紅楼夢建物事典

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(2)寧国邸
会芳園
寧国邸の奥庭にあった庭園。第11回で賈敬の誕生日に栄国邸の人々が招かれ、子供芝居が開かれました。賈瑞が熙鳳を待ち伏せて対面を果たした場所でもあります。
大観園が建設される時に一部が敷地に入れられ、垣根や楼閣が取り壊されて栄国邸の東庭に直結しました。

凝曦軒
第11回で老女が「お殿様方は先程お囃子の連中をお連れになって凝曦軒へ御酒をあがりにお出かけになりましてございます」と言っています。

叢緑堂
会芳園の楼閣。第75回で賈珍が妻妾たちを集めて月見の宴を開きました。

天香楼
会芳園の楼閣。第11回で賈敬の誕生日に2階で子供芝居が行われました。
第13回の本来の原稿では、天香楼で秦可卿と賈珍が密通しているところを侍女(瑞珠)に見られ、可卿は恥じて首を吊ったそうです。可卿葬儀の時には一壇が設けられ、道士たちが罪業消滅の祈祷を行いました。
第75回では賈珍が天香楼下の矢場内に標的を立て、公達連中を集めて弓の競技会を開催しています。

登仙閣
会芳園の楼閣。第13回で可卿と瑞珠の遺骸が安置されました。

逗蜂軒
第11回で賈珍が戴権をもてなし、賈蓉に官職を買いたいと申し出た場所。

賈氏宗祠
第53回で賈家一門を集めて新年の拝礼が行われています。
「寧国邸の西側に別構えになっており、黒ペンキ塗りの柵の内に5つに仕切った大門の上に「賈氏宗祠」と書かれた額が掛かっています。 院内に入ると、白石を敷き並べた路の両側に松や檜が茂っており、月台の上には緑青を吹いた鼎や彝(い)等の古代の楽器が据えてあります。 奥の方には香炉が光り輝き、刺繍を施した錦の幕の中に位牌が並べられています。
正堂には錦の幕が高々と掲げられ、五彩の衝立が張り巡らされ、香炉が光り輝いています。上手の正面には寧・栄二祖の遺像が掛かり、その両側に歴代のご先祖の遺像が掛かっています」(第53回)

(3)栄国邸

栄禧堂(栄慶堂)
奥座敷の王夫人の住居ですが、王夫人は普段は東の耳房にいます。第3回で上京した黛玉が挨拶にあがりました。

綺霞斎
宝玉の表書斎。史太君のところの儀門の外にあり、第24回で賈芸が宝玉を訪ねていきました。

夢坡斎
賈政の書斎。第8回で宝玉が詹光・単聘仁に会った時、二人が「お殿様は夢坡斎の小書斎でお昼寝中。大丈夫です」と言っています(何が大丈夫なんだ?)。

梨香院(→大観園参照)
元は栄国公が晩年の隠居所にしていたところ。十幾間の部屋があり、表座敷から奥の間まで備わっています。
上京した薛親子が始めに住みました。西南のくぐり戸から路地に抜けると王夫人の正房に通じ、通りに通じる門から奉公人が出入りしていました。やがて薛未亡人らは移住し、梨香院は空き部屋となります。
大観園建設の時その中に取り込まれました。姑蘇から買われてきた12人の女役者たちが入り、師匠について稽古をしました。

(4)寺院

玉皇廟・達磨庵
元春省親用に買われてきた12人の小坊主と12人の小道士が住んでいたところ。彼女たちは省親後に鉄檻寺に送られました。「紅楼夢語言詞典」では大観園内にあることになっていますが…どうなんでしょう?

玄真観
賈敬が隠居して仙人になる修行をしていた長安郊外の道教寺院。

葫蘆廟
姑蘇の阊門外の十里街仁清巷にあった古寺。貧書時代の賈雨村が身を寄せており、寺の隣に甄士隠一家が住んでいました。某年三月、油揚げの鍋から出火し、近隣の人家もろとも燃え尽きてしまいました。

散華寺
散華菩薩を祀る尼寺。第101回で尼僧大了に勧められて、熙鳳が参詣しました。

水月庵(饅頭庵)
鉄檻寺の近くにある尼寺。名物の饅頭が評判であることから「饅頭庵」のあだながあります。第15回では可卿の葬送の時、熙鳳・宝玉・秦鐘が宿泊し、第77回では芳官が引き取られて出家しました。

水仙庵
長安北門郊外の尼寺。洛神を祀っていることから水仙庵の名があります。第43回で宝玉と茗烟が亡くなった金釧児を祭りました。

清虚観
道教寺院。第28回で3日間の祈祷が行われ、芝居と供物が奉納されました。

善才庵
浄虚(水月庵の尼僧)が出家した長安県内の尼寺。

智通寺
第2回で姑蘇郊外に出た賈雨村が立ち寄った古寺。中にはつんぼの老僧が一人いて、一向に話にならず、気を腐らせた雨村はそのまま立ち去っています。
第66回で尤三姐に自害された後の柳湘蓮が立ち寄ったのも、名前はありませんが、ここではないかと思います。

地蔵庵
賈家の檀那寺である尼寺。第77回で蕊官と藕官が出家しました。

鉄檻寺
寧・栄国公の手で建立された菩提寺。香華料のあがる田地が布施されていて、都で賈一族の誰かが亡くなった時は、随時柩を預けておけます。第24回では尼僧と小道士24人が送り込まれ、賈芹が寺の監督を務めることになります(第93回ではなぜか水月庵になっていますが)。

天斉廟
西城門外にある王道士の管理する廟。第80回で宝玉が乳母数人と願ほどきに参詣しました。前代の建立で建物は宏壮ですが、荒廃が進んで鬼神像などは凶悪な形相になっており、宝玉は怖がって寄りつこうとしませんでした。
天斉廟のモデルについては、北京朝陽門外の東岳廟(兪平伯らの説)と北京西郊紅山口の天斉廟(周汝昌らの説)との二説があります。

蟠香寺
玄墓山(江蘇省呉県)の尼寺。妙玉は幼少時にここで修行し、岫烟は境内の家を借りて十年ほど住んでいました。

牟尼庵
妙玉が櫳翠庵に入る前にいた長安西門外の尼寺。長安の都に観音様の遺跡と貝葉(バイタラ)遺文があると聞いて、師匠と共に上京してきました。師匠円寂の後、妙玉はその遺言に従って牟尼庵に留まっていたのでした。

(5)宮殿

臨敬殿
第16回で賈政が陛下の拝謁を受け、元春が鳳藻宮尚書に封ぜられ、賢徳妃に加封されたことを告げられました。

宝霊宮、大明宮
第18回で元春妃省親の時、栄国邸に来た大監が「未の正二刻には宝霊宮の仏様にお詣りになり、酉の初刻に大明宮で行われます看燈の御宴にお出ましになり、それからお沙汰を仰がれます」と告げています。

(6)その他

恒舒質店
鼓楼西大通りにある薛家の質屋。第56回で岫烟が綿入れの着物を質入れさせ、宝釵が「お輿入れより一足先に嫁入り衣装がお輿入れ」と言って笑いました(この時点で岫烟が薛蝌に嫁ぐことは決まっていたため)。

枕霞閣
史家に昔あった水亭。第38回で史太君が小さい頃、足を滑らせて溺れかけた話をしました。これにちなみ湘雲に「枕霞旧友」の雅号がつきます。