意訳「曹周本」


第116回
   知音に遇いて濁玉は茅舍に結び 悲吟を発して貧女は破毡(はせん)を被る
 さて、北静王・水溶は、その日、花園を散策していると、柳の木に美人凧が引っかかっているのを見て、急ぎ人に命じて取らせました。

 その凧はとても精巧に作られており、その美人は、紅潮した艶やかな顔に、情を含んだ目、笑っているようで笑っておらず、呼べば答えてくれるかのようでした。北静王は考えます。どこかのお嬢さんが飛ばしたものが落ちたのだろう。見れば、凧の左下隅に篆書の刻印で「賈氏宝玉」の四文字が書かれていました。北静王はびっくりして、こう考えます。彼が作ったものなのだろうか? 宗学で書写や雑事をしていると聞き、実に大器小用(大人物につまらない仕事をさせること)だと思っていたが、どうして凧など作り始めたのだろう? きっと暮らしが行き詰まり、やむにやまれぬことになっているのだろう。そう思うと心が塞ぎ、宝玉のことが偲ばれ、急いで人を遣って町中を探させます。

 十数日ののち、宝玉は郊外の広渠(こうきょ)門内北にある鷲峰(じゅほう)寺に住んでおり、庭園を管理し、凧を作って暮らしていることが分かりました。北静王は宝玉の所在を知ると待ちきれず、さっそく馬に乗って鷲峰寺に宝玉を訪ねました。

 当の宝玉は、宗学を辞めてから、暮らしの目処がつかず、以前、藕官と蕊官を助けた時に知り合ったごろつきたちを頼り、ようやく一家で寺院に越してきて、花園の管理をしていました。暇な時には凧を作り、焙茗に大通りで売ってもらい、薪や米と換えてもらいました。ごろつきたちも時々酒や料理を届けてきて、時間がある時には宝玉に頼んで大樹の下で講談をしてもらいました。

 その日は穏やかな陽気で、宝玉は後殿の廊下で凧を作っていました。突然人の声がして、北静王が馬で到着し、宝玉はびっくりして身を隠そうとしますが間に合いませんでした。

 宝玉が出迎えようとすると、北静王は早くもやって来て、宝玉のあいさつも待たず、彼をつかまえて、「やっと会えたよ。君は今ここに住んでいるのかい?」 宝玉は頷きます。 北静王が「凧を作って生計をたてているのかい?」と尋ねると、宝玉は「寺で花園の管理をしています。春になり、陽気が良くなりましたので、試しに凧を作って売り、足しにしているのです」。 北静王は地団駄踏んで嘆息し、「どうして私を頼ってくれなかったのだい? 君は何も悪くないじゃないか」。 宝玉は、「賈家が取り潰しになって以来、賢王様には幾度もお力添えを賜りました。家財が没収され、一家が餓えと寒さに喘ぐ羽目になったとはいえ、あれだけの大所帯でありながら、母が亡くなり、流刑となった者を除けば、奴隷に売られたり虐げられた者を出さずに済んだことは、これ全て、賢王様の慈しみと大徳の賜物です。賢王様の多大な御援助、宝玉は生涯忘れず、必ずや恩に報います。今、外部では賢王様に累が及びかねない流言飛語が飛び交い、朝廷が賢王様に対していつ疑いを向けないとも限りません! どうして巻き添えになどできましょう」。

 北静王はかぶりを振って、「私たちの交わりはそんな簡単なものではない。人生に知己を得たのだ。君には我が屋敷に来て、記室(後漢に置かれ、長官のもとで文章・記録をつかさどった官職)を務めてもらいたい。朝夕一緒に詩歌を詠み、談論ができれば、人生の醍醐味ではないか! こうして自ら誘いに来たのだ。引き受けてはくれまいか?」 宝玉はかぶりを振って、「賢王様の至誠には宝玉も感激やみません。本当は賢王のために犬馬の労を尽くし、賢王の側で教えを拝聴したいと思っています。しかしながら、今、我が家は危急の時であり、一族尽くこれに関わっております。宝玉は賢王様に累を及ぼすような真似はできません」。

