして、子供たちをあまり縛りつけないようになさい」。 賈赦と賈政ははいと答えて、「ご隠居様は薛の奥方様、李の奥方様をお相手に存分にお飲みになってください。私どもは勝手に楽しくやらせていただきますから」。 賈母は笑って、「分かったよ。じゃあ私は中でやらせてもらうよ。あとでみんなで龍船に乗りに行こうじゃないか」と言って、邢、王夫人と共に蓼風軒に戻りました。

 しばらくすると、表の廊下では大声を上げて拳を打ち始めますが、なんせ誰もが龍船に乗りに行きたいので、少しばかり酒食をすると、蓼風軒の中の者も表の者もみんな気もそぞろになっていました。

 一同は賈母が茶を飲み終わると、さっそく賈母に龍船に乗ってもらうように促します。賈母は「あんたたちが先に乗りなさい。私と薛の奥方、李の奥方はもう一艘の船に乗るから」と言います。薛未亡人、李未亡人、邢夫人は賈母に付き添い、賈母は鳳姐に扶けられて乗船します。鳳姐は「ご隠居様、ごゆっくり。この船板は滑りますから」と声をかけ、賈母は一歩一歩と龍船に乗り込み、人を遣って宝玉を呼びました。

 その時、賈政は宝玉を傍らに置いて、賈環と賈蘭に質問をしているところでした。賈政が「楚の国が侵攻され、屈大夫(屈原)は汨羅江(べきらこう)に身を投げ、楚はついに滅亡した。今、お前たちが龍船を浮かべ、粽を食べ、小虎、桜桃、桑の実といったものを腕につけるのはなぜだか知っているか?」と聞くと、賈環は答えられずに顔を真っ赤にします。賈蘭は「正に屈大夫をお助けするためです。伝わるところでは、屈大夫は五月五日に汨羅江に身投げし、当地の人々は粽や食べ物を江内に投げ込んで、屈大夫が悪魚に食べられないようにしたといいます。それが代々踏襲されて端午の節句になりました。今、龍船を浮かべ、粽を食べ、小虎、桜桃といった身につけるものを作るのは、全て屈大夫が楚国を救うために亡くなったことを記憶しておくためです」。 賈政は頷いて、「その後、賈生(賈誼/かぎ)が『悼屈原賦(屈原を悼む賦)』を書いて屈大夫を哀悼したんだ。私は賦を作るのは嫌いだが、あれは実に華やかで美しい。お前たち三人も一首ずつ詩を書いて、哀悼の意を示してみなさい」。

 しかし、賈環と賈蘭の心はもう龍船に行っており、どこに詩など作る気持ちが残っていましょう。賈赦ももう待ち切れず、「龍船を出すぞ。銅鑼を打ち鳴らせ。子どもたちの興をそぐんじゃない。その詩は明日作ればいいだろう! すぐに次の龍船を出すんだからな」。 賈政は銅鑼の音が絶え間なく鳴るのを聞いて、それまでとし、賈環たちに龍船に乗るように言いました。

 二人は龍船に飛び乗って急ぎ櫂を取り、小者たちとともに漕ぎ出しました。

 宝玉は船上の賈母の所へ行き、水面に向かって嘆息し、「哀しいかな屈子(=屈原)、奇なるかな屈子、壮なるかな屈子!」と言うと、鳳姐は「何をぶつぶつ言っているの? ご隠居様にちゃんと付いていなさい!」と言って賈母の方を振り向き、「小船が競争を始めましたわ。ご隠居様、よくご覧になって」。

 なにせ賈母はもう高齢で、元春妃が病気になってからというもの、日夜気を揉み、既に支えられなくなっていました。今、無理をして龍船に乗りに来たのも、元はといえば鳳姐の話を聞いてみんなを楽しませたいと思ったからでした。いささか菖蒲酒と雄黄酒を飲み過ぎたうえに、龍船に乗って風に吹かれると、幾分不調を覚えましたが、なおも無理をして欄干にもたれて眺望します。

 賈母が両岸を見ると、龍船の上には人がいっぱいで、銅鑼の音や陽気に騒ぐ声が絶えません。つい楽しくなってハハハと大笑いすると、思わず後ろ向きにひっくり返り、椅子にもたれて起き上がれなくなり、口中に泡を吐きました。びっくりした王夫人、薛未亡人、鳳姐、尤氏、宝釵たちは一斉に悲鳴を上げます。

 賈赦、賈政たちは小者たちが龍船で追いつ追われつの競争をするのを見ていましたが、突然賈母の船上で大声が上がるのを聞き、何事かがあったことを知ってすぐに止めさせ、人に命じて船を漕がせました。賈母の船に乗ると、賈母はすでに昏睡し、人事不省の状態でした。鳳姐は椅子を持って来させ、賈母を乗せて部屋へ戻り、一方ですぐに王太医を呼ぶように命じます。

 しばらくして王太医が駆けつけ、脈を診て一剤の処方箋を書き、「もしご隠居様がこの薬を飲んで蘇生なされたら一縷の望みがあります。なおも意識が戻らない時は、どうか別の方にお頼みください」。

 果たして、薬を飲むと賈母は夜半に目を覚ましました。賈赦、賈政、宝玉たちはみな傍らで服侍しています。賈母は話がしたいようでしたが、気力を費やしてしまい、うまくしゃべれません。そこで目線を箱に送り、続いて鴛鴦を見ました。

