紅楼夢雑録

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[紅楼夢の人物] [紅楼夢の描写] [紅楼夢の作者
(1)紅楼夢の人物
Q1.秦可卿は皇族の出身なのか?(「紅楼夢之謎」より)

 作品中では秦可卿の出身は貧しく、孤児院で育てられ、秦業に引き取られたとあります。しかし、秦可卿の出身は貧しくはないとの説を作家の劉心武氏が唱えております。その論拠は以下のとおり。
1)秦業は70歳に近いと書かれており、秦業が可卿を引き取ったのが20年前なら50歳手前。封建社会では子供ができなければ側室をとり、生殖能力がなければ血族に後継ぎを探すことができた。秦業はのちに秦鐘を産んでいるから生殖能力はあるわけで、孤児院から子供をもらう必要がない。更に、どうして男の子だけでなく女の子も引き取る必要があるのか。以上から秦業が孤児院から可卿を引き取ったとの話は信じられない。
2)可卿の出自がそんなに貧しいなら、なぜ史太君の「数ある孫嫁の中で一番のお気に入り」になれるのか。豪勢を誇る賈家の人々がなぜ皆、彼女に恭しく接するのか。
3)可卿の部屋には「海棠春眠図」を始め高価な品々が並べられており、彼女の身分が高貴なことを暗示している。
4)可卿は賈家の中心にいて家政を見ているし、全く卑しさがないどころが、その気勢は賈家の人々に優るものである。これは彼女の血統が賈家よりも高貴、つまり皇族の出身であることをを表している。
5)警幻仙姑は可卿を「私の妹」と呼ぶのに対し、寧・栄国公の御霊は警幻仙姑の前ではペコペコしている。つまり警幻と寧・栄は君臣の関係にあり、警幻の妹である可卿の身分は自明である。
6)可卿が死ぬ直前に煕鳳の夢の中でした話は、決して出自の貧しい者が言える内容ではない。お家取り潰しの痛みを経験した者だけが話せる内容である。
7)可卿の送葬の時、北静王が自ら弔問に訪れ、賈珍らが応対したのちもなお帰ろうとしなかった。官位を授かったばかりの賈蓉にはそれほどの対応を受ける理由がない。
8)可卿に用いた棺は非常に貴重な品で、もともと義忠親王が注文したが受け取れなかったもの。賈政は「これは常人の使うものではない」と言って恐れたが、賈珍はこれを用いた。もとより可卿は「常人」ではない。
9)脂評によれば秦可卿の死のくだりに紅楼夢の原稿の4、5ページを割いている。紅楼夢の文筆から考えれば、この4、5ページが全て色情の描写であったはずはない。可卿の出身についてもここで述べられていたはず。
10)史料によれば、曹頫は雍正の弟で彼の政敵でもあった允榶に替わって一対の金獅子を所蔵していたのをのちに暴かれている。曹家が雍正初期の帝位抗争にまきこまれたことを示しているが、金獅子が隠せるなら人も隠せるのでは?それは生まれたばかりの嬰児ではないのか?
11)以上から考えると、秦可卿の出自はかなり高貴な家柄で、その父母は皇族内の権力闘争に敗れて、可卿と弟を孤児院に送った。賈家とその父母は元々親交が深く、秦業に二人を引き取らせた。弟は病死し、可卿は寧国邸に子守として採用された。賈家の主人たちは彼女の出自を知っていたので彼女によくした。史太君は彼女を宝玉に娶せたかったが宝玉はまだ幼なかったので、年相応の賈蓉と娶せた。賈珍は二人の成婚前に可卿を愛してしまった。「紅楼夢」の物語の背景には、政界の陰謀を逃れ、まだ公然と無実を訴えられないものの、その芽が見え始めた可卿の家族がいた。しかし「天香楼事件」で可卿は自殺し、賈家は可卿の家族に深い恨みをかう。彼女の葬儀を盛大に行ったのは、賈家が可卿の家族の機嫌を取るためだったのである。
秦可卿の出自が貧しいかどうかは討論の価値ある問題です。

Q2.妙玉は宝玉に恋愛感情を持っていたか?(「紅楼夢之謎」より)

 妙玉は蘇州に生まれ、「先祖代々学問をもって仕えた家柄の出」で、幼時より病気がちだったために仏門に入りました。師匠の「故郷に戻らないのがよい」との遺言を受けて都に留まっていた折、賈家の「招聘状」に応じて櫳翠庵の尼として大観園に入りました。
 彼女の性格は高慢ですが「情縁」を断つことができず、一度知己に会ってしまうと「恋愛の情」を生じていました。妙玉は宝玉にとても好意を持っていましたが、その身分と高慢な性格が邪魔をし、彼女自身もそれを押し隠していました。櫳翠庵で茶を比べるくだりでは、彼女の宝玉への態度はとても微妙なものがあります。宝釵と黛玉には名のある茶碗を渡しておきながら、宝玉には「自分が普段使っている緑玉の斗」を渡そうとしました。妙玉には潔癖なところがあり、劉婆さんが使った茶碗を、要らないというばかりか、櫳翠庵の中にさえ留め置かせなかったのに、どうして自分が普段使っている茶碗を宝玉に使わせようとしたのでしょうか。彼女が宝玉に相当好意を持っていたのは明らかです。そして自分の真情を隠すために、妙玉は宝玉にこう言っています。
「貴方がお茶を飲めるのもお二人(宝釵と黛玉)のおかげですよ。一人でいらっしゃったら差し上げなかったところです」。
 いったい宝玉が宝釵と黛玉のおかげなのか、宝釵と黛玉が宝玉のおかげなのか、妙玉の心中はおのずと知れましょう。
 第50回では李紈が宝玉に櫳翠庵の梅を一枝もらってくるように頼む場面があります。
「櫳翠庵の紅梅が見事に咲いているのを見て、一枝所望して花瓶に挿したいと思ったんだけど、私、妙玉さんの人柄が嫌で関わりたくないの。あなたに罰として一枝所望してきてもらえないかしら」。
