清明節の当日、宝玉は焙茗に宝釵の乗る駕籠を手配させ、焙茗は荷物を持ち、宝玉は駕籠の後ろについて、主従三人で鉄檻寺の大道へ向かい、麝月を一人留守に残しました。
実は、賈母の没後、棺は鉄檻寺に留め置かれていました。翌年に棺を南方に送り、先祖代々の墓地に埋葬するつもりでしたが、賈家が変事に遭って棺を送ることができなくなり、秦可卿の墓地のそばに、場所を選んでそそくさと埋めたのでした。その後、王夫人も亡くなり、賈母の墓の横に墓を作ったのでした。
この日、宝釵と宝玉が二人で墓参りに来ました。宝釵が駕籠を降りると、賈母と王夫人の墓は青草に覆われており、墓前には誰かが紙銭を焚いた痕跡がありました。きっと誰かが来たのだろうと思い、嗚咽して墓前でひざまずいて拝礼し、叩頭しました。宝釵は自らを責め、声も枯れんばかりに泣きました。宝玉は悲痛な思いで叫びました。「お祖母様! 母上! 不孝者の宝玉が会いに参いりましたよ!」と言いながら賈母の墓に駆け寄って墓碑を抱き、泣いて言葉になりませんでした。焙茗は急いで線香を捧げ、祭品を並べ、紙銭を焚きながら涙を流しました。
紙銭は泣き声の中で炎となって燃え上がり、瞬く間に灰になりました。灰はひらひらと飛散し、枝に引っかかったり墓の上に散らばったりして、燃えかすを残してたちまち消失しました。
宝玉は、賈母の墓碑を抱いてしばらく泣いた後、呆然として供物台の前に座り、手で頭を抱えて考えました。思えば、お祖母様が存命だった頃、賈家はなんと繁栄を極めていたことか! 今では、その棺すら先祖代々の墓地に送って埋葬することもできず、かくも寂しい思いをさせている。また思えば、お祖母様は生前、自分と林妹妹をどれほど可愛がってくれたことか。林妹妹が来てからというもの、我々二人を一緒に側に置いてくれ、その後、二人の結婚もまとめようとしてくれた。本当に二人の良き理解者であった。お祖母様も林妹妹も逝ってしまい、残された私は宝姐姐とひっそり暮らしているが、もしお祖母様がこのことをお知りになったら以前のように私を愛してくれるのだろうか? 家門がかくも没落したのに、私は家を再興することもできない。お祖母様は私を見込みのない不孝者と責めないだろうか? さらに思えば、私たちの家は没落したものの、幸いお祖母様と林妹妹は目の当たりにすることはなかった。もし今の状況を目にしたらどんなに悲しまれたか分からないし、お祖母様はお年を召し、林妹妹は病気がちだったから、こんな苦しみには耐えられなかったかもしれない。そう思うと少し気持ちが楽になり、泣くのをやめ、ふらふらと王夫人の墓前にやって来ました。
宝釵は、宝玉が賈母の墓前で痛哭するのを見て、王夫人の墓前に行って泣きました。王夫人が生前自分にとても良くしてくれたことを思い、さらにむせび泣きました。また、王夫人の墓が賈母の墓よりもずっと小さいを見ると、思わず手で土を掴み取って、王夫人の墓の上に加えました。いずれ王夫人の墓ももう少しましなものに立て替えてあげたいと思うのでした。
ところで、戦死した賈蘭の遺体が戻ってくると、李紈は、賈母の墓の後ろの土地に賈蘭の墓を建て、その前に『遊撃将軍賈蘭之墓』と書いた石碑を立てました。宝釵は宝玉に、「私たちも蘭ちゃんに紙銭を燃やしてあげましょう! 小さかったあの子がこんなに活躍しながらあっという間に亡くなるとは思いませんでしたね」。 宝玉は頷いて、「本当にそうですね。では参りましょう!」
二人が立ち上がろうとすると、賈母の墓の後ろから、着古した青灰色(濃いねずみ色)の綿の合着の上に色褪せた秋香色(苔色)の対襟の上衣を羽織り、手に籠を持った一人の婦人が現れました。束ねた白髪が風に吹かれて額から顔に垂れていました。宝玉さんは思わず叫びました。「お義姉様ですか? あまりに痩せて分かりませんでしたよ!」 宝釵は、「私たちが着いた時、ここで紙銭が焼かれていましたが、お義姉様が焚かれたものだったのですね」。 李紈は、「私は少し前に来て、お祖母様、大奥様の墓前でお参りをし、蘭ちゃんの墓前で紙銭を焼いていたの。あなた方が来ていたとは思わなかったわ」。 宝釵は、「私たちもお参りに来ようと話していたんです。蘭ちゃんは本当に良い子でしたし、忘れるわけがありませんわ!」
