金沢&能登ルポ

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○調査日:2001年4月28日~30日,2005年9月24日~26日
[金沢編] [能登編
原作108話「二人の旅立ち」~第111話「夢一夜」の中で、独り旅に出かけた響子さんとそれを追う五代君が金沢から能登半島を移動しました。二人の旅の軌跡については既に多くの方が現地で取材をされ、そのルートも(2日目の温泉宿を除いて)ほぼ解明されています。
私も2度に渡って金沢&能登を歩き、現地取材をしましたので些細ながらその結果を報告します。作品中で二人が石川県を訪れたのは1985年7月27日~7月30日、それから既に20年の歳月が流れています。

(1)兼六園
→(参考サイト(「きまっし金沢」)

原作109話「同行二人」で、金沢に到着した五代君がまず訪れたのは兼六園でした。
五代君が妄想にふけって信楽焼のタヌキに激突したのは、桂坂(蓮池門通り)近くにある「堤亭」です(写真をクリックすると原作との対応図が見られます)。現在も変わらず営業しておりますが、残念ながらタヌキは見あたりません(^^;

五代君がベンチに座ってガイドブックを読んでいた場所は特定できませんでした。兼六園には霞ケ池(かすみがいけ)と瓢池(ひさごいけ)という2つの池がありますが、個人的には園内を流れる曲水のほとりの方が雰囲気的に近いように思います。なお、園内にあるのは全て背もたれのない石のベンチであり、五代君の座っていたタイプのベンチはありません。

堤亭
食事処「堤亭」
山崎山付近
山崎山付近

(2)旧東廓(ひがし茶屋街)
参考サイト(「きまっし金沢」)

五代君が兼六園を走り回っていた頃、響子さんは旧東廓(きゅうひがしのくるわ)をうろうろしていました。現在は「ひがし茶屋街」の名が一般的で、道の両側に紅殻格子の建物が立ち並んでいます。

響子さんが「ぽつん…」と立っている左側にある建物は、提灯と2階の様子から金沢市指定文化財になっている「志摩」、響子さんが「うろうろ」していて女性に声をかけられ、「あの…」と言っているのは、提灯と建物の造りから金沢市指定保存建造物になっている「懐華楼」の前ではないかと思われます。

ひがし茶屋街
ひがし茶屋街
懐華楼向いの民家
懐華楼向いの民家
懐華楼
響子が「あの…」と言った懐華楼

(3)江戸村

その後、響子さんと五代君は江戸村でニアミスをします。江戸村は金沢の東南約15kmにある湯涌温泉郷にあり、江戸時代の生活を伝える施設として親しまれていましたが、平成9年に閉鎖されて以降、訪れることができませんでした。
しかし現在、湯涌荒屋町に移設工事が進められており、「新江戸村(仮称)」として平成18年に一部オープンの予定だそうです。

○2010年に「金沢湯涌江戸村(公式サイト)」としてオープンし、作中に登場した「旧松下家住宅」や「旧高田家住宅」も現在はこちらに移されています。


(4)むろう家旅館

金沢の初夜、響子さんは「むろう家旅館」、五代君は「あばら家旅館」に宿泊しました。

私もめぞん一刻homepageで紹介されている鹿島屋旅館に宿泊してみましたが、帰宅後に写真を整理していて、鹿島屋旅館の向かいにある民家が「むろう家旅館」に酷似していることに気がつきました(写真をクリックすると原作との比較図を見られます)。
さっそく鹿島屋旅館に尋ねてみたところ、「この旧家は典型的な金沢の古い商家で高橋幸吉商店といって古鉄業を営んでいて、今は工場を近所に移転させて住居として使っておられます」とのこと。7年ぐらい前に窓のところにあった鉄の格子がとりはずされたほかは15年前と変わっていないそうです。

また、「むろう家旅館」で響子さんが泊まった部屋は「鶴の間」でした(ただし五代君の妄想)が、鹿島屋旅館の女将さんが言うには、鹿島屋にも実は「鶴の間」があって「鶴なんて名前はあまり使っている旅館がないので、本当に泊まられたのかもしれませんよ」と笑っておっしゃいました。

