意訳「曹周本」


第112回
宗学に入りて宝玉は強いて日を渡り、仙郎を配されて襲人は故人を探す

さて、板児は毎日馬車に乗り、街に情報を探りに行きました。巧姐は平児が心配していると思い、板児にこっそりと手紙を届けてもらいました。

果たして、巧姐が消息不明になると、平児は毎日家で泣いており、王仁に手を尽くして探すよう求めました。王仁は千両の銀子を懸賞に出して巧姐を探す一方、なるべく平児を避けて会わないようにしていました。

平児は巧姐の消息を知って安堵しますが、なおも知らないふりをし、毎日、王仁をせっつきました。王仁は明るいうちは家に寄らず、夜遅くに戻っては、田氏から、あんな恥知らずなことはすべきではなかった、この先も鳳姐に会わせる顔がない、と不満を聞かされるのでした。しかし、王仁はどこ吹く風で、心の内ではなお、巧姐を取り返して八千両の銀子をせしめたいと思っていました。

その日、板児は王府一帯に探りを入れ、老太妃が十五才の七月七日生まれの生娘を買い入れて喜んだのも束の間、命を落としたことを聞きました。

実は、忠順親王は、母の病気が重く、毎日その生娘のことを話しては、彼を不孝者と責めるので、居ても立ってもいられませんでした。ある日、ようやく田舎から七月七日生まれの十五才の器量好しの生娘を買い入れることができ、家人たちは喜んで祝杯を挙げました。老太妃もとても喜び、彼女を身辺に置くと、その手を取って放そうとせず、「私はずっとあんたを待っていたのに、どうして今日まで来てくれなかったんだい?」と言って、彼女を孫娘の格式で扱うよう申し付けました。また、使用人に命じて入浴させ、髪を梳き、身なりを整えさせました。

その娘は、老太妃からこのように大事にされ、王府に入って綺羅をまとい、金玉のアクセサリーを身につけ、老太妃は側にいてくれればいいと言うので、とても嬉しく思っていました。

しかし、老太妃は既に高齢で、長らく病床にあったことに加え、このように喜び過ぎたため、夜中には目眩がし、胸の痛みを訴えました。使用人や侍女たちは慌てふためき、急いで忠順親王を呼びました。親王はすぐに駆けつけましたが、老太妃は既に人事不省で、息も絶え絶えでしたので、大声で呼び掛けました。

老太妃は何とか目を開け、生気のない目で親王を眺め、傍らの娘をちらりと見て、唇を何度か歪め、言葉を絞り出しました。「どうか、その娘には側で…仕えさせておくれ」と言って、息を引き取りました。忠順親王の家人たちは大声を上げ、慟哭の声は天地を震わせました。

親王は孝行者でしたので、母の命に従い、その娘を老太妃の孫娘としました。気の毒なことに、その娘は、王府に入って一日も経たないうちにこの厄難に見舞われたのでした。

板児は詳しいところを聞き取ると、急いで戻り、劉婆さんと巧姐に伝えると、劉婆さんは傍らで思わず念仏を唱え、巧姐は驚いて全身に冷や汗をかき、わんわんと泣き出しました。

平児は、板児から王府の老太妃が亡くなったことを聞き、もう何も心配がなくなったことを知りました。しばらくため息をつき、板児と共に村にやって来ました。

劉婆さんは早くも出迎え、「平の奥様にこのような所までお越しいただくとは」と言うと、平児は劉婆さんの一家に助けてくれた礼を述べました。劉婆さんは鶏やアヒルを潰して精一杯の持てなしをしました。

巧姐は、平児に会うと、これまでの苦労がよみがえり、駆け寄ってすすり泣きます。平児は巧姐の手を取り、「これは全て、あの恥知らずな伯父上がしでかしたこと。幸い、天はちゃんと見ていて、板児さんに巡り会わせてくれました。あの方に騙されていたら、私はあなたの母上と父上に会わせる顔がありませんでしたわ!」

一同はしばらくため息をつき、いまだ獄中にいる鳳姐の話になりました。平児は、板児の父の狗児が奔走して働きかけてくれたことを知っていたので、劉婆さんの一家には感謝しかありませんでした。