 妙玉の人柄を「嫌だ」と言っておきながら、どうして宝玉に行かせたのでしょうか? おそらくこの人生経験豊富な寡婦は、妙玉の宝玉への好意を既に見抜いていたのでしょう。宝玉が櫳翠庵でいかに梅を所望したかははっきり書かれていませんが、宝玉は「どんなに気を使ったか知れない」と言っています。おそらく妙玉は渋り、懇願する宝玉に気をよくして、一枝取らせたのでしょう。宝玉がもらった梅の枝を見る限り、彼は細心の選択をしたようです。彼女の同意と援助がなければ、あのように見事な梅をもらうことはできなかったでしょう。
 また、宝玉の誕生日には、誰も妙玉に通知しなかったのに、妙玉は人を寄越して「檻外人妙玉」との名刺を寄せました。邢岫烟の助言により宝玉は「檻内人宝玉」との名刺を返しています。
 妙玉の身の上はとても奇妙です。作品中では富豪の家柄と紹介されていますが、たとえ両親が亡くなっても出家する道理があるのでしょうか。出家した以上は京に来る必要があるのでしょうか。京に出て来てなぜ賈家に入ったのでしょうか。この謎を解くには、一つ注意しなくてはならないことがあります。則ち妙玉は蘇州出身だということです。
 林黛玉の本籍も蘇州です。妙玉の出家は「体弱く病気がち」だったためですが、黛玉も体弱く病気がちで、3歳の時に瘡頭の坊主に出家するように言われています。また、幼くして人さらいに売られた香菱も本籍は蘇州です。
 作者は物語の冒頭に「真事を隠す」と述べています。香菱の父の名も「甄士隠」でした。甄士隠の没落は隣の坊主が引き起こした火事によるもので「火は次々と広がって」、街は全焼し、甄家も瓦礫と化しました。
 この大「火災」とは、実は雍正帝の曹家と李煦家に対する取り潰しのことです。李煦は曹寅の義兄で、紅楼夢の作者(曹頫)の伯父にあたり、かつて蘇州織造を30年あまり務め、雍正の政敵・胤禟に通じていました。康煕61年(西暦1722年)に雍正が帝位につくとすぐに李煦の家は取り潰され、その後「火は次々と広がって」、曹家も取り潰され、曹頫は職を罷免されました。
 この歴史を理解していれば、なぜ林黛玉、妙玉、香菱らが皆蘇州と関係があり、来歴が奇妙なのかがわかります。つまりこの三人は李家を幸いに逃れた者達をモデルにしているのです。妙玉の作った詩の「石は奇にして神鬼摶ち、木は怪にして虎狼蹲る」を見る限り、彼女は激しい恐怖心をうえつけられた事件を体験しているはずです。
 妙玉が「罪人」の家を逃れて賈家に到ったなら、出家は迫られて行ったもの。彼女は普通の生活を渇望し、人々の中に入ることを渇望しますが、彼女の出家した身分が邪魔をし、また彼女自身がそれをできず、黙々と寂しさを忍ばねばなりません。宝玉が彼女の生活にわずかなの彩りを添えても、彼女はそれが結局かなわない幻想であることを知っています。彼女が宝玉へ渡した名刺に記した自称「檻外人」には、かすかに彼女の絶望の気持ちを感じられないでしょうか。

Q3.薛宝釵は最後に賈雨村と結婚したのか?(「紅楼夢之謎」より)

 薛宝釵は『紅楼夢』の重要な人物であり、彼女の結末をはっきりさせることは『紅楼夢』という巨編を理解するために重要です。
 後40回は作者の原意に符合しない部分もありますが、大部分は原意と大差はありません。しかし、脂評でいうところの巻末の「情榜」、宝玉が「寒冬、酸齏に噎び、雪夜、破毡を囲む」、茜雪・紅玉の「獄神廟に宝玉を慰める」、宝玉の「懸崖撒手」などは現存の後40回中には見えません。宝釵の結末がどうなったかについても謎となっています。
 現存の後40回では宝釵の結末は次のとおりです。宝玉が僧と道士について失踪したと聞き、薛宝釵は「あまり泣いて人事不省になりました」(この時宝釵は既に身籠もっていました)。宝玉と宝釵を結婚させたことを後悔する王夫人に対し、薛未亡人は「幸い妊娠していますから、いずれ外孫を産み、きっと立派に成長して将来その甲斐があるでしょう。李紈さんをご覧なさい。今や蘭ちゃんは挙人に及第し、来年進士になれば、役人になるではありませんか。彼女も苦労を嘗め尽くし、今良いことがやってきたのも、その人柄のお陰です。うちの嬢やの心根はお姉さまもご存知で、決して酷い仕打ちや軽はずみなことをする人ではありません。心配はいりませんよ」と言っています。
 薛未亡人のこの話は二つのことを示しています。(1) 宝釵は宝玉のために後家を守ること、(2) 薛宝釵は「貴人」を産み、第二の李紈となって「老いて富貴となるのも幸い」となるかもしれないということ。
 作者は読者がこの点を見過ごすのを恐れて、さらに巻末で賈雨村と甄士隠の対話を通じて薛宝釵の将来について記述しています。
 士隠は「(宝玉は)いささかの霊験を示し、試験に及第し、貴人をなし、この玉が天地の奇霊を受け、俗世には比するものがないことを表したのです」と言い、さらに宝釵の子の名前をも示して「将来は蘭桂斉しく芳しく、家道初めに復すのも、また自然の道理です」と言っています。賈雨村は「そうだ、現在あちらの邸には蘭という人がいて挙人に合格し、ちょうど『蘭』の字と一致します。老先生が『蘭桂斉しく芳しく』また『試験に及第し貴人をなす』と言ったのは彼に異腹の子があって大した出世をするということでは?」。士隠は微笑して「それは後事ゆえ予言はできません」と。
 しかし作者の原意では、薛宝釵はこのような結末をとらず、賈家は一敗地にまみれ、没落します。第5回の紅楼夢の『飛鳥各投林』の曲に「老いて富貴なるももっけの幸い」との句が見えますが、これは薛宝釵のことを指しているのでしょうか? いえ、これは李紈のことです。李紈の判詞と、彼女を歌った『晩韶華』の曲は、李紈は長く苦労を堪え忍び、その子・蘭は大した出世をするものの、彼女自身はほどなく亡くなってしまい、ついに悲劇に終わることを示しています。「老いて富貴となる」のは宝釵ではありません。作者の原意では、宝釵の結末はいったいどうなるのでしょうか?
