意訳「曹周本」


第99回
賈宝玉は絶痛して知己に哭し、薛宝釵は心悲しく通霊を感ず

さて、宝釵は黛玉の霊前に跪いたまま起き上がりません。宝釵は黛玉が自分の賜婚のために死んだことを分かっており、悲しくてたまりませんでした。それに、宝玉が戻って来てこのことを聞いたら悲痛のあまり死に急ぐかもしれず、自分は未亡人になってしまうのではないか! そう考えるとこらえられず、霊前で痛哭やまないのでした。

紫鵑は最初は宝釵を嫌がり、彼女が来たのを見ても取り合わずに、傍らに座って泣いていました。しかし、冷静に眺めたところ、宝釵は確かに傷心して泣いており、いつまでも起き上がらないのを見ると、少し心が動かされ、こう思うのでした。この方を恨むべきではないわ、娘娘の賜婚ではどうしようもなかったのだから。それに、お嬢様が在りし日、二人は血を分けた姉妹のように仲が良かったし、お嬢様が賜婚のために亡くなり、心中済まないと思ってこんなに泣き暮れているんだわ。そこで、水を一杯運んで行って、「宝のお嬢様、泣きすぎてお疲れでしょう。口を潤してください!」 宝釵は紫鵑を強く引き寄せてなおも泣き止まないのでした。

その夜、宝釵は帰ろうとせず、林妹妹が一人では寂しいでしょうと言って泊まり込み、紫鵑と雪雁に付き添って通夜をするのでした。一同は不思議に思いながら、彼女たちは生前とても仲が良かったので、黛玉が寂しがるからお伴をするというのも人情だろうと考えるのでしたが、「宝玉さんを手に入れようとして林のお嬢様を憤死させたもんだから、林のお嬢様の亡霊が怖いのさ」とつまらぬことを言う者もいるのでした。

薛未亡人は黛玉が賜婚のために死んだことを知り、宝釵が心中不安で瀟湘館で通夜をするのもやむを得ないことと思い、鶯児に寝具を持って行って世話をするように申し付けます。

宝琴は嘆息して、「林のお姉様も少しせっかちでしたね。宝のお兄様が戻ってきてからよく話し合い、ロミオとジュリエットみたいに逃げ出して密かに結婚すれば良かったのに! 誰かに殺されるわけでもないんですもの」。 薛未亡人は「それは海外のことでしょう、私たちのところで出来るもんですか。あんたも随分入れ込んであらぬことを口走るのね」。 宝琴は「人が死ぬのはあらぬことじゃなくて、生きるのはあらぬことだなんて、どこに道理がありましょう」。 薛未亡人は頭を振って、「もうそんな話はやめて、人に聞かれたらいい笑いものよ」。

さて、黛玉が亡くなって二十日後、宝玉と賈政が戻って来ました。まず、賈母に挨拶に伺うと、賈母は宝玉を引き寄せて涙を流し、「ここに何日かいておくれ! 園に行ってはいけないよ」。 宝玉は長らく留守にしていたので、賈母が慕わしく思っているのだと思って承諾します。続いて王夫人に挨拶に伺い、賈母に留められた事を話します。

王夫人はとても喜んで、「お前も大きくなったんだから、早く園を出た方がいいだろうね。ご隠居様もそうお考えなら、今後も入園する必要はないよ。私が襲人に言って、お前の物は全部運び出させるとしよう」。 宝玉はこれを聞くとびっくりして、「ご隠居様が思い慕ってくれているので、何日か滞在するだけのこと。その後は怡紅院に戻って住むつもりです。園内では二のお姉様、宝のお姉様、三妹妹がいなくなって随分ひっそりとしてしまいました。もし私が出てしまうと、残るのは林妹妹、四妹妹、邢妹妹、お義姉様と妙玉師父だけになってしまいます。母上、お慈悲ですから私をこのまま怡紅院に住ませてください」。 王夫人は「お前は男の子なんだから、兄弟たちと一緒に住むべきなんだよ。ご隠居様が可愛がられてお前を園に入れたわけだけど、もう間もなく結婚もするというのにまだ園に住むというのかい。父上が戻って来られて、もう指示があったんだよ。私たちの厢房の何部屋かを片付けて、お前がご隠居様のところに何日か滞在しているうちに引っ越してくることになっているんだよ」。 宝玉は雷に打たれたようになり、ワッと泣き出します。王夫人は思わず宝玉を抱き寄せて、「いい子だから、後でまた話すとしましょう! 園内は汚れているからお前は出てきたほうがいいのよ。とにかく、ご隠居様のところに食事に行きなさい。しばらくはご隠居様のところに住むんですから!」 襲人や麝月らが宝玉が帰ったと聞いてやってきたので、王夫人は襲人たちに一緒に付いて出るように申し付け、「ちゃんと世話をするんだよ」と言います。宝玉は荷物から花籠を二つ取り出し、王夫人のところを立ち去ります。しかし、賈母のところに食事には行かず、襲人に「ご隠居様に言っておいて。私は母上のところで食事を済ませたので、もう部屋に戻って休みますからって」と言って、そのまままっすぐ園に向かいます。

