紅楼夢に見る中国社会

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(5)歳時
中国では現在でも日常生活の中に旧暦が根強く息づいていますが、清代でも例外なく民衆生活に直結していました。

 新年(1月1日)
旧暦の1月1日を現在は春節といいます。正月を祝う門飾は、赤い紙におめでたい言葉を書いた春聯(桃符)を門の両側に貼り、左右の扉に門神の絵を貼りました。門神は悪魔を払う意味をもちます。爆竹の音で新年が訪れ、家廟または家の広間に祖先の霊を拝して新年の挨拶をします。
「寧・栄両邸とも門神・対聯・掛牌などを残らず懸け換え、桃符を塗り替えたので、すっかり見違えるようになった」(第53回)

 元宵節(げんしょうせつ・1月15日)
旧暦の1月15日を「上元」と呼びます。この夜を「元宵」(または元夜)と呼び、この日を中心に13日~17日に家々街々に灯籠が飾られることから「灯節」ともいいます。街は趣向をこらした美しい灯籠を見物をする人々で賑わいます。また、胡桃と白糖の餡を糯米粉で熱湯におとして作る「元宵団子」を食します。
第1回で甄士隠が、下僕の霍啓に英蓮を連れてお節句の奉納興業や絵灯籠を見物に行かせています。第18回で元春妃が省親したのもこの日でした。

 清明節(せいめいせつ・3月3日)
清明節は春分から15日目に当たり、この日は豌豆黄(えんどう豆の粉に砂糖を加えて蒸したもの)などいろいろなご馳走を作り、墓参して祖先の冥福を祈る習慣があります。家によっては五色の紙銭で幡や蓋を作り、墓前に並べるものもあるそうです。第58回で藕官が死んだ薬官のために園内で紙銭を焚き、夏氏に咎められました。
「ちょうどその日は清明節の日で、賈璉は例年の通り祭祀の用意を調え、賈環・賈琮・賈蘭の3人を従えて鉄檻寺に行って棺を祭り、紙銭を焼いた」(第58回)

 芒種節(ぼうしゅせつ)
芒種は芒(のぎ)を持った植物の種をまく頃を指し、中国では花の神を祭る風習があったようです。第27回で大観園で姉妹達が花餞りを行い、宝釵は蝶を追い、黛玉は葬花吟を詠みました。
「明ければ4月26日、この日の未の刻が芒種節に当たっていた。これは上古以来の風俗として、およそ芒種節の日にはいろいろの供物を並べて花の神を祭ることになっている。この日がすぎると夏になり、すべての花は散ってしまって、花の神は位を退かれるから、これに対して餞別をしなければならぬのである。そしてこの風俗は婦人の間でことに盛んに行われている」(第27回)

 端午節(たんごせつ・5月5日)
5月は悪月とも呼ばれ、夏至を過ぎて盛夏に向かうので、湿気も増し病害虫も発生して健康を損ないやすいとされます。この日は邪気不祥を払う日で、菖蒲の葉は邪悪を突き刺す剣を象徴しています。また、丑の刻(正午)に石朱砂・雄黄・菖蒲を加えた酒を飲み、粽(ちまき)を食べる習慣があり、第31回で黛玉も「まさか粽の分け前のことで腹をたてていらっしゃるんじゃないでしょうね」と言っています。女の子はあやぎぬの布きれで小さな虎やひょうたんなどを作り、糸紐をつけて頭につけたり胸につけました。
第31回で王夫人が薛母娘を招待して正午に祝宴を開きますが、金釧児が自殺したばかりだったため、盛り上がらずに参会しました。
「いよいよその日は端午の節句とあって、門には菖蒲と艾(よもぎ)を挿し、背中に虎符を結いつけたりします」(第31回)

 乞巧節(きっこうせつ・7月7日)
七夕のことで、女性たちが牽牛・織女の二星を祭り、織女にあやかった「乞巧」(裁縫・刺繍の上達を願う)を行う風習がありました。第40回で骨牌(カルタ)が行われた時、薛未亡人が「織女牽牛七夕に会す」と言っています。

 中秋節(8月15日)
中秋節には家ごとに祭壇を設けて月を祭り、月餅や瓜を供え、月に香を焚いたあとで食します。満月の形をした月餅は家族そろっての団欒・円満の至福を象徴するとされます。
第1回で甄士隠が賈雨村を酒席に招いています。第75回で栄国邸で月見の宴が開かれ、第76回では黛玉と湘雲が凹晶館で聯句を作りました。
「嘉陰堂の前の露台には香を焚き、雪洞(ぼんぼり)を点して、瓜や月餅、その他さまざまの果物を供えてあった」(第75回)

 重陽節(ちょうようせつ・9月9日)
旧暦の9月9日は「重陽」(重九とも)といい、家族そろって茱萸(かわはじかみ)を頭に挿し、健康を祈って高い所に登る風習(登高)があり、また、菊の花が満開になることから、菊を賞でながら菊花酒を飲みます。第38回の詩会で宝釵が詠んだ詩に「長安は口に涎して重陽を盼(かえりみ)る」とあります。

 臘八節(ろうはちせつ・12月8日)
釈迦の成道の日で、米や豆と棗・栗・蓮の実などで作った「臘八粥(ラーパチョウ)」を仏に供え、親戚知友と贈りあって食します。
第19回で宝玉が黛玉にした作り話(鼠の精の話)の中で、「あしたは臘月八日の節句だ。世間の人々は臘八粥を煮て食べる」と鼠に言わせています。

 除夕(じょゆう・12月29日または30日)
旧暦の大晦日を「除夕」といい、守歳(てつや)して過ごします。清の潘栄陛「帝京歳時紀勝」には「夜の子の刻(12時)になると、爆竹を撃ち鳴らし、雷をとどろかすような音声が聞かれ、宮中でも民間でも、世を徹してやまない」と伝えられています。爆竹には妖気を払い吉を迎える意味があります。
 参考:紫禁城の女性たち(西日本新聞社)、内田道夫解説「北京風俗図譜1」(平凡社)
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