中国語版めぞん一刻

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○拙訳は管理人の手によりますが完訳は無理なので簡約です。間違いがあれば御指摘ください。
■尖端出版「相聚一刻」の巻末解説

■高橋留美子の最高傑作−めぞん一刻 (唐先智氏)

 『めぞん一刻』は高橋留美子氏の多くの作品の中でもやや特殊なものである。ファンタジックで奇想天外なパロディである『うる星やつら』や『らんま1/2』などに対して、『めぞん一刻』は現実の生活環境を背景に、平凡な人々たちの間で繰り広げられる物語である。
 日本語のできる人たちも『めぞん一刻』の「めぞん」が分からず、辞書にも載っていないのだが、実はフランス語の「MAISON」の音訳で「家」を意味する。「めぞん一刻」とはつまり「一刻館」のことで、この作品はまさに一刻館の人々の日常生活を描いたもので、軽快にユーモアを交えてゆっくりと展開していく。
 『めぞん一刻』で最も精彩を放つのは、作中に登場する各キャラクター。高橋留美子氏の手でやや誇張されてはいるが、彼らは全て実社会の人物であり、高橋氏が彼らの性格をうまくつかんで活躍させている。『めぞん一刻』は読者たちに絶大の支持を受けているが、容易に「代入」できるリアルなキャラクターとも関係があろう。単純・善良かつ気の利かない人物たちは、読者に楽しく作品のポイントを教えてくれる。
 例えば高橋留美子氏は人物の名字に多くの「仕掛け」をしている。まず数字の遊び…響子の夫の姓「音無」に始まり、一の瀬、二階堂、三鷹、四谷、五代、六本木、七尾、八神、九条、そして響子の親の姓「千草」に至り、主要な人物の姓はみな数字と関係がある。これらの数字は時間を象徴しており、一刻館が時計坂にあることで更に明らかである。つまり一刻館の人たちは、『うる星やつら』のキャラたちが永遠に高校二年生であるのとは異なり、『めぞん一刻』の物語は時間とともに推移し、歳月の中でまきおこる悲喜こもごもを記録していく。大学入試に落ちた五代から始まり、保父資格試験、仕事探し、結婚に至るまで、読者たちはめぐる季節の中でこの成長物語を共に享受したのだ。
 ほかにもキャラの姓名には高橋氏のユーモアがある。「音無響子」は外に柔らかく内に剛なる響子の性格にピッタリだし、「五代裕作」は財を作り五代栄えるということで、五代のスーパー貧乏ぶりを風刺したものである。酒場に勤める朱美は東京都のパブやバーの街・六本木を姓とし、内向的なお嬢さま、明日菜は京都風な九条を姓としており、高橋留美子氏のアイデアが見て取れる。
 『めぞん一刻』はもともと小学館の青年雑誌『ビッグコミックスピリッツ』に80年から87年まで連載され、高橋留美子のデビュー期から全盛期への7年の時間の中で、初期のぎこちなさから成熟円熟していく過程をはっきりと見ることができる。線や筆づかいばかりでなく、高橋留美子氏は『めぞん一刻』の後半の幾度もの場面で、他の作品には見られない風格を更に発展させたのである。
 テレビ版『めぞん一刻』シリーズで、最も注目されたのが「無意味な場面」の使い方で、画面上で表情、動作や風景を静止させて、絶妙の雰囲気を作り出した。ほかにもよく利用される手段として、列車の通過、桜の舞い落ち、突然の雨音などで人物の心情変化を反映させた。ただ、これらのテレビでの効果はもともと原作に構想があったわけで、高橋留美子氏は景色をコマ割りしたり細かく角度を変えて配置したものを挿入しており、マンガの中のテクニックだけでなく、映像効果も意図していた。高橋氏は流れるような動作に対しては日本のマンガ界でも一流であり、『めぞん一刻』で彼女は早く、かつゆっくりとしたコマ割りの力を更に発展させたのだ。平面的なマンガを流れる映像のように処理し、一喜一憂する間に自然に挿入した。特殊なトーンや交差線を頭髪や衣服に入れて雰囲気を作ったのも、高橋作品の中ではあまり見られない。
 オリジナルの単行本は全15巻で、各巻は1年に10回近く版を重ねている。昨年小学館が『うる星やつら』と『タッチ』を「ワイド版」という重厚新版で出版した後、『めぞん一刻』についても改装新版がなされた。重厚本での発行は人気の衰えない作品のみ享受できる「殊栄」である。一青年マンガがこの「礼遇」を受けたことは各年齢層に広く指示されていることを示すだけでなく、小学館が重視していることが分かる。実際、小学館の編集者はひそかに『めぞん一刻』は「鎮社の宝」だと言っており、現在ようやく権利を得て中国語版が発行されることは台湾読者の幸せである。【第1巻末】

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