劉婆さんに引き留められ、平児は数日間ここに滞在しました。客観的に見て、劉婆さんの一家は農作業と織物で暮らしてはいますが、一年中野菜や果物が取れ、村内でも裕福な家になっていることから、平児も嬉しくなりました。また、巧姐と板児兄妹も仲が良く、板児は二羽の山鳥を捕ってきて、巧姐は毛を抜くのを手伝いました。また、青児と一緒にエンドウ豆を穫りに行ったり、板児と一緒に木の上の果実を摘み、平児に持ってきて食べさせました。

平児は巧姐の手を握って、「こちらではちゃんとやっていた? 私はずっとあなたに会いたかったのよ!」と言うと、巧姐も「私も同じ。でも、帰るわけにはいかなかったの。ここではお婆さんと板児が私の面倒を見てくれて、実の孫娘や実の妹より私に良くしてくれたんですから!」 平児が「ここでの暮らしには慣れた?」と聞くと、巧姐はうなずいて笑い、「私たちのお屋敷とは比べ物にならないけど、ここにはここの情景があり、情緒があるわ。とても楽しいの」。 平児はそんな巧姐を見て微笑むのでした。

その日、劉婆さんは自ら板児を伴い、しどろもどろになりながら平児に言いました。「道理から言えば、平の奥様には申し上げにくいのですが、何と申してよいやら、私どもの家は、巧のお嬢様とは釣り合いが取れません。しかし、年寄りの面の皮の厚さで平の奥様に敢えてお願い申し上げます。私の見たところ、この二人は一緒に育ち、互いを尊重し、気持ちが通じ合っています。板児は粗雑ではありますが、心根はとてもいい子ですし、力持ちです。ですから、二人の結婚を平の奥様にお認めいただきたいのです。この先もずっと、巧のお嬢様に窮屈な思いはさせませんから」。

平児はどうしてよいのか分からず、こっそりと巧姐に尋ねます。「今の劉のお婆さんの話だけど、あなたはどうなの? ちょっと前に趙の奥様も縁談を持ってきたわ。あの方の実家の甥御さんが酒館を経営していて、衣食には心配ないから、いずれ嫁いで奥方になってほしいって言うの。でも、私はあの方の息子(賈環)のお金に貪欲なところが気に入らないのよ。私たちがどんなに貧しくなっても、あちらには頼りたくないの。あなたの父上が戻ってきてから、あらためて決めたいと思うんだけど」。

巧姐はこれを聞くと、しばらく項垂れてから言いました。「先ほど申したとおり、私は板児兄さんに助けられましたし、私を実の妹のように接してくれています。私と板児兄さんは何も言わなくても、既に心は一つです。ここでの生活にも慣れてきましたし、願わくばこのままずっと一緒に暮らしたい。日の出とともに働き、日の入とともに休む田舎の暮らしは、官僚に嫁に行くよりずっと素晴らしい。これが私の気持ちです。もし、父のお戻りを待つと言うのであれば、父の気性はあなたも御存知のはず、私が田舎の男性に嫁ぐことなど絶対にお許しにはならないでしょう。また、私を別の者に嫁がせるということは、板児兄さんやお婆ちゃん一家の誠意を踏みにじることになるんですよ。これは私自身の願いですから、いずれ父が戻った時にあなたが責められることはありません」。

平児は考えます。板児は実直で働き者だし、巧姐をとても敬愛してくれている。それに、王家の生活は決して苦しくはなく、巧姐が来ても何とか暮らしていけるだろおう。二人が望んでいるのに、どうして自分が邪魔立てできよう! 鳳姐は獄中にいて、板児の父の恩もある。そして、今は昔とは違うのだし。

そこでうなずいて、「そういうことでしたら、日時を選んで結納してしまいましょう! あなたの父上が戻ってきても、危難の中で決まったものだと言いましょう。ここで私が決めますから、心配しなくていいわよ」と言って、劉婆さんの提案を承諾しました。

板児はこれを聞くと飛び上がらんばかりに喜び、何日も眠れないほどでした。そして、劉婆さんに、街に行って占い師に八文字を合わせてもらうよう頼みました。平児と巧姐は揃って家に戻り、劉家では日を選んで結納の品を届け、二人は結納しました。

巧姐と平児が戻って十数日後に、賈璉が帰ってきました。王仁が銀子をせびり取り、さらに巧姐を騙して売ろうとしたものの、板児一家に助けられ、既に結婚も決まったなどの話を聞くと、王仁の不義を怒って罵りますが、既にどうすることもできませんでした。

