意訳「曹周本」


第110回
   老いし学究は途究まりて金陵に返り、痴なる公子は情深くして姑蘇へ去ぬ
 さて、王夫人の病状は日に日に重くなり、宝玉、宝釵、李紈、賈蘭、惜春らは皆、横町に移り住んで、毎日そばで看護しました。王夫人は心中とても慰められましたが、病状はすでに重篤でした。また、病状が回復するとみんなが離れ、団らんできる日々がなくなってしまうかもしれないと思うと、悲しくなるのでした。宝玉、宝釵、賈蘭親子を見てはぼんやりしていましたが、彼らがいなくなると思うと急に悲しくなり、喘ぎながら、「どうか私を捨てないでおくれ!」と叫ぶのでした。宝玉、宝釵、李紈はこれを聞くと、皆うなだれて涙を落とします。一家は数間のボロ部屋にひしめき合って十数日間を過ごしました。

【補注】終軍、纓(えい)を請う
漢の武帝の時代、南越に入朝を勧めさせようと終軍(しゅうぐん)という者を遣わした時、終軍は「纓(長紐)をいただければ南越王を縛り上げて都へ連れてきます」と言ったという故事。

 賈蘭は常に跪いて賈政の教えを聞いていました。そして、「お爺様の仰ること、私は全て覚えております。終軍は纓(えい)を請い、周瑜は曹操を破り、いずれも若くして歴史に名を残し、永久(とこしえ)に名声を留めました。私、賈蘭は今年で十七才になりました。お爺様の話を肝に銘じ、賈家を再興し、再び家門を輝かせて御覧に入れます!」と言うと、賈政は涙を落として、「実に愛すべき聡明な子だ! 母親についてよく勉強しなさい。来年の郷試では二の叔父上(宝玉)、三の叔父上(賈環)とともに受験し、挙人に及第し、いずれ殿試に進んで進士になってくれれば私も嬉しいし、死んでも悔いはないというものだ」。 賈蘭はすぐに跪き、叩頭して「はい」と答えました。

 李紈は、賈政が賈蘭を誉めるのを見て心から嬉しく、これまでの苦楽が胸に去来し、かたわらで涙するのでした。

 賈政は、賈蘭がこのところ成長著しいのを見て、暮らしは貧しくとも、鋭気に満ちたひとかどの人物が育っていると感じていました。賈門の将来も捨てたものではないぞ、と思い、賈蘭に書物を講釈して聞かせ、賈蘭はこれを真剣に聞いて心に刻みました。

 一家は横町に集結して王夫人の看護をしました。心を尽くして世話をしますが、いかんせん王夫人の病状は日一日と悪くなり、二十日ほどで亡くなってしまいました。

 一同は泣き暮れ、賈政は火事の後に拾い出した銀子で棺を買い、十四人の坊さんを招いて十数日間お経をあげました。

 王夫人の葬儀ののち、一同はみな立ち去って行きました。玉釧児の母が玉釧児を迎えに来て、彼女は実家に戻りました。賈政は生計を立て直すことができず、人が少なくなれば食い扶持も少なくなります。仕事のない者はみな解雇し、身辺には小者一人だけを留め起きました。家での針仕事は趙氏と彩雲がやらないといけなくなりました。

 趙氏は賈政が貧困に窮しているのを見ると、賈政の世話などしようとせず、平素貯め込んでいたへそくりを取り出してきて、母子二人でこっそりと美味いものを買って食べました。

 賈政は粗食の日々でしたが、あまり意に介しませんでした。ただし、家では支出はあっても収入はなく、鳳姐はいまだ獄中にいるものの、運動に使う余分な銀子もなく、心中とても辛いものがありました。再び北静王のところから銀子を借りようとも思いましたが、なにせ北静王の援助額は既に多大で、再度無心するのも憚られました。うつむいて考えてを巡らせていると、突然、誰かに激しい声で叱責されました。賈政がハッとして頭を上げて見ると、駕籠の中から一人の王府の役人が出てきました。賈政はとっさに見分けがつかず、よくよく見ると、それは頼大の子の頼尚栄でした。賈政はしばらく茫然として、その場に立ちすくみました。

