紅楼夢に見る中国社会

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(2)後宮
後宮の歴史
清代の後宮制度
女官名
皇后
妃嬪皇貴妃貴級妃嬪
貴妃(2名)
妃(4名)中級妃嬪
嬪(6名)
貴人(定数なし)下級妃嬪
常在(定数なし)
答応(定数なし)
宮女
 後宮の女性の数は時代と共に変化します。 周の代に三夫人・九嬪・二十七世婦・八十一女御の120人制度(皇后を入れて121人)が定められました。 後宮問題に頭を痛めた周公旦が定めたといわれます。
 時代が下ると妃嬪の数は増え続け、漢の武帝の時には数千人、隋の煬帝の時には数万人ともいわれます。 そして白居易が長恨歌で「後宮の佳麗三千人」と詠んだ唐の玄宗の時代には宮女だけで四万人にのぼったそうです。
 紅楼夢の書かれた清代(康煕帝以後)には右表のようになっていて、妃嬪の総数は70名を越えなかったようです(その他の女官を含めると相当な数になるのでしょうが)。

秀女の選抜方法
 宮女の集め方については、強盗まがいに天下の美女狩りが行われた時代もあったそうですが、清代では秀女は三年毎に選ばれ、八旗ごとに名簿に記載された妙齢の女性たちに対して、宮中で初選(主に器量や姿態による一次選抜)、複選(器量と手芸による二次選抜)が行われ、晴れて合格すると下級妃嬪(貴人・答応・常在)として宮中に採用されました。そういえば宝釵も秀女に応募するために上京したんでしたっけ。
 これとは別に、五旗の満族女性を対象に内務府による秀女選抜も毎年行われ、合格者は宮女(妃嬪に仕える女性)として宮中に入りました。

紅楼夢の後宮
 清代の後宮は右表のようだったそうですが、紅楼夢では各王朝の女官が混在しているそうで、いろんな女官名が出てきます。
  貴妃
 皇后に次ぐ地位の妃。元春妃(賈貴妃)の他に周貴妃・呉貴妃が登場しますが、 貴妃が三人冊立された王朝があったのでしょうか?(それとも一人は皇貴妃?)
 元春は秀女として宮中に入り、皇帝の寵愛を得て貴妃となり、賢徳妃の封号を賜りました(清代では皇后は満州族から選ばれたそうですから、貴妃は漢人女性にとっては最高の地位だったらしいです)
  昭容・彩嬪
 第18回で元春妃が省親した際、籠から降りる時に手を貸しています。昭容は唐代の九嬪の一つです。彩嬪は不明。
  女史
 元春が最初ついていた官。明代の官名で、后妃の儀式を担当した宮女だそうです。
  才女・賛善
 第4回で宝釵はこの候補として上京しました。才人は嬪妃より低い女官で、魏晋に始まり清では既に廃されていたそうです。賛善は本来は侍従・学問を担当する官名らしいです。ここでは共に宮中で伴読(勉強相手)をする女官として使われています。


(参考)唐代の後宮制度
女官名官位
皇后 
四夫人貴妃・淑妃・徳妃・賢妃正一品
九嬪昭儀・昭容・昭媛・修儀・修容・修媛・充儀・充容・充媛正二品
二十七世婦婕妤(9人)正三品
美人(9人)正四品
才人(9人)正五品
八十一御妻宝林(27人)正六品
女御(27人)正七品
綵(さい)女(27人)正八品
▩参考:大空不二男著「中国の後宮」(龍渓書舎)
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