意訳「曹周本」


第89回
薛宝釵、蘅蕪苑で茶を摘み、林黛玉、夢で太虚幻境に遊ぶ

さて、宝釵は蘅蕪苑を立ち去って以来、これまで帰ることがありませんでした。かつての春、蘅蕪苑に住んでいた時には、鶯児や香菱と、よく葉や花を摘んでお茶を作ったことを思い出し、また春になったことだし、またあそこで遊びに行こうと思い立ちました。一つには、自分の住んでいた家屋がどうなっているのかを見るため、もう一つは、花や葉を摘んでお茶を作り、それを飲みながら蘅蕪苑に住んでいた日々を思い出すのも面白いだろうと思ったのでした。そこで、鶯児に「あんたはいつも蘅蕪苑に戻りたいって騒いでいたわね。今日は天気もいいし、あちらに行って花を摘んでお茶を作ろうと思うんだけど、どうだい?」 鶯児はこれを聞いて喜び、急いで花籠を取ってきて言います。「残念ですけど、香菱さんは宝蟾さんのせいで、昨日また病気になってしまいましたね。そうでなければ一緒に行けたんですけど。香菱さんも園のことを思っていましたから」。 宝釵はため息をつき、主従二人で家の門を出て、まっすぐ蘅蕪苑にやってきました。

見れば、美しく天にそびえる大岩の上には、藤や蔓が絡み、薜茘(へいれい)、杜若(カキツバタ)、蘅蕪、丹椒(たんしょう)、紫蘭(しらん)、青芷(せいし)が咲き乱れ、芳しい香りを放っています。宝釵は大岩にもたれ、嘆息して止みません。今では珍しい花が咲き乱れても観に来る者がなく、この美しい光景も無にしてしまっているのね。そして、鶯児に付いて屋内に入り、しばらくしてから出てきました。

花や葉を摘もうとすると、そこへ宝玉がやってきました。宝釵を見ると笑って「姐姐が来るとはどういう風の吹き回しです?」

宝釵は笑って「越して行って以来、ここに来ることもなかったんだけど、今日は陽気がいいので、こちらで花や葉を摘んでお茶を作ろうと思ったの。ここに住んでいた時は、よく作っていたのよ」。 宝玉は喜んで、「二のお姉様が行ってしまってから、園内はますます寂しくなりました。私も、姐姐がいた時は、春になると、ここが馥郁とした情景であったことを思い出し、散歩に来てみたら、思いがけず姐姐にお会いしたというわけですよ」。 そこで、二人は一緒にぶらつき始めました。

さて、今や日一日と暖かくなり、黛玉はこの日、窓の前に腰掛けて、宋の葛天民の『迎燕』の詩を読んでいました。『咫尺春三月、尋常百姓家、為迎新燕入、不下旧簾遮、翅湿沾微雨、泥香帯落花、巣成雛長大、相伴過年華(春の三月が近づき、庶民の家では、新しい燕の帰りを迎えるために、古い簾を下ろさない。燕の翼は小雨に濡れ、泥は落花が混じって香り、巣は雛の成長とともに補修され、人も燕も家族団欒の日々を過ごす)』 うなずいて嘆じずにはいられず、「やはり庶民の人たちは楽しく日々を過ごしているのね。燕の雛が大きくなって、一家が頼り合う生活にこそ天倫の楽しみがあり、富貴な一家が恨み合っているよりはずっといいわ」。

彼女があれこれ考えていると、春繊が嬉しそうに部屋に飛び込んできて、笑いながら言います。「お嬢様も早く見に来てください。去年飛んで行った燕が今年もまた戻ってきましたわ!」。 黛玉はすぐに立ち上がって、「何ですって? 私たちの燕がまた戻ってきたの?」 春繊は「そうですわ! みんな戻ってきましたのよ!」

黛玉は喜んで、急いで正堂の前に出てみると、確かに数羽の燕がホールの中を飛んでおり、二、三羽は巣の近くで賑やかに鳴いています。親燕は飛んでいったと思うと、すぐに新しい泥を持って戻ってきて、新しい巣を作っています。

黛玉は最初はとても喜びました。燕にも情があり、古巣が恋しくてこの春もまた戻ってきたのね。思わずそこに立って、燕たちが巣を作るのに飛び回る様子を眺め、侍女たちを遠くにやって邪魔しないようにさせました。しかし、また考えます。燕だって古巣を懐かしんで、帰ってきても自分の巣を探し出すことができるのに、自分は故郷を偲んでも父母は既に亡く、帰る巣さえないんだわ。そう考えると、また涙を流すのでした。