 王府の者は激しい剣幕で罵り、叱りつけました。「この老いぼれめ、お前の目は節穴か? 我々王府の儀礼の道を塞ぎおって!」 賈政が左を見ると、なんと忠順親王の門前に立っていたのでした。

 頼尚栄は駕籠を下り、ぷんぷんしながら賈政の方にやってきました。眼前まで来て、ようやく賈政だと分かると、恥ずかしさに顔を真っ赤にし、急ぎ頭を下げて通り過ぎ、王府の小役人を叱りつけました。「府に入るぞ! 親王様方が我々の報告をお待ちなのだからな! こんな爺さんのために大事を誤るんじゃないぞ!」と言って、賈政と話しもせず、わき目もふらずに王府に入っていきました。

 賈政は茫然としたまま、彼が立ち去るのを見ていましたが、しばし万感の思いが胸に募り、ただ下ひげをしごいて何も言えずにいました。

 王府の門前の華冠麗服をまとった人々は、彼が茫然として立ちすくんでいるのを見ると、近づいていって厳しい声で叱責しました。「この老いぼれめ! ここで何をしているんだ? 何か盗みに来たんじゃないのか? 全くうっとうしいんだよ!」

 賈政が袖で涙を拭って離れようとすると、ふいに背後から、彼を叱っていた門番たちを呼ぶ声がしました。門番たちは急ぎ身を返し、愛想笑いをして、「これは卜、詹のお二人でしたか。親王様からお二人と話をしたいとの申しつけがありまして。どうぞどうぞ!」と言いながら二人を中に通しました。賈政が思わずその二人を見ると、なんと卜、詹の二人とは、昔賈家の食客だった卜固休と詹光でした。あまりの驚きに、しばらく開いた口が塞がりませんでした。

 その詹光は、賈政の姿を認め、王府の大門を入ってから彼を見やり、賈政だと分かると微笑し、悠然と大手を振って歩いていきました。賈政は傍らに立ったまま、棒で殴られたような気持ちになり、呆然として王府を立ち去りました。だいぶ歩いて、ようやく横町の家に戻ってきました。

 門を入ると、ふと肉の臭いが漂ってきました。趙氏が賈環を叱りつけている声がし、「さっさと食べておしまい。そのうちあの人が帰ってきて、私たちが留守中に肉を食っているのを見られたらどうするんだい!」 賈環は冷笑して「見られたところで食べさせてやるものか。いい気味だ! 金も権勢もあった時は、奥方様ともども宝玉一人を可愛がっていたじゃないか。今になってどうして宝玉に面倒を見てもらおうとしないんだ?」 趙氏は、「もうそんな話はおやめ。あの人に聞かれたら大変なことになるよ!」 賈環は「放っておきなよ。まだ威張り散らしてるんだからさ! どうせ金を稼ぐ術もなく、私たちに頼って暮らしていくんだからさ」。

 賈政は屋外ではっきりとこれを聞き取り、あわや昏倒するところでした。やっとのことで椅子にもたれ、部屋には入らず、ふらふらと出て行って闇雲に街を歩き回りました。

 どのぐらいさまよったものか、ふと背後で人が呼ぶのを聞き、茫然として身を返し、それが宝玉だと分かると、思わず体がぶるぶると震えました。宝玉は急ぎ賈政を扶けて尋ねます。「父上、いったいどうされたのです? 数日会わなかっただけでどうしてこんなになってしまわれたのです? ここは私の住まいの近くですから、来て休んでください」と、賈政を扶けて家の中に入りました。

 賈政は宝玉を引き寄せ、涙を浮かべます。宝玉は、「何があったのか私にお話しください。私が父上と悩みを分かち合います」。 賈政はかぶりを振ってぶるぶると震え、「賈門の不幸、この禍いはひとえに私の不徳によるものだ。(妾腹の)あ奴にこんな仕打ちを受けるとは! 私は明日にでも南京に戻ることにする」。 宝玉は賈環のせいだと分かりましたが、深掘りするわけにもいかず、「父上はどうして私と一緒にお住いにならないのです? 私も父上のお世話をしとうございます。一人で横町におられることは心配でなりません」。 賈政はかぶりをふって答えます。「ならば数日間はお前のところに厄介になろう。私は南方に帰る。考えはもう決まった。当面のことが落ち着いたら、時を見計らって帰ることにする。お前たちも気にしなくていい。よく勉強し、功名を揚げることが大切だからな」。