襲人は彼が黛玉に会いに行ったのを知り、まずいと思って、急ぎ麝月に言って王夫人に報告させ、自身は宝玉とともに園に入ります。「お疲れなんですから部屋に戻ってお休みください!」と言うと、宝玉は「先に戻っていてよ。私もすぐに帰るから」。 襲人は「もう遅いですし、園内の人も少なく、冷えてきました。どこへ行こうというのです? 大奥様に勝手に出歩くなと申しつかったではありませんか。もしも花神様やら何やらに出くわしたら私は責任を持てませんよ」。 宝玉は聞くなり笑い出して、「なんだ、そんなことか。ちょうど花神様に会いたいと思っていたんだ。晴雯は芙蓉の花の担当になったそうだけど、これまでどうしても会えなかったからね」。

襲人はもう止められないことを知ります。もし心の準備もなく宝玉をこのまま瀟湘館に行かせれば、驚いて人命にかかわることになるかもしれない。ならば、話してしまったほうがよいわ。騙そうとして騙し通せるものではないし、宝玉に痛哭させてその思いを段々に断てば、宝のお嬢様との婚儀についても好転するかもしれない。林のお嬢様が生きていれば、娘娘の賜婚だとしても従わないでしょう。彼女が亡くなって望みがないことを知れば災い転じて福となるかもしれないわ。こう思い至ると、足を止めてこう言います。「お待ちください、お話があります。お聞きになればきっと悲しまれるでしょう。でも、大奥様にとって子供といってはあなただけですし、ご隠居様、大殿様、大奥様が日頃どれほどあなたを可愛がっていらっしゃることでしょう。あなたがもしくよくよして体を壊しでもしたら、ご隠居様、大奥様、大殿様の三名はどうなりましょうか! あなたもあの世でご先祖様に合わせる顔がなくなりますわ」。

宝玉はこれを聞くと目を見開いて言葉に詰まります。しばらくしてから、「いったい何があったんだい? そんなに大層な話し方をして!」 襲人は「本当のことを申し上げます。林のお嬢様は既に天に召されました」。 宝玉はこれを聞くと雷に打たれたような衝撃が走り、天地はひっくり返り、山は崩れ地は裂けんばかり、危うく卒倒するところでした。襲人と秋紋が体を支えると、宝玉はその手を払って必死で足を踏ん張り、一目散に瀟湘館に走りました。

黛玉の棺の前では宝釵が泣いているようでした。宝玉はただ一言、「林妹妹!」と言って位牌を抱きかかえると昏倒してしまいました。

襲人、秋紋、麝月らが駆けつけ、急いで宝玉を宝釵のベッドに運び、一方で秋紋を賈母と王夫人に知らせにやります。やがて、賈母と王夫人が侍女に支えられ、ガラスのカンテラを照らしながらやってきました。宝玉がベッドに横になり、死んだように眠っているのを見ると、みな大声で「宝玉」と呼びかけ、すぐに人を遣って急ぎ王太医を呼びます。

宝玉の意識はふらふらと、とある場所にやってきました。前方に霧が立ちこめる中、樹木のたもとで僧侶と道士が碁を打っています。宝玉がやってきたのを見ると二人は手を叩いて大笑いし、「石兄はやはり愚か者じゃな。今頃になって探しに来てどうするのじゃ! 『空しく対着す、山中の高士、清らなる雪(空対着山中高士晶瑩雪)』じゃよ」。 宝玉には感じるところがあり、思わずあとに続けて、「終に忘れず、世外の仙妹、寂寞の林(終不忘世外仙妹寂寞林)ですね!」 僧と道士は再び手を叩いて大笑いし、「なんと石兄は聞き覚えがあるようじゃの。その思いを忘れなければ信義に背くこともなく、あの仙妹もそなたを恨まんじゃろう。石兄、早くお戻りなされ、あちらには『清らなる雪』がおるんじゃからの!」

