一刻館の思いで
- 「復刊ドットコム」にて、長らく絶版となっていた「一刻館の思いで」が復刊されました。
- 本サイトでは(株)ワニブックス書籍編集部の了解を得て本書の内容を掲載しておりましたが、復刊に伴い、掲載を取りやめました。
- 以下に要約を記しておきますので、購入を検討されている方は参考にしてください。
-
「一刻館の思いで 或る愛の物語」
○初版発行 1993年9月10日
○著者 めぞん一刻住民会議
○発行 株式会社ワニブックス
○定価 971円(本体)
○装丁 17×11cm、224P
○ISBN 4-8470-3097-4
1980年
- 11月 すべては一刻館から始まった
- 一刻館の「一刻」は大時計からとった名前。駅名にまでなってしまう建物はざらにない。元は何の建物だったのか? 各部屋の流しはあとから作られたもののようなので、そもそもは部屋毎に食事の支度をする必要がなかったのだろう。音無の爺さんが学校を経営していて、一刻館は寄宿舎でもあったのか。学生たちが学校で食事をしていたとすれば説明がつく。いずれにせよ由緒ある建物だったのだろう。
- 11月 東京都東久留米市一刻館
- めぞん一刻の舞台は、東京都東久留米市だった。その根拠は(1) 犬の惣一郎が行方不明になった時、賢太郎の出した張り紙に一刻館の電話番号が記され「04××」。よって一刻館は24区外の市町村。(2) 二階堂が「市役所はどこですか」と言っているので町村を除外。(3) 83年夏にばあちゃんが帰る時、在来線で大宮まで行った。当時(上越新幹線が大宮発の時)上野から大宮まで専用列車が出ていたが利用していないので時計坂は埼玉寄りかつ中央線沿線を除外(快速で上野まで行った方が早い)(4) 五代が北海道から書いた手紙で一刻館の郵便番号は「2××」。以上から残るのは清瀬市、東久留米市、保谷市。(5) 改札のすぐ目の前が出入口になっている構造を持つ駅は東久留米駅だけ。
- 11月 一刻館の大時計
- 一刻館のオルゴールが一晩中鳴り続けたことがある(誰が止めたのか?)ので、時計も修理すれば動くと思われる。なぜ壊れたままにしておくのか? 惣一郎の死と同時に時計が止まり、音無の爺さんがショックを受けて修繕をやめてしまったという説がある(この問題は後の章でまた出てきます)。
- 11月 響子にひと目ぼれ
- 当初は積極的に響子にアプローチしていた(やり方はともかく)裕作が、三鷹の登場とともにトーンダウン。強烈なライバルの出現で五代の響子への憧れは「愛」に変わった。
- 11月 響子意外な重労働の日々
- 響子の一日について。起床は6時前(裕作がばあちゃんに6時に叩き起こされた時、彼女はもう散歩に出かけるところだった)、惣一郎にエサ・庭掃除・洗濯を終えてお昼。午後は館内の掃除・テニス・買い物など。夕方は買い物・惣一郎の散歩・庭掃除。夕食後は銭湯、編み物など。就寝時間は0時をまわる(82年夏、裕作がバイトの金を彼女の部屋に届けていた時間が11時半)ので響子の睡眠時間は6時間以下。これに徹夜の宴会や事件が発生するとほとんど寝る時間がなくなる。屋根の上でまぶたがくなるのもムリはない。
- 12月 響子の履歴書
- 1959年秋に誕生。幼い頃祖父母を亡くす。66年小学校入学、父の仕事の関係で転校多し。75年女子高入学、クラブはテニス。77年高3でクラス委員長、惣一郎に初恋をする。78年高校卒業。79年夏ごろ自動車免許取得、秋に惣一郎と結婚。80年4月惣一郎死去、秋に一刻館の管理人となる。
- 12月 響子の知らせざる特技
- 響子の特技はスポーツ(テニス・水泳・スケート・草野球で大活躍)、日曜大工(一刻館の修理)、パチンコ(イライラして打ちながらしっかり勝つ)、そして腕力(八神に嫉妬した響子は微笑みながら竹ボウキをへし折った)。
- 12月 妄想が止まらない!