 薛未亡人と薛蝌は、賈政が来たと聞いて会いにきました。薛蝌は宴席を用意し、以前のように山海の珍味が揃うわけではありませんが、鶏・アヒル・魚・豚肉は十分に揃えました。薛蝌は、賈政に熱燗を注いで、「伯父上はどうして私どものところにずっといていただけないのです? 水くさいではありませんが」。 薛未亡人も引き留めたので、賈政はしばらく厄介になることにしました。

 宝釵は賈政がかなり痩せたのを見て、飲食が行き届いていないことを知りました。毎日鶏やアヒルを用意して賈政に食べさせました。賈政は薛未亡人一家が寛大で、宝玉、宝釵が恭しく孝行してくれるのに感激しますが、息子の嫁の家で暮らすのもさすがに心苦しく、半月後には立ち去るつもりでした。

 宝玉、宝釵は口を酸っぱくして諫め、「子と嫁が不孝者と罵られます。父上も私たちを置いて遠くに行かれるべきではありません」。 賈政は、「お前たちの気持ちはよく分かる。だが、南方は我々の祖地であり、私はどうしても戻りたいのだ。宝玉が孝行を尽くしたいと言うのであれば、来年の挙試に及第し、殿試で進士になってくれれば、賈門を再び輝かすことができるであろう。それでこそ、孝行の至りというものだ。宝玉ももう弱冠の年(二十歳)だ。努力をせずしてこの先どうするつもりだ?」 宝玉は急ぎ跪いて、「父上のお言葉、肝に銘じておきます。しかし、官界は醜悪で、悪人が力を握り、横行しております。よくお考えください。父上は一生清廉謹直にして、苦労を重ねてお仕えしたにも関わらず、どうしてこのように落ちぶれたのでしょうか! 私は努力しないと申すのではなく、同じ轍を踏み、あのような檻に入り、自ら墓穴を掘ることを望んでいないのです。どうか私の真心を御理解ください。私には父上に御慈愛いただいた大恩があるのでございます」と言って、涙を雨のように流しました。

 賈政は嘆息して、「読書人(科挙合格をめざして勉強を続ける人)が長年苦労して勉学に励むのは何とためだと思っているのだ? お前は私の教えを聞こうともしないで、まだ孝行などと申すのか! 今やお前と環児は成人になった。父親として子を教育し、立身出世して名を揚げ、祖徳を輝かせることができなければ、私の不徳のいたすところだ。再び京師に来る顔はないし、お前たち一人一人が落ちぶれるのを見るしかない。私がどんなに恥じたところでどうしようもないんだ。よくよく考えなさい!」と言い終えて立ち上がりました。

 宝玉は賈政が既に考えを決め、挽回は無理であることが分かったので、「既に父上が南方に帰ることをお決めになったのであれば、私も敢えて引き留めはいたしません。ただ、父上はもうお年ですから、一人で遠方に行かれるのは、子として非常に心配です。私に父上を送っていかせてください!」 賈政ももう何も言いませんでした。

 宝玉がこう言ったのは、一つには賈政のことを放っておけないためでしたが、もう一つには、紫鵑が去って行く時に、年が改まったら黛玉を祀りに行くと告げていたからでした。昨年は家産没収のうえ獄に入り、いまだ果たせずにいました。賈政を送り届けなくても行くつもりでしたので、この機に同行することとしました。そこで、宝釵に言って酒と料理を用意してもらい、薛未亡人たちも賈政のために宴をはりました。

 李紈はこのことを聞き、賈蘭を連れてやってきました。邢夫人、平児もみなやってきました。

 惜春は既に考えを決めており、この日から旅支度を調えると、邢夫人に告げました。 「大殿様が南方に帰るのでしたら、私も従って参ります。奥方様に別れを告げに伺いました」。 邢夫人はびっくりして、「あんたも南方に行くのかい? どうして最初に言わなかったんだい?」 惜春は、「私の気持ちは早くから決まっていました。ただ、同行いただける方がおりませんでした。大殿様がお戻りになるのであれば、私も道中頼ることができます。宝玉のお兄様も同行されるのですから奥方様には御安心ください」。 邢夫人はこう考えます。惜春は賈珍の妹だ。尤氏一家が既に南方に帰り、この子が帰りたがるのも道理だろう。そこで、引き留めはせずに、「そういうことなら、ちゃんと片付けて行きなさいよ。私は興児に付いて行かせるからね」。