燕がまた飛んでいったのを見て、黛玉は知らず知らずくっついて出て行き、瀟湘館を出ると、燕は飛んでいって影も形も見えなくなりました。黛玉が小道の傍らの青々とした草を眺めると、頭にきれいな水滴を載せてゆらゆらと揺れています。園内には紅白の花が美しく咲き揃い、樹の枝では小鳥が美しく鳴いています。黛玉は歩いたり、立ち止まったり、眺めたりして、喜んだり悲しんだりするのでした。喜んだのは、今年も春になって花が絢爛に咲き、小鳥が楽しげにさえずっていることで、悲しんだのは、花は昔のままなのに、園の中には花を愛でる人がますます少なくなってしまったことでした。梢には五色の斑模様の鳥が留まっており、彼女を見ると飛んできて、手前の木の上で休みます。黛玉が思わずまた追うと、その鳥はまた飛び立ち、黛玉は更に追いかけます。山坂を登り、花柳を抜けて林の茂みに至ると、上には茘枝(ライチ)がぶら下がり、下には流水が流れ、桃や杏が岸を挟み、シダレヤナギは絹糸のようです。ここはもう蘅蕪苑なのだわ。そう思って、藤のつるを引いて先へ進もうとすると、あちら側から楽しそうに笑う人の声が聞こえてきました。宝姐姐が出て行ってから、あそこには誰も住んでいないはず。いったい誰が? そう思って、柳の後ろから覗いてみます。

見れば、宝玉と宝釵が大岩の後ろから出てきて、手にはそれぞれ籠を持ち、鶯児は後ろで嬉しそうに笑っています。宝釵は「見て、この藤の上にある小さな花は金桂みたいに咲いているわ。摘んでお茶を入れればとても爽やかなのよ」。 宝玉が笑って「待っていて。私が登って摘んできますから」と言うと、宝釵は「私も行くわ。面白そうですもの」。 宝玉が「姐姐に登れますか?」と尋ねると、宝釵は「見くびらないで。あなたが引っ張ってくれれば、私だって登れるわ」。 宝玉は喜んで手を叩き、笑いながら「じゃあ、私が先に登って、姐姐を引っ張りますよ」。

宝玉が山坂を登り、次に両手を伸ばして宝釵をゆっくりと上に引っ張り上げました。二人は嬉しそうに笑って、木陰の茂みに見え隠れしながら、花や若芽を摘むのでした。

黛玉は目眩がして倒れそうになり、木にもたれ掛かって、しばらくの間、涙が泉のように流れて止まりませんでした。顔中涙でぐしゃぐしゃにして立っていましたが、見ると、宝釵と宝玉はまた手に手を引いて山坂を降りてきます。鶯児が呼びかけます。「二の若様、私達のところでお茶を作りに行きましょう。後日、飲みにいらしていただければ、本当に美味しいんですよ」。 宝玉は頷き、三人一緒に籠を持って行ってしまいました。

黛玉は声を出して泣きじゃくりますが、人に見られてはまずいと思い、唇を噛んで引き返します。稲香村まで行かないうちに、探しに来ていた雪雁と春繊に会いますが、黛玉が顔面蒼白で喘いでいるのを見ると、二人はびっくりして尋ねます。「お嬢様、どうしたんです? 顔にはちっとも血色がなく、目も真っ赤です。いったい誰がお嬢様を怒らせたんです?」 黛玉は二人にもたれ掛かって喘ぎながら、「何でもないわ。ちょっと目眩がして気分が悪くなっただけよ! 早く帰りましょう」。 二人は黛玉を扶けて瀟湘館に戻りました。

