脂批と探佚学

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紅楼夢の批評者について
脂硯斎重評石頭記(北京曹雪芹記念館)
 「紅楼夢」は清の乾隆56年(1791年)に程偉元と高鶚により120回本の木活字版として出版されましたが、それ以前の写本は「脂硯斎重評石頭記」と題されており、脂硯斎(しけんさい)らによる多くの批語(脂批)がつけられています。脂硯斎は評者の立場から紅楼夢の完成を支援した人物であり、脂批は作者や創作過程、散佚した第81回以降の内容を暗示するなど、極めて高い価値をもちます。

 (1)脂硯斎は誰か?

 脂批の内容から、脂硯斎は作者と非常に親しい人物であることが分かりますが、その正体については、(1) 曹雪芹の叔父(または父)の曹頫(王利器氏の説)、(2) 作者本人(胡適・愈平伯氏の説)、(3) 曹雪芹の従兄弟すなわち曹顒か曹頎の子(胡適氏の最初の説)、(4) 史湘雲のモデルとなった女性(周汝昌・林語堂氏の説)、など諸説あり、定かではありません。

 (2)梅渓、松斎、畸笏叟は誰か?

 甲戌・庚辰本の批評者には他に梅渓、松斎、畸笏叟(きこつそう)がいます。
 梅渓は本文第1回に出てくる「東魯の孔梅渓」と同人で、脂批から曹雪芹の弟の曹棠村とされており(顧頡剛・胡適氏の説)、比較的早く世を去ったようです。
 松斎については、脂硯斎本人(胡適・愈平伯氏の説)、敦誠の友人の白筠(呉世昌・呉恩裕氏の説)などの説があります。
 畸笏叟は曹雪芹や脂硯齋らの死後も永く批語を書き続けた人物で、その正体については、(1) 脂硯斎の別号とする同一人説(周汝昌氏の説)、(2) 曹雪芹の舅父(母の兄妹)、(3) 曹雪芹の伯父の曹碩、(4) 曹雪芹の叔父(または父)の曹頫などの諸説があります。

第81回以降の内容について
 (1)探佚学について

 脂批や前80回の本文などから、曹雪芹の原意による第81回以降の内容を推定する研究を探佚学(たんいつがく)とよび、兪平伯の「紅楼夢辨」がその先鞭をつけました。
 紅楼夢の第81回以降は全て散佚して見ることができませんが、初稿またはその一部はできていたとするのが一般的な見方です。その根拠として、(1)脂批が最終回の「警幻情榜」について言及していること、(2)第81回以降の一部の題目が分かっていること、(3)前80回の脂批中に佚文からの引用があること、などが挙げられます。
 また、その回数については、多くの紅学家は110回(兪平伯氏は、当初は100回の予定だったが、後に分回の割り振りを変更したために110回になったものと推定しています)、周汝昌氏は104回または108回としており、100回とする説もあります。

 (2)各人の結末について

 迎春は孫紹祖の虐待を受けて殺される
 孫紹祖に嫁いだ迎春は、「金陵十二釵正冊」の判詞および紅楼夢第九曲により、新婚わずか一年で、召使い同然の虐待を受けていびり殺されることが暗示されています(程高本も同じ結末)。

 香菱は金桂の手でいびり殺される
 香菱は、程高本では夏金桂の死後に薛蟠の正妻となり、一子を残して難産のために没しますが、「金陵十二釵又副冊」の判詞では、金桂にいじめ抜かれ、薛蟠の愛情をも失った末に死ぬことが暗示されています。

 探春は良縁を得て遠方に嫁ぐ
 探春は「金陵十二釵正冊」の判詞および紅楼夢第四曲、また第22回で探春が作った詩謎にある「糸の切れた凧」などから、良縁を得て遠方に嫁ぎ、再び故郷に戻れないことが暗示されています。
 程高本では海疆の鎮海総制の子に嫁いだ探春ですが、第63回で探春が引いた花籤では王妃となることが暗示されています。梁帰智氏は、中国以外の海島小国の王妃となったものとしています(ただし、古来より異民族へ降嫁されていたのは皇室の女であり、皇家出身ではない探春が選ばれることがあったのかという疑問が指摘されています)。