 賈璉は、賈政が南方に帰ると聞き、この機に帰ってみて、あちらにまだ蓄えがあれば、銀子にして持ってこようと考えました。平児との相談もまとまり、賈政と惜春を送って戻ってくるとだけ伝えました。

 薛蝌は、すぐさま人を遣って船を雇い、手配を整えました。その日、李紈は賈蘭を連れ、平児は巧姐を連れ、薛未亡人、宝釵、宝琴、薛蝌、岫烟たちはみな川辺に見送りに来ました。それぞれは黙ったまま言葉もありませんでしたが、賈政たちが乗船すると、ようやく名残惜しげに別れを告げ、涙が止まりませんでした。

 そこへ趙氏と賈環も駆けつけました。賈政は少しだけ船を下り、賈環に京師で趙氏についてよく勉強するよう申し付けました。そして、乗船しようとすると、趙氏は賈政を掴んで喚き散らしました。「私たちを捨てて、よく平気なもんだね!」 賈政は相手にせず、手を振り切って乗船しました。

 人々も趙氏ら母子を可哀想に思い、「娘娘も付いて行っては?」と口々に言いますが、趙氏はぶつぶつと、「付いていって飢え死にしろって? ここにいれば趙家にはまだ世話してくれる人がいるんだよ」と答えるので、一同はもう何も言いませんでした。船はたちまち見えなくなり、それぞれは涙を拭いて立ち去りました。

 宝玉は出発する数日前に宝釵に言いました。「今、我々の家は以前とは比べものにならない。あんたはやはり、秋紋、襲人たちを解雇しておくれ。薛の母上のところだって日一日と難しくなっている。邢大妹妹だって自ら家事をしている。私が南方から帰ってきて、何か光が見えたとしても、彼女たちを再び巻き添えにはしたくないんだ。我々がここに長く住むのも良策ではないだろう」。 宝釵は頷いて承知しました。

 ちょうどその日、花自芳が自ら襲人を迎えにやってきました。縁談が既に決まり、相手は京畿に住むとても富貴な家で、婿殿も器量が良く性格も温和だと言います。とにかくどうあれ、襲人を連れて帰りたいとのことでした。

 実は、花自芳の家は日に日に豊かになっており、賈府が家産没収になった時にも自ら襲人を迎えに来ました。しかし、宝玉は獄中にあり、襲人は死んでも離れようとはしませんでした。宝釵は、襲人が他の侍女とは違うことを知っているので、無理強いするわけにもいきませんでした。その後、宝玉が出獄し、花自芳は再び二度、迎えに来ましたが、襲人はなおも行かない考えでした、宝玉は彼女の気持ちを知り、襲人を慰めて言いました。「あんたの家は今や日々豊かになり、ここで苦労している必要はない。私のために、お前たちがみな辛い思いをすることはないんだよ」。 襲人はただ涙を流し、言葉がありませんでした。そして、花自芳が今また迎えに来て、とても良い人との縁談が決まったと言われても、襲人は行きたくありませんでした。