 前80回中の伏線と脂評によれば、賈家は家産没収されて「白茫すっからかんの大地」となり、宝玉は捕まって獄につながれるようです(獄神廟)。最後に宝玉は宝釵・麝月を棄てて出家します(懸崖撒手)。
 宝玉が「懸崖撒手」をした時、賈家は既に没落し、家計は非常に困難な状況でした。宝玉の出家後、宝釵はどうなってしまうのでしょうか? 「四大家族は一つが落ちぶれれば皆落ちぶれ、一つが栄えれば皆栄える」ことから、この時には薛家も既に没落していました。
 宝釵の結末については誰も仔細に考察したことがないようです。しかし作者は手がかりを一つ残しています。第1回で雨村は次のような句を吟じました。
「玉は櫃中にありて善価を求め、釵は奩内で時を待って飛ばんとす(待時飛)」
 この聯をよく見ると重大な内容が含まれています。私達は賈雨村は「姓は賈、名は化、字は時飛、別号は雨村」だということを知っています。同じ回で作者が「釵は時飛を待つ」と述べたことは、はっきりと我々に教えてくれます。宝釵は最後に賈雨村と結婚したのです。
 これは驚くべきことですが、よく考えるとこの結末は理にかなっており、作者は多くの伏線をおいています。
 雨村が応天府に赴任して最初に担当した裁判は薛蟠の殺人事件でした。門番の「献策」により、雨村は法を曲げていい加減に裁きをつけました。雨村のこの行為に対して薛家は恩を感じ、好意をもったはずです。
 宝釵は「国を治め世を救う」男性を敬っており、第32回では役人と交際して学問を深めるよう忠告した湘雲や宝釵を、宝玉が煙たがっていたことが書かれています。第34回では宝玉が折檻され、薛宝釵は悲しがりつつも「早く人の言うことを聞いてくれれば今日のようにはならなかったのに」とか「宝玉さんの日頃の心がけがよろしくない、ああいう人たちと進んで交際しているのですから」と述べています。第36回では養生している宝玉に「意見がましいことを言う」宝釵に対して、宝玉は「清浄潔白な女児でありながら名誉につられて国賊どもの仲間入りをするとは!」と罵りました。
 宝釵は宝玉が「毎日家で女の子たちと交じっている」のが気に入りませんでした。雨村のように官となって「国を治め世を救う」話をする人に対しては共感するものがあったのでしょう。
 雨村が甄士隠と知り合った時、彼は「上京して功名を求めに」行く準備をしていました。雨村が第1回で口ずさんだ詩「天上の一輪わずかに捧げ出づれば、人間の万姓頭を仰いで見る」は雨村の野心の大きさを十分に示しています。
 そして宝釵が上京した目的の一つは女官候補となるためで、雨村と大差ありません。第70回の「咏絮の詞」には「よき風の力を借りて雲のかなたに昇りゆかまし」とあり、二人の詩は何と似ているではありませんか。
 雨村は奸雄ではありますが、いわゆる「才能と容貌とを併せ持った人」です。書中の描写を見ても彼の容姿は「雄壮」であり、またかなりの文才を持ち、進士でもあることからその才は大きいものがあります。
 また雨村は多情の人です。彼は賈家を頻繁に訪れており、「才能と容貌とを併せ持った」薛宝釵のことを聞き及んでいないわけがありません。きっと心中では「慕うこと久しくても縁なきばかりに相見えず」だったでしょう。宝釵が困窮しているのを見れば、助けの手を出すのも情理あってのことです。生きるのに精一杯でまして冷静な薛宝釵なら、才能と容貌を併せ持ち、自分と価値観を同じにする賈雨村という人物が現れれば、「やむなく」彼に嫁ぐのもその心情に符合するものでしょう。
 また他にも宝釵が雨村と一緒になりうるケースが二つあります。
1.罪人の家族として、家産没収後に賈雨村に賞与される場合
 雨村は忘恩不義の輩です。彼が上京して試験に望んだ時の路銀は甄士隠が提供したもので、彼は甄士隠と深い交友がありました。彼が応天府に赴任し、薛蟠の殺人事件を審理した際、薛・馮家が争った女性が恩人の甄士隠の娘・英蓮だと知りながら、彼女を救いませんでした。また手下の門番、すなわち彼が寄寓していた葫蘆廟の小坊主とは古い知人であり、審理の際に護官符を提供して彼の地位を守ってくれたのに、彼はその恩に報いるどころか、門番が自分の貧乏時代のことを言いふらしはしないかと思って、彼の悪事を暴いて遠方に流罪にしています。
 雨村が復職する時には賈政が力になり、賈家には恩があるわけですが、彼の性格を考えれば、賈家が失勢した時にはきっと恩を仇で返すでしょう。一つは保身のために関係を清算するため、二つは新しい主人を求めるためです。
 賈家の威光は一つは祖先の恩徳、二つは元春妃の力によるものです。元春妃が「虎兎に相逢うて大夢に帰す」後に、「忠順親王」らが讒言を行って、賈家という氷山は崩れ落ちます。雨村はこの時すかさず「摘発」を行い、断言はできませんが、皇帝の満足を得て、賈家の人と財産とを与えられたのでしょう。その中には当然薛宝釵も含まれます。この時、黛玉は既に亡く、探春は嫁ぎ、惜春は出家し、巧姐は人にさらわれ、宝釵の容貌は衆に抜きん出ていました。雨村はきっと彼女を妻か妾にするでしょうが、そこには嬌杏ような「もっけの幸い」はありませんでした。