 黛玉は涙尽きて死ぬ
 黛玉は持病の肺病が重くなって亡くなり、宝玉との木石縁はついに成就しません(程高本も同じ結末)。
 ただし、黛玉の死に方については、賈家が家産没収に遭い、獄神廟に送られた宝玉を嘆き悲しんで死ぬ(周思源、蔡義江氏の説)、病苦と精神不安から首を吊って死ぬ(胡文彬氏の説)、入水して死ぬ(周汝昌氏の説)、宝玉が従軍させられ、黛玉は翌年春に涙尽きて死ぬ(梁帰智氏の説)、などの諸説があります。
 また、脂批によれば、晴雯の時のように、宝玉が黛玉を哀悼する一段があったようです。

 宝玉は、金玉縁により宝釵と結ばれる
 黛玉を失った宝玉は宝釵と結婚することになります(程高本も同じ結末)。
 結婚に至るまでは紆余曲折があったものと思われ、周汝昌氏によれば、宝玉と宝釵の婚姻が決まったのは黛玉の生前であり、趙氏の讒言(宝玉と黛玉の不義)を受けた賈政が元春妃に働きかけ、そのお声がかりを得たものとされます。他にも、黛玉が臨終の間際に宝釵に後事を託したとか、宝釵が宝玉の心の空隙を埋めるように立ち回った、などの諸説があります。

 元春が薨去する
 元春については、「金陵十二釵正冊」の判詞で「虎兎相逢うて大夢に帰せん」とあり、寅年卯月に急逝することを暗示しているとの説があります。程高本では寅年から卯年に代わった時に病逝しています。
 史実では康煕帝の崩御が壬寅、雍正帝の即位が癸卯であり、これが曹家没落の原因となったことから、元春の死は康煕帝の死を投影しているものとの説があります。また、その死因については、脂批で元春が楊貴妃に比されていることから、病逝ではなく(楊貴妃同様に)縊死したとする説もあります。

 賈府が家産没収され、賈家の人々は悉く逮捕入獄される
 元春の死によって賈家は皇室の庇護を失い、歴年の積悪が明るみに出て、全ての家産を没収されます。賈赦・賈政・賈珍以下主だった者は逮捕されます(第75回で甄家が家産没収・逮捕された件はその暗示でした)。賈母はそのショックで亡くなったのかもしれません。
 また、脂批によれば、時期は不明ですが、賈府はその後火災に遭って「すっからかんの大地」になったとされます。

 妙玉は身を泥土に委ねるような悲惨な境界に墜ちる
 妙玉は、程高本では盗賊にさらわれて身を汚す羽目に陥りますが、靖本の脂批によれば、のちに妙玉は北京から流れ落ち、瓜州の渡し口に至るとされますが、具体的なことは分かっていません。
 梁帰智氏の説では、妙玉は賈家没落後に故郷に戻ろうとしますが、瓜州に辿り着いた時に好色な権勢者の手中に墜ちるとしています。

 惜春は剃髪して尼となる
 惜春は、「金陵十二釵正冊」の判詞および紅楼夢第八曲で、早くも世の無常を悟り、出家して尼となることが暗示されています(程高本も同じ結末)。

 獄神廟に送られた宝玉たちのために小紅や茜雪らが力を尽くす
 脂批によれば、第81回以降に「獄神廟にて宝玉を慰む」の回があり、賈家が悪事を暴かれたのち、宝玉や鳳姐も入獄を免れず、小紅や茜雪らがその救出に力を尽くしたものとされます。
 周汝昌、呉世昌氏らによれば、賈芸・小紅夫婦が旧知の酔金剛倪二に頼んで、獄吏や獄卒に手を回して、宝玉らの救出に携わったものとされています。茜雪は獄吏の妻になっていたとの説もあります。最後は宝玉と煕鳳は獄を出ることに成功しますが、北静王水溶の力添えがあったものと推定されます。

 煕鳳は賈璉に離縁されて金陵に帰る
 煕鳳は、「金陵十二釵正冊」の判詞および紅楼夢第九曲で、賈璉に離縁されて泣く泣く金陵に帰ることが暗示されています。また、脂批によれば、第81回以降に「王煕鳳知命強英雄」の回があり、その死に臨んで再び瘡頭の僧が現れ、煕鳳は自らの天命を悟って潔く死んでいくことになるようです。
 判詞にある「一従二令三人木」は、「人木=休」として、始めは賈璉に「従」い、次第に「冷」淡となり(または命「令」し)、最後は「休」つまり離縁されたとものとする説が有力なようですが、他にも諸説あり、梁帰智氏は「二令三人木」は「冷人来=冷人(柳湘蓮)が来る」と解釈して、緑林の徒となった柳湘蓮が張華とともに尤姉妹の仇を取ろうと動き、煕鳳がこれに敗れることを暗示したものだとしています。