黛玉は視界が暗くなっていくように感じ、意識が朦朧として、眠りに落ちていきました。いつしか、とある場所に来ており、見ればそこには祥雲(吉祥の雲)が渦巻き、仙鶴(仙人の飼う鶴)が飛び交っています。黛玉は躊躇います。ここはどこかしら? その時、一人の仙女が祥雲の中をやってきました。黛玉は彼女が世俗を超越した美しさと飄然とした様を見て、礼をしようと思いましたが、仙女は既に黛玉の手を取って言いました。「妹妹、いらっしゃい。姉妹たちは皆あなたのことを気に掛けていて、私を迎えに寄越したんです。まず宮中でお休みになってから、一緒に遊びに行きましょう。今日は神瑛侍者も来ていますので、あとで会えるでしょう」。 黛玉は意を決めかねて尋ねます。「こちらは何処なのでしょう? また、姐姐はいったい如何なるお方なのでしょう?」 仙女は笑って、「妹妹は忘れてしまったのです。ここは離恨天の上、灌愁海の中、放春山の遣香洞、太虚幻境です。私は警幻仙姑で、人間世界の色恋の貸し借り、浮世の男女の恋や恨みを司っています。妹妹は痴情が多く、身に利がありませんので、その痴心に注意を促すために来てもらったのです。もし、妹妹に悟るところがあって、誤った道を抜け出せるのでしたら、神瑛侍者を正道に返すことができ、もって天恩祖徳にも報いることになりますし、栄寧二公の頼みに背かなくて済みます」。 黛玉は混乱し、警幻仙姑が何を言っているのか分からず、ただぼんやりと彼女に付いていきます。しばらくして、一本の鳥居の前に至りますが、上には横書きで『太虚幻境』の4つの文字、両側には対聯が書かれています。

仮の真となる時、真もまた仮
無の有となる処、有もまた無

黛玉はあれこれ考える余裕もなく、仙姑に付いて多くの場所を回ります。「痴情司」「運命司」「朝啼司」「暮哭司」などがあり、黛玉は尋ねます。「これはどういう所でしょうか。入って見てもよろしいでしょうか?」 警幻は「見なくてもよろしいでしょう。天機が漏れると困りますから。それより、後殿で『紅楼夢』を見ていただきましょう。姉妹たちも皆待っていますわ」。

黛玉は警幻に付いて後殿に着きました。見れば、玉を連ねた簾、刺繍した緞帳、彫刻を施した梁、庭には仙花や珍しい草花が芳しく香っています。ため息をついて、「本当に素敵なところ!」 警幻が「絳珠妹妹が来ましたよ。早くお迎えして! 毎日心に掛けていたのでしょう!」と呼ぶと、多くの仙女が迎えに出てきました。黛玉を引っ張り合って、こちらでは「毎日あなたを待っていたのよ。どうして今になっていらっしゃったの?」、あちらでは「妹妹は痩せたわね。私たち、あなたに素敵な酒宴を用意しておいたのよ」と非常に賑やかです。 警幻は人に命じて『芳群髄』を持ってこさせ、また、『千紅一窟』という名のお茶と、『万艶同杯』という名の酒を出させます。

宴会の間、警幻は新作の『紅楼夢』の舞を演じさせます。まず、二人の将軍が登場し、大厦を運んできます。その大厦は祥雲の中で次第に大門を開け、一群の仙女が一人の若者を伴って出てきました。龍が雲中を舞うようにゆっくりと舞い、軽やかに歌います。やがて仙女たちは四散し、若者と仙女たちは遊び戯れます。すると、二人の将軍がまた出てきて、仙女たちから若者を奪い取り、大厦に持ち上げようとします。若者が驚いて、「妹妹助けて、助けて!」と叫ぶと、一羽の鳳凰が飛んできて、仙女に変身して大厦に乗ります。他の仙女達はまた遊び戯れますが、突然雷鳴が響き、大厦が傾くと、鳳凰が変じた仙女はぐったり倒れて命を落とします。仙女たちは四方に逃げ、ある者は中山の狼に追われて林の中で自尽し、ある者は船に乗って遠方に行き、ある者は古寺に入って出家修行します。ある者は夫に離縁され、実家に帰る途中で病死し、ある者は農家で糸を紡ぎ、ある者は青楼で歌を売ります。一人の仙女と若者は結婚した後、貧に窮して病死し、別の一人は琴を鳴らして物乞いし、若者の懐で亡くなります。一人は鳳冠を戴いてすぐに、官途に就いた息子が亡くなります。一人は涙尽きて逝去し、若者は彼女の位牌を抱いて悲しみます。その若者は大厦が傾き崩れるのを見て、慌ただしく女性たちの間を奔走し、手を貸そうとしますが、力になることができません。仙女たちは皆、死なんばかりに泣き入り、彼も痛哭します。その後、彼らの怒りは一筋の青い煙となり、仙女たちの死体を巻き込んで何度か旋回すると、彼女たちはみな灰燼に帰し、蝶のように青い煙と共に飛び去ります。残るのは大雪のように真っ白い大地のみ。この時、もの悲しい歌が聞こえてきました。

