周汝昌氏は、思想や芸術に関する研究は紅学の範疇外とし、作者・版本・脂硯斎評・佚稿に関する研究のみが紅学であると提唱しました(当然反対意見もあります)。このため、曹学・版本学・脂批学・探佚学のみを狭義の紅学とよぶ場合があります。
また、清代には、明珠(みんじゅ・康煕帝の宰相)の家事でその子の納蘭成徳(のうらんせいとく)を宝玉のモデルとする「明珠家説」が広く受け入れられましたが、他にも世宗順治帝と董鄂(とうがく)妃との情事(王夢阮、沈瓶庵の説)、順治・康煕王朝80年の歴史(孫静庵の説)などがあります。
胡適の「紅楼夢考証」と兪平伯(ゆへいはく)の「紅楼夢辨」によってその基礎が築かれ、その後、周汝昌、呉恩裕、呉世昌氏など多くの紅学者によって研究が進められました。
新紅学は本来、紅楼夢は曹雪芹の自叙伝であるとする自伝説に立っていましたが、自伝説は1950年代に起こった「紅楼夢研究批判(紅楼夢論争)」で徹底した批判を受けました。
なお、紅楼夢研究批判以降の紅学を特に当代紅学と呼んで区別することもあります。
1791年(乾隆56年) | 程偉元・高顎が木活字本「紅楼夢」を出版する(程甲本) |
1792年(乾隆57年) | 程偉元・高顎が改訂版を出版する(程乙本) |
1794年(乾隆59年) | 周春が「閲紅楼夢随筆」を著す |
1814年(嘉慶19年) | 裕瑞が「棗窓閒筆」を著す(~1820年) |
1904年(光緒30年) | 王国維が「紅楼夢評論」を発表 |
1912年(民国元年) | 上海有正書局が大字版「国初抄本原本紅楼夢」を出版 |
1916年(民国5年) | 蔡元培が「石頭記索隠」を発表 |
1920年(民国9年) | 上海有正書局が小字版「国初抄本原本紅楼夢」を出版 |
1921年(民国10年) | 胡適が「紅楼夢考証」を発表 |
1923年(民国12年) | 兪平伯が「紅楼夢辨」を発表 |
1927年(民国16年) | 胡適が「脂硯斎重評石頭記」(甲戌本)を上海で発見する |
1932年(民国21年) | 「脂硯斎重評石頭記」(庚申本)が北京で見つかる |
1949年 | 中華人民共和国が建国される |
1953年 | 周汝昌が「紅楼夢新証」を発表 山西省で夢覚主人序本「紅楼夢」(甲辰本)が見つかる |
1954年 | 紅楼夢研究批判(紅楼夢論争)が始まる |
1961年 | 清蒙古王府抄本「紅楼夢」(王府本)が北京で見つかる |
1963年 | 記念曹雪芹逝世200周年展覧会が故宮博物館(北京)で開催される |
1966年 | プロレタリア文化大革命が発動される(~1976年) |
1979年 | 中国芸術研究院に紅楼夢研究所が設立される 「紅楼夢学刊」が創刊される |
1980年 | 第1回国際紅楼夢検討会がアメリカで開催される 第1回全国紅楼夢学術討論会がハルピンで開催される 中国紅楼夢学会が設立される |
1983年 | 記念曹雪芹逝世220周年学術討論会が南京で開催される |
2004年 | 記念曹雪芹逝世240周年(揚州国際紅楼夢学術検討会)が揚州で開催される |
2013年 | 記念曹雪芹逝世250周年大会暨学術研論会が北京で開催される |
2015年 | 曹雪芹誕辰300周年記念大会が北京で開催される |