王仁は、賈璉が戻ったと聞くと、すっかり姿をくらませました。賈璉は王仁を見つけ出して金を取り返すこともできず、一家は衣食を節約して貧しい生活を送らなければなりませんでした。平児は巧姐と共に針仕事をし、興児と奉児には辞めてもらい、賈璉は家の前に屋台を開き、針仕事で縫ったものや、文房具、裁縫道具を売って日銭を稼ぎました。邢夫人も自ら料理を作りました。


さて、宝玉が金陵から戻ると、襲人は既に去り、宝釵の側には麝月一人のみという状況でした。宝玉は宝釵に同情し、平時は絵を描いて売り、わずかながらの稼ぎとしました。鴛鴦も宝釵、宝琴と共に針仕事をして暮らしました。

たちまち、宝琴の婚儀の日を迎えました。その日、梅家では楽隊を一組だけ連れて宝琴を迎えに来ました。三日後に実家に戻ってくると、梅家の婿殿は痩せてはいるものの、人品は申し分なく、みんな喜びました。

なにぶん、梅家は貧しく、家には使用人が一、二人しかいませんでしたので、宝琴は自ら厨房で料理をしなければなりませんでした。梅翰林は既に退職して故郷に戻っており、宝琴もすぐに一家ともども山東省諸城の旧家に移り、自給自足の生活を送り、婿殿と梅翰林の二人は日々学問に励むのでした。

宝琴は当初は家事に馴染めず、こっそり何度も泣いていました。しかし、梅家は貧しく、両親はとても厳しいので、奥方の地位は捨て、農作業と織物を学ぶ覚悟を決めました。それでも義母には愚痴をこぼされますが、幸い、梅家の婿殿は思いやりがあり、何とかやっていくしかありませんでした。かつての日々を振り返ると、夢のようで、月に向かってため息をつき、傷心して涙を落とします。しかし、どうすることもできず、薛未亡人、宝釵、薛蝌、岫烟を思い忍ぶ日々でした。

宝琴が嫁に行った後、薛家の生活は日に日に苦しくなりました。一、二件残っている店にはまだ四、五千両の銀子がありましたが、獄中の薛蟠はしょっちゅう金を要求し、金桂は出て行ったものの、宝蟾はまだ薛家におり、毎日御馳走を食べたいと言ったり、大騒ぎしたかと思えば、めかし込んで店員にちょっかいを出したり、聞くに堪えないことを言うため、薛未亡人や薛蝌たちは構おうとしませんでした。

実は、薛蟠が入獄してからというもの、宝蟾は店員の一人に思いを寄せていました。その店員は古くから薛蝌に仕えていた者で、薛蝌に真面目に仕えていました。宝蟾は彼にぞっこんで、ついに我慢できなくなり、ある晩、こっそりと彼の部屋に押しかけ、それ以来、二人は密かに往来するようになっていました。

その日、薛蝌は彼に、開封に銀子を回収しに行くように言いつけ、「道中くれぐれも注意するように。その銀子があればこちらの二店舗も潰れずに済むのでな」。 店員ははいと答えます。

その晩、店員はこっそりと宝瞻の部屋にあいさつに来ました。宝蟾は枕元で彼に尋ねます。「本当にお金を回収して戻るつもり?」 店員は、「もちろん回収して戻ります。薛家にとって今はそれが頼みですから!」 宝蟾は、「あんたも馬鹿正直ね。他の店舗が倒産したのも、店員達が示し合わせて残らず持ち逃げしたからじゃなくて? あんたは真面目で忠義者だけど、それじゃダメね。ここは好機よ、私たちも持ち逃げしない? 私は明日お寺に参拝するから、あんたは寺の前で私と・・・」。 店員はなおもためらっていたが、宝蟾は、「あんたも意気地なしね。あの人が獄から出てきたら、私はまたあの人の妾にされるのよ。よく考えて。銀子を手にトンズラしてしまえば、私たちはずっと夫婦としていられるのよ。素晴らしいじゃないの!」と説得したので、店員の心もついに動きました。相談がまとまり、店員は四更になるとこっそり宝蟾の部屋から出て行き、店舗に行って貴重品やお金を袋にまとめました。宝蟾は早朝に寺院に参拝すると言って出て行き、駕籠に乗って立ち去り、暗くなっても戻ってきませんでした。

