紅楼夢の版本

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紅楼夢の版本
(1)80回本(脂批本の系統)

紅楼夢は曹雪芹の逝去後間もない1763年または1764年に、前80回のみの写本が主に社会の上流階級に流布しました。脂硯斎による批注があることから脂批本(しひぼん)または脂評本(しひょうぼん)と呼ばれ、以下のものがあります。

乾隆甲戌「脂硯斎重評石頭記」
甲戌本(こうじゅつぼん))
紅楼夢の最も早い版本(胡適氏の説)とされ、乾隆19年(1754年)の写本とされます。全16回(1~8回、13~16回、25~28回)。
旧蔵者は劉銓福(りゅうせんふく・清末の蔵書家)で、1927年に胡適氏が上海で購入して世に紹介し、現在はアメリカのコーネル大学図書館に所蔵されています。

乾隆己卯「脂硯斎重評石頭記」
己卯本(きぼうぼん))
乾隆24年(1759年)の写本とされ、馮其庸氏、呉恩裕氏の説では清の怡親王府の写本とされます。最初に見つかったのは全40回(1~20回、31~40回、61~70回)でしたが、1959年に5回分(55回後半~59回前半)が発見されました。
旧蔵者は董康(とうこう)で、のちに陶洙(とうしゅ)の所有となり、現在は最初に発見された写本は北京図書館に、後に発見された写本は北京歴史博物館に収蔵されています。

乾隆庚辰「脂硯斎重評石頭記」
庚辰本(こうしんぼん))
乾隆25年(1760年)の写本とされ、呉世昌氏の説では4つの本の寄せ集めで価値は低いとされますが、馮其庸氏の説では曹雪芹の生前最後の写本で、原稿に近く、以後の底本となった貴重なものとされます。全78回(80回のうち64・67回を欠く)で、17・18回は分かれていません。
旧蔵者は徐星曙(じょせいしょ・光緒年間の高官)で、のちに燕京大学図書館に帰し、現在は北京大学図書館に収蔵されています。

乾隆甲辰「紅樓夢」
甲辰本(こうしんぼん))
巻頭に乾隆49年(1784年)に記された夢覚(むかく)主人の序文があることから「夢序本」や「夢覚本」、山西省で発見されたことから「脂晋本」ともよばれます。全80回で、書写の特徴から、高顎が程甲本を補訂する際に底本にしたものとされます。現在は山西省文物局の所蔵となっています。

乾隆己酉「紅樓夢」
己酉本(きゆうぼん))
乾隆54年(1789年)に記された舒元煒(じょげんい)の序文があることから「舒序本」または「舒本」ともよばれます。全40回(1~40回)で、脂批はありません。現在は呉暁鈴氏の所蔵であることから「呉本」または「呉蔵残本」ともよばれます。

「国初鈔本原本紅樓夢」
有正本・戚本(ゆうせいぼん・せきぼん))
原本の旧蔵者は兪明震(ゆめいしん)で、のちに上海有正書局の主人・狄葆賢(てきほうけん)が入手して、民国元年(1912年)に石印出版されたため「有正本」とよばれ、民国元年(1912年)の大字本と民国9年(1920年)の小字本とに分かれます。全80回。
巻頭に戚蓼生(せきりょうせい・清の乾隆年間の人)の序文があるため「戚本」または「戚序本」ともよばれ、原本は1921年に焼失したと思われていましたが、1975年に上海古籍書店が前40回を発見(「戚滬本」(せきこぼん)とよばれます)し、また、南京図書館にも戚滬本からの書写本と思われるものが所蔵され、「戚寧本」(せきねいぼん)とよばれます。

鄭振鐸所蔵本「紅樓夢」
鄭蔵本(ていぞうぼん))
鄭振鐸(ていしんたく)の蔵本で、2回(23・24回)のみの写本。脂批はありません。

靖応鵾家所蔵本「石頭記」
靖蔵本(せいぞうぼん))
揚州の靖応鵾(せいおうこん)家の蔵本で、友人の毛国瑤(もうこくよう)氏が1959年に閲読し、他本には見られない多くの批語が含まれることや本文中に異文があることなどを、1964年に愈平伯氏に伝えますが、毛氏が靖家を再訪すると原書は既に紛失しており、現在も所在不明となっています(このため真偽を疑う説もあります)。

レニングラード蔵本「石頭記」
列蔵本(れつぞうぼん))
「清高宗御制詩」第4~5集の補紙に書写されたもので全80回。道光12年(1832年)に北京に留学していたパーヴェル・クルリャンツェフ(Pavel Kurliandtsov)によってロシアに持ち出されたものとされており、1963年にロシアの漢学者リフチン氏によりソ連科学院東方研究所レニングラード支所で発見されました。1987年に中露共同で出版されています。