以上から、高橋留美子さんが実際に鹿島屋旅館に宿泊し、その時に撮った写真をもとに「むろう家旅館」を作り出した可能性は非常に高いと判断しました。

鹿島屋旅館
鹿島屋旅館
向いの民家
むろう家旅館のモデルとなった民家
鶴の間
鶴の間

めぞん一刻ゆかりの宿・鹿島屋旅館

(1)「むろう家旅館」のモデル探し

鹿島屋旅館と「むろう家旅館」
鹿島屋旅館と「むろう家旅館」

「むろう家旅館」のモデル探しについては、以下の経緯があります。

  • 1997年8月に金沢を訪ねたリンゼさんが、原作のエピソードから「駅まで歩いていける宿」「旅行代理店でとれる宿」ということで金沢駅周辺の旅館を片っ端から探し、一番似ていると判断したのが鹿島屋旅館でした。ただし、リンゼさんが行った時は満室で止まれなかったそうですが。
  • 1998年末、めぞん一刻MLにて「レポート・めぞん一刻」のくろべさんと金沢在住のあむりたさんの議論により、不室屋、浅田屋旅館なども候補に挙がりましたが、「外観は鹿島屋旅館、土地関係では一富士旅館」といった話になりました。なお、五代君が不審尋問を受けた交番が、むかし不室屋の近くにあったことも指摘されました。
  • 1999年3月に「めぞん一刻homepage」のひろゆきさんが調査旅行で金沢を訪れ、候補地を歩かれた結果、やはり鹿島屋旅館が一番近いとの印象をもたれたそうです。
  • 2001年4月、平山が調査旅行で金沢を訪れ、偶然撮影した写真から(^^; 鹿島屋旅館向かいの民家(高橋幸吉商店)がモデルであると判断しました。

高橋留美子先生が実際に金沢を訪れたのは、「語り尽くせ熱愛時代」(徳間書店)によれば1984年5月、それから実に21年もの年月が経過しています。金沢や能登半島の多くの風景が姿を変えた中で、今なお原作の風景を目の当たりにできることは本当に幸せなことです。

モデルを特定できたのは、ひとえに、「古都金沢の風情を伝えるお宿」として今なお変わらず頑張っておられる鹿島屋旅館と、商工会議所としても使われた由緒正しい古民家を、今なお住宅として大切に使われている高橋幸吉様御家族様のお陰であると言って過言ではないでしょう。

(2)高橋留美子先生が泊まった部屋は?

今回は無謀にも(^^; 高橋留美子先生が鹿島屋旅館で実際に泊まった部屋を推定してみました。
第109話「同行二人」の12ページ目に「むろう家旅館」を上から見下ろした構図のコマがあります。鹿島屋旅館で表通りに面している5部屋のうち、向かいの民家をこの角度で見られるのは実は1室しかありません。それが「竹の間」でした。

もちろん、漫画家の方々は、写真一枚あれば、好きな構図で建物を描くことができるはず、という反論もあると思います。
しかし、「竹の間」の入口は、原作にも登場する「鶴の間」と斜め向かいになっており(写真参照)、「竹の間」に泊まった高橋先生が、向かいの「鶴の間」を目にして作品に用いたという解釈も可能です(やや強引ですが)。

以上から、高橋留美子先生は鹿島屋旅館の「竹の間」に宿泊した可能性があると判断しました。

「竹の間」から見た民家
食「竹の間」から見た民家
「竹の間」と「鶴の間」
「竹の間」と「鶴の間」

なお、高橋留美子先生はスタッフ一人と共に金沢に宿泊したことが分かっていますが、鹿島屋旅館の女将さんによると「竹の間」は他の部屋より狭いので、二名一室の客に対しては、よほど混雑する時でないと使わないそうです。

(3)最後に

鹿島屋旅館の御主人および女将さんから話を伺ったところ、インターネットを始めて間もない頃、「鹿島屋旅館」で検索して、ひろゆきさんのページ「めぞん一刻homepage」を見つけ、近くの書店でめぞん一刻の原作全巻を購入されたそうです。
御主人・女将さんともお詳しく、投宿時にはめぞん一刻の話で大いに盛り上がってしまいました(^^)。作中のエピソードもさることながら、古き良き雰囲気と暖かいもてなしでお勧めの旅館です(蟹料理が美味(^^)。追跡旅行の起点に、金沢観光の一夜に是非御利用ください。

なお、鹿島屋旅館の御主人より、次のようなコメントをいただきました。大変ありがたいことです。
青春の永遠のバイブル、めぞん一刻、年配の私共も感動させられました。そのストーリーの中に私共が細々と営んでおります当館が「むろう家」さんのモデルである、という事ををめぐって緻密な資料をもとにいろいろな推理、推測がなされております。そこに当館の名前が出てくるだけで非常に光栄に感じている次第です。めぞん一刻のファンの皆様の熱烈な探究心には私共同様の「熱き思い」が心底に有るものと確信いたしている次第です。今後ともよろしくお願い申し上げます。

鹿島屋旅館(金沢市本町2-19-13)
TEL:076-221-0187
FAX:076-221-7142

○むろう家旅館のモデルとなった古民家は2006年に改築のため解体され、現在は存在しませんのでご注意ください。


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