薛未亡人は慌てて、寺院で悪人に会ったのではないかと言って、急いで人をやって探させましたが、数日たっても宝蟾の影も形も見つかりませんでした。そこで、彼女の部屋を開けさせると、高価な調度品は一つもありませんでした。タンスや行李を開けると、数点の古着を除いて、高価なアクセサリーや衣服は尽くなくなっており、ようやく宝蟾が意図的に出て行ったことが分かりました。

この時、店の若い男からも、金や品物の多くがなくなったとの報告がありました。薛蝌は驚いて、「誰が盗むって言うんだ?」と逆に若い店員を疑いました。若い店員は、決して盗んでいないことを誓い、店員と宝蟾が交際していたことを告白します。薛蝌はしばらく考えをめぐらせ、「いかん、二人は共謀していたに違いない。回収した銀子まで全て持っていかれたかもしれない!」と言って、それ以上尋ねることもせず、昼夜を問わず開封へ急ぎました。

案の定、銀子は前日に店員に持って行かれていました。薛蝌は涙がこぼれるのを我慢できず、天を仰いで嘆息しました。京師に戻るのに、道中の宿に泊まる金もありませんでした。やっとのことで戻ってきた時には、宝玉たちは既に引っ越していました。店の品は既に完売しており、残った七、八間の部屋で、岫烟と薛未亡人の世話をしながら暮らすのでした。

さて、宝玉が京師に戻ると、馮紫英が訪ねて来て、虎門の宗学で書写の先生を探しており、宝玉にその気がないかと尋ねました。宝玉は暮らしに困っていましたので即答し、宗学の近くに四間の家を借り、一家でそちらに引っ越しました。鴛鴦もこれに従いました。宝釵と麝香、鴛鴦が針仕事をし、焙茗が街に売りに行き、薪、米、油、塩を買ってきて暮らしました。宝玉も宗学でお金を稼ぎ、一家は倹約したものの、薛家にいた時に比べるとずっと苦しい生活になりました。

その日、宝釵は針仕事をしていましたが、気持ちが悪くなり、吐き気をもよおしました。嘔吐して、息を切らし始めました。鴛鴦と麝月は、「奥様、どうされました? 頑張りすぎたのでしたら、少し休んだ方がよろしいですわ! 焙茗が戻ってきたら、お医者様に診ていただきましょう」。 麝月は急いでお湯を、鴛鴦はタオルを運んできます。宝釵はお茶を数口飲むと、口を拭き、「それには及ばないわ。吐いてしまったから少し楽になったわ。この数日、ずっと吐き気がしていたんだけど、何かの病気かしら?」 鴛鴦はちょっと考えて、「奥様、最近何か食べたいと思ったものはありますか?」 宝釵は「豚足を食べたいと思ったわ。いつもは豚足なんて嫌いなのに」。 鴛鴦は手を叩いて、「なるほど、奥様はおめでたですわ! おめでとうございます!」

宝釵は恥ずかしさに顔を真っ赤にし、「鴛鴦ったらおかしくなっちゃったのね。あんたにおめでたかどうかなんて分かるわけないじゃない!」 鴛鴦は笑って、「私には分かるんです。璉の二の奥様がおめでたになられた時、やはりこのように嘔吐され、脂っこいものが食べたいと仰られていました。これでもお疑いになられるのですか?」 麝月は、「私たちが越してきてすぐ、たらふく肉を食べました。奥様はお腹がすいて、お肉を食べたいと思われたのかもしれません。でも、本当におめでたでしたら、こんなに喜ばしいことはありませんわ」。 宝釵は顔を赤くしたまま笑い、なおも頑張って鴛鴦たちと針仕事にいそしむのでした。

その日、焙茗が薪と米を買って戻ると、麝月は彼を引き寄せて言いました。「奥様が豚足を食べたがっているのよ。おめでたかもしれないの! 少し買ってきてもらえないかしら?」 焙茗はこれを聞いて喜び、翌日に数本買ってきました。麝月が盛り付けて出すと、宝釵はいぶかしがり、「どうしたの? 今は暮らしが貧しいんだから、こんなものを買うお金はないのよ。もう二度と買ってはダメよ」。

