A.病気療養説もあるが、バイトでつないでいた可能性も
一方、五代君は境遇や経歴など、惣一郎さんの人生をトレースしている面があります。音無老人も「惣一郎と似たような人生を歩んどるなー、五代くんは」と言っています。ですから惣一郎さんも、五代君のように短期のバイトを続けていたことも考えられます。
女子校の理事をつとめる音無老人は、惣一郎さんが27歳になった時に、口利きで惣一郎さんを講師に放り込みました(第87話「vs.乙女」)。しかし、惣一郎さんが就職に失敗した時点では、音無老人の力でも適当な職を見つけることは難しかったのでしょう。「家族(わたしたち)の方がおろおろしちゃって」とのセリフがそれを物語っているとも考えられます。
惣一郎さんは、響子さんとのデートで地層を見に行くほど地学好きの人ですから、塾の講師とか地質調査のアルバイトなんかは適役かと思われますが、実際は五代君のように苦労続きだったのかもしれません。
A.響子さんと結婚したあとも講師を続けていたのかも
A.惣一郎が亡くなる数年前だと思われる
A.千草家から駆け落ちし、音無家からは庇護を受けていたのかも
A.アルバイトや何らかの学校に通っていたのかも
A.惣一郎さんの母が亡くなった時ではないか
時期 | 出来事 |
---|---|
1967年頃? | 惣一郎の姉、嫁ぐ |
1968年度 | 郁子の誕生 |
1975年頃? | 惣一郎の母、死去 郁子と母、音無家へ |
1977年春 | 惣一郎、女子高の講師に |
1979年秋 | 惣一郎と響子の結婚 |
1980年春 | 惣一郎、死去 |
郁子ちゃんの母が惣一郎さんの実姉だとすると、音無家には惣一郎さんがいるので、彼女が婿をもらって音無家に残る必要はありません。つまり、郁子ちゃんの母は一度音無家を出て夫に嫁ぎ、後に音無家に戻ったことになります。とすると、郁子ちゃん親子はいつごろ音無家に入ったのでしょうか?
郁子ちゃんの母が嫁いで音無家を出た後は、惣一郎さんの母が家事を見ていたと思われます(惣一郎さんの母は惣一郎さんが亡くなる数年前に死んだと考えられるので)。そして、響子さんが結婚した時、もし惣一郎さんの母が存命であれば、惣一郎さんの姉は音無家に戻る必要はありません。惣一郎さんの母が亡くなった後は、今度は響子さんが家事を見ればいいですから。
つまり、惣一郎さんが結婚する前に惣一郎さんの母が亡くなった(または病気療養などの)ため、家事を見るために音無家に戻ったのではないかと考えています。
A.アニメでは「音無」だと分かるが、原作では不明
A.帯広・室蘭・釧路が候補として挙げられる
A.高校卒業後に単身上京したものと思われる
A.初登場時で30代前半と思われる
A.大学卒業後の進路を巡って確執があったのではないか。
以上から、三鷹さんは卒業後すぐ家を出て、滅多に実家に寄りつかなかったという事実があり、原因は大学卒業後の進路を巡って親と対立したためではないかと思います。つまりはテニスの道に進みたかった三鷹さんと事業を継がせたい父との対立、といったようなものではなかったでしょうか。
A.四谷さんの原型は「ダストスパート!!」の背古井さんだが、職業は作者も不明。
余談ですが、実写版映画で四谷さんを演じた伊武雅刀氏があまりにハマっていたためか、彼が四谷さんのモデルであると言われたこともありました。しかし、高橋留美子さんは「よく伊武さんがモデルだったのでしょう、と言われますが」「四谷さんと伊武さん、二人の相似性は偶然の驚異なのです」と述べています(実写版映画のパンフより)。
なお、ビッグコミックスピリッツ2010年第10号掲載のインタビューの中で、高橋先生自身が「四谷さんの仕事は、いまだにわからない」と明言されました。
A.小さい頃から早く家を出たいと思っていたのではないか
ところで、作者の高橋留美子さんも、五代君と同じく、新潟から上京して東京の大学(日本女子大)に入りました。これについては「オレのまんが道」の中で、「親に“お前のようななまけ者は、一人暮らしの大変さを知らなくてはいかん、大学は東京へ行け!”と言われて上京することになりまして」と述べています。五代君も実は同じように追い出されたのだったりして(^^;