李紈はため息をついて、「私の運命がこんなにも過酷で、夫に続いて、我が子が若くして先に逝くとは思いもしなかったわ。でも、あの子はいつも話をしに来てくれるのよ。私の耳元で、毎日詩を一首詠んでくれるの。私にはあの子が左手に弓、右手に矢を持って匈奴の奴らを射ている姿が見えるのよ! 私たちの御先祖様(栄寧国公)が、どうして家門を復興せずに逝ってしまったのかとお叱りになると言うのよ。御先祖様が打とうとするので、あの子は逃げてきて助けを求めるの。なんて可哀想な子でしょう!」
宝釵はこれを聞くと、悲しみをこらえて慰め、「お義姉様もあまり考え込まないほうがよろしいですわ! 蘭ちゃんはもういないんです。お話できるはずはありませんから!」 李紈は、「本当なのよ、あなたたちを騙しているわけじゃないの。あの子は父に会ったとも言うの。自分が早逝したので、蘭ちゃんには自分が成し得なかった事を成し、家門を再興して祖先の名を上げてもらいたかったのに、蘭ちゃんが志半ばで逝ってしまうとは思わず、父子二人であの世で泣いているのよ!」と言って満面を涙に濡らし、袖で拭き続けながら、呆然と遠くを眺めていました。
宝玉は急いで慰め、「考えすぎですよ。そんな奇妙なことがあるものですか。お義姉様は一人寂しく家にいらっしゃるのでしょうから、いっそのこと山上の私どものところに越して来られてはいかがでしょう。私たちが側にいれば少しは寂しさも紛れるでしょうし、私たちもお義姉様のお世話ができますから」。 宝釵もまた、李紈に西山で同居するよう心を込めて説得しますが、李紈は首を振るばかりで、「引っ越してしまったら、あそこで蘭ちゃんが勉強する声が聞こえなくなるわ」。 宝玉夫妻は再三説得しますが、李紈はどうしても聞き入れず、二人に連れて行かれるのを恐れるかのように急いで行ってしまいました。宝玉と宝釵は李紈の影が遠く離れていくを見て、何度も長いため息をつきました。
秦可卿の墓地が近くにあり、宝玉は行って見たかったので、宝釵に言いました、「今日は風が強く、姐姐は本復していませんし、ずいぶん泣きましたから、先に帰っていてください。私は町に行って友人に会ってから戻りますから」。 宝釵は頷きます。
焙茗が駕籠を呼び、宝釵がこれに乗ると、宝玉は焙茗も一緒に帰らせ、一人で秦可卿の墓地にやってきました。秦氏の墓は、王夫人や賈母の墓とは比べものにならないほど立派なものでした。宝玉は墓前で拝礼をしてこう言いました、「姐姐は私たちの家門が既に没落したことは御存知でしょうか。なのに宝玉が祖業を再興できず、家門の名を上げられないことを姐姐は責められますでしょうか?」 そして、墓前で痴呆のようになり、しばらくぶつぶつと話し続けました。周囲を見回すと、墓地内は静まり返り、木々はざわめき、時折鳥のさえずりが響いています。姐姐は精霊となり、霊験を示して私に答えてくれているのではないだろうか! そう思って鳥の声にさらに耳をすませますが、霊鳥などいるはずもなく、樹上で数羽のキジバトが鳴き、別の木でスズメが鳴き叫んでいるだけでした。一陣の強風が吹いて枝木がガサガサと音を立てると、宝玉は思わず寒さに身震え、急いで衣服に身を包み、墓地を出て通りに向かいました。
さて、宝釵は賈母と王夫人の墓地から戻りましたが、病気が治っていなかったうえに悲しみで大泣きし、また風にも吹かれ、発熱して全身が焼けるように熱くなりました。
宝玉は心配でなりませんでしたが、近頃は何もかもが足りずし、薪や米も不足しており、薬を買うお金などありません。絵を何枚か描いて売り、焙茗はやっとのことでお金を集めて医者を招び、薬を二剤服用させましたが、効果はなく、病気は日に日に悪化しました。