- 裕作の妄想回数は67回(響子がらみ57回、その他10回)で楽観的、響子を抱きしめキスをし、頭をゴツン。響子は10回で悲観的なもの多い。愛の行方が混沌としていた82~84年が特に多かったが、愛が成就に向かう86年後半からプッツリ縁が切れる。
1981年
- 3月 五代裕作、大学に合格
- 裕作はこずえの父に聞かれて「教育学部」と答えているが、首都圏の私大で教育学部があるのは3つしかない(早稲田・文教・創価)。早稲田は遠いので除去。裕作の大学は文教大学か創価大学か?
- 7月 三鷹との仁義なき闘い始まる
- 三鷹の叔父が「九条さんとこの資産と合体すれば、三鷹家は安泰…」というが合体しなければどうなるというのか。三鷹家は九条家や音無家のようなオットリしたところがないことから、新興のお金持ちで将来に不安があるのか? 三鷹の父が銀座あたりでクラブを経営しているとか。三鷹の仕事も体力勝負でいつまで安定した収入を続けられるか分からない。更に三鷹が実家に帰った際、母に「めずらしいわねー」と言われている。ギクシャクした親子関係があるのか?
- 8月 海、輝く白い歯が三鷹家の証明
- 三鷹の身内(父母・叔父・マッケンロー)しか歯は光らない。明日菜の歯がキラッと輝いた時点(「草葉の陰から」最終コマ)で彼女が三鷹家の一員になることが決まったといえる。
- 8月 三鷹、犬に運命を翻弄される
- 三鷹にあそこまでの犬恐怖症をひきおこす幼児体験とはどんなものだったのか? 奇妙なのは三鷹の家族や親族は犬恐怖症を知らなかったこと(知っていれば九条家に行った時、息子の結婚できる相手ではないと言いだすはず)。それほど三鷹のプライドが高かったのか、誰にも信じてもらえない恐怖の体験だったのか。
- 8月 五号室に女性来訪
- 五号室に初めて足を踏み入れた女の子、郁子。父親はほとんど姿を見せぬほど忙しく、おじいちゃんでは遊び相手として物足りない。郁子はさみしさから裕作を好きになった。
- 8月 五代、音無家へ
- 音無家はかなりの資産を持つ相当な旧家。ふところにも心にも余裕がある。赤字経営の一刻館を手放さないおかげで一刻館の住人はメチャクチャやっていられるのだ。
- 12月 こんなにビンボだったボクら
- 「マフ等あげます」の最初のコマから、一刻館の家賃は月2万300円。1階は2間なのでかりに倍とすると、一刻館の家賃総収入は14万円2100円。二階堂入居前なら10万ちょっと。これで響子はどうやって生活がなりたつのか? 考えられるのは惣一郎の保険金を運用(郵便局の定額貯金など)して生活費を作っているのではないかということ。
- 12月 四谷氏の肖像
- 四谷の正体として「役者」「探偵」「泥棒」説を紹介しています。
- 12月 四谷氏あくまでマイペース
- 四谷のかすめとり行為のパターンを8つに分類。四谷も物をプレゼントしたことが2回あるとか(惣一郎にアメ玉、裕作にいわしの頭)。
1982年
- 1月 裕作のまぶたに残る雪景色
- 裕作の故郷は新潟市内の中心部。根拠として(1)83年夏ばあちゃんが帰るときの列車が上越新幹線の「あさひ157」、(2)乗り過ごした後「次の列車までもりあがろー!!」と叫んでいるので上越新幹線ならどの列車も停車する、(3)ばあちゃんや裕作の父の「だすけ」や「て」は新潟言葉の特徴、(4)駅舎が新潟駅にそっくり、雪の日に老人がひとりで迎えに来れることから比較的雪の少ない新潟市内と結論づけている。
- 3月 母の実力行使
- 力関係に差があっても千草夫婦はあれでバランスがとれている。怒鳴りちらしている律子にはストレスがたまらないし、夫に惚れられているのは大事なこと。
- 4月 にぎやかな墓参り
- 響子の父が依怙地になって結婚に反対するのは響子が宝物だから。母・律子がやたらと再婚させたがるのは、そこそこな男性と平凡な家庭を築くのが幸せだと確信しているから。自分がそうだったから。父は娘に「夢」を見、母は「現実」を見ているのだ。
- 4月 親にも素直になれない響子
- 響子と両親が決定的にギクシャクしたのは、惣一郎の死から。現実との接点がなくなり、一刻館に逃げ込んだ響子にとって、現実をつきつける両親には逆らわずにいられない。でも「本当のこと」が一つではないことにだんだんと目を向けていく響子。