 北静王は宝玉の決意が固いのを見ると、後殿の廊下をしばらく行き来してから、「そういうことなら、無理にとは言うまい。ただ、君は今や身を寄せるところもなく、私はどうしても安心できない。西山健営の後方一帯の土地は、竹林が茂り、清流が流れ、静かで落ち着いた所だ。草廬(茅葺き小屋)を建ててあげるから、絵を売って暮らせばいいだろう。時間がある時は会いに行くから」。 宝玉は北静王の誠意を知り、それ以上は固辞できず、頷いて言いました。 「それは有り難いことです。宝玉もやっと安住の地を得ることができました」。

 北静王は頷いて、賈政の消息を尋ねます。宝玉が「父は金陵の旧宅で館学の先生をしています」と言うと、北静王は「それは良かった。いさこざに巻き込まれずに済もう。君の妹君、東海王妃の消息は知っているかい?」と尋ね、宝玉は首を振ります。

 北静王は、「妹君は東海国に渡った後、朝政を助け、民を教育し、人々に深く愛されているよ。東海王も妹君のことを寵愛されている」。 宝玉は、「やはり三妹妹は一番の果報者です。昔行った酒令のことを思い出しました。三妹妹が引いたくじには、『日辺の紅杏雲に倚(よ)りて栽(う)う(日辺紅杏倚雲栽)』という詩句が書かれていました。『日辺』とは東海国のことでしょう。果たして、彼女は僥倖を得て東海国の王妃になりました。三妹妹は才豊かで、今ではその才を発揮する機会を得ました。私たちの一家で、彼女だけは幸福を得たと思っています」。 北静王はため息をつき、「必ずしもそうとは言い切れないんだ。妹君はおそらく、風の噂で君の家が取り潰しにあったことを知り、日々家族を思い、何度も故郷への里帰りを願い出たんだろう。しかし、陛下は承知せず、認められなかった。妹君は毎日川で泣き暮れ、目を泣き腫らし、今では宮医の治療を受けているそうだよ」。 宝玉はこれを聞くと、心を刀でえぐられる思いでした。ふと幼い頃を思い出します。かつてどこかで見た一幅の絵に、一人の美人が海辺で泣いていて、『千里の東風、一望遥かなり(千里東風一夢遥)』との詩句が書かれていたっけ。あの『東風』も東海国を指していたのではないか? 描かれていたのは三妹妹だったんだ! しばらくぼんやりと痴呆のようになっていました。

 北静王は、宝玉が探春のことで思い悩んでいると知り、身を起こして別れを告げ、宝玉は寺院の門まで送っていきました。

 数ヶ月後、宝玉は西山に移りました。毎日絵を描いては焙茗に売りに行かせ、米を買って薄粥を食し、一家は食うや食わずの生活を送りました。北静王殿下はその後果たして弾劾され、王爵を剥奪されました。賈家との関わりも詮索され、宝玉はこれ以降、さらに会いに行くわけにはいかなくなりました。


 さて、その日、薛未亡人は宝琴の帰省を迎えました。宝琴は、薛未亡人、薛蝌、岫烟に会うと涙を堪えることが出来ませんでした。

 薛未亡人が宝琴の手を取って見ると、宝琴の手にはささくれが立っており、思わず胸が痛みます。涙を拭いながら、「梅家が貧しくて、あんたも辛い仕事をしないといけないのかい?」と尋ねると、宝琴は頷きます。薛未亡人は、「婿殿はどうなんだい? あんたの父さんは、縁談が決まった時に、あの子は良い、家は貧しいが、さすがは学者の家の子だ。将来は大いに出世してくれるだろう、と言っていたのよ。なのに、家はますます困窮し、あんたはひどく窮屈な思いをしているじゃないの」。 宝琴は、「あの方がいなかったら、あんなところで一生を過ごせるもんですか。そのうち頭をぶつけて死んでいますわ!」 薛未亡人は慌てて宝琴の口を塞ぎ、「良い子だから、そんなことを考えないで。兄嫁さん(岫烟)だって自ら料理、洗濯をしているんだし、あんたの姐さん(宝釵)も同じなんだし。今はどこも以前とは違うの。全て自分でやるしかないのよ」と言って、また嗚咽し始めました。