宝釵はベッドの上で何度も寝返りを打ち、口が渇いて水が欲しいと言いました。宝玉は宝釵を扶け起こし、麝月がお湯を持ってきて宝釵に飲ませました。
宝玉は宝釵が喘いでいるのを見て、「少しは良くなりましたか?」と尋ねると、宝釵は首を振り、少し休んでから、「心臓がドキドキして慌てただけです。私は冷人ですので、熱病になると治らないんじゃないかしら」。
宝玉は心に刀を刺されたかのよう、早くも涙が流れ落ちますが、それを拭わずに宝釵の手を握って慰め、「心配しないで! 治らないわけはありません。歌本をお金に換えて名医を呼んできますから、きっと良くなりますよ。もう少し我慢してください」。 宝釵は喘ぎながら、「私に構わず、座ってください。あなたにお話したいことがあります」。 そこで宝玉は宝釵の両手を握り、オンドルの端に座りました。
宝釵は、「あなたが高潔な君子で、心中には林妹妹しかいないことは存じています。全て私が至らなかったせいです。私はあなたが家門を輝かせ、官職に就くことを望んでいました。いずれ科挙に合格し、賈家を再興してもらえれば、私も人生に悔いはあるまいと思っていました。しかし、今思えばそれは間違いでした。私はあなたの知己にはなれず、あなたの心を得られませんでした。あなたの心は林妹妹のところにあり、林妹妹は正しく、あなたも正しかった。あなたと夫婦になったことは恨みませんが、私の心を取り出して、あなたの心に添うよう改められなかったことだけは残念でなりません....」 宝釵は話しながら涙を流し、拭うこともできませんでした。宝玉は悲しみのあまり泣き声も出せず、宝釵が心を改められなかったと言うのを聞くと、手でそっと宝釵の口を覆い、彼女の涙を拭い、すすり泣きながら、「もうそんなことは言わないでください! あなたと二人、苦難を共にし、困窮の中で常に私に尽くしてくれたじゃないですか! あなたは私の良き姐姐であり、私の知己ですよ!」 宝釵の苦しそうな表情の中、口元には微笑が浮かびました。
宝玉は宝釵の涙を拭って横にさせ、額に触れると、体中が燃えるように熱く、両目が真っ赤になっていたので、心配でいてもたってもいられず、「休んでいてください! 太医院に行って王太医を呼んできますから!」と言うと、宝釵は枕元で首を振り、「必要ありませんわ! 薪と米を買ってくるべきです。家にはもう食べるものがないんですから!」 宝玉は声を詰まらせ、麝月にあれこれ言い含めると、歌本を持って桂湖楼の妙玉を訪ねました。
妙玉や芳官たちは、宝玉が目を真っ赤にして慌ててやって来たので、何事かと思って尋ねますが、宝玉は答える間もなく、妙玉に歌本を手渡して、「姐姐、とにかく御覧ください! 使い物にならなければ申し訳ないのですが、急にお金が必要になってしまったんです」。
芳、藕、蕊官が「いったいどうしたのです?」と尋ねると、宝玉も本当のことを言うしかなく、宝釵が病床で重病であること、薬どころか米を買うお金さえないことを告げました。芳、蕊官たちは急いで二十両の銀子を宝玉に渡し、「二の若様、御遠慮なさらずに、まずはこの銀子をお使いください。あとでもう少しお届けしますから。とにかく二の奥様の病気を治すことが肝要です。どうか気持ちを大きくお持ちください。若様まで病気になってしまっては大変ですよ」。 妙玉も急いで白銀を一錠を渡します。宝玉も辞退せずに受け取ってみんなに感謝し、太医院に王太医を呼びに行きました。
王太医は賈家とは代々交遊があり、賈家は今や没落してしまったものの、旧交を偲んで、ただちに宝釵の病状を尋ねます。宝玉は一つ一つ答えます。王太医は、「そういうことであれば、二の奥様は強い熱が胸に詰まり、憂鬱な気が蓄積しています。すぐにでも診察に伺うべきところですが、このところ皇帝陛下が不調であらせられ、既に命を受け、未の刻に入朝して診察することになっているのです。若様はまず、この牛黄解熱丸を持って行って飲ませてみてください。私も陛下の診察を終えましたらすぐに参りますので」。 宝玉はやむなく丸薬を受け取り、また薪と米を買って西山の庵に戻りました。