- 4月 裕作、こずえ宅へ
- こずえはネンネでなくかなりの策謀家? 裕作との出会い、響子の前での腕組み、デートでの行動、裕作とのキス事件などは計算された行動かも。彼女は自分の手で幸せをつかみとっていく強い女性。裕作から(本当に愛してくれる)同僚に乗り換えたことはその現れ。裕作が実際にキスしていても裕作の妄想のとおりには絶対にならなかったろう。
1983年
- 1月 ふたつのキッス
- しょっちゅう男関係の事件を起こす朱美はどんな人生を送ってきたのか? 一度も郷里に帰らないのは帰れない理由があるのか。男女のことには敏感で、裕作と響子の関係進展を見守り後押しするが、マスターの思いはプロポーズまで知らなかった。かしこいけど生きるのがヘタな朱美。その一言をずっと待っていたのでは。
- 7月 朱美、響子に対抗!?
- 朱美の名言集です。
- 8月 ばあちゃんのお膳立てデート
- ゆかりばあちゃんの行動は全て裕作の援護射撃(同窓会・三鷹のマンション訪問・帰り道・キスマーク事件での行動についてこれを検証)。ばあちゃんが裕作の思いに気づいたのは合格発表の時ではないか。
- 10月 一の瀬氏、失業す
- 毎朝6時前に家を出て、宴会の最中に帰宅する一の瀬氏。一の瀬の会社はディズニーランドのあおりを受けて倒産した遊園地の関連企業か? 彼は妻に愛されている。欠点だらけの花枝の長所とは「明日があるさ」の人生観。
- 12月 おばさんテニスコートに立つ
- 酒代だけでも家計が苦しいのに、おばさんはなぜテニススクールに通うのか? 考えられるのは「健康」のため。でも響子たちのゴシップに気がいって手を抜き、全然シェイプアップしていない矛盾に気付いているのか?
- 12月 五号室で宴会
- 宴会は6年間で98回。うち46回を五号室で飲んでいる。作品に書かれているのが1週間に1日ぐらいだとすれば、一刻館では年間112回飲み会をやっていることに。
- 12月 茶々丸の風景
- 朱美に惚れていた分、陰ながら一番裕作を応援していたのはマスターだったのでは? 裕作の恋が成就すれば自分の恋もかなうと信じつつ…。
1984年
- 4月 二階堂望、上京す
- 二階堂はなぜ4年間一刻館に居着いてしまったのか? (1) 母親から離れたかったので住むところはどこでもよかった、(2) 四谷への復讐にかける執念、(3) 謎が多い一刻館の住人たちに好奇心を刺激された、などが考えられる。二階堂の宴会出席率は低く、裕作たちの結婚式2次会にも出席していない。つかず離れずの関係を維持しつつ、観察して楽しんでいたのだろう。
- 4月 墓参りの風景
- 惣一郎の命日は何月何日か? 墓参りした日を見ると、81年は19日(日)、82年は18日(日)(こずえの家族が在宅)、83年は16日(土)(テニススクールの前日)、84年は15日(日)(親族一同が参加しており、平日でない可能性高い)、85年は不明(裕作が保育園で働いていたので平日)、86年は19日(土)(墓参りを理由に土曜日のデートを断った)。85年はあえて平日(15~19日)に行ったので命日の可能性高い。84年の参加者はとりわけ多く、テニススクール(日曜日)をあえて休んでいるので4月15日の可能性が強い。
- 4月 惣一郎さんの思いで
- 惣一郎の死因は糖尿病か腎臓病の可能性が強い。27歳までブラブラしていたのは自宅療養のためか。日記に書かれた食事内容はあっさりしすぎていて食事制限が考えられる。「メモリアル・クッキング」で響子の中華風炒め物を「毎日食べられたらいいなあ」と言っていた(=たまにしか食べられなかった)ので結婚後も食事制限は続いていた。惣一郎は勝手に買い食い(まんじゅうや焼き鳥)するので病気が再発し倒れてしまったのか。
- 4月 惣一郎さんの思いで2
- 惣一郎に関するあれこれ。女性経験がなく、二枚目でないうえフケ顔。体格はわりといいが猫背。女子校でも生徒にモテなかったくせに、日記には「今まで女性に目もくれず…」と書いているところを見ると惣一郎は見栄っ張り?