 宝琴は慌てて涙をおさめ、「数日経ったら、宝のお兄様とお姐様に会いに行くつもりです。叔母様も一緒に行きませんか?」 薛未亡人は首を振って、「あんたたちで行っておいで! 私が行っても悲しくなるだけだし、寒いのも嫌だしね。時間ができたら、山を下りて遊びに来るように伝えてちょうだい!」 宝琴はすぐに、はいと答えました。

 さらに数日が経ち、宝琴は岫烟と申し合わせ、一緒に西山に上りました。薛未亡人は、「もう雪が降っているわよ。郊外は寒いから、余計に着ていきなさい!」 宝琴は、「今は以前とは比べられませんわ。雪が降ったところで、天馬皮(蒙古の砂漠に産する沙狐の腹部の皮)、オオヤマネコの毛皮、クロテンの毛皮があるわけじゃないんですし、羽織るものといっても、真紅色の毛織りのマントか、綿織りの鶴氅衣(かくしょうい=白地に黒い縁取りで、鶴の羽根をかたどったように袖が丸くなっている上衣)ぐらいです。みんなで集まれば華やかになりますわ。今日はこの綿の上掛けがあれば大丈夫です」。 薛未亡人は頷いてため息をつき、薛蝌に駕籠を二つ頼んでくるように言いました。

 二人は駕籠に乗り、西山の草廬にやってきました。見れば、オオイタビの蔓が門に絡みつき、曲がりくねった静かな小道が続き、門は小川に面し、道は荒れて雪に覆われていました。近くには緑竹が岸沿いに茂り、氷から湧き出た泉が音を立てて流れています。千本の青竹は雪をかぶり、静寂ながら活力に満ちています。遠くに山々が連なり、木々は白く染まり、近くに山丘が並び、奇岩が続いています。宝琴は思わず感嘆し、「なんて素敵なところでしょう! 春になればきっと武陵仙境となるに違いないわ。この景観は二のお兄様が配置されたものね」と言って、草葺きの門を押して中に入ります。見れば、曲がり廊下に取り囲まれた五間の茅葺き家があり、清涼な事この上ありません。宝玉と宝釵は、二人が入ってきたのを見て、とても喜びます。宝玉は、「こんな大雪の日に、あんたたちが来るとは思ってもいなかったよ。みんな一緒に育ったのに、死ぬ者は死に、去る者は去り、お互い別々の道に進んで、会うのも難しくなったね。ここはいっそのこと、お義姉様(李紈)にも来ていただこうよ!」 宝釵も頷いて、「李紋妹妹は遠くに嫁いでしまったけど、李綺妹妹は京師にいるから、一緒に来てもらいましょう! みんなで楽しくやりましょうよ」。

 宝玉は急いで焙茗に呼びに行かせ、併せて、絵を売った金で途中で酒肉を買ってくるように言いました。

 焙茗は山を下りて李紈を招き、また、馮紫英の家に行って李綺を招きました。二人とも喜び、すぐに駕籠に乗って西山にやってきました。一同は顔を合わせて笑ったり泣いたり、感涙を流し、抱き合って離れませんでした。李紈は涙を拭って、「二人が西山に上ったので、一家で会うのがますます難しくなったわね。私たちのような家がこんなことになるとは誰も思わなかったでしょうね」。 宝釵は、「今や、賈家の命運は叔父、甥の二人にかかっていますね。試験が差し迫っていますけど、蘭ちゃんは必ずや首席で及第してくれるでしょう。お義姉様も楽しみですね」。