官になる者も家は没落し、富貴となる者も金銀は尽く散ずる。恩ある者も九死に一生を得、無情なる者は報いを知る。命を失いし者の命は既に遷り、涙を失いし者の涙は既に尽きる。互いに恨みを報い合い、分離集合は全て前世の定め。短命を知りたき者が前世を問えば、老いての富貴ももっけの幸運。看破した者は空門に入り、痴に迷う者は命を粗末にする。餌尽きて鳥が林に帰るように、残るはすっからかんの大地のみ。

黛玉はこれを見てぞっとし、涙が止まりません。警幻が「妹妹は悲しくなりましたか?」と尋ねると、黛玉は頷きます。警幻は「早く苦海を抜け出して、侍者が正道に至るのを助け、仕官の学問に励み、孔孟周公の教えに従うようになれば、寧栄二公の御依頼にも沿い、妹妹をここに呼んだ甲斐もあるというものです」。 黛玉は心中いぶかしく思って「私は独りぼっちの弱い女に過ぎません。どうして何とか侍者を正道に戻す助けなどできましょう!」 警幻はまた「痴を悟らないために、こうなったのですよ! まあ、いいでしょう。妹妹もせっかく来たのだし、気散じにあちこち遊びに行っていらっしゃい。神瑛侍者ももう来ていますよ」。 黛玉は頷いて承知し、姉妹たちと散歩に出かけるのでした。

一方の宝玉は、あの日、妙玉のところから帰ると、気怠くなって、机の上に突っ伏して居眠りをしました。恍惚の中で、前方に梅林が大雪の中で見え隠れしており、ほのかな香りが漂ってきます。今はもう春の終わりなのに、どうしてここは氷や雪の世界で、梅が咲いているんだろう? そう思って、うつむくと、自分が狐の皮の衣服を着て、赤い猩々皮の笠をかぶり、オーバーを羽織っていることに気がつきます。この世界は下界とは違うようだ。林に入っていくと、色鮮やかな紅梅が馥郁とした香りを漂わせています。宝玉は声を上げて褒め、「美しい! こんな大雪で、他の花はみんな縮こまっているのに、これだけは清らかに芳香を放っているんだね」。

宝玉が独り言を言っていると、梅の茂みから一人の仙女が現れ、彼の近くに来て、笑って尋ねます。「花を御覧になっているんですか?」 宝玉が驚いて見ると、その仙女は高潔で艶っぽく、雪を帯びたこの梅の花のようです。よくよく見ると、何と別人にあらず、妙玉でした。宝玉は喜びを隠せず、笑って「何と姐姐もこちらにいらっしゃったのですか。私はこの花が好きです。正に花の中の傑物ですよ!」 妙玉はしばしの間、恥ずかしさで顔を赤くして、「侍者は本当に梅の知己なのですね!」 宝玉は「ここは本当に宝の地ですね。せっかく来たのですから、ここで楽しいことをしませんか?」 妙玉は笑って「結構ですね。何をなさるのです?」 宝玉は「私が姐姐のために『梅花三弄』の曲を吹きますので、姐姐はそれに合わせて歌舞をしていただくというのはいかがです?」 妙玉は「私は仏門に入って以来、歌舞をすることがありませんでしたが、今日は本来の姿に帰って、歌い、舞うとしましょう。待っていらして。玉笛を取ってきますから!」

見ると、彼女は近くの洞府(仙人の住む洞穴)に歩いて行き、その洞府の上には『梅花仙窟』の四字が大書してあります。宝玉は心中はっとするものがあって、彼女が玉笛を持ってきて渡された時に、笑って尋ねます。「姐姐が『梅花仙窟』から出てきたということは、姐姐は梅花仙姑なのではありませんか?」 妙玉は彼を見て笑います。