宝玉が黛玉の消息を尋ねようとすると、二人は「絳珠が涙尽きて本日戻ってきたので、拙僧たちは会いに参るところじゃ。邪魔をしないでいただきたい!」と言って袖を振り払います。

宝玉は急ぎ二人の袖をつかまえて懇願し、「仙師お二人が林妹妹に会いに行かれるのでしたら、私も連れて行ってください! ここ数日は彼女も随分泣いたんじゃないでしょうか!」 二人は宝玉の態度が誠実で哀れでもあったので、ついに頷いて、「連れて行って会わせてやれば、このいざこざにもけりが付くじゃろうて」。

宝玉はついに二人に付いて大石の牌楼の前にやってきました。そこには『太虚幻境』の四字があり、心中こう思うのでした。「ここには来たことがある。林妹妹もここにいたのか」。

先に進もうとすると、ちょうど黛玉と警幻仙姑が霊河のほとりを歩いていました。宝玉はびっくりして急いで駆け出し、「林妹妹!」と叫びます。黛玉はこの時涙を流していましたが、呼びかけを聞いて振り返り、宝玉がやって来たのを見るとまず驚き、続いて涙を喜びに変え、急いで駆け出します。二人が手に手を取ろうとした時、空から虹が落ちてきてたちまちに一本の急流となり、二人を両岸に隔てます。二人は互いに呼び合います。

警幻は慌てず騒がず黛玉に言います。「絳珠はどうして仙規を犯そうとするのです? 侍者も早く戻るべきです。あちらをご覧なさい、あなたの父上が人を連れてあなたを捕まえに来ましたよ!」

宝玉が構わずに前に飛び出そうとすると、突然雷が鳴り、宝玉はハッとして目が覚めました。耳元で誰かが呼んでいるような気がしてゆっくりと目を開くと、賈母と王夫人が自分を引っ張って泣いています。宝釵と襲人も傍らで泣いていました。どこに黛玉や警幻仙姑がいましょうか、ようやく先ほどのことが夢だったことを知り、一同に構わず起き上がろうとします。

王夫人は慌ててこれをとどめ、宝玉を寝かせようとします。宝釵は宝玉が黛玉の霊前で泣きたいのだと思い、恥ずかしさをこらえて、王夫人に「宝玉さんは林妹妹のために泣きたいんですわ。二人は仲が良かったですから、さぞかし辛いことでしょう。心の病にでもなってしまえば直すのは難しくなりますわ」と言うと、王夫人はようやく手を放します。

襲人が支えようとしますが、宝玉はその手を払い、よろめきながら黛玉の霊前に行くと位牌を抱え、心が張り裂けんばかりに痛哭し、「私が戻るのが遅かったんだ、私が妹妹を殺してしまったんだ!」と息も絶え絶えに死なんばかりに泣き叫びます。

賈母はこれを聞くと悲しみ極まって、「私の黛玉や!」と叫びます。王夫人は傍らで泣きながら賈母を慰めますが、宝玉は耳を貸しません。宝釵と襲人は何も言わず、傍らで涙を流しながら、宝玉に気が済むまで泣かせてやるのでした。

王夫人は、夜も遅いのでともかく帰って休み、明日また来るようにと言います。しかし、宝玉は耳を貸さずに、位牌を抱いて泣きわめき、どんなに説得されても帰ろうとはしません。

この時、話を聞きつけた鳳姐が、小紅や豊児らにカンテラで照らさせてやってきました。宝玉の様子を見て、諭しても無理だと知ると、急ぎ宝玉の寝具を運んでくるように申し付け、一方で王夫人に向かって、「大奥様もご隠居様と一緒にお戻りください。宝妹妹がここにいてくれれば支障はないでしょう」。

賈母は帰りたくなかったものの、高齢のうえにずいぶん長く泣いたことで疲れを感じていました。宝釵や王夫人らが揃って説得すると、賈母はようやく立ち上がり、宝玉の前に行って、「私はお前達に何もしてやれなかったよ。お前の妹妹が亡くなって、お前にずいぶん泣かせてしまったね。みんな私のせいだよ、悔やんでも悔やみきれないよ。お前も体を大切にしてくれないと、お前の妹妹もあの世で安心できないからね」と言って、またハンカチで涙を拭きます。一同がさらにしばらく慰めると、賈母はようやく鳳姐と鴛鴦に支えられて立ち去ります。王夫人は襲人にあれこれ申し付けてから付いていきました。

宝釵は一同が行ってしまったのを見ると、また黛玉の霊前に跪いて泣きます。宝玉は宝釵がずっと悲しんで嗚咽しているを見ると奇妙に思うのでした。どうしてこの人は帰らずに霊を慰めているんだろう?