 李紈は宝玉に試験のことを尋ねたいと思い、宝釵も、李紈が宝玉を戒めてくれることを期待しました。しかし宝玉は、二人が試験のことを話し出すと、もう我慢できず、眉を顰めて、「官界は苦痛ばかりで、私たちの家も報われてないじゃないですか。わざわざ罠に嵌まる必要がありましょうか」。 李紈は、「そうは言っても、それが知識人というものでしょう?」 宝玉は答えようとせず、宝釵は、宝玉がつまらなそうにしているのを見て、慌てて口をはさみます。「もう仰らないでください。私もこれまで何度も忠告したんですが、逆に禄盗人、俗人だと言われ、しばらく口も聞いてくれなかったんですよ。でも、お義姉様は福をお持ちですから、蘭ちゃんは次の試験で必ずや挙人、進士となり、お義姉様は鳳冠をかぶり、綺羅を纏い、大変な祝福を受けられましょう!」 李紈は、「試験を受け、見識さえ増やしてくれればいいのよ。蘭ちゃんがあなたの言うとおりにいってくれればいいんだけど」。 宝釵は頷きます。宝玉は宝琴たちと話をしに行き、しばらくの間、みんなで談笑しました。

 宝玉は、「私たちは毎日一緒にいたのに、思いも寄らないことになったね。いろいろあったけど、こうして集まったんだ。賑やかにやろうじゃないか」。 一同は、「宝のお兄様の言うとおりですね、次はいつ会えるか分からないんですし、園で毎日会えた頃のようにはいかないんですから」。 宝玉は笑って、「それなら、みんなで詩を作ろうよ! この西山は、私たちの園ほどじゃなくても、あらゆる情景が揃っているよ。何と言っても、天然の趣きは人工のものとは比べものにならないんだし、今日は雪が降り、空も晴れて、ここから見る雪景色は格別だからね。暖炉を囲んで暖を取りながら、連句を作ろう」。 宝琴は、「いいですね。詩を作り終えたら、譜面に書いて歌ってみてはどうかしら?」 李紈は笑って、「それは面白いわね。雲妹妹がいないのが残念ね。いればもっと盛り上がったでしょうに」。 宝釵は、「なんでも、雲ちゃんの義父上が弾劾されて獄につながれ、一家も取り潰しになったと聞きました。衡陽(こうよう/現在の河南省衡陽市)はここからずっと遠く、私たちも消息は知らないんです。今どこにいるのかも分からず、心配しているんですけど」。 一同は頷いて、ため息をつきました。

 宝釵は裏園のニラを刈り、食事を作ってみんなで食べました。宝玉は、「今から詩を作ろう! 寒くなってきたから、この暖炉の火だけでは足りないね。まもなく月が昇ってくるから、妹妹たちには詩を作る前に、私たちのボロ服を着込んでもらったらどうかな?」 宝釵は笑って、「私が貧乏の話をしたから言うわけじゃないけど、私と麝月の服も残らず持ってきて、みんなに一枚ずつ着てもらいましょう。あなたはあの着古した黒羅紗の上衣を羽織ったらどうかしら。ボロ服と言ったってまだ小綺麗ですよ。元はペルシャ国からの貢ぎ物だったんですから。みんなが嫌じゃなければ着てちょうだい。暖かくなりますから」。 一同は口を揃えて、「嫌なもんですか。早く着て寒さをしのぎましょう!」 そして、宝釵はありったけの衣服を持ってきました。

 宝玉は対襟の古い上衣を羽織り、他の人々は焚き火を囲んで、ボロ服を身に纏いました。宝玉はこれを見て笑い、「まるで物乞いの集団みたいだ。苦中に楽しさを求めてこそ一興というものだね。連詩ということで、まずはお義姉様に口火を切っていただきたいのですが」。 一同は、「それがよろしいですわ!」

 李紈は辞退せず、ちょっと思案して、「屈原のことを思い出したわ。このところ、騒体詩を学んでいるの。李義山(李商隠)の句を借りてみましょう」。 一同は、「結構です。私たちはまだ出来ていませんので、倣いながらゆっくり作っていきしょう!」 そこで、李紈が読み上げます。

 別時容易別兮見時難、 (別るる時は容易にて見(まみ)ゆる時は難し)

 一同はみな頷いて嘆息し、「これは異論がありませんね」。 宝玉が続けます。

 茅椽蓬牖兮心自安。落木簫簫兮風露白、 (茅椽蓬牖(ぼうてんほうゆう)に心安らぐ。落木簫簫として風露白し)
 (茅椽蓬牖:カヤの垂る木にヨモギの窓=貧しい住まい、落木蕭蕭=落ち葉が寂しげに落ちる)