 宝玉は、出発する前の晩に侍女の部屋を訪ねました。他の者はおらず、襲人が一人部屋で涙をしているのを見ると、その手を取って言いました。「近頃、あんたはますます痩せたね。どうしてわざわざここに残って、こんな苦労をしているんだい? あんたの気持ちは分かるよ、私のためなんだろう? でも、私はもう家産もなく、あんたを巻き添えにはできないし、あんたを娶ることもできない。あんたの人となりを考えれば、私は絶対あんたを娶るわけにはいかないし、娶っても養ってあげられない。あんたが花家に戻り、立派な人に嫁いでくれたら、私の心配事はなくなるんだよ。私はあんたが楽しく暮らしてくれれば、それだけで嬉しいんだから」。 襲人は涙を流して、「あなたが決して忘恩負義の輩でないことは分かっています。でも、私はずっと二の若様に仕えてきましたし、最後まで尽くしたいのです。あなたが困窮しているから私が出て行くのだと思われては、私には立つ瀬もありません」 宝玉は嘆息して、「なるほど、そういうことか。ならば、どうか私を気の毒だと思ってくれないか。本当に私のことを思ってくれるのなら、私が父上を送り届けてくるうちにあんたが実家に戻ってくれれば、私が帰ってきてから、あんたと辛い別れをしなくて済む。あんたが出て行ってくれれば、秋紋たちも行ってくれるだろう。一つには、あの子たちにもう窮屈な思いをさせなくて済むし、二つには食い扶持が減って私も心配が省けるってわけだよ」。 襲人は激しく泣き出して、「私はあなたと別れたくないんです。天地神明に誓って。私、襲人の真心を御覧いただきたい。二の若様がそう仰る以上、私はその命に従って出て行きましょう。でも、私は出て行ってもあなたのことを思っています。どうか、私たちが一緒に過ごした日々を忘れないでください!」といって指輪を一つ取り出しました。「これは 絳紋石(石榴石=ガーネット)の指輪で、いつぞや史のお嬢様にいただいたものです。記念の品としてお預かりください!」 宝玉は急いで受け取りました。二人はまたしばらく泣き、しばらく小声で話をし、人が来たのを見て宝玉は立ち去りました。

 宝玉が南方に旅立った後、花自芳が再び迎えに来ると、襲人ももう固辞せず、あの桃紅色の紗の地に百もの斑紋を金糸で浮かせた銀鼠の毛皮の裏付きの長上衣、浅黄色の木綿地に金や五彩の刺繍をほどこしたスカート、灰鼠の毛皮を裏打ちした黒緞子の掛(はおり)といったものを全て宝釵に渡してから、宝釵に別れを告げました。宝釵はこれを抱きしめて、しばらく嗚咽してから、「姐姐には帰ってからも体には気をつけてね。我が家がこんなふうになってしまった以上、あなたを引き留めるわけにもいかないわ。姐姐が意に叶う旦那様を得て、栄華富貴を味わい、一生楽しく暮らしてくれるなら、私も嬉しいし、姉妹で仲良くやってきたのも無駄ではなかったというだわ」と言って、涙をポタポタと落とします。襲人も泣きながら、「奥様、ご安心を。私は生涯、若様と奥様のことを忘れません。もし奥様のお話のとおり事が運べば、必ずや若様と奥様の御厚情の賜物ですわ。私が出て行けば、秋紋、鶯児たちもきっと出て行くでしょう。奥様にはどうかお体大切にお過ごし下さい」。

 宝釵は頷いて答えながら、襲人が荷物を点検するのを手伝いました。すると、見栄えのよい服を二着残してあるので、風呂敷に入れようとします。襲人は跪いて、「奥様、どうぞ襲人にこのくらいはさせてください! 余計なことを申し上げるようですが、今こちらは困窮されており、このスカートはもともと璉の二の奥様(鳳姐)よりいただいたもの、これらに残しておけば何かの役に立つかもしれません。襲人が参ってからのこの数年、ご隠居様、奥方様、二の若様、奥様には栄華富貴を存分に味わわせていただきました。今、出て行くに当たり、心中決して穏やかではないのです。これらを置いていくのは襲人のわずかばかりの孝行心と思し召しください」。 宝釵はついに言葉がありませんでした。

 襲人は、また姉妹たちに別れを告げました。一同はみな涙を浮かべ、心を広く持つように話しました。襲人が立ち去った後、鶯児、秋紋らも続いて去り、宝釵の身辺には麝月一人だけが残りました。


