(3月7日)
ソルト・レーク・オリンピックも終わりました。
長野オリンピックからもう4年になります。長野オリンピックの時は、金
沢の白雲楼ホテルの倒産がありました。このホテルの倒産で隣接する江戸
村も閉鎖されました。KIDS-STATIONの週替りの61話「追いかけて五代さ
ん 響子失恋一人旅」の江戸村の場面を見てふとそんなことを思い出し
ました。上野から金沢までの夜行列車については、ひろゆきさんのHPに
詳しく出ていますのが、アニメの電車の電車の色がローズ・ピンクとクリ
ームの色ならまだしも、緑と黄柑色(湘南色)というのは、電気的に見て
おかしな感じです。直流の新潟や長野に行く電車は緑と黄柑色の直流電車
ですが、交流の金沢に行くのは交直両用のローズ・ピンクとクリームの
交直両車の電車になります。
(中略失礼)
第40話「優しさがせつなくて X'マスは恋の
予感!」では、国電は出てきましたが、西武電車は出てきませんでした。
高橋留美子さんが住んでいた中野区の中野駅も出てきました。山手線の
電車が103系から205系に変わる時期がアニメからうかがえます。総武線
は黄色の103系、中央線はオレンジの201系でした。
(3月14日)
第49話「三鷹の猛特訓!犬が恐くて恋ができるか」や第61話「追い
かけて五代さん 響子失恋一人旅」では、山手線の電車は205系で、
第40話「優しさがせつなくて X'マスは恋の予感!」では、103系、
205系が出てくるところから山手線103系の置き換えがかなり進んで
いたかもしれません。サクラサキオさんなら詳しいと思います。
山手線の205系も新しい電車に置き換わるそうです。
(中略失礼)
第62話の最初のお寺の場面は、行ったことがないので自信はない
のですが、総持寺ではないかと思います。当時、国鉄バスと北陸鉄道
のバスが共同運行されており、能登加賀ミニ周遊券でまわることが
できました。現在は能登の人口が減り、輪島へ行く鉄道が廃止され
たり、北陸鉄道が分社化して別会社に運行を移管したり、当時とは
かなり変わってきているそうです。そんな利用者の無い所に能登
空港を作る話が出ていますが、推進の理由として、「一刻館の水漏れを
心配して響子さんが早く東京に戻る為」なんて面白いかもしれません。
(3月16日)
金沢は、親戚や友人が居ますので、馴染みがありますが、能登は金沢から
福井や富山に行くのに比べると交通の便が少し悪いので、なかなか行けま
せん。私のガイド・ブックには、総持寺のことが大きく載っていたので、
総持寺かなと思ったのですが、HPでは妙成寺でした。JRの周遊券も変わっ
てしまって、ますます行き難くなりましたが、レンタカーを使えば、苦に
ならずに回れそうです。アニメでは、千里浜で五代君が落とし穴に落ちる
場面がなかったようですが、あれは原作本のことでしょうか?
昔の国鉄の能登加賀ミニ周遊券のことを調べたのですが、金沢から羽咋、
千里浜を経て輪島に向かうルートは含まれておらず、区間外となって
いました。この区間は当時北陸鉄道のバスは走っていたのですが、国鉄
バスについては判りませんでした。
金沢駅は、めぞん一刻の時代は地上駅でしたが、昔の駅の北側に高架駅を
作って昔の駅の部分は北陸新幹線予定地になっていると聞いています。
江戸村はめぞん一刻放送以前に会社の慰安旅行で行ったことがありますが、
団体旅行の為に落ち着いて見れませんでした。めぞん一刻を観た時、行った
ことがありますので、もう1度行きたいと思っていましたが、閉鎖されて
行くことができません。早く再開して欲しいと思います。
二階堂君の役割に関してですが、私は「持ち駒を増やす」と
いった程度の意味合いで登場させたもので、何か特別な
役割を担わせる目的は当初はなかった、と思います。
そして、結局中途半端な存在で終わってしまった、といった
感じのところじゃないでしょうか。
二階堂君が登場したのは、「春の墓」でストーリーが一段落
したすぐ後のことです。
ここで二階堂君という新しいキャラを登場させて、ちょっと
気分を変えようという意図だったのだと思います。
ちなみに漫画をはじめ小説・ドラマなどでは、お話が長く
なった場合新キャラで変化をつけるというのは、しばしば
見受けられることです。
二階堂君について考える場合、注目すべき点は、途中で
その設定(性格など)に変化が見られることです。
すなわち当初は、あの四谷さんと対等に渡り合えるほどの
切れ者だったのが、途中から「神経のない男」に豹変して
しまいました。
この事自体、作者が二階堂君の位置づけに試行錯誤して
いたことの現れではないでしょうか。
たしかに二階堂君は五代君・響子さん・こずえさんの関係に
波紋を起こしたりしましたが、それは「さざなみ」にすぎません
でした。
五代君と響子さんの関係に変化を与える最初の大波は、その
次に登場した八神さんによって引き起こされることとなりました。
二階堂君では二人の関係に影響を及ぼすにはパワー不足、
との判断だったのでしょう。
結局二階堂君はその後もストーリーに深く絡むことなく、その
存在自体さえ忘れられがちになって終わってしまいました。
この事についてもいろいろ理由は考えられますが、長くなり