 宝琴は、「上の句はこの時の心境、下の句は情景描写に変わりましたね。私も情景描写の句を続けましょう」。

 朔気襲人兮月魄寒。北風不解兮冬衣薄、 (朔気(さっき)は人を襲い月魄(げっぱく)寒し。北風は解せず冬衣の薄きを)
 (朔気=北の寒気、月魄=月)

 李綺は、「『不解』の二字はお見事、まさに実写ですね。私も情景描写で続けましょう」。

 吹進雨雪兮面如割。霜寒露冷兮風似刀、 (吹き進む雨雪は面を割くが如し。霜寒露冷にして風は刀に似たり)

 宝釵は首を振って、「私の句も写実的なのよ」。

 圍炉相向兮破毡悪。撫琴弦兮泪漣漣、 (炉を囲み相向かいて破毡(はせん)を悪(にく)む。琴弦を撫でて涙漣漣たり)

 一同はみな、「確かにこの句は今の情景を描いたものですね」。 岫烟が続けます。

 離歌唱兮月不圓。今宵相聚兮黄叶鋪、 (離歌を唱いて月円(まる)からず、今宵相集いて黄葉を敷く)

 一同はみな頷きます。宝玉が続けます。

 明日飄淪兮天一辺。挙頭仰望兮浩茫何極! (明日の飄淪(ひょうりん)は天の一辺。頭を挙げて仰望し浩茫たるを何ぞ極めん)
 (飄淪=零落)

 宝琴は頷いて嘆息します。

 願随長風兮帰故園。帝都難達兮空翹首、 (願うは長風に従いて故園に帰らん。帝都は達し難く空しく首を翹(あ=上)げん)

 李紈が続けます。

 瓊楼望兮重宵九。往事縈懐兮情難禁、 (瓊楼(けいろう)に望む九重霄(きゅうちょうしょう)。往事を縈懐(えいかい)して情は禁じ難し)
 (瓊楼=華美な高殿、九重霄=高い空、縈懐=気にかける)

 宝琴が割り込み、涙を拭いて続けます。

 帰不帰兮池辺柳。相思無尽兮更漏残、 (帰るや帰らざるや池辺の柳。相思いて尽きること無く更漏残る)
 (更漏残=時間が残り少ない)

 宝釵も急いで続けます。

 話別離兮泪闌干。骨肉聚兮情如注、 (別離を話して涙闌干(らんかん)たり。骨肉集いて情注ぐが如し)
 (闌干=流れ落ちる)

 一同は嘆息やみません。李綺が詠みます。

 労燕分飛兮摧心肝。悵望千秋兮珠泪洒、 (労燕(ろうえん)分け飛んで心肝を摧(くじ)く。千秋を悵望(ちょうぼう)して珠の涙を灑(そそ)ぐ)
 (労燕=モズ(伯労)とツバメ(燕子))

 岫烟が詠みます。

 鼓角聞兮動江関。 (鼓角を聞きて江関に動く)
 (鼓角=戦場で用いた太鼓と角笛)

 宝玉がまた割りこみます。

 望旧居兮紫殿幽、 (旧居を望みて紫殿は幽(かす)かなり)
 (紫殿=帝王の宮殿)

 李紈が続けて詠みます。

 画堂深兮月如鉤。 (画堂は深く月は鉤の如し)

 李綺が急いで続けます。

 聞犬吠兮空佇立、 (犬の吠えるを聞きて空しく佇立(ちょりつ)する)

 宝琴が詠みます。

 極目遠眺兮双泪流。 (極目遠眺して双涙を流す)
 (極目遠眺=遥か遠くを眺める)

 宝釵が詠みます。

 誰家破窗兮蛛網結? (誰が家の破窓に蛛網(ちゅうもう)を結ぶ?)