宝釵は豚足の匂いに誘われ、一気に二、三個を食べ、残りは一同に分けようとしました。一同は食べようとせず、宝釵に取っておこうとしました。そして、宝釵は食後にまた嘔吐しました。

鴛鴦は、「十中八九、おめでたでしょう。男の子を身籠もられたのかもしれませんね」。 宝玉は宝釵が懐妊したと知り、非常に喜びました。何を食べたいか、気持ち悪くないか、などとあれこれと尋ね、宝釵が針仕事をしているのを見ると、道具を隠して休ませようとするのでした。宝釵は、仕方なく彼の好きにさせ、夜には書写して心を落ち着かせるのでした。


さて、襲人は、花自芳の家に戻ると毎日ため息をつき、一人こっそりと泣いていました。襲人の母は、「お前は、まだ婿殿に会っていないから泣くんだよ。会えば必ず気に入るさ。婿殿は、お前たちの屋敷の宝の二の若様と比べても、器量という点では引けを取らないし、優しいという点では勝っているんじゃないかね。家僕ではなく、奥方になるんだよ。私がこれだけ喜んでいるのに、お前はまだ泣くのかい?」 襲人は奇妙に思います。この世間に宝玉より器量の良い者がいるのだろうか? それに、婿殿がどんなに優れていても、私の心中は知らない。宝玉に仕えて酸いも甘いも知り尽くしているのとはやはり比べものにならない。そう思っては、毎日涙に泣き濡れ、ため息が絶えませんでした。

襲人が家に戻ってわずか十日余りで、蒋家は日を選んで結納を届けてよこしました。四十個の金粉で模様を描いた様々な大きさの赤い箱に、金玉の首飾り、絹織物、骨董品の類いがぎっしりと詰め込まれており、正に逸品揃いでした。

襲人が嫁いだ後は、四人の侍女が仕え、常に奥様と呼ばれるのでした.

婿殿は果たして器量良しで、性格もとても穏やかでした。襲人の寛大な人となり、名家の姫君のような佇まいを見て、より敬愛してくれました。その夜、婿殿は自ら鳳凰の冠を外し、帯を解きました。

襲人はうなだれ、涙を流し、小さい声で言いました。「どうぞお先にお休みください! 私はもうしばらく後にいたします」。 婿殿はハンカチを取り出し、襲人の涙をそっと拭い、「いったいどうしたのです? 一緒に休みましょう!」 と笑顔で言いながら、襲人の薄衣のひとえを脱がせ、腰帯を解こうとすると、ひどく驚いて尋ねます。「この腰帯はあなたのものですか? どこから手に入れたのです?」 襲人は、「もちろん私のものです。どうしてそのようなことをお聞きになるのです?」 婿殿は、「実はこの腰帯はもともと私のもので、数年前に大切な友人に差し上げたのです。どうしてあなたが身に付けているのです?」

襲人はこれを聞くとびっくりして、婿殿の腕から抜け出し、しばらく婿殿を眺め、ため息をつきました。「この腰帯は栄国府の宝の二の若様に差し上げたものですか? 本当に思いもしなかったことです。思えば、あの方がこの腰帯を持って帰っていらした時、私はしばらく許せなかったのですよ」。 婿殿も驚いて、「と言うことは、あなたは宝の二の若様にお仕えしていたのですか?」 襲人は頷いて、「私は襲人と申します。最初はお屋敷で御隠居様に仕え、その後、宝の二の若様づきの侍女になりました」。

婿殿はこれを聞いて愕然とし、襲人を見てかぶりを振り、しばらくため息をつき、「まったく、『千里隔てても婚姻の縁は一本の線で繋がる(千里姻縁一銭牽=縁は異なもの)』とはよく言ったものです。あなたは私が誰か御存知ですか? 私の幼名は琪官、忠順親王様にお仕えしていた役者でした。あの方の虐待を受けて逃亡し、幸いにして宝の二の若様に助けられました。虎口を脱し、この地で名を隠し、ようやく家産を築きました。その後、商売を学び、いささか裕福な身となりました。その腰帯は、助けてもらった感謝の品として旧友に差し上げたもの。今ようやく分かりました。その腰帯こそは我々が結ばれる縁だったのですね」。