ましたので、また機会があれば、ということで。
ところで中央線は快速がオレンジ色、黄色は総武線直通用で、
通常は三鷹止まり、アニメ版時計坂駅のモデルである国分寺
までは乗り入れません。(夜間などにはあるそうですが)
アニメではなぜ黄色にしたのか理由は不明ですが、ことによると
原作の方の西武線からの連想が作用したのかもしれません。
もっとも、アニメのスタッフがそこまで意図していたかどうかは
かなり怪しいところです。
時計坂はあくまでも架空の街であり、国分寺の駅舎は借用した
だけ、と見るべきでしょうし、電車の色にしても、たまたま西武線と
同じになっただけのこと、なのかもしれません。
それから「淡緑の車体に白帯の電車」の方ですが、アニメ放映時に
こういう色の電車は、少なくとも東京近辺にはなかったはずです。
したがってこちらは全くのアニメオリジナルで、特定のモデルの様な
ものはない、と思われます。
高橋留美子さんのマンガでは、よく黄色い電車が出てきます。西武鉄道の
電車で、保育社や山渓から本が出ています。「うる星やつら」では西武の
2000系電車が出てきます。保育社のカラーブックスに拠りますと、「昭和
51年に登場した新宿線用の通勤車両」と「片側4扉」と書かれています。
このことから「うる星やつら」は西武新宿線沿線だと考えられます。
「めぞん一刻」は西武池袋線沿線ということですが、このマンガに出てくる
黄色い食パン形の電車は、401系という電車のようです。昔の西武の電車は
国電の払下げか国電の亜流のデザインで、101系国電や103系国電と同じ
食パン形のデザインです。総武線の103系は片側4扉で、正面にはステン
レスの化粧板(補強板かもしれない)がありません。西武線の401系は片側
3扉で、ステンレスの化粧板があります。総武線の103系は扉と扉の間には、
縦長の戸袋窓があり、その間に大きな2連のユニット窓があります。西武
401系には、縦長の戸袋窓の間に縦長の窓が4つあります。第8話の電車の
走行シーンも、第55話の終りで電車が鉄橋を渡る場面でも片側4枚扉があり、
どう見ても、総武線の103系国電のように見えます。「らんま1/2」では
電車の描写が簡略化されていますので、黄色い電車としか判りません。
第55話で、私立桜ヶ丘女子高等学校の最寄りの駅である「桜御苑」は、
黄色の西武ではなく、淡緑の車体に白帯の電車でしたが、桜ヶ丘女子高等
学校はどの路線の沿線でしょうか?
(1)完結篇に登場する犬の名前「シュガー・ジンジャー・ペッパー」
「うる星やつら」の、惑星中学校スケ番グループの3人、「しゅがあ・
じんじゃあ・ぺっぱあ」からの借用に間違いないでしょう。
(2)五代君の友達、小林君と江川君
もしかすると「空白の一日」で巨人に入団した江川投手と、その
あおりで阪神にトレードされた小林投手のことに引っかけたのでは、
と思うのですが。(あまり自信ありませんが)
(3)アニメのキャラ、三越さんの名前
ビデオのパッケージの解説にも「一刻館に新しい人が入りました!
その名も三越善三郎さん。」とあります。
(4)原作「わかってください」でこずえさんが乗ったタクシーの名前
ワイド版、コミックス版の両方とも「日ノ丸交通」と読み取れます。
(”の”はカタカナです。)
最後に、これは入力ミスだと思いますが、保母試験の実技の
会場は「東京都練馬高等保育学*院*」です。
以上、どれも重箱の隅をほじくるようなことばかりですが(実際
ルーペで拡大して見たりしているのですが(汗))、何かの参考に
なれば幸いです。
その作品とは、あだち充氏の「スローステップ」です。
第7話「気になるあいつ」(小学館文庫第1巻154ページ)に
「西部鉄道新茶尾駅」というのが登場します。
そこの切符自動販売機の路線図には、「別小見−茶尾−
新茶尾−O坂(Oに関しては後述)−時計坂」と描かれて
います。
「茶尾」や「別小見」が雑誌のパロディ(ちゃお−この作品の
掲載誌−や別コミ)なのは容易に察しが付きますが、注目
すべきはここに「時計坂」の名が見えることです。
あだち充氏の他の作品、例えば「みゆき」には練馬駅や
豊玉(練馬区)といった、西武池袋線沿線の実在の場所が
登場します。
この作品の「西部鉄道新茶尾駅」も、おそらく西武池袋線が
元ネタだと思われます。(電車の形からもそう思われます)
背景の、しかもごく小さな部分ですので(恐らくほとんどの人は
気にしないと思います)、果たしてあだち氏本人のアイデアか、
それともスタッフによるものか、真相はわかりませんが、そこに
「時計坂駅」が引用されたということは、この作品が掲載された
当時(1986年連載開始)、時計坂のモデルは西武池袋線の
東久留米である、ということが同業者にも知られていた、という
ことの傍証、と言っては飛躍し過ぎでしょうか。
おそらくちょっとした遊び心だとは思いますが・・・
なお、時計坂と新茶尾の間の駅名(O坂)ですが、文庫版では
文字がつぶれてしまっていて読み取れません。
左側が「ごんべん」で、右側の下が「木」のように見えるのですが、
これに該当する漢字は「諌」か「謀」くらいしか思い付きません。
「諌」(いさめる)だとすると、諌坂=いささか、とでも読ませる
のでしょうか。