門を入るや否や麝月の叫び声が聞こえました。「奥様、起きて、奥様、目を覚ましてください!」 宝玉は薬の袋を放り出し、三歩のところを二歩で走り、宝釵のベッドに駆け寄ると、宝釵は既に意識不明の状態でした。慌てて彼女を抱いて力一杯揺すりながら、大声で叫びました。「早く眼を覚まして! ほら、薬ですよ! 薬を買って戻って来ましたよ!」
しばらく叫んでいると、宝釵はようやく目を開け、苦しそうに笑みを浮かべました。宝玉にとってその笑顔は泣き顔よりも辛く、刀で心臓を刺されたような痛みを感じました。宝釵は息も絶え絶えで、途切れ途切れに言いました。「私は間違っていました。私も林妹妹のように、何とかあなたの心を温めてあげたかった。私たち、一緒に南京に戻って...南京で農業を...農業を...!」と言うと目が閉じ、再び目を覚ますことはありませんでした。
宝玉は宝釵を抱いて泣き喚き、その体が冷たくなるまで放そうとしませんでした。
焙茗と麝月は泣きながらも慰め、「二の奥様はお亡くなりになりました。若様、お放しください。身支度をさせていただきますので!」と言うと、宝玉は、「死ぬもんか! ただ眠っているだけだよ!」 焙茗と麝月が何度も説得すると、宝玉もようやく宝釵を放しました。
麝月と焙茗は急いで処置をしました。宝玉は芳、藕官たちにもらった銀子で焙茗に棺を買って来させ、葬儀の準備をしました。一方で、薛未亡人に知らせを出しました。
薛未亡人は知らせを聞くと、薛蝌、宝琴、岫烟たちと共に急ぎ駆けつけ、「不憫な子だよ!」と泣き叫んで昏倒しました。びっくりした一同は大声で呼び続け、また、生姜湯を煮て応急処置をすると、薛未亡人はようやく意識を取り戻し、宝釵の霊前で泣き崩れました。宝琴と岫烟もひどく泣きましたが、いかんせん薛未亡人があまりに悲痛で、心身が壊れるのではないかと心配し、涙を拭って慰めます。宝玉は二十数名の坊さんと道士を呼んで経文を唱え、施餓鬼の法会をし、水陸大法会を催し、日を選んで出棺し、全てを尽くして宝釵を埋葬しました。これ以降、宝玉は気力を失い、絵を描く気持ちさえなくなり、一日中、宝釵の言葉をつぶやいていました。「私も林妹妹のように、何とかあなたの心を温めてあげたかった。私たち、一緒に南京に戻って...南京で農業を...」。
さて史湘雲は、夫が亡くなった後、義理の両親に付いて衡陽へ移りました。しかし、賈家が取り潰しになってから一年も経たずに義父が弾劾され、刑部で取調べを受け、家産没収の憂き目にあいました。一家は男女の別なく市場で売られましたが、湘雲は幸い当地の小役人に出会い、彼はかつて史侯の家に仕えたことがあったので、湘雲もが売りの対象になったことが忍び難く、十両余りの銀子で彼女を買ってくれました。湘雲はとても感謝しました。
その小役人が「お嬢様はどちらに身を寄せますか?」と尋ねると、湘雲は「京城に戻って親戚を探してみます。でも、道中は長いし、どうすればいいのかしら?」 小役人はちょっと考えて、「お嬢様が京城に戻りたいのでしたら、私の年配の友人で、夫婦で湘江で猟をしている者があり、時々岳州や漢口に売りに行っています。お嬢様、彼らの舟で漢口まで行き、そこから陸路で京師を目指してはいかがでしょうか」。
湘雲は、「助かります。それでは手配をお願いします!」
そして十五日後、その小役人は一艘の小船を手配し、船上で一緒に生活してくれるよう船頭に頼みました。小役人はまた、湘雲に数両の銀子と一本の古琴を贈り、「道中のお慰みにどうぞ! お嬢様、どうか御自愛ください」と言いました。