- 7月 名犬惣一郎さん
- 惣一郎(犬)は人間の力関係を瞬時に見破る。響子の「惣一郎さん!」や行方不明になった時とある母親の「ボケ!」に反応したのはその証。以前、金持ちに飼われていた惣一郎(当時大型犬は金持ちのステイタス)はリゾート地で主人とはぐれ、野良犬になった。放浪の末、1979年秋ごろ(惣一郎が来てから、人の服装が腕まくりから長袖に変わる)音無家にたどりついた。
- 9月 裕作、教育実習で八神と出会う
- 八神のすさまじい頑張りは裕作を愛するがための行為ではなかった? (1) 「恋に恋する」パターン(出会い時の勘違いや一刻館籠城時の「私が…身を引けば…」発言など)、(2) 響子への猛烈な競争心。響子に会わなければ八神はあれほど裕作を追いかけることはなかったのでは? 逆に、八神に会わなければ響子は裕作と結婚したのか?
- 9月 賢太郎の失踪
- 84年9月、八神が一刻館に泊まった日を最後に、裕作と響子の結婚式まで消息を絶った賢太郎。中学生になり、受験勉強を口実に一刻館を出て部屋を借りていた?
- 9月 七尾こずえの肖像
- 実はまったくのネンネで、家族一体での裕作囲い込み計画とキスという既成事実つくりしかアプローチ方法がなかったこずえ。しかし五代にその気がない。無意識に彼の周囲に女性の香りをかぎとり、会社の同僚男性との友人関係が深まっていった。裕作を半分諦めていたからこそ、五代のプロポーズ(誤解)にあんなに泣けてしまったのだ。
- 9月 愛を拒む男、五代裕作
- 裕作は結構女性にもてた(高校時代のガールフレンド・響子・こずえ・白石襟子・大口小夏・八神・きょんきょん)。裕作を健全にしていたのは響子の存在に尽きる。でも裕作だってオトコ。85年5月、坂本と風俗店巡りをしたとき童貞を失ったのか?
- 10月 裕作と響子のデート
- 響子とのデート回数は裕作7回、三鷹8回。三鷹がつぼを押さえたデートプランを披露するのに対し、裕作はちゃんとした?デートを一度もしていない。実はできない理由があった→七尾こずえとのデートが19回。
1985年
- 1月 八神いぶき、一刻館に籠城
- 八神の籠城の時、五代は3号室に泊まればよかったのでは? また前年9月に八神が友人たちを帰して一刻館に居残った時も、彼女を3号室に泊めるアイデアは出なかった(五代が家出した時、2号室でも3号室でもいいから帰らせて、と言っているので入居不可能な部屋ではない)。たぶん、ほこりだらけクモの巣だらけで急に寝泊まりできる状態ではなかったんだろう。
- 1月 響子のヤキモチ爆発!!
