皆様からのご意見集

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DaNKさん(2004年02月19日)
当方、ほとんど五代くんと同じ世代(私は3つ若いです)の年寄りなんですが、先週、ひょんなことからめぞん一刻のDVDを買ってしまったのが運のつきで、いろいろ調べていたら平山さんのサイトにたどり着きました。大学生のころテレビ版はみたことがあったかと思います。アメリカ在住のため買ったDVDはまだ24話までしか観ていません。4月にBox Setの3が出る予定なのでそれがとても待ち遠しいです。

サイトを観ていて気づいたことがあったので参考までにお知らせします。
"めぞん一刻アニメクイズ"の第3問のテレビのメーカーについてですが、私も最初に観た時は同じようにSONYと思いましたが固有のメーカーの名前を使うことは考えられなかったので再度戻って観てみました。私はあれは"S"ではなく"5"ではないかと思っています。つまり"5ONY"。制作会社とかに問い合わるのが確かとは思いますけど、もし機会があれば再度確認されてはと思います。

個人的に英語での響子さんの声が好きです。英語版の響子さんの口癖の台詞がとてもすてきです。機会があればぜひ聞かれることをおすすめします。すでにご覧になられているかもしれませんけど。。。
ちなみに口癖は"Honestly"。すべては確認していませんが、日本語では"もー"とかなにも言っていないところでこの言葉をあえてつけて言っているようです。意味は状況によってニアンスが変わってきます。口癖ですから細かい意味は必要ないですしね。。。

日本語で口癖とかあるのでしょうかねー。


(管理人より)
(2023/04/02追記)
デジタルリマスター版で「5ONY」であることが確認できました。ありがとうございました。

スペルバウンドさん(2003年12月26日)
はじめまして、いつも楽しく読ませて頂いております。
前から疑問に思っていたことなのですが、
「響子と惣一郎が『響子さんが大学へ進学せず、家庭に入る』と決めたのは何時頃か?」ということです。
「めぞん一刻人物の謎」を読ませて頂きますと、他のファンの皆様の間では、「響子が高校在籍中」というのが定説になっているようですが、
「惣一郎の日記(響子から暑中見舞いを貰った時)」を読むと、この二人がその後半年以内に結婚を決めた、というのは個人的にピンとこないのですが、どうでしょうか?
勿論、男女が付き合い始めてから半年でゴールイン、というのは珍しいことではないと思いますが、このとき響子さんは高校三年で大学受験を控えている状態、なかなかそうはならない気がするのです。
つまり個人的に、「響子さんは高校三年次は大学を受験した。しかし不合格となり浪人。浪人生活一年間の中で惣一郎さんとの仲も深まり、結果高校卒業から一年後、大学へ進学せず、結婚を決める」と考えているのですがどうでしょうか?
そう考えると、
「響子さんの『大学へ行けなかった』という発言」
「響子さんは高校卒業から一年半何をしていたか?という疑問」
など処々の点について、しっくりいく気がするのですが、どうでしょうか?
(管理人より)
「響子さんが一年間大学浪人していた」との説ですが、個人的には可能性は低いと思います。理由は2つあります。
一つ目は、響子さんが管理人になった時、五代君がまさに大学浪人だったわけですが、響子さん自身、「浪人」という言葉に対して、あまりに無頓着であること。
二つ目は、響子さんが在学中から惣一郎さんに「べた惚れ」であったことは担任も認めており、早い時期から(一方的に)惣一郎さんの結婚を決めていても不思議ではないと思うのです。そんな響子さんにとって、大学の4年間は長すぎるのではないかと…。
高校生が進路未定で卒業する時代ではありませんから、パートなどの就職または専門学校などの線で周りが妥協したものと私は見ます。

?さん(2003年12月02日)
わたしはいつも「めぞん一刻」を読んでいて気になることがあります。
それは、登場人物たちの「相対的な身長差」です。
たとえば、響子さんと五代くんがぴったり並んでいる時の二人の身長差が、場面によって伸び縮みしているように思えるのです。
靴やスリッパの高さなどもあるかと思いますが、それにしてもいくぶん差があるように思えます。
みなさんはどのように感じられているのでしょうか。
教えていただければと思い、メールさせていただきました。
(管理人より)
原作で各キャラクターの身長設定については資料がありません(映画「完結篇」では、響子さん160cm、五代君173cmの設定とのことです)が、構図的にハマるように高橋留美子さんが工夫しているということはないでしょうか。
私は特に気にしたことはありませんでしたが、皆さんの意見を聞いてみたいところです。

永野秀雄さん(2003年10月26日)
はじめまして
楽しく拝見しました。私、熊本在住の一ファンです。
ところで、
>アニメの場合、美少年(熊本)・真澄(長野)・〆張鶴(新潟)といった実在の銘柄が登場しています。その他、田畑・田舎・美少女…といった銘柄はないみたいです。
という記事を拝見しましたが、「美少女」という銘柄は実在します。
美少年酒造が女性向けに発売している、甘口の軽い清酒です。
「めぞん一刻」とは直接関係ない情報ですけど、一応参考までに。
(管理人より)
そうですか、美少女は実在しますか。
私の認識不足でしたね。修正させていただきます。