湘雲は礼を述べ、小役人と別れて小船に乗りました。夜明けとともに出発し、暗くなれば宿に泊まり、順調に旅を続けました。その日、湘雲は後部の船室に座って、夕陽の残照が湘江に落ち、水面に金色の波がちらちらと光るのをうっとりと見ていました。しかし、夕空に浮かぶ白雲がたちまち消え去るのを見ると、自身の運命と重ね合わせずにはいられず、眼前に霧が立ち込めると、数々の悔しい思いが心に湧き上がってきました。思えば、この荊楚の地は、古くから歌舞の国よね。編鐘(へんしょう:音高の異なる複数の鐘を枠に吊るした打楽器)は古代の鋳鐘文化の集大成であり、編磬(へんけい:ヘの字形をした石製の板を複数吊りさげ、バチで叩いて旋律を鳴らす楽器)の音は感情的、塤(けん:土笛の一種)の音は素朴で優雅で、ふくよかで深みがある。楚箎(ち:竹製の横笛)と排簫(はいしょう:竹製の縦笛)は管楽器で、『清商楽(せいしょうがく:伝統的な民間音楽)』でもよく用いられているわ。竽(う:笙より大きく音が低い)と笙(しょう)は女媧が作ったものと伝わり、瑟(ひつ:二十五本ほどの弦を持つ)の音色は重厚で、古琴(七本の弦を持つ)の音には深みがあり、共に俞伯牙(ゆはくが:春秋時代の楚の箏奏者)が名手であったと伝わるわね。ひとつ、この古琴で一曲弾き語りをしてみようかしら? しばらく躊躇っていましたが、ついに口につくままに唄い始めました。
湖水逝兮白雲飛、余霞散落兮吊斜暉。
(湖水逝きて白雲飛び、余霞散り落ちて斜暉(しゃき:斜めに射す夕日の光)を吊る)。
楚塞遠兮寒烟幕、孤帆一点兮帰無路。
(楚塞(そさい:楚国の辺境の地)は遠く寒き煙幕、孤帆一点にして路無きを帰る)。
洞庭波兮江漢長、沅水流兮紅叶春。
(洞庭は波立ち江漢(長江と漢水の併称)は長く,沅水(げんすい:洞庭湖に注ぐ長江の支流)流れし紅葉の春)。
往事如注兮心懐故郷、衡陽難越兮痛断人腸。
(往事注ぐが如く心は故郷を懐かしみ、衡陽は越え難く人腸を痛断す)。
昨日醉臥兮紅香圃、今朝飄淪兮湘水浦。
(昨日は紅香圃にて酔臥し、今朝は湘水の浦を飄淪(ひょうりん:さまよう)す)。
昨日画堂兮舞雲霓、今宵独与兮清猿語。
(昨日は画堂にて雲霓(うんげい)を舞い、今宵は独り猿語を清める)。
我欲帰兮帰何処? 弋林釣渚兮社鼠城狐。
(我帰らんと欲すれど何処に帰らん? 弋林釣渚(よくりんちょうしょ:釣りや狩りをして楽しむ場所)にも社鼠城狐(しゃそじょうこ:悪事を働く者)あり)。
鬼蜮魑魅兮鹰鸱吮面、衰荷荒葛兮枯草盈途。
(鬼蜮魑魅(きよくちみ:化け物ども)の鷹鴟(おうし:鷹とトビ)は面を吮(な)め、衰荷荒葛の枯草は途(みち)に盈(み)ちる。
玉貌侶兮帰塵土、高堂雲散兮骨肉枯。
(玉貌の侶(とも)は塵土に帰し、高堂は雲散して骨肉も枯れし)。
撫琴弦兮泪空流、夜夜悲風兮夜夜憂。
(琴弦を撫でれば涙空しく流れ、夜夜の悲風に夜夜憂う)。
楚江千里兮帰大海、扁舟一叶兮何処淹留。
(楚江千里にして大海に帰し、扁舟(へんしゅう:小舟)一葉は何処にか淹留(えんりゅう:滞在)せん)。
湘雲は歌い終えると、琴を抱いて痛哭しました。漁師の妻はこれを慰め、「お嬢様、悲しまないでください。もうすぐ岳州の国境に着きますが、私たちは商品を売りに行きますから、お嬢様は遊びに行かれてはいかがです?」 湘雲は、「それは良かったわ。私、岳陽楼に登ってみたかったんです。でも、奥様が商売に行くのなら、私一人、どんな格好をして行ったらいいのでしょう?」 漁師の妻はちょっと考えて、「お嬢様の御不安もごもっとも。今の御時世、若い娘が一人で出かけるのは確かに心配ですね。やっぱりお嬢様は舟にいらっしゃっては?」と言うと、湘雲は、「いいことを思い付いたわ。私は小さい時から男装が好きだったの。少し持ち合わせがありますので、奥様に道衣(道教を修める人が着る衣服、道士服)を買っていただき、私は道士の格好をすれば問題ないでしょう。それから、この古琴を売って道琴に換えますわ。漢口に着いたら、道すがら道琴を弾きながら、ゆっくりと京師に戻ればよいでしょう」。 漁師の妻は笑顔になり、「お嬢様、いいお考えです。明日、上陸したら買ってきましょう。道中、道琴を弾きながらということであれば、問題なく京師まで戻れましょう。私も、お嬢様を一人漢口に置いて戻らなくてはならないのが心配でしたので」。 漁師の妻はさらにしばらく湘雲を慰めてから、船室に戻って休みました。