 このように推測するのには歴史的な根拠があります。曹家が家産没収された後、「所有する人と財産」は随赫徳が賜っているからです(馮其庸「曹雪芹家世新考」より)。
2.罪人の家族として「競売」された時に賈雨村に買われる場合
 曹寅の義兄・李煦の家が家産没収された後、その子女たちは蘇州で競売され、その後北京でも売られました(周汝昌「曹雪芹小伝」より)。賈家の家産没収の後には宝釵らにも同じ運命が待っていたのかもしれません。賈雨村がその全てまたは一部を買うこともできたでしょう。
 「紅楼夢」に描かれる家産没収は、作者の原意ではとても悲惨でした。飢餓や寒さはもちろん、人の恩賜や身売りなどさまざまな状況の下で、宝釵も「やむなく」「恥を忍んだ」のでしょう。
 「紅楼夢」では従来より「晴雯は黛玉の影、襲人は宝釵の副」とする説があります。晴雯の惨めな死は黛玉の惨めな死を意味します。だから宝玉が「芙蓉女児誄」を読んでいる時に黛玉がやってきたのですし、このくだりの庚辰本の脂評にも「晴雯を誄すといいながら実は黛玉を誄することを知るべし」とあります。
 晴雯の結末が黛玉の結末を暗示するのでしたら、襲人の結末は同様に宝釵の結末を暗示しています。第5回の判詞から襲人は一人の役者と結婚することが示されています。この役者は蒋玉函といい、第28回に茜香羅の縁で二人が結ばれることが暗示されています。「襲人は宝釵の副」であり、襲人が「再婚」するならば宝釵も必ず「再婚」するのです。
 もちろん宝釵の再婚は宝玉の無情とも大きく関係があります。紅楼夢の『終身誤』の曲に「皆金玉の良縁と言えど我はただ木石の前約を思う」とあるように、結婚した後も宝玉の心は亡くなった黛玉の身上にあり、二人の間には虚礼ばかりで夫婦としての感情が何もなかったと言えるでしょう。作中で何度か描かれたように宝玉は潜在意識の中で「金玉縁」に反対し、黛玉のみを終生守ろうと心に思っていました。
 ただし、宝玉は宝釵に対しても心が動かないわけではなく、第28回では宝釵の腕にぼぉっと見とれています。しかしこれは程度の浅い生理的な羨望であり、深い感情とは言えません。だから黛玉が死んだ後、宝玉はまず襲人を遠ざけ、のちに宝釵を棄てました。
 抽象的意味でいえば、「金玉縁」と「木石縁」は人類のもつ最も基本的な二つの結婚の価値を象徴するものです。木石縁は先天的で金玉縁は後天的です。木石縁は感情を基礎とし、ゆえに「涙で返す」話が出てきます。金玉縁は物質を基礎とし、ゆえに「金玉」の論が出てきます。木石縁の結末はいつも悲劇ですが、人々の心に永遠の暖かさを残します。金玉縁はいつもハッピーエンドですが、微笑みの背後には巨大な悲しみが潜んでいます。木石縁は失ったようで本当は手にしており、金玉縁は手にしたようで本当は失っているのです。
 このように、賢淑な宝釵も再婚せねばならないことは、実は封建社会の礼法に対する最大の風刺であり、「群芳に艶冠たる」宝釵が賈雨村に嫁ぐことで、同時に作者の理想郷・大観園は結局は「太虚幻境」にすぎなかったことを宣告したのです。この冷酷な事実は、薄汚れた社会の中で浄土を保持することは不可能だということを雄弁に物語っています。秩序ある社会があってこそ、文明と人道が代わり得て、大観園が存在できるようになるのです。

Q4.『紅楼夢』の初稿では宝釵と黛玉は一人だったのか?(「紅楼夢之謎」より)

 『紅楼夢』第42回の回前に脂硯斎の批語があります。
「宝釵と黛玉は、名は二人だが、人は一身であり、これ幻筆なり。いま書いて三十八回に至る時すでに三分の一を過ぎて余りあり。故にこの回を書くにあたり、二人を合わしめて一人とする。黛玉逝りて後の宝釵の文を見れば、私の言が謬りでないことがおわかりであろう」(庚辰本)
 この批語はかなりの論争を引き起こしました。作中の宝釵と黛玉は明らかに二人であるのに、どうして「一身」であると言うのでしょうか? まして宝釵と黛玉は性格も全然違うし、恋のライバルでもあります。しかし、脂硯斎が『紅楼夢』に付した批語は決して気儘に書いたものではありません。この批語を簡単に否定してしまっては、『紅楼夢』の底辺を理解する機会を失うことになるでしょう。
 過去、「釵黛合一(宝釵と黛玉が一つになる)」というこの問題に対し、紅学界では多くの場合、作者の宝釵と黛玉に対する態度という面から理解しようとしました。しかし私は、創作過程の面からこの問題を理解すべきだと思います。実は、初稿では宝釵と黛玉は一人だったのです。これについては、作中に多くの証拠を見つけることができます。
 第五回で賈宝玉が太虚幻境を訪ね、「金陵十二釵正冊」を見ました。奇妙なことに、ほかの人物はみな一人一図、一人一詩があるのに、宝釵と黛玉は一緒に詠まれ、また絵も一つだけなのです。兪平伯先生はこれに疑問をもち、「第五回の太虚幻境の冊子は、名は十二釵正冊といいながら、絵は11枚、詩は11首しかなく、黛玉と宝釵は合わせて一図一詩にされている。まさかこの二人が一図一詩を独占できないほど重要ではないというわけでもなかろうに」と述べています(『紅楼夢研究』より)。