 宝琴が涙を拭って詠みます。

 何処紫簫兮入画楼。 (何処の紫簫(ししょう)ぞ画楼に入り)
 (紫簫=紫の笛)

 岫烟も嘆息して詠みます。

 盛衰無由兮空悲苦、 (盛衰は由無く空しく悲苦なり)

 宝玉は長く息を吐いて詠みます。

 当年乞食兮今作侯。 (当年乞食に今作(な)し候う)

 李紈が急いで続けます。

 黄梁一夢兮衾不暖、 (黄梁(こうりょう)の一夢にて衾暖まらず)
 (黄梁一夢=束の間の夢、衾=寝具)

 宝釵は涙を拭いながら続けます。

 孤鴻声声兮嘆離憂。 (孤鴻の声声に嘆じて憂いに離(か)る)

 李紈もハンカチで涙を拭って詠みます。

 琴瑟尽兮腸千結、 (琴瑟(きんしつ)尽きて腸千結す)
 (琴瑟=夫婦仲、腸千結=強く憂う)

 李綺は嘆息して詠みます。

 寒山積雪兮似儂愁。 (寒山積雪は儂(わ)が愁いに似たり)

 岫烟は涙を流しながら詠みます。

 秋月春花兮倏忽逝、 (秋月春花は倏忽(しゅこつ)として逝く)
 (倏忽=忽ち)

 宝玉は続けて詠みます。

 依然和泪兮看行舟。 (依然たり涙に和して行舟を看る)

 そう言って既に立ち上がっていました。

 李紈は目尻を拭って、「これ以上続ける必要もないでしょう。ここで終わりです!」 一同は涙を拭い、何も言いませんでした。

 またしばらくして、李綺は涙を拭い、「この先、再び集まることは難しいでしょうね。この詩を書写し、曲をつけて歌いましょう! それから、宝琴姐姐にその曲で踊ってもらいましょうよ」。 宝琴は、「私では何の趣きもありませんわよ」。 李紈は、「でしたら、悲しくない曲にして歌いましょうか?」 一同は「それは良いですわ!」

 一同は集まって、宝玉が書写した詩歌に目を通しました。曲をつけ、韻を踏み、完成後もしばらく修正してから、宝釵は宝琴に歌うように言いました。宝琴は涙を拭いながら二度歌い、その後、宝玉が拍子を取り、宝琴、岫烟、李綺が歌いました。一同は歌いながら啜り泣き、李紈と宝釵もこれを聴いて涙を拭いました。

 宝玉は、「かくも心から発する歌声は実に得難いものだね。江州司馬が聴いたら、青い上着がびしょ濡れになるだろうね(注:白居易『琵琶行』の「江州司馬、青衫湿う」から)」。 一同は頷いて、「今後しばらく会えなくなっても、今日のことは忘れられませんね」。 宝釵は、「このように貧乏なもので、妹妹やお義姉様には窮屈な思いをさせてしまいました」。 一同は、「家運がこんな状態ですもの、窮屈なもんですか。集まることができて、とても楽しかったですわ!」

 結局、一同はここで二日間を過ごしました。李紈は、「今ではこの数人だけ。鳳ちゃんみたいに機転の利く人でさえ亡くなってしまったわね。何でも鳳ちゃんは、貧困やら病気やらで寂しい最期だったみたいで、亡くなった時には身近に親類さえおらず、鴛鴦が面倒を見てくれたそうよ」。

 宝玉は、「傍から見れば、鴛鴦は冷人だし、柳さんもとても冷たい人だね。二つの冷が出会って結ばれたなんて奇妙な話だとは思わないかい?」 一同は、「本当に奇妙ですね。きっと世の中で多くを経験して変わったんでしょうね!」 宝玉は頷いてため息をつき、「そうかもしれないね。でも、柳さんは本当に冷人だったんだろうか? 尤三姐に対して冷だったのか、熱だったのか? きっと熱くなって止められず、情に殉じて道士になったんだよ。今回、苦難の中で鴛鴦に出会った。鴛鴦も気性の激しい娘だからね。二人が会えば自然にまた熱くなり、正に一対の鴛鴦として結ばれたというわけさ。柳さんはちょうど鴛鴦剣を持っているからね」と言ったので、一同は笑い出します。そして、頷きながら、「二のお兄様の見解は理に叶っていますわ。二人は縁あって結ばれたんですもの、冷人どころか、心の底から熱い人たちなんでしょうね。でも、二人は今どこにいるんですか?」 宝玉は、「金陵から来た人の話では、二人は鳳姐の霊を金陵に送り届けた後、泉州に戻って商売をしていたんだって」。 李紈は、「遠く離れても神様はちゃんと見ていて、二人を一緒にしてくれたんでしょうね」。 宝玉はため息をつき、「その後、柳さんは役人に捕まり、商売も潰れ、二人とも苦しい日々を送っているそうだけどね」。 一同はまたため息をつきます。

