紅楼夢建物事典

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(1)大観園

【あ行】

怡紅院(いこういん)
宝玉の住居。宝玉は「紅香緑玉」と名付けましたが、元春妃が「怡紅快緑(いこうかいりょく)」と改め、怡紅院の名を賜りました。
「白壁の塀に囲まれ、緑の柳が垂れている門を入ると、その両側はどちらも遊廊に続き、庭には岩石が点々と配置してあります。こちらには数本の芭蕉、あちらには西府海棠が一本、傘のような格好で翠の糸を垂れ、丹砂のような真っ赤な花を咲かせています」(第17回)
「院内には点々と庭石が配置され、芭蕉が植わり、鶴が二羽、松の木の下で羽づくろいをしています。廻り廊下には珍しい小鳥を入れた籠がずらりと懸けられています。正面は小さな五間の抱厦で、流行の模様を彫り込んだ格子窓になっており、上には大きく「怡紅快緑」と題した扁額が掲げられています」(第26回)

凹晶渓館(おうしょうけいかん)
山の窪地の水際にある小館。第76回で黛玉と湘雲が詩才を競いました。
「山坂を降り、一度角を曲がると池の端に出ます。そこには竹の欄干が一筋ついていて、藕香榭にいたる小道に通じています。この幾間かの建物は山懐に抱かれていますので、凸碧山荘の隠居所に当たる格好です」(第76回)

【か行】

嘉蔭堂(かいんどう)
第71回で史太君の80歳の誕生祝いの時に、綴錦閣とともに客人の仮休息所として使われました。第75回では堂前に月台が設けられ、月見の供物が供えられました。作品中で「楡蔭堂」と混乱して使われたともいわれているそうです。

含芳閣(がんほうかく)
大観楼の西側の斜楼。

議事庁
第55回以降、探春・李紈・宝釵が家政を執った建物。大観園の門口の南側にある三間の小花庁。
「三間の花庁は、元来は貴妃様省親の際、大勢の執事役の太監の落ち着き場所として建てられたもの。この花庁にも扁額があって「輔仁論徳」の四字が題してあります」(第55回)

暁翠堂(ぎょうすいどう)
秋爽齋の一室。第40回で一同が朝食をとり、劉婆さんが座を賑わしました。第71回では史太君の誕生祝いで、親戚を集めて芝居が開かれました。

曲径通幽処(きょくけいつうゆうしょ)
正門を入った真向かいにある白石を戴く築山。
「白石がにょきにょきと、あるいは鬼怪の如く、あるいは猛獣の如く立ちはだかります。表面には苔がまだらにつき、つたかずらが日の光を遮って、その間にうねうねと曲がった小径が見え隠れしています」(第17回)

藕香榭(ぐうこうしゃ)
元春妃が名を賜りました。惜春の住居が近いため、第37回で惜春に「藕榭」の号がつきました。第38回では木犀を賞でながら蟹を食べる宴席がこしらえられました。
「池の中に建っていて、四面に窓がつき、左右は曲廊に通じていて水上をまたいで岸まで続いています。裏手には折れ曲がった竹橋があり、目立たないように岸に接しています」(第38回)

絳芸軒(こううんけん)
怡紅院内にある宝玉の書斎。第8回で宝玉が「絳芸軒」と書いた字を晴雯が部屋の入口に貼りました。その後宝玉が大観園に入ると、怡紅院の書斎を「絳芸軒」としているようです。第36回では寝台で寝入る宝玉のそばで、宝釵が刺繍をしています。

紅香圃(こうほえん)
第62回で宝玉・宝琴・岫烟・平児の誕生日の祝宴が開かれました。
「芍薬欄の中の紅香圃という三間の小さな吹き抜けの庁」(第62回)

蘅蕪苑(こうぶえん)
宝釵の住居。宝玉は「蘅芷清芬(こうしせいふん)」と名付け、元春妃が蘅蕪苑の名を賜りました。
「門内に歩み入りますと、真正面に天に向かって突出した見事な大岩が迫り、とりどりの形をした庭石がそれを取り囲むようにして、奥の全ての建物をそっくり覆い隠しています。花樹は一本もなく、あるのは珍しい草花ばかり。両袖が遊廊になっていて、入っていくと五間の小綺麗な抱厦があり、日除け棚が遊廊の外側に張り出しています」(第17回)