すると、襲人や麝月らが寄ってきて、「二の若様はもうずいぶん泣かれたんですから、宝のお嬢様にも泣かせてあげてください。二の若様も少し休んで食事をしてください」。 秋紋が急いで燕の巣の粥を運んできますが、宝玉は食べようとはせず、こう思うのでした。私が出かける時には林妹妹は元気で、蘇州のマツリカの花籠を持ってきてくれるように言っていたっけ。今、花籠を持って来てみれば、彼女の弔いになっているじゃないか! ようやく立ち上がると懐に抱いていた位牌を卓上に置き、自分が持ってきた花籠を取りに行きます。また、懐から木の葉や草を取り出して籠の中に入れると、麝月と秋紋に頭を梳いてもらい、新しい衣服に着替えます。まだそこで泣いていた宝釵に構わず、恭しく跪いてゴツンゴツンと三回叩頭し、泣きながら、「林妹妹、あんたが欲しがっていた叔父様、叔母様のお墓の上にあった木の葉と草、蘇州のマツリカの花籠を持ってきたよ。見たかったんだろう! 話をしておくれよ! どうして何も言ってくれないんだい? どこに行けば妹妹に会えるんだい?」と言って痛哭やみません。

宝釵は傍らでこれを聞き、宝玉が悲痛極まりないことを知り、どうして『金玉良縁』など成立し得よう、名ばかりではないか! そう思うとさらに悲しく泣くのでした。

二人は黛玉の霊前に跪いて夜が明けるまで泣き続け、宝玉はようやく冷静になってきました。そもそも林妹妹はどうして亡くなったんだろう、これをはっきりさせないと死んでも瞑目できず、林妹妹に会わせる顔がない。これは紫鵑と雪雁に聞いてみればはっきりするだろう。こう思うと、襲人、麝月に向かって、「もう休むことにするよ。あんたたちも一晩辛い思いをしたんだから、みんな戻って休んでおくれよ。そうじゃなきゃ、私が持ってきた荷物や衣服を片付けて、ここで要る物を持って来てくれないかな」。 襲人は宝玉が少し落ち着いてきて、さらに、宝のお嬢様がここにいてくれれば問題ないだろうと思い、頷いて麝月らと怡紅院に戻りました。

宝玉が立ち上がって紫鵑を探しに行こうとすると、宝釵が突然傍らから話しかけます。「待って、あなたに言わなければならないことがあります」。 宝玉は布団の上に座り直して、冷ややかに彼女に目を向けると、宝釵は「林妹妹は亡くなりましたが、あなたは彼女がなぜ死んだのかきっと知りたいはず。私がお話ししましょう」。 宝玉は思いも寄らぬ一言に、宝釵をポカンと眺めたまま言葉が出ません。

宝釵は「私が騙すとでも思って? 私はあなたが来るのを待っていました。事をはっきりとさせて自分の道を進んでもらうためです」。 宝玉がようやく「話してください!」と言うと、宝釵はついに、貴妃から賜婚がくだされたこと、賈母はどうしようもなく、黛玉を甄宝玉に嫁がせることにしたこと、甄宝玉が園内で黛玉に会ったことで、黛玉は全てを知り、思わずかっとなって吐血し、死に至ったことについて、誠実に包み隠すことなく宝玉に話しました。そして最後に、「林妹妹が亡くなった今、私には分かります。あなたはきっと命を絶つつもりでしょう。『金玉良縁』を賜ったところで、私たちにその気持ちはありません。ならば私はあなたを応援しましょう。死ぬことはありません。死ぬことだけが情を尽くす道でしょうか? 誰もいなくなったこの隙にここを抜け出し、山奥の古寺で出家して仏法を学ぶのも一つの道でしょう。銀子を用意しましたので、持って行って路銀にしてください。今のうちに早く行ってください!」と言って、部屋から一包みの銀子を取ってきて宝玉に渡し、泣き腫らすのでした。