宝玉はその玉笛をじっくり吟味すると、緻密で羊油のように艶があるので、嬉しくなりました。試しに音を出してみると、まろやかで潤いがあり、耳に心地よく、徐々に吹き始めます。妙玉は笛の音に合わせて舞い始めます。彼女が降りしきる大雪の中に一人立ち、天に頭を向けた姿は、まるで梅花が雪や霜に負けず、蕾を含んで一斉に咲きこぼれたかのようです。それから軽快に舞い、歌い始めます。腕を振り払ったかと思えば回転し、風に吹かれたように立ったかと思えば、水の流れに任せるように踊ります。宝玉は陶酔し、舞が終わると笛を置いて賛嘆してやみません。

少し疲れたので、二人は梅林をそぞろ歩きます。見れば、梅花の紅白は疎になり密になり、気高く美しく、花びらに雪片を乗せて、更に風格を増し、見る人に俗を忘れさせます。宝玉は称賛してやみません。妙玉は冷笑して「あなたは自分の家の梅花だけが美しいとでも思っていませんか? これは瑶池(西王母の住む地)から移したものです。普通の梅では及びもつきませんのよ。それでは、梅の花びらの上の露を採って茶を入れるとしましょう」。 宝玉は喜びに絶えず、「素晴らしい、素晴らしい! そんなふうに入れたお茶こそ本当の銘茶ですね!」 妙玉は彼が踊り上がって喜ぶのを見ると、笑って「衣服も髷も乱れていますよ。今日は寒いですから、きつくしてさし上げますわ」と言って、宝玉の笠をきつく絞め、髷を結い直してあげます。

宝玉が「好姐姐、私に梅花を一枝挿してください!」と頼むと、妙玉は笑って「いい加減にして。私は挿しませんよ」。 宝玉は「でしたら、私が姐姐に挿しましょう」と言って、艶やかな花を手折って妙玉の鬢の角に挿しました。妙玉は玉盤(玉で飾って作った皿)を二枚取って、一枚を宝玉に渡し、二人は梅の花びらの雪を採り始めます。

一陣の北風がかすめ、玉盤の中に梅の花びらを散らすと、白の中に赤が透け、ますます鮮やかさを増します。宝玉は思わず笑って「これを煎じたお茶は、きっと格別の味わいでしょうね」。 妙玉は「芙蓉の上の清露と、竹葉の上の積雪、それ以外にこの清らかさに及ぶものはありませんわ」。

二人がしばらく採ってから洞府に戻ると、数人の仙女と小環が迎えに出てきて言います。「姐姐、お帰りなさい。警幻姐姐が人を寄越して、絳珠、牡丹、海棠たちを迎えに行きますから、姐姐と侍者は先に休んでいて下さい、とおっしゃっていました」。 宝玉は絳珠や諸花が来ると聞いて嬉しくなり、「美味しいお茶を煎じて、絳珠や諸花が来たら一緒に飲みましょう!」と言うと、妙玉も喜んで、水を用意してお茶を煮出します。

ほどなく警幻がやってきて、二人を見ると笑って、「お二人はここでお茶を飲むのですか? 私は絳珠、牡丹、海棠の諸花をこちらにお招きして、『千紅一窟』と『万艶同杯』を飲むつもりでしたが、姉妹たちは瑶台に遊びに行きたいとしつこいのですよ。やむなく、彼女たちを送っていき、絳珠だけをお迎えして来ました。あなた方二人は既にこちらでお茶を煎じていたのですね。一花だけでも精髄(エキス)がたっぷり入った一杯ですね」と言って、妙玉に宝玉へお茶を出させます。また、妙玉に対して、「あなたの心は乱れていますから、ここで侍者の恩に報い、誠意を尽くしなさい。それでこそ、あなた方二人が塵界で出会った甲斐もあるというものです」。 宝玉はどうしていいのか分からず、やむなく妙玉から受け取ったお茶を一口飲むと、思わず賞賛し、「いい香り! 正に花の精英(エッセンス)ですね!」 警幻は笑って「この花は素晴らしくても、最後は泥にまみれて汚れてしまうのですよ。お二人がこうして飲んで、その味を知ってもらい、侍者に悟っていただけるなら、仙梅の茶にもその価値があったというものです。お茶を煎じることで、二人の意淫の思いは断ち切れました。これからはそれぞれの道を行くのです! 富貴温柔の夢は長くはないのですよ!」 宝玉と妙玉は呆然として、「はい」と答えるしかありませんでした。