翌日、船は半日航行して岳州に到着しました。漁師の妻は、上陸すると湘雲の衣服を購入し、古琴を道琴に換えて船に戻りました。湘雲は急いで道衣に着替え、漁師の妻に道士の髷を結ってもらいます。漁師の妻はしげしげと眺めた後、笑って言いました。「お嬢様のこの格好、どう見ても若い道士です。女の子だなんて分かりませんわ。河の水で見てみてください」。
湘雲はしばらく眺めましたが、確かに道士そのものでした。そして、漁師夫妻と別れ、上陸して岳陽楼に登りました。
そこには多くのいにしえの賢人たちの碑文がありました。洞庭湖は確かに変化に富み、非常に雄大です。范仲淹(はんちゅうえん:宋代の政治家)の『岳陽楼の記』に『遷客騷人、多く此に会せり(遷客騷人、多会於此=地方に流された人々や志を得ない文人など、この地を訪ねる者は絶えない)』と記載されていたのを思い出します。今や自分も遷客ではないか! 范仲淹は京に上るに際し、『物を以て喜ばず、己を以て悲しまず』(不以物喜、不以己悲=外界がどうあろうと喜ぶことはないし、自分がどうなろうと悲しむことはない)、『天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ』(先天下之憂而憂、後天下之楽而楽=(為政者は)心配事は人々より先に心配し、楽しみごとは人々より遅れて楽しむのだ)と記しています。私がどれほどの者で、何ができると言うのでしょう。もっと心を楽にしたほうがいいんだわ。湘雲は元々さばさばした人です。ここ数日泣いたものの、今ようやくこうした考えに至り、心が晴れたのでした。
夕方、船に戻ると道琴を習い始めました。漁師夫妻は岳州に二日間滞在してから漢口へ向かいました。
湘雲は夫婦に感謝して上陸し、帰心矢の如し、黄鶴楼や鸚鵡洲を仰ぎ見る気持ちもなく、漢口には一日だけ滞在しました。翌日には出発し、道すがら道琴を弾き、物乞いをして日を過ごしました。彼女が道中歌ったのは:
我本是、一道人、従蓬莱、到京城。
(私は元々一介の道人、蓬莱より京城へ至る)。
一路上、餐風飲露受苦情。……
(道中、餐風飲露の苦しみを受けて…)
こうして野宿と物乞いをして半月余りも進むと、次第に体が支えられなくなり、その日、琅牙山の麓まで来ると、病気と空腹でいよいよ耐えられなくなり、大樹の下で眠ってしまいました。目が覚めると空腹と喉の渇きで全身に力が入らず、泉に行って水を飲もうと思い、やっと起き上がって林の茂みの道を進んでいくと、一匹の狼が走って来ました。湘雲はびっくりして林の中に身を隠すと、その狼は湘雲を相手にせず、牙をむいて前方を狂ったように走り回り、しばらく茂みに潜んでいましたが、丘を越えてあっという間に姿が見えなくなってしまいました。
その時、鷹や犬を連れた一団が駆け寄り、その後ろから一隊の人馬が疾走してきました。こちらに着くと、リーダーの若者が手綱を引き、「あの狼はもう丘を越えて行ってしまった。私たちも疲れたし、ここにはきれいな泉があるから、降りて水を飲もうじゃないか」と言って馬を下りて森の茂みに入ると、林の中で力なく座っている道士を見つけました。
その若者は近づいて尋ねます。「狼はここを通って行ったのかい?」 湘雲はうなずいて、「あの狼は丘を越えて行ってしまいました」と小声で言いました。
その者はまず馬に水を飲ませ、皮の水筒を取って泉で水を飲み、再び水筒をいっぱいに満たして林の茂みに戻りました。一方で従者に命じ、「飲み食いしたら、鷹と犬を連れて見に行ってくれ。あの畜生はどこに行きやがったんだ? 丘のあたりには別の獲物がいるかもしれない。いたらすぐに知らせてくれ」。 従者たちは水を飲み、食事を済ませると、再び馬に乗って行ってしまいました。