荇葉渚(こうようしょ)
元春妃が名を賜りました。第40回で一同はここから船に乗って、蘅蕪苑へ向かいました。

【さ行】

聚錦門(しゅうきんもん)
西南の門。第56回で呉新登の女房と単大良の女房が医者を取り次ぎました。

秋爽齋(しゅうしょうさい)
探春の住居。元春妃が扁額に「桐剪秋風(どうせんしゅうふう)」と御題を賜りました。秋爽齋の一室に暁翠堂があります。第37回で宝玉が「ここには梧桐や芭蕉がたくさん植わっている」と言っています。

瀟湘館(しょうしょうかん)
黛玉の住居。宝玉は「有鳳来儀(ゆうほうらいぎ)」と名付け、元春妃が瀟湘館の名を賜りました。
「漆喰の白壁に囲まれた中に数軒の精舎があって、何百本もの青竹がそれを隠しています。門を入ると折れ曲がった遊廊で、階の下は小石を敷いた小道。その上に小さな三間ほどの家屋があり、中には全て場所に合わせてベッドや机、椅子が作りつけてあります。奥部屋の小さな戸口から裏庭に出ると、梨の大木と芭蕉が植えてあります。二間ほどの小さな離れもあります。裏庭の塀の下には穴があいていて、泉の支流が溝を通って中へそそぎ入り、建物をめぐって表庭に流れ、竹林の下をうねって抜けます」(第17回)

紫菱洲(しりょうしゅう)
迎春の住居。第37回で迎春に「菱洲」の号がつきました。その後、邢岫烟が同居し、迎春が嫁に入った後も住んでいました。
「岸辺の蓼の花や葦の葉、池の中の翠のアサギや菱を眺めると、いずれもゆらゆらと揺れています」(第79回)

沁芳橋(しんぽうきょう)
第26回で黛玉が怡紅院に行く途中、この橋から水鳥が遊んでいる様子に見とれています。

沁芳渓(しんぽうけい)
第26回で宝玉がここで金魚を眺めている時、賈蘭が鹿を追って駆けてきました。

沁芳閘(しんぽうこう)
泉水を引き入れた水門で園内の水源。第23回で宝玉が会真記(西廂記)を読んでいる時に、黛玉が花びらを拾いに来ました。
「大きな橋のたもとに水が水晶の簾のように流れ落ちています。この橋は外の大河に通じる水門で、泉水を引き入れたものです」(第17回)

沁芳亭(しんぽうてい
曲径通幽を抜けたところにある橋上の亭。
「白石の欄干が池をめぐり、石橋が水門にかけられ、浮彫りの獣面がその水を呑吐しています。橋の上には亭があります」(第17回)

翠烟橋(すいえんきょう)
第25回で紅玉が怡紅院から瀟湘館に行く途中に通っています。

省親別墅(せいしんべっしょ)
本殿前の玉石の牌坊。はじめ「天仙宝境」と書かれていました(「太虚幻境」と対になっているものと思われます)が、帰省した元春妃が「省親別墅」と改めました。第41回で劉婆さんがお廟だと思って叩頭しています。
「枠ぶちに竜と螭(みずち)がうねうねとわだかまった様を精巧に彫りこんであります」(第17回)

正門
大観園の正門。宗祠の祭(第53回)には門の上に明角灯が掲げられました。
「正門は五間あって、屋根は円筒瓦で泥鰌(どじょう)の背のように丸く葺かれ、門の欄間や窓の格子には流行の模様を精巧に彫りこみ、朱などに塗られてはいません。両袖は煉瓦塀で、その下の白の石段には唐草模様が浮彫りされています。左右は真っ白な漆喰塀で、その下に虎皮石が積まれています」(第17回)

【た行】

大観楼
大観園の正殿。元春妃は正楼に大観楼、東側の飛楼に綴錦閣、西側の斜楼に含芳閣と名を賜りました。宝玉は一目見て、どこかで見たことがあると考え込みました。
「玉の御殿が互いに抱き合った格好で、複道は彼方までうねうねと続き、青松は軒端に触れ合い、玉の欄干は石畳を囲み、獣面は金色に輝き、螭(みずち)の頭は五彩に煌めいています」(第17回)

体仁沐徳(たいじんもくとく)
第18回で省親した元春妃が召し物を着替えた部屋。

暖香塢(だんこうお)
惜春の画室。第48回で姉妹達が、第50回で史太君たちが惜春の絵を見に行きました。第74回で稲香村に隣接していることが述べられています。

滴翠亭(てきすいてい)
第27回で紅玉と墜児が中で内緒話をしているのを宝釵が立ち聞きしました。
「廻り廊下と太鼓橋で四方へ行けるようになっている浮き御堂で、四面とも彫抜きの格子窓に紙張りという造りです」(第27回)。