ジークさん(2003年09月03日)
何かとやり玉に挙がる、五代君がソープめぐりをした場面ですが、
童貞喪失よりも愛のないセックスに意味がないことを知ったということにこそ意義があったと思います。
あの場面で五代君はこう言っています。「な・・・なんかおれ・・・感動通りこして疲れた・・・」と。
この時点で性行為に対して抱いていたある種の「幻想を」取っ払ったのかもしれません。
ちなみにこの後から五代君が恒例の都合のよい妄想(響子さんを押し倒す)を抱くのは1回しかありません。
それはさておき、このことが終盤のラブホテルの場面でも生きてきます。
つまり、もしこの時が初めての経験だったならば、おそらく自分の欲望に身を任せ相手の気持ちを考えることなどできなかった。
ましてや響子さんが発する微妙な心の機微(あの場面で響子さんは何気なく惣一郎さんと言う言葉を使いましたが、それは本人の意図することではなかったとしても潜在意識の中でやはり前夫への思いがあったからとっさに出てきたと僕は解釈しています)
など感じとることなどできなかったでしょう。

あすかさん(2003年08月04日)
めぞん一刻の五代君と、管理人さんの子供のお話を聞かせてください。
(管理人より)
分かりません(^^; ファンの皆さんはいろいろな続作を披露されていますが・・・
「一刻館の思いで」でもその後の一刻館について想像をめぐらせていますが、今回はKACの会報誌「MOVEMENT」1989年1月号に掲載された「五代春香ちゃんからの手紙」という記事を紹介します。VHS&LP「めぞん一刻 ~移りゆく季節の中で~」のPR記事で、ぶっちゃけ、編集部で勝手に書いたものです(^^)が、14歳になった五代春香ちゃんから届いた未来からの手紙という設定です。
「拝啓 MM愛読者の皆様。
初めてお便りします。わたしは五代春香といいます。わたしは今14歳、中学の二年生です。先月のことでした。わたしが家(もちろん一刻館)の押し入れを整理していたら、何冊からのアルバムを見つけたんです。その表紙には、ママの字で「移りゆく季節の中で…」とタイトルがつけられていて、何冊かのアルバム全体が五つの章に分けられ、ママとパパが結婚するまでの恋愛自体の写真がアルバムの中にはたくさん貼られていたんです。
ほんとうに驚きました。けれでもアルバムの一枚一枚をめくっていると、次第に胸に熱くなり、感動がこみあげてきました。そして、ママとパパはなんてすばらしい恋愛をしたんだろう、と少しうらやましくなっちゃいました。
それにしても三鷹のおじさんや四谷のおじさんたちの若くてステキだったこと(!?)
茶々丸のママさんの朱美さんや、一の瀬のおばさまはあの頃からお酒が好きで年中宴会ばっかりやっていたんですね。今もちっとも変わっていません。(中略) では、みなさん寒い季節ですからカゼなどひかれませんように。さようなら。五代春香」

スチュアートさん(2003年07月21日)
はじめまして、僕はつい最近初めて見て、はまってしまった者ですが、時計坂という場面設定について感じたことがあるので書き込ませていただきます。見当違いならご勘弁を。
坂・踏切、効率を優先する時代にあっては不用物かもしれませんが、この作品においては絶対不可欠な存在ですよね。坂の途中で..、踏切にひっかからなければ..。坂をのぼるのはしんどいし、時間の無駄だと思ってしまうけど、この登場人物は苦にしないどころか明るい。強いはずですよね、僕等はじかんに拘束されているけど、彼らは客観的時間ではなく自分なりの時間を持っているのだから。換言すれば時間を支配・超越しているのだから。
そしてふと考えると、時計坂という町自体がこぢんまりとして、ほどよく住民がつながっていて(イベントに必ず参加)、まさにローカリズムを地でいくような所ですよね。グラスゴー等のような強烈な地域・民族意識は日本にはないけど、そこで生まれ、一生を過ごせるという、人生のステージとして閉じた中世の都市のようなあたたかさを感じます。
五代君らの選択は゛もっとお金持ちになりたい”゛広く世界で活躍したい”という価値観からすれば貧乏・落ちこぼれで進歩も望めないかもしれない。だけど追求は逆に継続なる不満足と考えれば、小さな世界で身丈に合った幸せを求めるのもまた別の゛幸せのカタチ”なのかなと思うと、なんとなく楽になりました。僕にとって坂をのぼりきった高台にある一刻館がある一帯はまさに"a City upon a Hill"、理想郷です。
長々と、そして神学的になってしまってごめんなさい。

