紅楼夢雑録

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紅楼夢の人物] [紅楼夢の描写] [紅楼夢の作者
(2)紅楼夢の描写
Q1.「紅楼夢」の初稿に大観園はなかったのか?(「紅楼夢之謎」より)

 「紅楼夢」という巨著は大変に長い成立過程を経ました。その発展変化は書名からも伺い見ることができます。
 「空空道人はしばらく考えたのち、この「石頭記」をもう一度、念入りに読み返した……して道人みずからは、ついに空によりて色を見、色よりして情を生じ、情を伝えて色に入り、色より空を悟って、かくてみずから名を情僧とあらため、「石頭記」をば「情僧録」と改名した。呉玉峯にいたってこれに題して「紅楼夢」といい、東魯の孔梅渓はこれに題して「風月宝鑑」といったが、そののち、曹雪芹という人が悼紅軒にて、この書を披閲すること十年、改刪すること五たびにして、やがて目録を編み、章回に分け、これに題して「金陵十二釵」とした」(第1回)
 そのつど書名を改めているのは、創作目的だけでなく、内容、ストーリー、構想など全体のスタイルとも関わりがあります。
 「紅楼夢」の書名が何度も改訂されたのであれば、その内容や各回の文字の改訂も当然少ないはずはありません。いったい、最初の版本とはどんなものだったのでしょうか?
 「紅楼夢」の初稿には大観園はなく、大観園は改訂した時に増設された情景なのです。
 大観園は「紅楼夢」の人物の重要な活動の場所であり、「紅楼夢」の環境美を構成する重要な要素です。大観園の住人は、宝玉を除いて、みな文化教養の深い女子であり、彼女たちは美しく活発で、詩や賦をよくします。大観園は現実の世界と対立する別の世界であり、清浄で純粋な「理想国」です。
 大観園の中で、人と自然とは高度な調和と一致がなされています。黛玉が住む瀟湘館は「前面はずうっと続く白塀で、その中に幾棟かの精舎があって、百本ばかりの竹がこれを遮っている……そこを通り抜けると裏庭になり、梨の大木と芭蕉が植わっていて、…その裏庭の塀の下には、突如として穴が一つあいていて、泉水の支流が僅か尺余の溝を通じて塀の内側へそそぎこみ、階や建物をめぐって前庭までくると、竹林の下をうねうねと縫って抜け出る」とあり、この静寂な環境は、黛玉の孤高な性格と完全に融合します。
 寡欲な李紈が居住する稲香村はまた別の情景です。
 「山ふところをまわると、黄土で築いた低い塀が見え隠れしてつづき、その塀はみな藁で葺いてあった。何百本かの杏の花が、火を噴き霞を蒸さんばかりで、その奥に何軒かの茅ぶきの家があり、そのそとには桑・楡・槿・柘などといった各種の樹木が若い芽を吹き出していた。その曲折にしたがって二列に生籬を結い、その生籬のそとの坂の下には井戸があて、そのそばにははね釣瓶や轆轤といったものがある。その下には畦や畝を区切って、野菜や菜の花が限りなく続いている」。
 このような情景はみな唐や宋の詩賦に出てくるようでいて、決して出現したことはありません。これらは我々の民族文化の原型である情趣が集結したものであり、我々がこの情景描写を読むと、魂が大きな衝撃を受けるのも道理です。はるか昔の記憶が心中に覚醒しますが、このような情景は体験したようでいて、間違いなく体験していません。なお、脂評は次のように述べています。
「余はいわゆるこの書の妙は皆詩賦の句中に湧き出てくるものである」(庚辰本第25回)
 宝釵の居住する蘅蕪苑についても見てみましょう。
 「中へ入ったとたんにプーンと、得も言われぬ香が鼻を突いた。いろいろの珍しい草や葛が、寒さとともにかえって翠濃く茂り、いずれも実を結んで、珊瑚珠のように累々と垂れ下がっている有様はまことに見事である。ところが一歩部屋の中にはいってみると、中は雪のほら穴のようにガランとして、骨董一つ飾ってあるわけではなく…」
 宝釵と黛玉の居住環境は同じく「冷」ですが、宝釵の「冷」は広大で、黛玉の「冷」は精緻です。宝釵の冷は人を敬服させ、黛玉の冷は人に愛おしがらせます。
 人と居住環境の調和と一致は、描写の手法だけでなく、更に重要なのは哲学思想であることです。人は動植物のみならず、無機物とも深い縁があり、美とはこのような縁に対して無意識に感じるものなのです。
 ですから、大観園は人の心に残り、その奥には漢民族の典型的な文化意識を反映し、漢文化の原型となる情趣を示しているのです。代々の「紅楼夢」の読者は皆大観園を探し、南京の随園が大観園だと言う者もおり、北京の恭王府が大観園が大観園だと言う者もおります。
 しかし、「紅楼夢」の初稿には大観園はありませんでした。これは各種の材料から見ることができます。
 庚辰本の第16回の描写では、大観園は「寧国府の会芳園の塀や楼門を取り壊させ、直接栄国府の東大院に続くようにした」ので、会芳園は大観園に組み込まれ、もう存在しません。なのに、第75回で賈珍が「会芳園の叢緑堂には、孔雀の屏風を立てめぐらし、芙蓉の褥(しとね)を重ね、妻子姫妾を引き具して、食事のあと酒を飲み、心ゆくまで月見を楽しんだ」とあるのは腑に落ちません。会芳園はすでに無いのに、どこにまた会芳園が出てきたのでしょう?