 さて、賈政一行が金陵に着くと、賈蓉が川辺に迎えに来ていました。賈政たちは石頭城に入り、旧宅の門前に至り、歩いてまわりました。見れば、大門前は車馬の跡も絶え、落ちぶれて人影もなく、壁越しに覗くと、中の庁殿楼閣は崩壊して殺伐とした有様です。後方の花園一帯は既に体を成さず、雑草が茂り、山石は崩落し、感に堪えません。往事の曹棟亭(曹寅)先生の『西園種柳術感』の詩に曰く、『在昔の傷心樹(=柳の木)(在昔傷心樹)、来たる年を重ねて人少なし(重来年少人)。寒庁に誰ぞ馬に秣(まぐさか)い(寒庁誰秣馬)、古井には自ら塵生え(古井自生塵)。商略の旧日さえ楽しく(商略旧日才楽)、微茫たる客歳(=去年)の春(微茫客歳春)。艱難も曽ては問うに足らん(艱難曽足問)、先後に巾を霑らす(先后一沾巾)』。 正にこの悲痛で言い難き情をありありと詠んだものです。しばしの間、涙がこぼれ、感慨無量でした。

 傍らの宝玉は、「父上、まだ御覧になりますか? 思えば、私どもの家は輝かしい勲功を誇っていましたが、今はかくも荒廃し、私たちは『等しく是れ、家有れども帰ること未だ得ず(等是有家帰未得)』というもので、感傷の情には堪えませんが、道理を悟らせてくれます」。 賈政は涙を拭いて、「お前はどんな道理を悟ったと言うのだ?」と尋ねると、宝玉は、「『寧ろ田舎郎と為るも万戸候には作(な)さず。皇霊は天禄を荷(にな)い、貞士(貞節の士)は山丘に満つ(寧為田舍郎、不作万戸侯。皇霊荷天禄、貞士満山丘)』です」。 賈政はかぶりを振って、「天恩は限りないものだ。これも我々が不甲斐なかったために他ならない。でないと、この地にさえ辿り着けなかっただろうからな!」と言うと、人々を引き連れて町を出ました。

 廬龍山の西五里に連なる幕府山に至り、祖先の墓を祀る家廟を見に行きました。尤氏は息子の嫁の胡氏を連れ、既に門前で待っていました。賈政たちが家廟に入って見ると、あちこちが崩れ落ち、壁のモルタルも剥がれています。尤氏がこちらに来てから、崩壊した場所を土塀で補修し、茅を被せてあり、湿っぽいものの、ないよりはましという状況です。

 尤氏は、賈政が帰ってくると聞くと、喜びも悲しみもし、胡氏とともに東の二つの正房を明け、きれいに片付けました。賈璉、宝玉、惜春も一緒に来たのを見て、涙を抑えられませんでした。賈政は、尤氏があまりに質素な服装で、髪には造花を一本だけ挿しているのを見ると、忍び難いものがありました。尤氏を慰めながら、「あんたが蓉児を連れて来てくれたお陰で、ここで頑張っていける。珍さんが一、二年で戻って来れば、また何とかなるだろう」。 尤氏は涙を拭きながら、胡氏とともに賈政を東の部屋へと案内しました。

 近隣に住む子供達は、賈家の屋敷に多くの人が来たのを見ると、走ってきて取り囲みました。賈政が彼らを見ると、顔は青白く痩せこけ、髪は乱れ、裸足でしたので、彼らの頭を撫でて尋ねました。「年はいくつだね? 今はどんな本を読んでいるんだね?」 子供達は顔を見合わせて笑い、「私たちは本を読みたくても読めません。一つにはお金がないし、二つには先生がいません」。 賈政は嘆息して、「私が帰ってきた以上、分からないところがあれば私に聞けばよい。これからは私がお前たちの先生になろう」。 子どもたちは笑いながら首を振りました。

 宝玉たちは金陵に戻り、祖墓の旧宅に数日滞在し、賈政がすっかり落ち着いた様子で、金陵の祖墓にはまだ数十畝(ムー:1畝は1ヘクタールの15分の1)の土地があり、なんとか一家の生計を維持していけることを確認しました。そこで、別れを告げ、蘇州に黛玉の墓参に行くことにしました。惜春も同行を希望しますが、賈政は安心できず、賈璉に一緒に行くように申し付けました。