 突然、焙茗が入ってきて伝えます。「璉の若殿様がいらっしゃいました」。 宝玉は急いで出迎えます。賈璉は会うなり宝玉をつかまえて、泣きながら、「宝玉君は父上が黒竜江で亡くなったことは知っているかい?」 宝玉はびっくりして、「いつのことですか? 病気で亡くなったのですか?」 賈璉は頷いて、「向こうでは餓えと寒さに加えて、あの高齢だ、どうして耐えられよう。苦労が重なって病気になり、二ヶ月前に亡くなったんだ。昨日使いの者が来て、珍の兄上が手配して火葬を済ませたそうで、私たちに遺骨を取りに来てほしいとのことなんだ」。 宝玉は、「二の兄上はいつ出発されるのですか?」 賈璉は、「早いほど良いんだろうな。ただ、旅費をどうしたものかと思い、君に相談に来たんだ」。

 一同は口を揃えて、「璉のお兄様、心配なさらないで。みんなで相談しましょう」。 宝玉は先日絵を売った十両あまりの銀子を全て取り出し、賈璉に渡しました。李紈は、「明日、蘭ちゃんに十両届けさせますわ! 伯父様が間に合わせに使ってください」。 岫烟も、「明日、薛蝌に十両届けさせます」。 宝琴は五両届けると言い、李綺は、「馮紫英さんに十両届けさせます」。 賈璉は、一同が困窮しているのに気前よく助けてくれるのに感激し、涙を流して感謝しました。

 一同はさらに、賈珍への見舞の品などについても話し合いました。賈璉は一つ一つに感謝の言葉を述べ、いっぽうで李紈に、「蘭ちゃんはずいぶん勉強が進みましたか?」と尋ねます。 李紈は、「来年は試験ですからね。試験でよどみなく話せるよう、今は文章を作っています」。 賈璉はため息をつき、「やっぱり蘭ちゃんは見所がありますね。お義姉様が手をかけて育てられた賜物ですよ」。 李紈は、「叔父様の期待に応えられるといいんですけど。首尾良くいけば賈家の幸福でもありますからね。叔父様も早く行って早く戻ってきてください。時間がある時は蘭ちゃんの勉強を見にきてくださいね」。 賈璉は頭を下げ、何度も頷いてから立ち去りました。

 賈璉が立ち去ったので、姉妹たちも別れを告げようと思い、「この数日は本当に賑やかで楽しかったですね。でも、以前とは比べようもなく、家ではやることが山積みで、戻って裁かないといけないんです。ひとまずお別れですが、時間があればきっとまた参ります」。

 宝玉と宝釵は急いで焙茗に命じます。「健鋭宮に行って駕籠を四つ頼んできて」。

 姉妹たちは雑談を交わします。宝玉が「琴妹妹は京師にいないから、次はいつ会えるか分からないね!」と言うと、宝琴はもともと別れがたい気持ちがあったので、さっと手で顔を覆います。宝釵は急いで話をそらし、「琴ちゃんはまだしばらくいるんだもの、暇な時は遊びに来たらいいわ。私もちょくちょく戻るから。一緒に琴を弾いたり、詩を作りましょうよ」。 宝琴は頷きます。