宝玉は宝釵の話に驚いて呆気に取られ、その銀子を受け取らずに呆然と宝釵を眺めていました。宝釵は急かして、「早く行って、彼女たちが戻って来たら出て行けなくなるわ」。 宝玉は「娘娘が既に賜婚をくだされたのに、宝姐さんは自分の婚姻はそっちのけで、私を出奔させるだなんて、将来どうするつもりです?」 宝釵は泣きながら、ただ頭を振って、「私に構わず行ってちょうだい! 私はここに残り、娘娘の賜婚がなくなれば、よそに嫁ぐだけのことです」。

宝玉はこれを聞いて同情の気持ちが沸き起きます。宝姐さんのなんと可哀想なことか! 昨夜は自分とともに一晩泣いていたし、今度は彼女を見捨てて行けと言う。思わず宝釵を引き寄せて泣き始めます。宝釵もうつむいて泣き、「とにかく行ってください。ここに三百両の銀子があります。道中、体に気をつけ、私たちのことは気に懸けないで。あなたが修行の末に悟りを開いて、あの世で林妹妹に会ってもらえることが私の願いですわ」。 宝玉があらためて宝釵を見ると、雪のように白い顔はかなりやつれ、両目は鈴のように腫れ、口元には悲壮さが滲み、とても申し訳なくなり、こう思うのでした。私はいきさつを尋ねたら、死んで林妹妹に殉ずるつもりだった。なのに彼女は賜婚されたのにも関わらず、私に出家を勧め、林妹妹への情愛からこんなにも泣いてくれている。ここはひとつ、紫鵑に尋ねてみて、それが林妹妹の意思でもあるのならば、素直に従って出家しようじゃないか! そう考えを決めると、足を踏みならして嘆息し、「天よ、あなたはどうしてこんなにも人の心をもてあそぼうとするのです!」

宝釵は泣きながら早く行くようにと言うばかり。宝玉は宝釵を慰め、「宝姐さんも休んでよ! ここには私がいるから!」と言いますが、宝釵が従うわけもなく、霊前に跪いたまま、「妹妹」と泣き止みません。

宝玉は、黛玉の寝室に行くとだけ言って宝釵から離れ、黛玉の部屋で詳細を尋ねようとします。紫鵑は黛玉の物を片付けていましたが、宝玉が入ってきたのを見ると、ピンク色の用紙を取り出して宝玉に渡し、「これはお嬢様が亡くなる数日前に書かれた詩です。二の若様、記念の品としてください!」 宝玉が急いで受け取って見ると、それは『青玉案』の一詞でした。宝玉は「閑愁暗恨何情緒、選做傷心泪無数。(閑愁暗恨何ぞ情緒あらん、選びし傷心に涙は数知れず)。 灑向誰辺千百度?(誰がために幾度も注ぐ) 呉山、湘水、虎丘、南浦、更向帰来路(呉山、湘水、虎丘、南浦、学びて往路に向かう)」と詠み上げると、再び涙が溢れました。「林妹妹、あんたは毎日私の事を思ってくれていたんだね。私も妹妹のことを毎日何十編も思っていたよ。帰ればバラ色の未来があるとばかり思っていたのに、『賜婚』なんてものが妹妹の命を奪ってしまった。分かっていれば何があっても遠出なんかしなかったのに。もう妹妹はどこにもいなくなってしまった!」と言ってまた声を上げて泣くのでした。紫鵑も傍らで涙をこぼします。

宝玉は「あんたには本当のことを言うけど、私は妹妹の死因をはっきりさせたら、あの世に林妹妹を探しにいくつもりだったんだ。でも、宝姐さんは私に、山奥に行って出家するのも情を尽くすことになるんだし、悟りを開ければあの世で妹妹に会えるかもしれないって言うんだ。だから、私は出て行くつもりだけど、あんただけには別れを言っておくよ。それに、妹妹が書き溜めていた詩や詞の手稿を全部もらいたいんだ! 一冊にまとめて古寺に持って行き、毎日眺めて暮らすようにするよ」。