たにちゃんさん(2003年06月21日)
ミニ用語辞典の原作編最初の「一刻」ですが(他のホームページにも書いたことありますが)、もし「一刻」が意味するのが一刻館の建て物や大時計ではなく、「音無響子」だとすると「一刻」という言葉のもう一つの意味が出てきます→
頑固で、人の言うことを聞かない様子(三省堂国語辞典より)
こっちの意味だと響子さんの性格というかイメージみたいなのにぴったりだと思います(高橋留美子先生がこういうふうに考えていたかはわかりませんが)。なんとなく参考にしてみてください
(管理人より)
つまり、「一刻者」ですね。響子さんの名前の由来については、高橋留美子さんが「時計台のあるアパートの管理人だから」と述べています(小学館「オレのまんが道」より)ので、moment以外の意味については考慮しませんでした。でも、確かに言われてみれば・・・ですね。

オトナシソウジロウさん(2003年04月28日)
満開の桜と桜吹雪を眺めつつ思うことがありました。
『めぞん一刻』の魅力を語るうえで「桜」はやはり外すことのできないキーワードだと思います(この「めぞん一刻小辞典」のページでも桜のイメージが用いられていると思います)。
以前、『めぞん一刻』における桜の季節と桜吹雪が象徴する意味について私は「死と再生の意味を併せ持つ」と述べたことがありました。そして管理人様から確か「エピソード性を強調する演出効果だと思います」といった内容のお返事をいただきました。
仰るとおりだと思います。ただし、原作者及び編集サイドの側からならともかく、物語(あるいは情報)の受け手であるわたしたち読者はここで立ち止まらずに、なぜ満開の桜や桜吹雪の描写が演出面で効果的なのかについて深く考える必要性があると思います。
管理人様が仰られたように、桜の季節は確かに「出発」や「変化」のイメージがあります。しかし、『めぞん一刻』という物語において桜が象徴していたものとしてはやはり「死と再生」のイメージがより強かったような気がします。もちろん管理人様が仰られたとおり読者が自由に解釈できる部分であることにはちがいありませんが、この物語の魅力を考えるうえで「死と再生」というテーマの重要性は否定できないと思うのです。
私はこの物語は事実上、音無惣一郎の「死」から始まり、五代春香の「誕生」によって終わったと考えています。より厳密にいえば、一刻館を出て行こうとした五代君の行動と老管理人の管理人職放棄は一刻館の崩壊の危機、つまりある意味においての「死」でしたが、音無響子の管理人赴任によって五代裕作は一刻館に留まり続け、このふたりが演じる誤解続きのラブ・コメディーが一刻館を「再生」させました。そして五代裕作が音無惣一郎を想い続ける響子を想いでごと包み込んで彼女と新しい生活を歩む決意をして、響子もそれに応えることで彼女自身「解放」され「再生」しました。五代春香の「誕生」と五代一家および一刻館の住人たちを描いた最後のシーンが「再生」のイメージをさらに強めたといっても過言ではありません。
さて、満開の桜や桜吹雪が「死と再生」を象徴しているということについては既にさまざまな学問的考察もなされています。わたしたちが考えなければならないことは、わたしたちのこのような素朴な美意識・美的感覚とは裏腹にいつの時代でも為政者・権力者たちがこれを歪めて、自分たちの都合の良いように解釈して宣伝し、戦争の遂行に利用してきた歴史的事実です。さきの第二次世界大戦でも「愛国心」だの「死の美化」だのに桜が利用されてきたことをわたしたちは決して忘れてはいけないと思います。昨今、ふたたび全体主義・ファシズムの跳梁跋扈をみるにつけ、その思いを強くします。参考までに最近出版された大貫恵美子著『ねじ曲げられた桜』(岩波書店)をあげておきます。
私にとって『めぞん一刻』は、「平和な日常」と「寛容さ」の大切さを教えてくれた名作のひとつです。
管理人様にとっての『めぞん一刻』はどうでしょうか?

めぞん歴9年(2002年11月09日;掲示板より)
人物事典で紹介されてた五代君の友人、小林君と江川君ですが、サクラサキオさんの推測でほぼ正しいと思います。何故なら「うる星やつら」の主人公:諸星あたるの「あたる」という名前は、江川卓の弟の名前から拝借したと作者が言ってますし(愛蔵版うる星やつらの1巻(・・・だったかな?)の巻末)、また作者は大学入学時の自己紹介で「野球は阪神、相撲は魁傑」と言うくらい阪神ファンだそうです(ソースは・・・1ポンドの福音だったと思います)。
ソースの記憶が非常に曖昧で申し訳無いのですが、恐らくプロ入り前から球界を騒がせつづけ「怪物」の呼び名を誇った江川卓が、ドラフトで阪神1位指名だったにも関わらずに巨人に入団した事を非常に悔しく思い、作品に登場させたのではないかと私は思います。
(管理人より)
情報ありがとうございました。高橋留美子さんが熱狂的阪神ファンであることは有名ですし、その線で間違いないでしょうね。

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