北京師範大学収蔵「脂硯齋重評石頭記」
師大本(しだいぼん))
1957年で北京の瑠璃廠(るりしょう)で購入され、61年に北京師範大学図書館の書目に編まれたものの、その後忘れ去られ、2000年に曹立波氏により「発見」されたもの。全78回(80回中64・67回を欠く)で、庚辰本とほぼ同じながら多くの異文があるとされます。

卞亦文所蔵「紅樓夢」残脂本
卞藏本(べんぞうぼん))
2006年に深圳の藏書家・卞亦文(べんえきぶん)氏が上海の競売で18万元で購入したもので、馮其庸氏らが鑑定により清の道光年間以前の写本と断じました。全10回(1~10回)と33~80回の回目のみ。列蔵本や夢稿本と近いものの、なお多くの差異があるとされます。

乾隆庚寅「石頭記」
庚寅本(こういんぼん))
2012年に天津で発見された手抄本。乾隆35年(1770年)の写本とされています。1~14回冒頭のみ。現在は天津の紅学愛好者の王超氏が所蔵。

(2)120回本(脂批本の系統)

「乾燥抄本百二十回紅樓夢稿」
夢稿本
全120回ですが、前80回は脂批本の系統で、後40回は別の初稿本とされます。本文中に高鶚の筆と思われる修改が多くなされ、高鶚が後40回を補訂する時に底本にしたという説がありましたが、程甲本より程乙本との相似が多いため、高鶚の底稿ではないといわれています。脂批はありません。
旧蔵者は楊継振(ようけいしん・清末の蔵書家)であるため「楊蔵本」ともよばれます。1959年に北京で発見され、現在は中国科学院文学研究所に収蔵されています。

「蒙古王府本石頭記」
王府本
年代不明。全120回ですが、前80回の祖本(元になった本)は戚本と同じで、程偉元の序文と後40回は後から補書されたものであるとされます。清の蒙古王府が所蔵していたもので、現在は北京図書館に所蔵されています。

(3)120回本(程高本の系統)

乾隆56年(1791年)に程高本が刊行され、「紅楼夢」はようやく伝写時代を終えて印行の時代に入ります。その後は程高本を底本におびただしい数の版本が出現し、「紅楼夢」は全国に広まっていきます。旧中国で広く流行した版本には以下のものがありました。

「新鐫(しんせん)全部繍像紅樓夢」
程高本
程偉元らにより萃文(すいぶん)書店から活字出版されたもので、乾隆56年(1791年)に刊行された初版(程甲本)と、その後3ヶ月足らずの乾隆56年(1792年)に刊行された改訂版(程乙本)からなります(その後更なる改訂版(程丙本)があったとされます)。

「新評繍像紅樓夢全伝」
王評本
程甲本を底本として王希廉(おうきれん)が批評を施した版本。道光12年(1832年)に刊行され、程高本系統中ではもっとも多く流布した版本とのこと。

「妙復軒評石頭記」
張評本
光緒7年(1881年)に刊行された張新之(ちょうしんし・字は大平閑人)が批評を施した版本。

「増評補図石頭記」
姚評本
光緒10年(1884年)に刊行された姚燮(とうしょう・字は大某山民)が批評を施した版本。

「程前脂後説」について
程前脂後説」は1991年に欧陽健氏によって提唱された「脂硯斎本偽書説」で、紅楼夢の甲戌本は劉銓福(りゅうせんふく)が偽造したものであり、さらに全ての脂硯斎本は清末民初に偽造されたものであるとするものです。つまり、従来の脂硯斎本が先で程高本が後という常識に対し、経歴の明らかな程高本こそが先であるとするものです。

この説について紅学界では激しい争論がなされ、馮其庸、蔡義江氏らの反駁を受ける一方で賛同者も見られ、欧陽健氏は2003年に持論の集大成となる「還原脂硯斎」を出版しました。

素人紅学さんが掲示板に寄せていただいた情報をお借りすれば、反論に対する反論をも含むようで、「脂硯斎の存在を証明する本であった裕瑞の随筆「棗窓閑筆」について検討し、書体や清代の資料からこれが裕瑞のものではないと断定し、 脂硯斎が本当に存在していたかどうか、疑問であるとします。また、彼が書いたといわれている紅楼夢の批評を検討し、そこに現れる言葉、康煕帝の名前「玄」を避けていないことから、清代の人ではないとしています。また、曹雪芹が紅楼夢の作者であるとの根拠とされている詩文集や随筆も検討して、根拠にならないと断定しています。欧陽健氏の結論としては、脂硯斎の原本は1911年に刊行された有正書局版の紅楼夢であり、そこに付された注が基になっているというものです。この有正書局版は版元である荻保賢が入手した80回までの写本であり、発行に際して、注を募集し、この注を付けた上で発行したというものです」。

その後の論争の行方(大勢)について御存知の方は御教唆いただければ幸いです。なお、伊藤漱平先生は「伊藤漱平著作集」の中で「人をして拍案驚奇せしむる底の内実を欠く」と一蹴されています。