 やがて駕籠がやってきたので、一同は別れを告げます。みな涙を流し、後ろ髪を引かれる思いでしたが、御者を待たせるわけにもいかず、仕方なく駕籠に乗りこみました。

 宝玉は駕籠が見えなくなるとため息をつき、宝釵に言います。「こうして別れてしまうと、今後はいつ集まれるか分からないね」。 宝釵は頷いて、「『但(ただ)願う人の長き久しきを、千里蝉娟(せんけん)を共にせん(但願人長久、千里共蝉娟=遠く離れていても永久の無事を祈り、共に美しい月を愛でよう)』と申します。もう米もなくなります。絵を二枚描いていただき、柴と米に交換しましょう」。

 宝玉は頷いて承知し、「ちょうど二枚描きたいと思っていたところだよ!」

 そして小屋に入り、宣紙を広げ、筆を取って縦横に走らせ、濃淡を交錯させ、『残蓮鴎鷺図』を描き上げました。枯れた蓮の花托が風に逆らって屹立し、一羽の鴎鷺(おうろ:鴎と鷺の総称)が石の上に立ち、残蓮の水鳥の孤高な性格と不屈の趣きが描き出されています。

 宝釵はしばらく鑑賞してから首を振って、「まだ改めてくれないのですね。筆意は鋭く生き生きとして、粗密さには情緒があり、筆情墨意の妙を尽くしてはいますが、やはりいささか傲慢さがあり、人様のお眼鏡に叶わないと買っていただけませんわよ!」と言いますが、宝玉は取り合いませんでした。


 さて李紈は、戻ってから毎日、時文・八股文・語録・応制詩を賈蘭に教えました。賈蘭も熱心に学び、時文の破題、承題・起講・提比・虚比・中比・後比・大結については概ね習得しました。次の試験で郷試に及第し、立身出世を果たし、天恩祖徳に報いんと志を立てました。しかし、李紈は安心できず、「まだ及第できるほどの力はないわ。もっと努力しないとダメよ」。 賈蘭は、「母上、御安心ください。及第する自信はあります。もし志を得られなければ、私は再び母上には会わない覚悟です」。 李紈はびっくりして、「この試験に落ちても次があるわ。どうしてそんな理不尽な事を言うんだい?」 賈蘭は笑って、「必ず及第する自信があるということです。母上は私の吉報をお待ちください!」 李紈は笑い出して、「そのとおりになればいいんだけどね!」

 見る間に翌年の八月になり、試験が近づくと、李紈は不安が募りました。一つは賈蘭が年若く、試験を受けるのが初めてであること、二つには家には書童が一人しかおらず、試験場付近は人馬もひしめき合っていることから、何事かあってはと恐れていました。そこで、その小者を呼んであれこれと言い含めました。また、何度も賈蘭の荷物をチェックしました。

 試験に向かう日の前夜、李紈は一晩中眠れませんでした。翌日、賈蘭が別れを告げに来ると、李紈はどっと涙を流しますが、これは吉事だと思い、ぐっと我慢しました。しばらくしてからようやく、「試験場に行ったら、慌てずに平常心を保つようにね。良い文章が作れれば、このところ日夜懸命に勉強した甲斐もあるというものですよ」。 賈蘭は返事をします。李紈はさらに、「もう秋の涼しい時分で、日に日に寒くなっているから、風邪を引かないようにね。試験を受けられなくなっては大変ですからね!」 賈蘭は「はい」と答えます。李紈はなおも安心できず、さらに「他の受験生といざこざを起こさないでね。私に心配をかけないでちょうだい」と言い、賈蘭はまた一つ一つ返事をします。李紈は彼の手を取って門前まで送り、「試験が終わったら早く帰っていらっしゃい」と言いました。

 賈蘭は頷いて答え、「母上、どうぞ御安心ください! 試験が終わればすぐに帰ってきます。私も大きくなり、自分のことは自分でできます。母上は私の吉報をお待ちください!」と言って、李紈に別れを告げ、馬にまたがって鞭をくれ、行ってしまいました。

 李紈は門にもたれて眺め、人影が見えなくなってから、鬱々として部屋に戻り、試験の開始日と終了日を指折り数えました。この後どうなるか知りたければ次回をお聞きください。