- 響子のヤキモチは激情型19回、責言型19回、無視・拒絶型20回と完璧なバランスを誇る。
- 4月 裕作、就職に失敗
- 裕作の人生の救世主は黒木小夜子と坂本。黒木は、人形劇で裕作と響子を共演させ(帰り道、二人はいいムード)、保育園でふたりきりになるチャンスをくれ、最終的に裕作が就職できたのも彼女のおかげだった。坂本は、裕作に「好きでありまーす」と叫ばせ、クリスマス・イブのバイトに誘い(裕作が響子にツリーの星をプレゼント)、キスマーク事件もちゃんと解決してくれ、響子の涙の意味を教えてくれた。よき友は財産だ。
- 4月 三鷹のお見合い
- 明日菜ほど強くてコワイ人はいないんじゃないだろうか。会ったばかりの日に、「犬がなついちゃった」からと三鷹についていくことを決めてしまう決断力。響子に三鷹と別れてもらうよう出かけていった行動力。「嫌いではない=好き」という極端な短絡思考。犬も料理も好きだからと両者を合体させてしまう強引さ。そして犬たち(特にストロガノフとサラダ)の活躍が決定的となった。
- 5月 数字は語る
- 主要人物と数字との関係。響子の「1000」または「0」は裕作の「5」で割り切れるが、三鷹の「3」では割り切れない。だから三鷹は二人の間に入っていけず、3で割り切れる「9」という数字を持つ明日菜が現れたのだ。
- 5月 青空の下、今日も響子は庭を掃く
- 響子が掃除をする別の意味として(1) 裕作の身が心配で無意識にしてしまう行動、(2) 悩みをかかえている時、きっかけをつくるための口実、(3) ヤキモチでカッカしている時の断固たる意志表示、(4) 「頑張ってくださいね」の激励。彼女にとって掃除は自分の心を安定させるための鍵なのだ。
- 6月 PIYOPIYOを着てジョギング
- ヒヨコは3着のエプロン、ジョギング用タンクトップ、廊下の張り紙に出てくる。惣一郎の生前にはヒヨコのエプロンを着ていないことから、ヒヨコマークは「惣一郎さんを失って私は今、ヒヨコみたいに無防備。誰か守ってほしい」との響子のメッセージを託しているのではなかろうか。
- 7月 Tシャツは未来を語る
- 裕作のTシャツの文字は未来を予言していた。「BASKETBALLCENTERLINE」「交通安全」「Ottotto」「SUKA」「HAZUREMON」「ゆ」「POTATO」について検証しています。
1986年
- 1月 三鷹瞬、犬嫌いを克服!
- 男性評と女性評が分かれる三鷹を弁護しています。響子に対する気持ちにウソはなく、トラウマの犬恐怖症を命がけで克服した向上心。明日菜に結婚を申し込んだ責任感の強さ。裕作と響子の関係に刺激を与え、結果として二人を結びつける役割を果たしたこと。
- 7月 直接対決! 裕作と三鷹
- 裕作と三鷹の響子へのアプローチ方法の比較。
- 8月 風俗業界の群像
- 裕作はアルバイトを通じて成長していった。保育園でのアルバイトのおかげで「保父」という人生の目標ができた。バニーではこわもてではあっても一生懸命生きる風俗業界の人々の優しさと明るさを知り、信じること・明るく生きること・慈しみの心を学んだ。
- 8月 動いていた大時計
- 一刻館の大時計は3回だけ10時25分以外の時間を指したことがある。82年春、母の「引退宣言」に響子が激怒した時10時35分。86年初夏、響子と三鷹の見合いの夜、裕作が一刻館の前に立ちすくんでいた時10時10分。86年夏、裕作と三鷹の決闘の時9時30分。響子と裕作の関係に破滅的な傷害が立ちはだかった時のみ10時25分以外をさすことから、天国の惣一郎のエールとは考えられないか。とすると大時計が惣一郎の死と同時に動かなくなったとの説もあながちバカな空想とは言い切れなくなってくる。
- 10月 ふたりだけの夜