 これをどう解釈すべきでしょうか? 初稿では宝釵と黛玉は一人の人物で、後に描写の必要から一人を二人に分けたものと説明できます。ですから曹頫(脂硯)は「宝釵と黛玉は名は二人だが、人は一身である」とわざわざ指摘したのです。しかし、後から初稿の一人を二人に分けたため、定稿中にいろいろと矛盾が残るのを免れ得ませんでした。
 第二回によれば、林家の祖先は「かつて列侯を襲爵し」、黛玉の父・林如海もまた「探花」に及第して巡塩御史に任じられ、林家は「由緒ある名門」でした。賈夫人が死んでも、林家には何人かの侍女や女性の使用人がいたはずです。林如海のような家で、どうして親戚を頼って、愛娘を遠くに行かせなくてはならなかったのでしょうか? また、林黛玉が賈府に入った時、彼女はまだ七歳でしたが、書中の描写を見る限り、彼女の気の使いようは、とても七歳の子供とは思えません。
 第12回末、林如海は「冬の末」に病気になり、黛玉は楊州に帰ります。しかし第14回で昭児は煕鳳に「林のお殿さまは9月3日にお隠れになりましてございます」と言っています。林黛玉が「冬の末」に南に帰り、賈府は秦氏の葬儀を行っていますから、林如海の死は初春か晩春であるはず。9月3日に死んだと言うのは明らかな誤りです。
 このような時間的混乱はまだあります。第26回、薛蟠が宝玉を騙して連れ出した時に、「実は明日の5月3日は私の誕生日なんでしてね」と言っており、この日は5月2日であるはずです。しかし第27回では「明ければ4月26日、この日は未の時が芒種節に当たっていた」とあり、5月2日の翌日が4月26日という奇妙なことになります。第29回では時間が再び第26回とつながり、「それから一日おいて5月3日。その日は薛蟠の誕生日とあって、薛家では酒肴をととのえ芝居を催して、賈家の人々を招待した」とあります。
 つまり、第26回後半から第29回前半までの内容は、後から追加されたものなのです。第26回の後半では黛玉が怡紅院を訪ねますが、晴雯は黛玉だと分からずに戸を開けません。第27回では宝釵が蝶を追い、黛玉が花を葬います。第28回では宝玉と黛玉が互いの腹の内を打ち明けて誤解を解きます。元春からの下賜物があり、宝玉と宝釵の分だけが一緒でした。また、宝玉が宝釵に見とれます。第29回前半では清虚観に祈祷に出かけ、宝玉と黛玉が金麒麟のことで喧嘩する…といった具合に、この部分は、宝釵と黛玉が関わっている場面です。初稿では一人の行動だったのが、定稿では二人の行動に分けられたために、時間の逆転が生じ、第26回から第29回までは時間が前になったり後になったりしたのです。
 黛玉が賈家に入った理由には無理がありますが、宝釵が賈家に入った理由にはさらに無理があります。
 薛家が上京したのは、一つには女官候補となる宝釵を送り届けるため、二つには親戚訪問のため、三つには古い帳面の引合いをすませ、さらに新規の御用をとりつけるため、四つには遊覧のためでした。しかし、これにはつじつまの合わない点がいくつかあります。第一に、宝釵を女官候補として送り届けると言っておきながら、このことが後文では触れられません。第二に、薛家は都にも「家屋がある」のに、賈家の梨香院に住まなければなりませんでした。宝釵と黛玉の来歴が後から加えられたために、種々の矛盾が残ったのです。
 これらの矛盾点に対しては、既に呉組緗先生の詳論があります(『在第六届全国<紅楼夢>学術討論会上的発言』『紅楼夢学刊』1989年)。
 宝釵と黛玉が一人の人物から分離したのなら、この「一人」とは誰なのでしょうか? 答えは秦可卿の原型です。
 第五回、太虚幻境を訪ねた宝玉は、十二支曲を聞いたのち、とある婦人部屋へ案内されます。そこには一人の女性がおり、「そのあでやかでなまめかしいところは宝釵を思わせるし、しかしまたそのなよなよとして粋なところは黛玉のようでもあり」ました。この女性は乳名を「兼美」、字を「可卿」といいました。「兼美」の二字の後に、脂硯斎は批をはさみ「うまい。思うに薛・林を指して言うなり」とあります。これは、秦可卿が宝釵と黛玉の特性を兼ね、二人が可卿の「ダミー」であることを暗示しています。
 性格から見ても、宝釵・黛玉は秦可卿のダミーです。
 宝釵は「品格が端正で、容貌がふくよかに美しく」、「することが大らかでさばけており、よく分をわきまえ、潮時をこころえています」。秦氏が死んだ後、「長上の人々は、彼女がつねづねよく仕えてくれたことを思い、同輩の人々は、彼女がこれまで睦まじくつきあってくれたことを思い、年下の人々は彼女がかねがね慈しみ深かったことを思い、また家中の召使いたちにしても、老少の別なく、彼女が平生から貧賤の者に対してよく目を掛けてくれ、老人子供にも情をかけてくれた恩義を思って…」。この部分は、宝釵に替えてもぴったりと当てはまります。