 鴛鴦は心中とても悲しく、啜り泣きながら、「ご隠居様はどなたかに差し上げたいものがあるのですか?」と尋ねると、賈母はかすかに頷きます。鴛鴦はそうと知ると、箱を一つ指さして、「この箱はどなたに差し上げるのです?」と尋ねます。賈母は白眼を向いて賈赦を見ます。賈赦は急いでひざまずき、泣きながら叩頭しました。鴛鴦はまた別の箱を指さして「こちらの箱は?」と尋ねると、賈母は賈政に目を向けます。賈政は急ぎひざまずいて泣きながら、「ご隠居様にお育ていただいた恩がありながら、いまだ半ばも孝行を尽くしておりませんのに、どうしてご隠居様の恩賜を受けられましょう!」と言うと、賈母も目に涙を浮かべます。鳳姐は急ぎハンカチで賈母の涙を拭きます。鴛鴦はまた別の一箱を指さし、「この箱はどなたに?」と尋ねると、賈母は宝玉を眺めます。宝玉は賈母のベッドの前に行って賈母を抱き、泣いて話も出来ません。賈母は涙をポロポロ流し、宝玉の顔の上にも垂れました。

 鴛鴦は涙を拭きながら別の箱を指さし、「この箱は?」と尋ねると、賈母は鳳姐と李紈を見ました。鴛鴦が「二人で分けるのですか?」と尋ねると、賈母は目を閉じて頷きます。鴛鴦はさらに尋ねようとしますが、賈母は再び昏睡し、一同は慌てて呼びかけます。賈母ははっきりしない声で「公」「倹」の二文字を言うと、再び目覚めることはありませんでした。

 たちまち、天地を揺るがすような大きな泣き声が響き渡りました。賈母の後事(葬儀)については既に準備ができていたので、欽天監(天文台)の陰陽司に頼んで日柄を見立ててもらい、日を選んで入棺し、三日後に喪を発して訃報を配布することになりました。

 賈赦と賈政は賈珍、賈璉たちを呼んで相談します。「ご隠居様は御臨終の際に『公』『倹』の二文字をおっしゃられた。何を指しているのかは分からないが、子孫の我々がご希望に沿うことができないと、ご隠居様の霊も嘆かれることであろう。我々は不孝の子孫になってはならない」。 賈珍は「大殿様のおっしゃることはごもっともです。ご隠居様のおっしゃった『公』は、財産をみな公所にお返しするようにとのことでしょうか?」 賈赦は「あの『倹』は?」 賈璉たちは口を揃えて、「ご隠居様は葬儀が派手になるのを嫌って『倹』とおっしゃったのでしょう。葬儀は倹約を旨とし、豪奢や浪費を諫められたのでしょう」。 賈政は頷いて、「そういうことであれば謹んで命に従い、ご隠居様のご希望どおりに進めよう。今この屋敷では入ってくるものは少なく、出て行くものは多い。葬儀を贅沢に行えば、ご隠居様はお叱りになられるということだろう」。 一同は揃って「はい」と言いました。

 賈赦は「ここにあるご隠居様の財産については、葬儀が終わってから、誰かにくださるとおっしゃられたものはいただこう。残りの箱には封をして、全て冊子にして登記して、公所にお返ししよう」。 一同は揃って「結構です」と答えます。それからそれぞれが霊を慰めに行き、葬儀に取りかかりました。倹約するとは言え、九九八十一人の坊主を呼び、大庁で大悲懺(だいひざん)を唱え、有縁無縁の魂を成仏させました。三七二十一日後に施餓鬼を行い、水懺を唱え、水陸大法会を催しました。賈家一族はみな喪服を着用し、心から弔いをしました。

 いっぽう、賈母が亡くなると、鴛鴦は食事をする気にもなれず、日々泣いていました。賈赦はそんな彼女を見てせせら笑っていました。鳳姐はこれを目にとめ、あまり思い詰めないように平児に諭させました。

 鴛鴦は賈母の部屋でずっと呆然としていましたが、夜が更けて弔いの客がいなくなると、ようやく賈母の霊前に行って哀哭しました。珍珠、琥珀、翡翠たちもこれに続き、みな両目を泣き腫らしました。

 ある日、平児が鴛鴦に会いに来て、他の人が誰も部屋にいないのを見て尋ねます。「あんたはこれからどうするつもりなの? 私の見るところ、大殿様(賈赦)は狡猾なお方だから安心はできないわよ。まだあんたのことを諦めていなかったらどうするの?」 鴛鴦は冷笑して、「母親がお亡くなりになられた以上、あの方は三年の喪に服さねばならず、ここ数年は公然と妾を娶ったりはできないでしょう。その後のことは誰にも分からないけど、私は腹を決めたの。もう好きなようにさせていただくわ」。 平児は手を叩いて、「あんたがそのつもりなら私も安心だわ。実はあなたが変な気を起こすんじゃないかと心配だったのよ。実のところ、あの大殿様がどれほどの人だっていうのよ! 娘娘が天に召され、お屋敷の権勢も日一日となくなっているわ。あんたはご隠居様の葬儀には立ち会わなかったけど、あちらのお屋敷の蓉の奥様(秦可卿)の時と比べたら雲泥の差だったわ。三年も経ったらもうあんたに構うどころじゃなくなっているかもしれないわよ」。 鴛鴦は頷いて、「そのとおりよ。この数年はご隠居様に代わって部屋を見ますけど、三年の喪が明けたら、私は自分の道を行くわ。大殿様になんか何もさせるもんですか!」 平児は「分かったわ。時間があったら私たちのところにいらっしゃい。奥様(熙鳳)もあなたのことを気に掛けているのよ。一人でいると塞ぎ込んで病気になっちゃうから一人でいないほうがいいわ」。 鴛鴦は頷き、平児は出て行きました。続きはどうなるでしょうか、次回をお聞きください。