綴錦閣(てつきんかく)
大観楼の東側の高楼。第40回で藕香榭で少女役者の芝居が行われ、綴錦閣でそれを見ながらの宴席が開かれました。

綴錦楼(ていきんろう)
迎春が初めに住んだところ。

稲香村(とうこうそん)
李紈の住居。瀟湘館にほど近く、山をまわった所にあります。農家風の造りで、家は茅葺きで、鵞鳥(がちょう)、家鴨(あひる)、鶏が放し飼いにされています。宝玉は「杏簾在望(きょうれんざいぼう)」と名付け、元春妃は初め「澣葛(かんかつ)山荘」の名を賜り、「稲香村」に改めました。賈政が居酒屋の旗を立てさせました。
「黄土で固めた低い土塀が見え隠れして続き、塀はみな藁葺きです。何百本もの杏の花が咲き乱れています。その奥に何軒かの茅ぶき小屋があり、周囲には桑・楡(にれ)・槿(むくげ)・柘(めぐわ)といった各種の樹木が若枝を張っていて、その曲折にしたがって二列の生垣が結ってあります。生垣の外には釣瓶やろくろのある井戸があり、畦や畝を切って野菜や菜の花がどこまでも続いています」(第17回)

凸碧山荘(とつへきさんそう)
築山の頂にある大庁。嘉蔭堂から登ったところにあり、第75回で月見の宴が開かれました。
「麓からうねうね道を百歩余り登ったところが一番高い山の頂になっていて、そこに吹抜けの庁があります」(第75回)

【な行】

西門
第50回で蘆雪庵から暖香塢に行く途中で通っています。
「外に向かった額には「穿雲」の二字、内に向かったのには「度月」の二字が刻んであります」(第50回)

【は行】

蜂腰橋(ほうようきょう) 
第26回で蘅蕪苑に行く紅玉と、怡紅院に行く賈芸がすれ違っています。第49回で李紈の使者が熙鳳の所へ向かうのに通っています。

【や行】

楡蔭堂(ゆいんどう) 
第63回で平児が誕生祝のお返しの宴を設けました。

【ら行】

柳葉渚(りゅうようしょ)
第59回で鶯児が柳の小枝で花籠を編んでいます。
「柳の土堤づたいに進むと、あたりの柳は浅碧の芽を吹き、その細い枝は黄金の糸を垂らしたかのよう」(第59回)

梨香院(りこういん)
栄国公が晩年の隠居所にしていた場所。薛親子が栄国邸に入った時に住み、後に少女役者達が入って芝居の稽古をしました。少女役者たちが出た後は空き部屋になっていたようで、第69回では尤二姐が亡くなった時に5日間ここに安置されています。
「非常に凝った造りで十幾間もの部屋があり、表座敷から表の間まで備わっています」(第4回)

寥汀花溆(りょうていかじょ)
蘅蕪苑にほど近い風光明媚な地点。「溆」は水辺の意味。宝玉が「寥汀花溆」と名付けたのを元春妃が「花溆」と改めました。第81回で探春・李姉妹・岫烟が釣りをしました。
「石の洞穴から水が流れ出ていて、その上にはつたかずらが逆さに垂れ、下には落花が浮かび漂っています」(第17回)

寥風軒(りょうふうけん)
惜春の住居。元春妃が名を賜りました。第87回で宝玉が遊びに来た時、惜春と妙玉が碁を打っていました。

櫳翠庵(ろうすいあん)
妙玉の修行する尼寺。元春妃が扁額に「苦海慈航(くかいじこう)」と御題を賜りました。冬には山門前の十数株の紅梅が一斉に花を咲かせます。
「山の麓の思いがけぬところにひっそりとした尼寺があるかと思えば」(第17回)

蘆雪庭(庵)(ろせつてい)
元春妃が扁額に「荻蘆夜雪(てきろやせつ)」と御題を賜りました。第49回で雪が積もった日に詩会が開かれた場所。宝玉と湘雲が鹿の肉を焼きました。
「築山に近い河原に建てられ、茅ぶき屋根に泥塗りの壁、木槿の垣根に竹の窓といった造り。窓を押し開けば釣りもでき、四方は一面に蘆で覆われ、その蘆の茂みの中の小道をたどると、藕香榭の竹橋に出られるようになっています」(第49回)