 黛玉は由緒ある名門の出で、父の林如海は進士より出身し、祖先も「列侯」を襲爵しています。理屈から言えば、このような家の出身の娘が、傲慢にならずに劣等感をもつでしょうか? なのに黛玉はいつも引け目を感じています。林黛玉が「他家の世話になっている」からだと言う人もいますが、実際は逆に、黛玉の賈家の中での地位はかなり高いのです。賈家の最高権力者・賈母は血のつながった外祖母であり、賈家第二の人物・賈宝玉とは常に一緒で非常に親しく、賈家第三の人物・王煕鳳も彼女に対しては敬意を払い、おべっかを使って取り入ることさえあります。林黛玉は他家の世話になっているどころか、賈家の中では「主中の主」なのです。
 賈府の中でかくも重要な地位にいる林黛玉が、内心では極端に引け目を感じているのはどうしてなのでしょうか? 彼女の性格はその出身や地位とは一致しません。しかし、林黛玉という人物が、秦可卿から分化してできたことを知れば理解できます。
 秦可卿の父・秦業は、営繕郎を任じられてはいますが、秦鐘が入塾する時の入門料を「あちこちから工面して」ようやくかき集めるなど、生活は豊かではありませんでした。まして、秦可卿は秦業の実娘ではなく、孤児院からもらわれたものです。このような家庭、このような出身の者が、賈家のような家庭で引け目を感じないはずがありません。
 第22回、湘雲が歌戯の小旦が林黛玉に似ていると言い、宝玉が彼女を制しようと目くばせして、逆に黛玉を怒らせる場面があります。黛玉が宝玉に言うには、「あなたはどうして雲ちゃんに目くばせをなすったの? …あちらは華族の娘だし、あたしはどうぜ貧乏人の娘です。」
 これは、黛玉のような輝かしい出自の者が言い出すことでは絶対にありません。秦可卿のような出身の者だけが言い得る話です。
 第5回の判詞と十二支曲によれば、秦可卿は全巻の最後で首をつって自殺することが分かります。彼女の判詞は正冊の第十一首で、十二釵の最後であり、可卿を詠んだ曲の名は『好事終』で、次の曲は『収尾・飛鳥各投林』であるからです。現行本では可卿「一人」を「二人」に分けるため、作者は彼女の「死」を早め、その言動・場面・心理を宝釵と黛玉の両人に分担させました。そのため、多くの描写上の手落ちが出現しました。
 秦可卿から分かれた二人の人物が、どうして名を林黛玉、薛宝釵というのでしょうか? 第5回『金陵十二釵正冊』の第一葉の絵と判詞を再度見てみましょう。
「その第一葉には、二本の枯木に一本の玉の帯がかかっており、また雪が積もっていて、その雪の中に金の簪が落ちています。これにもやはり四句の詞書きが添えられています。
 嘆ずべし機を停むるの徳
 憐れむに堪えたり絮を咏ずるの才
 玉帯は林中に掛かり
 金簪は雪裡に埋もる」
 この判詞の内容は今まであまり明らかにされませんでしたが、実はこの判詞は秦可卿が首つり自殺をする時の状況を述べているのです。秦氏が自殺したのは冬であり、枯木で首をつり、頭に挿していた金簪が雪中に落ちます。「玉帯は林中に掛かり」から、ダミーの名は林黛玉(林帯玉)であり、もう一人のダミーの名は薛宝釵(「金簪は雪裡に埋もる」を意味する)なのです。
 この宝釵と黛玉を詠んだ判詞と、脂批が提供する秦可卿の死ぬ時の状況は完全に一致します。靖藏本第13回の回前批によれば
「秦可卿が天香楼に淫喪したのは作者が史筆を用いたなり。…その言その意は人をして悲切感服せしむ。特にこれを赦し、芹渓に命じて「遺簪」「更衣」の諸文を刪り去らしむ。これによりこの回はただ十頁のみ、四,五頁を少却せり」
 秦氏が死ぬ時に果たして「遺簪」(金簪は雪裡に埋もる)の場面があったのです。この批語は宝釵と黛玉が秦可卿の「ダミー」であることをさらに証明するものです。
 二人が秦氏のダミーであることは、作者が更に指摘しています。『紅楼夢十二支曲』の中の『枉凝眉』は宝釵と黛玉を詠んだものですが、この曲の中で、二人について「ひとりは水の中の月」「ひとりは鏡の中の花」と述べています。すなわち宝釵と黛玉がダミーであることを意味します。
 前で述べたとおり、「秦可卿」の言動は宝釵と黛玉の二人が分担しました。ならば秦氏の首つり自殺の場面は誰に分けられたのでしょうか? 現行本では、秦氏は病気で亡くなりました。しかし、彼女が首つり自殺することは、判詞および脂批から知り得ます。宝釵と黛玉が可卿の化身であり、可卿の首つり自殺が現行本では採用されていない以上、二人のどちらかに、初稿の後半部で首つり自殺をする者がいたはずです。そして、それは黛玉であるはずです。
 第17、18回で元春妃が『豪宴』『乞巧』『仙縁』『離魂』の4つの芝居に点ずる場面で、脂硯斎が批しています。
「『一捧雪』中に賈家の衰敗を伏す。『長生殿』中に元妃の死を伏す。『邯鄲夢』中に甄宝玉が玉を送りし事を伏す。黛玉が『牡丹亭』中に死す事を伏す。」(己卯挟批)
 奇妙に思わせるのは、最後の部分だけ、「黛玉が『牡丹亭』に死す」と、前の三つと書かれ方が違うことです。これはどういうことでしょうか?
