四谷さんの経歴については、原作では「少年の頃があったこと(笑)」ぐらいしか分かりません。
一の瀬さんについては、賢太郎君の年と一の瀬氏とのエピソードから、スタート時は30歳前後であったと思われるのですが、四谷さんは全く手がかりがありません。
アニメでは四谷家が代々一刻館に住み着いていたことが語られていますが、では家族はどうしているのかという根本的な疑問が残ります。全く謎の人物というわけです。
そりゃ、ラブコメのお約束、と言われてしまうと見も蓋もないのですが、とりあ
えず真面目に考えるとなぜなんでしょうね。五代君は貧乏で(テレビも持ってな
い)、頭も良くなく(就職活動で一社も受け入れられてくれないレベルの大学と
その成績。バブル時代だというのに)、特技も資格も免許もない。ピュアなハー
トの持ち主と言う言い訳も通用しない。こずえちゃん等と浮気してるし、ソープ
は行くし、響子さんをオナペットにまでしている(笑)。もし自分が響子さんな
ら、はっきり言ってこんな男と一緒になるのはごめんです。管理人さんはなぜだ
と考えますか?
私は五代君は山本さんの言われるようなダメな人間だとは思いません。五代君はとても純朴な男性だと思います。
惣一郎さんという足かせに縛られている響子さんを、五代君は一生懸命に見ていました。決してこずえさんにはなびきませんでした。
響子さんは自分の弱さを自覚している人でした。五代君はそんな響子さんを包んであげられる人間に成長していったということです。
惣一郎さんの影は歳月とともに小さくなっていき、響子さんは無意識に寄るべき所を求めていました。自然、自分を本気で思ってくれる五代君と三鷹さんに心を開いていくわけですが、最終的に五代君を選んだのはなぜなのか?
私はやはり同居していたことが決定打だと思います。犬嫌いのことさえ知らなかった三鷹さんに対し、五代君のことは日々の些細なことまで筒抜けでした。彼の弱さと誠実さ、自分への気持ちを知りすぎるほど知っていました。
まさに一刻館という特異な空間の中で二人の物語は進み、結ばれたということです。
別にそういう考え方が悪いと言ってるのではありません。1980年代前半はそう言う時代だ
ったんだと思います。それより古い時代ならば非処女のヒロインなど絶対に許されなかったでし
ょう。そして現在、二十歳すぎなら男女とも豊富な性経験をもっているのがあたりまえとの前提
がコミックにはあります。「めぞん一刻」も、もし連載が今始まっていたならば内容はかなり変
わっていたと思います。つまり、作品は時代の風潮の制約を受けるのです。
私が言いたかった事は以上のような事ですが、管理人さんはどうお考えですか?
高橋さんは「五代君は(ある意味)無節操」と言っており、彼は純潔を貫くべき!という理想像を求める男性読者とは、そもそもギャップがあったんだと思います。五代君は(ある意味)高橋留美子さん自身であり、あくまで普通の男性として描こうとしていた形跡が見られるからです。
結局、めぞんの中では極力ぼやかされ、五代君がソープで初体験を遂げたかどうかは分からないように処理されました。高橋留美子さんの「やらせねば!」V.S.編集長の「一生、童貞のままだァ!」の対立を思うと、これが最善だったとも考えられますが。
あまり触れられる事はありませんが、まじめに考察してみたいと思います。
さて「めぞん」にかぎらず、創作物には作者の人生観、人物観が色濃く反映される
ものです。また当時の世間の風潮にも大きく左右されます。「めぞん」も当然影響
を受けています。
先に結論を書くと以下の様になります。
”意外と「めぞん一刻」は性について古風(=男にとって都合の良い)な物語
である”
スピリッツ誌上でも論争を呼びましたが、五代君はソープのはしごを坂本としてい
ます。別に五代君はその事で良心が痛んでいないようですし、響子さんもその事で
は怒っていません。つまり作者は男は思っている女がいても、風俗で遊んでもかま
わない、と(やや古風に)考えている訳です。
では作者の女性観はどうでしょうか。「SOPPO」ではシャワー室でこんな会話
があります。
(一ノ瀬)「体が夜泣きしないかい?」
(響子)「いやらしいわね」
(一ノ瀬)「いやらしい」
(響子)「あたしはそんな女じゃありません!」
独り身の女性は孤閨を保つのが正しいと、作者は考えているようです。
他に五代君は「ちょっと休もうか」で、もう少しで初対面の女性とホテルに入り
そうになります。また六本木朱美にホテルに呼び出されたときも、誘われているん
じゃないかと変に期待しています(「やましい関係」)。これでよく”あなたしか
抱きたくないんです!”(「好きだから」)などとほざけるものです(笑)
フェミニズムうんぬんはさておき、男は遊び、女はじっと男を待つ。そんな作者
と時代の風潮が「めぞん」の時代だったのではないかと考えていますが、管理人さ
んはどうお考えですか?