 三人は支度を調え、道中は焙茗一人だけを伴にしました。賈蓉がなんとか船を一艘借り、宝玉たち一行が乗船して蘇州へ行き、賈璉の案内で、安勝橋の花神廟そばの林如海の家廟へと向かいました。宝玉たちは既に泣きじゃくっていました。思えば、去年のうちに妹妹に会いに来るはずだったものが、家門の不幸で災いに遭い、自分も牢獄に捕らわれ、約束を果たすことができませんでした。今ようやく会いに来ることができ、天の御霊となった林妹妹もきっと責めはしないだろう。そして、ついに一行は林如海の家廟に到着しました。黛玉の墓は林如海、賈夫人の墓とともにあり、四方には松と柏が林立し、墓上には青草が茂ってそよ風に吹かれ、物寂しさを感じるものでした。

 宝玉は、『楊州巡塩御史・林如海の女子・林黛玉の墓』の文字を見るや、早くも飛びつき、墓碑を抱いて叫びました。「林妹妹、会いに来たよ! 見えるだろう! 分かるだろう!」と哭泣します。惜春も墓前に跪いて泣きました。賈璉と焙茗は傍らで紙銭を焼きました。

 林家の墓守が声を聞いて出てきて、紙帛(しはく:葬祭用の紙用具)を焚きながら、家廟に入って休むように勧めました。宝玉は耳を貸さず、墓碑を抱いて離れようとしません。泣きすぎて声はかすれ、目は真っ赤でした。

 実は、雪雁は林公夫妻のところに来ており、黛玉の墓前で焼香した後、川に衣服を洗いに行っていました。戻ると、宝玉が来たと聞き、衣服など構わずに急いで駆けつけました。宝玉が大声で泣き叫び、悲嘆に暮れているのを見ると、急いで引き寄せて、「若様、悲しくてお辛いでしょうが、お体のほうが大事です。どうか中でお休みください!」 宝玉は、雪雁の手を取りますが、喘ぐばかりでしばらく話ができません。雪雁は、涙を拭きながら慰め、ようやく宝玉に家廟に入ってもらいました。また、お湯を運んできて、宝玉と惜春に顔を洗ってもらい、お茶を注いできました。

 宝玉はやっと雪雁に尋ね、「どうしてここに一人でいるんだい? 紫鵑姐姐は元気にしているのかい?」 雪雁は、「若様には申しておりませんでしたが、紫鵑姐さんと私は、こちらに来て毎日お嬢様のお墓を見守っておりました。しかし、こちらで紫鵑姐さんを見初めた名士の方がおり、妻に娶ろうとしましたので、紫鵑姐さんは慌てて出家してしまい、こちらに程近い花神廟で尼になりました。あの方は毎日お嬢様のお墓に来ています。若様がいらっしゃったことは知らないでしょうから、私が呼んでまいりましょう!」 宝玉はこれを聞いて、しきりに感嘆します。

 雪雁が出て行こうとすると、一人の尼僧が入ってきました。着古した木綿の袈裟を身に付けており、宝玉がよくよく見ると、それは正に紫鵑でした。急いで彼女を迎えると、涙がとめどなく溢れ出ます。紫鵑は、「若様はやはり来てくださったんですね。お嬢様の御霊(みたま)もきっと慰められることでしょう」。 宝玉は、「去年来るはずだったのが、あんたも知っていると思うけど、家で不幸があり、やっとここに来ることができたんだ。あちらの廟では元気にやっているのかい?」 紫鵑は、「廟のお師匠様は人生経験の深い方で、私たちに実の姉妹のように接してくださいます。自分たちで野菜や果物を作って食べていますので、悪党に絡まれることもありませんし、ようやく落ちつきどころを得ましたわ」。 宝玉はしばらく茫然とし、嘆息やまず、最後に、「そういうことなら私も安心だ。私たちもいずれ再会する機会もあるかもしれないからね」。 紫鵑はこれを聞くと首を振り、「そんな考えはお捨てください。若様には奥様がいらっしゃいます。宝のお嬢様はどうなります?」 宝玉は嘆息して、「さすがはあんたは行き届いているね。正に林のお嬢さんは知己を得たというものだ。ただ私は、この先どうしていいのか分からないんだ」。 紫鵑は、「今は困窮されているのでしょうが、若様は余計なことを考えず、宝のお嬢様と仲良く暮らしてください」。 宝玉は目に涙を浮かべながら頷きました。続きはどうなるでしょうか、次回をお聞きください。