 「牡丹亭」は怡紅院や瀟湘館のように目立ちませんが、『紅楼夢』中に確かに存在します。庚辰本第17、18回で賈政が宝玉らを連れて、大観園を見て歩く場面があります。
「(賈政は)人々を従えてそこを出ると、築山の坂を曲り、花をくぐり柳を分け、茶靡の棚を通り、さらに木香の棚に入り、牡丹亭を越え、芍薬の畑にふみ入り、薔薇の庭を抜けて、芭蕉の土手に出て、ぐるぐる折れ曲がっていく」
 牡丹亭は木香の棚と芍薬の畑の間にあることが分かります。黛玉はここで死ぬはずだったのです。そして、彼女の牡丹亭での死は決して病死ではありません。「玉帯は林中に掛かり」の判詞のとおり、首つり自殺だったに違いありません。
 以上の論証より、『紅楼夢』の初稿では、秦可卿のみがいて、宝釵と黛玉はいなかったことが分かります。後に作者は、秦可卿という一人の人物を二人に分けたために、作中にはいろいろな「裂痕」が残りました。宝釵は、秦可卿の名門の出で、学識と礼節深く、人あたりがよい面を受け継ぎ、黛玉は、秦可卿の貧しい家の出で、他家の世話になって引け目を感じる面を受け継ぎました。この二人の性格は相反するようで、実は互いに補完するものです。定稿に書かれた黛玉の出身では、さほど引け目を感じる必要がなく、定稿に書かれた宝釵の出身では、それほど他におべっかを使う必要がありません。多くの読者が黛玉を「狭量」、宝釵を「陰険」と感じるのはそのためです。改訂により、人物や環境は大きな改変がなされました。初稿では牡丹亭で首つり自殺するはずだった秦可卿でしたが、「煙雲模糊」の技法を用いてぼやかされたために、彼女の死について、現在の読者たちに疑問を投げかけることになったのです。

Q5.王煕鳳はなぜ賈瑞を殺さなければならなかったのか?(「紅楼夢懸案解読」より)

 鳳辣子とも呼ばれる王煕鳳は、辛辣な手口で数々の悪事に手を染め、作中でも相次いで数名の命を奪っています。その狼毒は陰険で人をして激怒させるものがあります。
 当然、煕鳳が人を殺すのには目的があり、張金哥ら未婚の二人を殺したのは三千両の銀子のためであり、尤二姐を殺したのは自らの地位を守り、自分と寵愛を争う者を排除するためであり、尤二姐の元許嫁を殺そうとしたのは口封じのためです。しかし、賈瑞を殺したのには根本的な理由が見あたりません。煕鳳が残忍な人間であることを認めないわけではありませんが、人を殺すには一定の動機と目的があるはずです。賈瑞を殺す段では、彼女の手口はとても悪辣であり、非常に周到に手はずを整えていて、切迫しているようでもあります。これはいったい何故でしょう?