襲人は、ここで初めて、この蒋玉函こそは以前世に名を馳せた琪官であり、道理でかくも優しく、柔和な人物であったことを知りました。そして、『千里隔てても婚姻の縁は一本の線で繋がる』との言葉を信じ、一切の運命を受け入れ、もう泣いたり悲しんだりすることはありませんでした。これ以来、蒋玉函に対し、過去の宝玉に対するように接するようになりました。

蒋玉函も襲人に深い敬愛を持って接し、正に夫唱婦随、水を得た魚のようでした。襲人は、頼りになる良き夫を得て幸せでしたが、それでも旧恩を忘れることはできず、時々宝釵と宝玉のことを偲んでいました。蒋玉函は襲人の心中を慮り、また、宝玉のことを懐かしく思っていたので、襲人に言いました。「賈家が没落してしまい、宝玉君はどうしていることやら。私たちも会いに行って、できるだけのことはしてみましょう」。 襲人は喜んで、「仰るとおりです。宝の若様は薛家にいらっしゃいましたが、今や薛家も旗色が悪くなりましたから、どちらかに移られたかもしれません。数日経ちましたら、私も探りに行ってみますので、次第が分かってから一緒に参ればよろしいでしょう」。 蒋玉函は頷いて同意しました。

それから十日余りが経過し、この日、襲人と蒋玉函は相談をまとめ、早朝から支度をします。蒋玉函は銀子を封じて襲人に渡し、また、駕籠を呼んで、御者に諄々と言い含めました。「道中くれぐれも気をつけて。妻をよろしく頼んだよ」。

襲人が駕籠に乗って薛家を訪ねると、薛未亡人から、数ヶ月前に宗学の近くに移ったことを聞きました。岫烟も言います。「今は困窮していますから、みんなで一緒にいるのも良いと思ったのですが、宝玉さんは承知せず、ずいぶん引き留めたものの、好きにさせることになりました」。

しばらく話をした後、襲人は再び駕籠に座ります。宗学に到着し、ようやく宝玉を探し当てました。

二人は一目会うなり、互いに涙を流します。宝玉は襲人の手を取り、「結婚したと聞いたけど、婿殿はどうなんだい? 暮らしはうまくいっているのかい?」 襲人は、「ここでは何ですから、まずは奥様に会いに参りましょう。それからゆっくりとお話しします」。

宝玉は急いで襲人を家に連れて行き、宝釵が早くも出迎えました。鴛鴦と麝月は手に手を取ってあいさつを交わしました。

一同はしばらくぶりの再会でしたので、話は尽きません。宝玉は、宗学から支給された金で焙茗に野菜と肉を買いに行かせ、焙茗と共に自ら料理を始め、襲人には女性たちで話しをさせました。料理が出来ると、襲人を座らせ、宝玉は粗酒を温めて自ら酌をしました。

宝釵は、「今は困窮していて、あなたにおもてなしもできないけど、二の若様が作った料理を食べていって! 山海の珍味ではないけど、手作りの料理だから美味しいわよ」

襲人はこれを聞いた途端、涙がこぼれ落ちそうになりました。宝玉が自ら料理をするほど困窮しているとは思ってもいませんでした。宝釵たちが襲人にだけ料理を取り分け、自分たちは食べようとしないので、彼女らが久しく肉を食べておらず、襲人のために特別に用意したことが分かりました。ついに、ため息をつきながら、「二の若様と奥様も一緒にいただきましょう! 奥様はだいぶお痩せになられましたし、妊娠中でいらっしゃいますから、しっかり栄養を取るべきです。私は帰れば食べるものはありますので」と言って、宝釵に椀を差し出します。鴛鴦たちも宝釵に食べるように勧め、「奥様のお腹の子が大事です。我慢なさって病気になってはいけませんよ」

宝釵は、みんなに勧められたものの、どうしても食べようとせず、椀を取ってみんなに分けようとしました。一同が承知しないので、宝釵は、「正直に言うと、私たち家族は数ヶ月、肉を食べられなかったの。今日は襲人が来てくれて、ようやく機会を得たのに、私一人が食べられるわけないじゃない」。

宝玉が傍らから、「これっぽっちの肉だけど、みんなで食べれば楽しいよ。一人で食べたって味気ないから、みんなで一緒に食べようよ! 拳も打って賑やかにやろうじゃないか」と言って肉を取って食べ始めました。一同ももう遠慮せずに食べるのでした。