- 響子はいつから五代のことが好きになったのか? 裕作が行方不明になった惣一郎(犬)を探しだした時、響子には裕作の姿が亡夫そっくりに写った。この事件がポイントではないか。裕作に惣一郎の面影を見て、裕作を信じてみたい、裕作なら惣一郎さんを忘れさせてくれるんじゃないか、と響子は思ったんじゃないだろうか。
- 12月 六年目のプロポーズ
- 裕作のプロポーズと他人の登場人物のセリフから、人生の機微を感じされるものをあげて解説しています。
1987年
- 3月 ハッピー・マリッジ
- 響子をめぐる裕作と三鷹の戦いで、はじめは「おもしろけりゃいいんだよっ」だった一刻館の住民たちも、響子の母が管理人引退を通告した時から決定的に裕作を応援し始める。裕作や三鷹同様に響子を愛していた彼らは、この時響子がいつまでもいるとは限らないことを知った。響子がいなくなれば一刻館はおわり。でも自分たちの分身といえる裕作と一緒になれば心の中の一刻館は永遠になくならない、そう感じたんじゃないか。二人の恋がついに実ったとわかった時、3人の表情は仏様のようにやさしかった。
- 4月 めぐりくる春
- 春の到来と響子の変化について。81年は惣一郎の思い出にどっぷりつかっていた。82年は音無のじいさんから現実に目を向けるよう言われる。が、響子はまだこだわっている。83年は母・律子がしつこく再婚をすすめる。いやでも現実に目をむけなければならなくなってくる。84年は「自然に忘れる時が来ても…許してください」と心の変化を告げる。ようやく現実を見つめられるようになった。85年は帰り道に裕作を訪ね、「同じになってほしいなんて思わないわ」と思う。心の中で裕作は惣一郎以上の存在になっていた。86年は「夏まではひとりです」と裕作を待っていることを告げる。響子の心は決まっていた。87年は「あなたをひっくるめて、響子さんをもらいます」との裕作のことばで、響子は完全に心の中の惣一郎から解放された。
- 4月 血液検査
- 裕作はA型、八神はAB型。それ他の人物について行動から血液型を推定しています。ちなみに響子AB型、三鷹O型、こずえB型、明日菜O型、一の瀬・朱美・四谷はB型(四谷はX型が混じっている可能性も?)とのこと。
- 4月 一刻館でねるとん!?
- 響子・こずえ・明日菜・朱美・八神の誰が好きかによるあなたの性格診断。
それから…
- 4月 それからの一刻館
- 一刻館の現在(93年)についての想像。裕作・響子ともあいかわらず一刻館に。愛妻弁当を手に保育園に通う五代だが、時々徹夜の宴会で目をまっかにして出勤、そんな時は園児と一緒にお昼寝している。響子は管理人と育児で大わらわ、春香をおんぶして庭掃除をしている。賢太郎は大勢の反面教師に囲まれて育ったので優秀な大学生に。一の瀬のおばさんは口実をつくっては管理人室にあらわれ「五代くんとはうまくいっているのかい?」と相変わらず。春香は5歳、3号室を勉強部屋にする予定があるらしい。四谷は週3回裕作夫婦の食卓に乱入、食べ物を取られまいとする春香の行儀が悪くなるのが心配。5号室は宴会場として解放した。朱美は毎晩のように一刻館に出没、迎えに来たマスターをまきこんで、今日も一刻館の夜はふけてゆく…
- 4月 一刻館をめぐる人びと
- ほかの人々のその後。三鷹夫妻には4人5人と子供が増え、明日菜は次々と飼い犬を増やし、犬恐怖症がよみがえった三鷹は冷や汗を流しながら暮らしている。三菱銀行に勤めるこずえの夫はバブル崩壊の打撃でまた転勤になるが、こずえはすぐに順応し問題なくやっている。八神は父親のコネで就職難を乗り切る。五代を卒業して現実との折り合いをつけていくが、男友達には父親が「抹殺してやる」とすごむので、結婚は当分おあずけにしてキャリア・ウーマンへの道へ。