 これに対し、何其芳氏は「論紅楼夢」で「賈瑞はもとより卑劣な人間ではあるが、煕鳳はなぜ毒計をもってあれほど積極的に彼を殺そうとしたのか?」という疑問を呈しました。
 この謎を解く鍵は、第7回で焦大が酔っぱらって怒鳴りちらした内容にあります。この回で作者は焦大の口を通して賈家の不浄な内幕を暴き出し、覆い隠されたベールを引き裂き、あの「花柳繁華の地、温柔富貴の郷」であった賈府が、実は垢をしまい込み、カビが生えて腐敗した牢穴であることを明らかにしたのです。焦大が怒鳴りちらした中で重要な部分は「灰を掻く(爬灰)やつは掻くし、義弟とくっつく(養小叔子)やつはくっつく」であり、この脅しに小者たちは驚いて「魂も身につかず」、泥や馬糞を彼の口の中に押し込みました。
 焦大の言う「灰を掻く(爬灰)」が賈珍と秦可卿の近親相姦を指していることはすでに定論となっていますが、「義弟とくっつく(養小叔子)」とは誰のことを指しているのでしょうか。我々は王煕鳳を指しているものと考えています。焦大が酔っぱらって怒鳴りちらしたのは、賈蓉が煕鳳と宝玉の車を送って出てきた時であり、作者は「鳳姐と賈蓉はわざと聞こえないふりをした」とはっきり示しています。なぜ「聞こえないふり」をする必要があったのでしょうか? 身に覚えがあったからに違いありません。以前は多くの人が、鳳姐と賈蓉の間の不義の関係を指すとしていましたが、これは絶対に誤解です。なぜなら賈蓉は「草字輩」の者であり、煕鳳にとっては甥にあたり、「義弟(小叔子)」ではないからです。
 栄・寧二府の中で煕鳳の小叔子と呼べるのは宝玉と賈環だけですが、当然この二人は煕鳳と不義の関係になることはありませんので、「小叔子」は賈家のその他の「玉字輩」の人物を探すしかありません。第11回で煕鳳は花園で賈瑞とばったり会いますが、賈瑞が「お嫂さん私をお忘れですか?私でなくて誰でしょう?」と言って煕鳳をからかう話しぶりはかなり奇妙であり、煕鳳の「忘れたわけではないけど、まさかこんなところにいるなんて思いもしないわ」という回答もまた奇妙です。煕鳳が賈家の者に厳しいことは皆が周知であるのに、賈家の嫡系の子孫でもない賈瑞がどうしてこうも大胆なのでしょうか。また、馴染みのある口ぶりで、脅迫するような語気ですらあります。
 第12回の賈瑞の死に引き続いて、第13回で秦可卿の死が描かれますが、第11回の脂批には次のように書かれています。
「可卿の病死は幻情の一劫であり、また賈瑞と唐突に遇うは幻情の一変であり、下の回で共に幻境に帰る」
 これは作者が秦可卿の死と賈瑞の死を対比して書いていることを示し、秦可卿の死が「爬灰」、賈瑞の死が「小叔子を養う」に起因するものと見ることができます。したがって私たちは、石頭記の初期の原稿には煕鳳と賈瑞の不義が描かれ、焦大が罵った「小叔子を養う」とは煕鳳と賈瑞を指しているものと考えます。煕鳳があらゆる手段を講じて賈瑞を殺そうとしたのには、「口封じ」という十分な理由があったのです。

Q6.賈政はなぜ趙氏が好きなのか?(「紅楼夢懸案解読」より)

 中国の封建社会は一夫多妻制の社会であり、金も権勢もある男性は正妻以外に若干の妾をもつことができました。
 正妻と妾の区分は立場だけでなく、地位の尊卑もあります。なぜなら正妻とは「媒酌人を立てて正式に娶った」婚姻がなされ、相手方の家庭出自、文化教養、財産状況などを考慮するため、貴族階級の男性は通常貴族階級の女性を正妻として娶りました。つまり「家柄の釣り合いをとる」わけです。更には結婚で高枝に登ろうとする男性もおり、このような婚姻は愛情ではなく、政治、経済等の利害関係から発しています。
 一方の妾は正妻のような条件も地位も必要なく、妾を入れる主な目的は男性の性欲のためであり、更には子息を生むためです。このため、妾に要求されるのは主に器量、年齢、出産能力であり、身分の低い女性でも上層階級の男性の妾となることもできました。妾の地位は低く、半奴半主で、主人の命を聞くばかりでなく、正妻の圧迫にも耐えなければなりませんでした。
 趙氏は奴隷出身の「半人前の主人」であり、賈政の子である賈環を生んだものの、その地位はなおも低く、「四大家族」の一つである王家の王夫人(すなわち賈政の正妻、宝玉の母)とは比べものにならず、息子の賈環も結局は「庶出」で、賈宝玉のような「嫡出」とは同じになりません。このため、趙氏と王夫人、王煕鳳らとの矛盾はまさに封建社会の大家族によくある「嫡庶の争い」なのです。
 趙氏は圧迫を受ける妾の地位にありながら、正義感も反抗心も持ち合わせておらず、逆に下品で小事に拘泥し、心根も陰険で狼毒をもつ女性です。例えば第25回では馬道婆と結託して王煕鳳と賈宝玉を亡き者にしようと図りました。奴隷出身でありながら「半人前の主人」の身分になった後は、他の侍女や奴隷に対して同情も関心ももたず、逆に危害を加えています。第60回では茉莉粉を芳官の顔にかけ、「すべため!きさまは私が金で買ってきて芝居を仕込んでいる奴だ。たかが淫売粉頭(げいしゃ)のたぐいじゃないか!」と口汚く罵り、芳官の両頬をひっぱたきました。このようなところからも趙氏の人となりを見ることができます。
 賈家の人々は上下を問わず皆彼女を嫌い、誰も好感をもっていません。しかし奇妙なことに謹厳実直を自負する賈政は嫌うどころか寵愛さえしています。これについては、清代の紅学家、姚燮も奇異に感じてこう述べています。
「趙氏の下劣さを以て賈政はかえってこれを好む、またこれ珍しき所なり」(「紅楼夢巻」巻三)
 賈政は趙氏を妾に入れたばかりか、作中を見るかぎり、彼女に対して不満もないようで、時には露骨に肩を持つこともあります。
 我々は、賈政が嫌われ者の趙氏を好いているように曹雪芹が描いたのには深い意味があるものと考えます。作中で賈政は封建社会の儒教的道徳を忠実に守り、伝統思想を頑固に守る正統派として設定されており、彼の好き嫌いは多くの人と相反します。これは、封建社会の儒教的道徳の荒唐無稽さは多くの人の善悪の概念と相反することを有力に証明しています。賈政のように厳格で近寄りがたい格調高雅な君子も実は低俗な人間であるとして、賈政の虚偽性および封建社会の儒教的道徳の虚偽性をもまた有力に証明しているのです。

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