そして、宝玉が鴛鴦と拳を打ちます。鴛鴦が負けたので、宝玉が鴛鴦に杯を注ぎます。その後、襲人とも拳を打ち、しばらく賑やかに騒ぎました。宝釵も、宝玉の心配りを知ってこれを受け入れ、粗酒を数杯飲みました。しばらくして酒も料理も空になり、一同はなおも笑い合っていました。麝月は、「こんなに楽しいのは久しぶり。襲人姐さんが来てくれたお陰ね。襲人姐さんも私たちのことを忘れないでね。時間があればまた遊びに来てね」。 襲人はうなずいて、「どうして忘れるもんですか。時間があればいつでも参ります」。

宝玉は襲人の側に寄り、婿殿の器量や性格について尋ねます。襲人はうつむいて笑い、「二の若様、当ててみてください。いったい誰だと思います? 二の若様の旧友の方ですよ!」 宝玉はこれを聞くとびっくり仰天し、「いったい誰だい? 焦らさないで早く教えてよ!」 宝釵は傍らで唇をすぼめて笑いながら、「どうしてお分かりにならないの? 蒋玉函よ! あの琪官よ」。 宝玉はこれを聞いて飛び上がり、額に手をやって、「そりゃいいや、私も肩の荷が下りてほっとしたよ。全くもっていい人に巡り会ったね。彼はその道を諦め、京師一帯に家産を築いて裕福になったと聞いていたけど本当かい?」 襲人はうなずいて、「今は商売をしています。とても裕福というわけではありませんが、家には使用人もおります。屋敷にもいくつかの楼閣や花園もあり、花を育てて売り、毎日ちょっとずつ収益があります。二の若様にも是非見に来てほしいと言っていましたわ!」 宝玉は笑って、「ずいぶん会っていないから会ってみたいな。先日、馮紫英君も会いたいと言っていたから、あんたから伝えてもらえないかな?」 襲人は「はい」と答え、外が暗くなってきたのを見て、そろそろ街を出ないといけないと思い、別れを告げました。立ち去る前に、例の銀子を宝釵に渡しました。宝釵はしばらく眺めていましたが、断ることもできず、うなずいて受け取りました。

襲人が去り、季節は次第に寒くなっていきましたが、家産が没収されて衣服にも事欠いていたことに加え、火事にも見舞われたことで、着替える服もろくにないまま一、二年が過ぎ、繕いながら着ていました。宝釵も着古した紫の羊毛の羽織をいつも身につけていました。そこで、いささかの銀子を出して綿布を買い、みんなで縫い始めました。宝玉と焙茗にも綿入りの服を作りました。

焙茗は自分の冬着が麝月が丹精込めて手縫いしたものだと知ると、非常に惜しんで、どうしてもそれを着ることができませんでした。

ある日、宝玉が「こんなに寒いのに、どうして綿入れの服を着ないんだい?」と尋ねると、焙茗は、「麝月姐さんが縫ってくれたものは、見ているだけで心が温かくなり、着てほつれてしまうのが惜しいんですよ」と答えました。宝玉はそれを聞いてはっと気づき、焙茗を見て笑い、「思い出したよ、あんたには東の屋敷の女の子がいたよね!」 焙茗はため息をついて、「二の若様、それはもうおっしゃらないでください! あの子は早々に売られてしまい、私が行った時にはもう遅かったんです」。 これには宝玉も嘆息やまず、「そういうことなら、やっぱり麝月と縁があるんだろう。明日、私が世話をしてあげるから、あの子にもその気があるなら、上手くまとまるんじゃないか?」 焙茗は喜んで、宝玉を引っ張って飛び跳ね、「私の素敵な若様、それは本当ですか? そうしていただけるなら、私は来世でも若様にお仕えしますよ。大雁に生まれ変わり、若様を乗せて天界の林のお嬢様に会いに行きましょう!」と言ったので、宝玉はこらえきれずに笑い出します。

宝玉はその夜、このことを宝釵に話しました。宝釵が麝月に尋ねると、麝月は顔を赤らめ、頷いて同意しました。二人の結婚は宝釵と宝玉が取り成し、襲人がくれた銀子でベッドカバーなどを購入しました。

二人は宝玉と宝釵に感謝し、ますます心を込めて仕えるようになりました。暮らしの足しにするために、仕事にいそしんだことは省きます。これからどうなるのかお知りになりたければ次回をお聞きください。


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