例えば「語り尽くせ熱愛時代」の中で高橋留美子さんは次のように述べています。
「やっぱりこのままではいかんと思ったわけです。何といったって普通にリアルタイムでやってるんだし、絶対にそんないやらしくなるわけはないと思っていましたから、単に現象として体験させるだけはさせておこうと思ったんです。(中略)私は一遍だけでよかったんですけどね。その後何人もの女性となんていうことはまったく考えていなかったんです」
つまり「二十歳すぎて童貞でいるのは正しくない」と受け取れます。風俗はその一方法にすぎず、方法は問題でなかったと思われます。
1.墜ちていきましょ 奈落の底へ しあわせ求め 奈落の底へ 滑った 滑った おっこちた 浪人生は 落第! 楽だい〜! 2.迷い込みましょ 渇愛魔宮へ 煩悩抱えて 灼熱地獄へ 迫った 貢いだ だまされた 浪人生は 金がない!夢もない〜! 3.あなたもどうです 地獄の底へ 四苦八苦の カオスの街へ 愛もない ぬくもりもない 戻れない 浪人生は ゴキブリ 生ごみ ひらきなおって 吉原 川崎 競馬に マージャン サラ金地獄 ☆米が切れた 仕送りが止まった 病気になった 浪人生は かげろう かげろう ☆くりかえし(無許可転載にて送付です)
「マフ等、あげます」(第2巻part11)によると一刻館の家賃は2万円です。住人は後から引っ越してくる二階堂を除くと、一ノ瀬、四谷、五代、六本木朱美の4人ですから、家賃収入は8万円にしかなりません。
響子さんは内職もパートもしてませんし(少なくても作品中では)、総てを自分の収入としても物価の高い東京ではたしてこれで食べていけるのでしょうか?
家賃を払わなくていいし、響子さんは質素な生活してるから大丈夫とも言えない事もないですが、それでもテニススクールに通っているし、高そうな服を何着も所有しています。そもそも一刻館の度々の修繕費用はどこから出ているのでしょうか?大体、住人が4人しかいてないのに管理人を置くこと自体不自然です。
私見では一刻館の運営は音無のじいさんの道楽兼慈善事業で、以前の管理人の爺さんも響子さんも、音無の爺さんから家賃収入以外に補助をもらっていたと考えているのですが。爺さん、太っ腹(笑)!
管理人さんはどうお考えでしょうか?
次に、住人があれしかいないアパートに管理人を置くことについて。第147話「いきなり管理人」で、響子さんが出ていったあと、一刻館はスラムと化し、訪れた音無老人が「このままでは人が住めんようになってしまう」と言っています。たぶん、同じことが前にもあって一刻館から管理人を外すことはできなかったのでしょう。なんせ、あの人たちですから(笑)
響子さんの場合は、維持費や生活費でほぼギリギリの金額と思われます。
「一刻館の思いで」では惣一郎さんの保険金を運用(定額貯金など)して生活費に充てているとあり、おそらく事実でしょう。大がかりな修理もたびたび行われるわけでないし、当時の高金利を考えると利子でもまかなえる額かと思います。
音無家からは当然補助を申し出たでしょうが、響子さんがそれを受けたかどうかは微妙なところですね。管理人就任については響子さんが自ら申し出たはずですから、前例がなければ援助は断ったんじゃないかなと思っています。