紫鵑は不思議に思い、「宝のお嬢様は本当に若様に出家するように言われたんですか?」 宝玉は頷いて、「私は言ったことがあるんだ、妹妹が死んだら私は坊主になるからって」。 紫鵑はたちまち感謝の心が起こり、「二の若様は、娘娘が若様と宝のお嬢様が『金玉良縁』を結ぶように賜婚をくだされたことは御存知なんですか?」 宝玉は「さっき宝姐さんが教えてくれたよ」。 紫鵑は「でしたら、宝のお嬢様はどうして出家してお坊さんになれなんて言うんでしょう?」 宝玉は「きっと私と林妹妹が深い情でつながっていたことを知っているからさ!」 紫鵑はため息をついて、「私も最初はあの方に悪意があるものと思っていました。でも今思えば、本当に真心からおっしゃっていたんですね。うちのお嬢様が息を引き取ると、すぐに宝のお嬢様がやって来られ、霊前でずっと泣かれていたことは御存知ですか?」 これには宝玉も心が揺れ動き、「知らなかったよ」。 紫鵑は「私は初め、あの方はそんな素振りだけをしているんだと思っていました。でも、二の若様の話を聞いて本当のことが分かりました。思えば、お嬢様がお元気だった頃、お二人はとても仲が良かったですもの。『金玉良縁』に背くことでお嬢様に報いるつもりなのかもしれません。そういうことでしたら、二の若様があの方を見捨てて行かれるのは不義というもの、宝のお嬢様に孤独な一生を送らせるのはあまりにも可哀想です。お嬢様だってあの世で不安になられることでしょう。二の若様には、お嬢様と宝のお嬢様のことをお考えになられ、この婚姻を受けることをお勧めします。人がいなくなってしまえば、私どものお嬢様も忘れられてしまいますから」。 宝玉は泣いて「私が妹妹を忘れるわけがないじゃないか!」 そして、先ほど見た夢で僧と道士が言っていた『空しく対着す、山中の高士、清らなる雪(空対着山中高士晶瑩雪)、終に忘れず、世外の仙妹、寂寞の林(終不忘世外仙妹寂寞林)』の言葉を思い出し、うなだれて嘆息し、「あんたがそう言うならあんたに従うよ! 妹妹もあの世できっと喜んでくれるんだろう」。

紫鵑は頷き、黛玉が書きためていた詩稿を宝玉に渡して、「お嬢様は亡くなる直前にも若様のことをお呼びになったんですよ」。 宝玉は両手で受取って懐に入れ、さらに紫鵑に尋ねます。「あんたはこの後どうするんだい? よければ、ご隠居様に言ってあんたと雪雁を私のところへ迎えようと思うんだけど。晴雯が亡くなり、芳官と四児がいなくなって、代わりの者を入れていなかったから、林妹妹の棺を送り届けたら、うちに来たらどうだい?」 紫鵑は首を振って、「お嬢様は亡くなる前に私の手を取って、ご隠居様に言って蘇州に帰してくれるようお頼みになりました。お嬢様は血を分けた姉妹のように接してくれましたので、私と雪雁はお嬢様を送って行き、お嬢様のお墓をお守りして二度と戻らないつもりです」と言って涙が止まりません。宝玉は「私も一緒に行くよ、叔母さんのお墓には行ってきたばかりだもの」。 紫鵑は「上の方々が若様を行かせてくれるでしょうか。若様は戻ったばかりですのに、また怒ったり疲れたりすればたちまち倒れてしまいますもの、お許しはいただけないでしょう。二の若様が思ってくれるのであれば、来年お越しください。私と雪雁そしてお嬢様がお待ちしています」。 宝玉は頷いて泣き崩れるのでした。

見る間に四十九日が過ぎ、賈母は黛玉の遺言に従い、賈璉に船を雇わせて黛玉の柩を蘇州に送らせます。紫鵑と雪雁は喪服を着て、船上で霊前に跪きます。賈母、鳳姐、李紈、宝釵、惜春、宝琴、岫烟らは埠頭にて泣きながら見送ます。

宝玉が一緒に送って行きたいと言うと、賈母と王夫人は当初許しませんでしたが、宝釵や鳳姐らが「行きたいと言うのですから、行かせてあげてください」と説得します。王夫人はついに賈薔と賈芸に申し付け、「あんたたち二人が付いて行ってちょうだい! 道中ちゃんと世話をするんですよ。 無事に戻って来たら褒美をあげるからね」。 二人はすぐにはいと答え、宝玉と共に船に乗って出発しました。続きはどうなるでしょうか、次回をお聞きください。


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