若者は菓子を取り出して食べながら水を飲みました。道士がそこに横たわり、うめいているのを目にし、尋ねました、「あんたはどちらの道士だね? 腹が減っているなら、こっちに来て菓子をおあがりなさい」。 湘雲は空腹と病気で、そう言われても起き上がることができません。その者は彼女が病気だと知り、横にさせて菓子を食べさせました。湘雲は少し口にすると少し元気が出ましたが、長い間体調が悪かったため、菓子を飲み込むと胸のつかえを感じました。若者が水を注ぎ、湘雲がそれを飲むと気分が良くなりました。そこで感謝して、「若様、ありがとうございます! 若様にお伺いしたいのですが、ここから京師まではどのくらいありますか?」 若者は、「あんたは京師に行くのかい? あんたの言葉遣いは京城の人のようだけど、京城のどこの道教寺院の者だね?」 湘雲はちょっと考えて小声で答えました。「実は天斉廟の者ですが、あたらを出てたいぶ経ちますので、京師に戻ろうとしていたんです」。 若者は、「私も今から京師に戻るんだ。あんたは病気だから、しばらくしてから私たちの馬に乗って一緒に帰ろうじゃないか!」 湘雲はすぐに礼を述べます。「若様、ありがとうございます」
若君は笑って、「あんたは道琴を持っているね。病気でなければ一曲お願いしたいところだけど!」 湘雲は元気が出たので、若君に感謝して言いました。「少し元気になりましたので、若君に一曲歌わせていただきます」。 若君は、「それは有り難い。慌てなくていいから、ゆっくり歌ってくれ!」 湘雲は座って道琴を弾き、小声で唄い始めました。
我本是、一道人、从蓬莱,到京城、
(私は元々一介の道人、蓬莱より来たりて京城に至らん)
一路上、餐風飲露受苦情。
(路中では餐風飲露の苦情(旅の苦しみ)を受ける)。
説什麼、富貴栄華及子孫、
(富貴栄華は子孫に及ぶと人は言うが)、
看今朝餓殍飢児実可怜。
(今朝看れば餓殍(がひょう)の飢児にて実に憐れむ可し)。
説什麼、王侯将相凌烟閣、
(王侯将相に凌煙閣と人は言うが)、
到頭来、披枷帯鎖長街行。
(とどのつまり、披枷帯鎖(ひかたいさ:首かせや鎖をかけられる)にて長街を行く)。
昨日紫府金盤餐錦鯉、
(昨日は紫府(仙人の住むところ)にて金盆の錦鯉を食し)、
今朝縄床瓦灶甚凄清。
(今朝は縄床瓦灶(じょうしょうがそう:縄のベッドに素焼きの竈=あばら家)にて甚だ薄ら寒し)。
昨日紅羅帳暖鴛鴦戯、
(昨日は紅羅帳(赤い垂れ絹)にて暖かく鴛鴦のごとく戯れ)、
今宵勞燕分飛嘆孤零。
(今宵は勞燕分飛(ろうえんぶんぴ:散り散りになる)にて孤独を嘆ず)。
喜当年、蟾宮折桂門庭耀、
(当年喜びし、蟾宮折桂(せんきゅうせっけい:進士に及第)して門庭を輝かせしも)、
到而今、沿街乞討泪沾襟。
(今に至れば街沿い乞食し涙で襟を濡らす)
喜当年、舞榭歌台楊柳岸、
(当年喜びし、舞榭歌台(ぶしゃかだい:歌舞の場所)の楊柳の岸も)、
到而今、荒祠古庙听鬼吟。
(今に至れば荒祠古廟となりて鬼吟を聴く)。
涕満襟、泪盈盈、放悲声、
(涙は襟に満ち、涙は盈盈(えいえい)たりて悲声を放ち)、
看終久是、云散高堂、湘江水涸。
(看終えて久しきは雲散せし高堂、湘江の水は枯れ)、
听道琴一曲、訴尽酸辛、道尽不平。
(道琴一曲聴かん、辛酸を訴え尽くし、不平を話し尽くさん)。
湘雲は演奏を終えても、満面の涙を拭おうともせず、黙って呆然と座っていました。若君も目に涙を浮かべ、むせび泣いていました。しばらくしてから、ため息をつきながら尋ねました。「あんたの道琴と歌を聴く限り、この世の大きな浮き沈みを経験してきたのだね? どうか憂さ晴らしだと思って、私に話してくれないだろうか?」 史湘雲は首を振って答えます。「誤解なさらないでください。私が歌ったのは、世の人々に共感してもらうためのもので、いわば私たち放浪の道士としての本分。私が実際に遭遇したわけではありません」と言うと、大木にもたれて横になりました。
それを聞いた若君はしばらくため息をつき、また、湘雲に尋ねました。「ほかに何か食べたいものはあるかい?」 湘雲はただ首を振って、「少し水が飲みたいのですが」と言うと、若君は近寄って彼女を助け、水を飲ませてくれました。湘雲は感謝し、「ありがとうございます!」と言って水を飲むと再び横になりました。若君は別の木にもたれて座り、ずっと湘雲を見つめていました。
