紅楼夢に見る中国社会

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(4)四合院
 四合院について

四合院(しごういん)は北京の伝統的な建築形式です。

四合院の「四」は東西南北の四面を表し、中庭(院子)を囲んで四方が壁または家屋に囲まれた建物のことです。北方は木材が少ないため、住宅は煉瓦で作られています。外壁には窓をつけないので、採光や風通しが悪いという欠点はありますが、門を閉じれば外部から完全に遮断されます。

大門を抜けると、突き当たりに照壁という装飾された壁(他の壁に依存しないで独立に作られているものを影壁といいます)があります。

中庭(院子(いんし))を囲んで正面に正房があり、両側に東西の廂房(しょうぼう)があり、入口側に門房があります。二の門(垂花門、屏門)や過門によって中庭が区切られる時は、入口に近い庭を外院、奥の庭を裏院といいます。

二の門である垂花門は、門の上軒柱が地面につかずにぶら下がっているためにこの名があります。垂花門の内側の両柱の間には屏門という扉が取り付けられ、通常屏門は閉めっぱなしで、人々はその両側にある側門か抄手游廊(渡り廊下)を通ります。

正房は母屋であり、多くは三部屋か五部屋からなり、中央の部屋(正庁)には祖先の霊をまつり、また各部屋への通路入口を兼ねています。正庁の両側の部屋が主人や夫人の居室で、多くは向かって右側が主人の部屋、左が夫人の部屋となります。

正房の両側には耳房套間)を建てることが多く、これはやや小さい附属の部屋で、耳房の前にも小さな庭があります。また、正房の後ろに立てた建物は後罩房(こうとうぼう)といい、子女や侍女が住みます(図にはありません)。

廂房には目下の者が住み、時には厨房も置かれます。正房と廂房の間は通常抄手游廊(渡り廊下)で繋がれています。

門房は倒座南正房とも呼ばれ、門番下僕の住居または物置きにされます。

紅楼夢に見る四合院

もちろん栄国邸や大観園内の建物も全て四合院です。たとえば、黛玉が賈家に到着した時に以下のような記述があります。

「黛玉は老女の肩にすがって垂花門を入ると、左右両側は手を組んだような格好の回廊(抄手游廊)、中央が穿堂になっていて、大きな挿屏(ついたて)がすえてあり、これをまわると小さな三間の部屋、その部屋の後ろが奥の正房で、正面五間の正房はみなすきを凝らした造りで、その両側には、片側が壁になった回廊(穿山游廊)と廂房があります。」(第3回)

穿堂とは、通り抜けることのできる部屋です。

また、王夫人に連れられて食事に行く場面では、

「王夫人はさっそく黛玉を連れて後房の裏口から裏廊下づたいに西へ行き、角門を出ると、そこは南北に通ずる広い夾道になっていて、南側は倒座で三間の差し掛けの小さな抱厦庁、北側には白ペンキ塗りの大きな影壁が立っていて、その屋の方に中くらいの門のついた一郭があります。」(第3回)

角門は正門の両側にある側門で、正門も通常は閉めっぱなしのため、人々は角門を通って行き来します。抱厦庁は家屋の前に継ぎ足して建てた部屋で、屋根は別々に造るために大小の建物が前後にくっついた格好になります。


■参考:内田道夫解説「北京風俗図譜1」(平凡社)


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