 第36回では「宝釵はひとりで行くことにし、路のついでに怡紅院の宝玉のところに立ち寄る」と、宝玉はちょうど昼寝中で、襲人は傍らで針仕事をしていました。のちに襲人は用ができて出かけ、宝釵は何気なく宝玉のそばに腰掛けて針仕事をします。これは怡紅院で発生したことですが、この回のタイトルは「絳芸軒にて鴛鴦を繍い夢に兆し」です。
 第59回では春燕が「彼女の母」と衝突し、「春燕はわあわあ泣きながら、怡紅院のほうへ走っていった」のを描いていますが、この回のタイトルは「絳芸軒の裏 将を召し命を発す」です。
 第23回で宝玉が怡紅院に引っ越した後、毎日遊びまわり、「本を読んだり、字を書いたり、琴を弾いたり、絵を描いたり、詩を吟じたり」しています。これらのことは大観園の怡紅院で発生したことなのに、彼が書いた「秋夜即事」の詩には「絳芸軒裡 喧譁絶え 桂魄光を流して茜紗を浸す」とあります。
 「絳芸軒」とは宝玉が大観園に入る前の住居です。第8回で黛玉が宝玉の住居に来た時に、宝玉は自分の書いた文字を評価してもらいますが、「黛玉がふり仰いで、内部屋の入口の戸上に新しく貼られた三字を見ると「絳芸軒」と書いて」ありました。
 上の記述を総合すると、「紅楼夢」の初稿では、すべて大観園はありませんでした。作者が定稿を書き改める時に大観園を虚構したために、多くの破綻が現れました。初稿に大観園がなかったために、賈珍は会芳園の叢緑堂で宴を開いて月を賞でることが可能であり、大観園がなかったために、「絳芸軒」が何度も出現しました。実際は、大観園の怡紅院で発生したものは、初稿では皆絳芸軒で発生していたのです。上に挙げた例以外にも、二つの脂批を証拠として挙げることができます。
 第5回で宝玉が夢で太虚幻境に遊び、警幻仙姑は宝玉を「天下古今第一の淫人」と称し、宝玉が「淫ということがどんなものかすら存じません」と答えた場面では、脂硯斎が批語で絳芸軒中の諸事の光景はこれより生ずる」とあります。これは脂硯斎と初稿の作者が絳芸軒中の出来事を熟知していることを説明しています。
 第44回で賈璉が鮑二の妻と密会し、煕鳳に見つかる場面があります。煕鳳は大いに嫉妬し、平児へも怒りの矛先を向けます。平児は「李紈に大観園へ連れて行かれた」後、「宝玉が平児を怡紅院に連れて行き」、宝玉は平児が化粧を直すのを手伝います。これに対して脂硯斎は批語でこう述べています。
 「突然平児に絳芸軒中で梳粧(化粧)させたのは、世人のみならず、宝玉も又予想できなかった。作者は考え尽くしたのだ。宝玉を描写するに最善なのは、例えば紅白粉の如き、閨閣(女性の部屋)中の事である。新奇な文章に写き成らざれば、則ち宝玉は宝玉に成らず。しかしながら又特に此の為に筆墨を費やすのは都合が悪く、故に思い及んで人を借りて発端とした。然るに人を借りるに又人が無く、襲人の如き輩は則ち連日皆此の如しであり、又一日を選んで細写しても、味がないように思える。宝釵達の如きは姉妹に系がり、幼きより状況を知っているので、襲人の化粧箱をあれこれ探すというのは更に都合が悪い。因って考えを巡らすに、甚だ親しく甚だ疎遠で、また唐突であるべきで、又襲人らと極めて親しく、又襲人らと常に一緒におらず、又襲人の輩の美を持ち、また襲人の輩の修飾(お洒落)を持たざる者こそが発端となる。故に思い及ぶに平児一人こそ此の如くであり、故に思い切って絳芸軒の閨閣の中の什物(日用具)を細写したのである」
 明らかに怡紅院の中のことであるのに、二回とも絳芸軒としています。脂硯斎は初稿の印象が強く、批語をつける時に特にはっきりと示したのです。
 「紅楼夢」第17回で賈政が宝玉を連れて、完成したばかりの大観園を遊歴します。しかし、早期の版本である己卯、庚辰本では17・18回は分かれておらず、二つの版本ともに回前に批語があり、「この回二回に分けるべきが妥当」とあります。
 ここから、第17回の内容は後から加わったものであることが分かります。大観園が加わったことで、その全体像を紹介しなければならなくなりました。内容が増加して紙幅が増大したために、一回分を「二回に分けるべきが妥当」なのです。
 この変更が注意に値する点は、「石頭記」の初稿中で主要な環境であった会芳園と絳芸軒が、改稿では大観園と怡紅院に名を改めたということです。改名しただけでなく、内容も増えて性質も変わりました。塀を取り壊し、園林を増建し、独立した全体像と、親省を迎えるという価値を持ちました。さらに注目すべきは、園に新しく真の男女の主人公たちが入ったことです。第1回に「曹雪芹が悼紅軒にて披閲すること十年、改刪すること五たびにして、目録を編み、章回に分けた」とは確かにそのことであるようです。

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