湘雲は、先ほど自分が天斉廟の道士であると言ったことで、思わず、宝玉が自分にくれた例の金麒麟は、もともと天斉廟の張道士が宝玉に贈ったものだったことを思い出しました。一対の宝物は靴の中に隠して難を逃れ、道中で物乞いをしても、病気になっても、これだけは売ることができなかったのです。そっと袖から取り出しました。
若君はそれを見るとびっくりして、「そのキラキラしているのは何だい? こっちに投げてよこして見せてくれないか!」 湘雲は小声で、「これは私が小さい時に遊んだものです。特に目新しいわけでもなく、若様にお見せできるようなものではありません」。
若者は立ち上がり、湘雲を指差して言いました。「あんたは善人だと思っていたんだが、まさかこそ泥だったとはね! そいつが本当にあんたのものなら、どうして見せてくれないんだい? まさか私に盗られるとでも思ったかい?」
湘雲は身を起こし、喘ぎながら答えます。「若様、それは誤解です! これは私が小さい時に遊んでいた麒麟です。若様が御覧になりたいのでしたら、どうぞお手に取ってください!」と言って、麒麟を放り投げました。若君はそれを拾い上げてよく見ると、血相を変えて怒り、湘雲を指差して言いました。「この麒麟は私の友人が身に付けていたのを見たことがある。友人はあんたに陥れられたに違いない。包み隠さず白状なさい。役人に突き出してやるから」。
湘雲はこれを聞くとびっくりして、慌てて言いました。「若様、お怒りを収めて私の話を聞いてください。私は、実は忠靖侯・史鼎の孫娘で、小さい時から金麒麟を身に付けていました。この大きい方のは従兄弟の賈宝玉さんからいただいたものです。あの日、天斉廟の張道士が宝玉さんに金麒麟を贈り、それは私がさげているものよりも大きくて、より輝いていました。宝玉さんがうっかりそれをなくしてしまい、私が薔薇の垣の下で拾ってお返ししたこともありました。その後、私がお嫁に行く時に、幼い頃に兄弟姉妹で一緒に遊んだことを忘れないように、と言っていただいたんです。宝玉さんは女の子たちの中で育ち、私たちは小さい時から一緒にいたずらばかりしていました。その後、宝玉さんは宝釵姐姐と結婚し、私は夫の両親と共に衡陽に移りました。先ほど、義父が弾劾されて家産を没収されました。私は虎口を脱して道士に扮し、道琴を弾いて物乞いをし、京城に宝のお兄様と宝姐姐を訪ねたいと思っていたのです」。
若君はしばらく彼女を眺めてから、嘆息して言いました。「なんと史妹妹でしたか。あなたの弾いた道琴を聴き、何かいわくがあることは感じていました。まずは良かった。あなたの言われた宝玉君は私の親友です。私は姓を衛、名を若蘭と申し、父の衛功は雲南で職に就いておりますが、賈家とは代々交流があります。私は雲南で、賈家が取り潰しにあったと聞き、京に行ってみようと思っていたのですが、宝玉君はどこに落ち着いたのか知りませんか?」 湘雲はかぶりを振って苦笑し、「私も存じません。ただ、叔父上様は金陵に戻られ、私塾の先生をされていることだけは聞いています」。
衛若蘭ははあっと嘆息しました。従者に薬と女性物の衣装を買いに行かせ、駕籠を呼びました。しかし、湘雲は着替えようとせず、かぶりをふって答えます。「私は長いこと患っており、帰るのは難しいと思います。服を着替えたところでどうしましょう!」 若蘭は嘆息やまず、近くに宿屋を探して湘雲を休ませ、病気が治ってから共に京師に帰ろうとしますが、湘雲は承知せず、「私はとにかく早く帰りたいんです。この地でもたもたしていては京城に戻れなくなってしまいます! 若様がお嫌でなければ、早く私を連れていってはいただけませんでしょうか!」 衛若蘭はどうしようもなく、湘雲を駕籠に乗せてすぐに出発しました。一行は旅を急ぎ、程なく京師に到着しました。この後どうなるのかお知りになりたければ次回をお聞きください。