 巧姐は煙花の巷に身を沈めるが、劉姥姥に救われて板児と結婚する
 程高本の巧姐は、叔父の王仁らの手にかかって外藩の王に売られようとし、劉姥姥に助けられて周という大地主に嫁ぎました。
 「金陵十二釵正冊」の判詞および紅楼夢第十一曲でも、悪い親戚(王仁ら)の手にかかって苦界に売り飛ばされようとし、劉姥姥に救出されることが暗示されています。ただし、巧姐の年齢は程高本の続作よりずっと小さいはずなので、梁帰智氏の説では、巧姐が王仁の手にかかるのは、賈家が没落し、煕鳳が亡くなったずっと後で、苦界に売られた末に一騒動があって彼女も獄神廟に送られ、そこで劉姥姥と再会するものとしています。
 劉姥姥に救われた巧姐は、板児と結婚したものとされます。脂批に「老女に恥を忍ぶ心あり、故に後に大姐を招くの事あり」とあり、劉姥姥は「恥を忍んで」彼女を板児の嫁に「招いた」ことを指すのではないかとされます。

 宝玉は宝釵・麝月とともに困窮の日々を送る
 脂批によれば、宝玉は襲人はじめ召使い一同を解放しますが、麝月だけは残して(襲人の推薦による)妾としたとされます。しかし、この時の宝玉夫妻は食事にも事欠くほどの極貧生活であったとされます。

 襲人は茜香羅の縁により蒋玉函と結婚する
 襲人は俳優の蒋玉函と結ばれます(程高本と同じ)。脂批によれば第81回以降に「花襲人有始有終」の回があったようです。蒋玉函・襲人夫妻は没落後の宝玉らを支援したものとされます。

 宝玉は宝釵・麝月を棄てて出家する
 脂批によれば、宝玉は最後に一大勇猛心を奮い起こし(懸崖撒手)、出家して僧になったものとされます。しかし、異説もあり、清末民初の野史や口伝では、拍子木を叩いて歩く夜回りや町の見回り役となり、乞食となった湘雲と結婚したとするものもあります。
 また、梁帰智氏は宝玉は「2度出家した」とする説をとっており(出家と湘雲との再婚を共に実現させるため)、宝釵・麝月を棄てて一度目の出家をするものの、仏門に活路を見いだせず、また精神的破綻にも追い込まれ、ついには還俗して湘雲と結婚、しかし茫茫大士らに強制的に青梗峰に連れていかれる二度の出家があるとするものです。

 賈蘭は立身するも、李紈は十分に福報を受けることなく没する
 「金陵十二釵正冊」の判詞および紅楼夢第十二曲によれば、賈蘭が顕官に至ったために李紈は一時の富貴を楽しむことができますが、程なく亡くなってしまうものとされます。

 湘雲の結婚相手は・・・?
 湘雲の結末については大きく2説があり、脂批に「衛若蘭が矢場で金麒麟を入手する」ことが記されていることから、貴公子衛若蘭と結婚するものの、後に何かの原因で離縁する(または若蘭が急逝して寡婦となる)との説(胡適、蔡義江氏ら)と、衛若蘭の仲立ちによって宝玉と結ばれるとする説(周汝昌氏)です。梁帰智氏も、金玉縁と麒麟縁を交錯させた「間色法」であり、宝釵と湘雲の結婚相手はともに宝玉であるとしています。
金玉結合説について
・清代の平歩青氏→ 湘雲が宝玉に嫁ぐからこそ「因麒麟伏白首双星」の語がある。
・清代の趙之謙氏→ 宝釵は難産で亡くなり、困窮していた宝玉は、既に寡婦となっていた湘雲と結ばれる。
・周汝昌氏の説→ 賈府に続いて史家も没落し、湘雲は流浪の末に衛若蘭の家の召使いとなる。ある日若蘭が偶然入手した金麒麟を見て湘雲が涙を落とし、不審に思った若蘭が問いただして、彼女が宝玉の従妹であることを知る。二人は馮紫英の援助を借りて宝玉を探し当てるが、この時宝釵は既に亡く、宝玉は仏門に入っていた。若蘭の仲立ちで宝玉と湘雲はついに結ばれる。

 宝玉が太虚幻境に帰り、「警幻情榜」を見る
 宝玉は全ての結末を見届けた後、再び僧と道士に導かれて太虚幻境に戻ります。脂批によれば、最終回にて警幻仙姑に導かれて「警幻情榜」を見ることになり、そこには正・副・又副・三副・四副の女性達の名前が記されていたようです。また、宝玉の名前は「諸艶の冠」としてその筆頭に出ていました。