警幻は、二人がお茶を飲み終えたのを見て、妙玉に「あなたもようやく帰ってきたのですから、ここで姉妹たちと遊びなさい。私は侍者を連れて出かけてきますから」と言って、宝玉を連れ出すと、向こうから多くの仙女たちがやって来ました。警幻は宝玉に笑いかけて、「絳珠が来ましたので、一緒に遊びに行ってらっしゃい」。 見れば、大勢の仙女が一人の仙女を取り囲んでおり、宝玉がまじまじと眺めると、どうも林黛玉のように見えます。 そこで、「林妹妹!」と叫ぶと、当の黛玉はびっくりして足を止めました。宝玉は「なんだ、妹妹もここに来ていたのか。私のこと探したでしょう!」 仙女たちは笑って「やっぱり侍者は多情なのですね。とうとう追いかけてきましたわ。絳珠はさっきも泣いていたんですよ、私たち、ずいぶん慰めてやっと落ち着いたんですから。どうぞ絳珠を連れて遊んでいらっしゃい!」と言って散じてしまい、警幻もその場を去りました。

宝玉がやっと黛玉の前に来ると、黛玉は、宝釵と宝玉が茶を摘んでいたことなどすっかり忘れて言います。「どうしてあなたまでいらしたの? 私は先ほど観た舞戯がとても怖かったので、気散じに遊びに行こうと思っていたのよ。あなたが来てくれてちょうどよかった。一緒に遊びにいきましょう!」 宝玉は「妙師父も来ていて、先ほど一緒に、梅林で花びらの上の雪を採ってお茶を入れて飲んだんだよ。向こうは冬だったのに、どうしてこちらは夏になってしまったんだろう?」 黛玉は「ここは俗界と違って、春夏秋冬の情景が全て備わっているのよ。妙師父が来ているのなら、あとで会いに行きましょうよ」。 宝玉は「そうだね。でも、まずは遊びに行こう」と言って、二人はぶらぶらと歩き始めました。

見れば、前方の林のあたりに小川があり、明るく澄んだ水がとうとうと流れています。水中の小石は色鮮やかで可愛らしく、宝玉が「私、足を洗うから、妹妹に小石を拾ってあげるよ」と言うと、黛玉も「私も頭を洗いたいわ」と言うので、宝玉は黛玉と一緒に小川に下り、宝玉は足を、黛玉は頭を洗います。林には小鳥が楽しそうに飛び、梢で休んだり、互いにさえずり合っています。小川のほとりには藍・赤・紫・白・黄色の野花が頭上に美しい露を戴いて揺れ、二人を招いているかのようです。日の光が顔や衣服に注ぎ、彼らの影を水中に映しています。

宝玉は黛玉が頭を洗うのを手伝い、一緒に小石を拾い、岸に上がると石を選んで腰掛けます。黛玉は日の光で髪を乾かします。しばらくして、宝玉は黛玉の髷を丸めて結び、小川のほとりから花を摘んできて鬢の上に挿してあげます。「水に映して御覧、花を挿したらますます綺麗になったよ」。 黛玉は水に映してみて思わず微笑みます。

前方を見ると、遠くないところに瑶池があります。池には蓮の花が波を受けてポツンと立っており、光り輝く赤い宝石のようで、すっくと伸びた緑の葉が波間に漂い、スカートを翻して『蓮花の舞』を舞っているかのようです。黛玉は思わず口ずさみます。「只愁舞衣寒易落、此花端合在瑶池(舞衣のような蓮の葉が寒さで落ち易くなったのを憂いる。この花は正に瑶池に在るべきものである)」。 宝玉は笑って「陸亀蒙(りくきもう・唐の詩人)の詩と、姜白石(南宋の詞人・姜夔(きょうき))の詞を一つに合わせたのは、格別の趣きがあるね。見て、あの柳の岸辺に船があるよ。船を漕いで蓮の花を採りに行こうよ」。 黛玉もうなずき、二人は柳の岸辺にやってきます。

見れば、その船は大きなレンコンで作られていました。宝玉は黛玉を助けて船に乗り、とも綱を解いて艪(ろ)で漕ぎ始めます。黛玉は、蓮の花が玉斗(玉で作ったひしゃく)のように池の中に立っているのを見て、とても可愛いと思い、蓮の実を採って剥いて食べ、さらに何粒かを剥いて宝玉の口に差し出します。宝玉は噛みしめながら称賛して、「さっぱりして実に美味しいね。妹妹、もう少し剥いてよ」。

水面は静かで他の船はありません。宝・黛の二人は、何にも縛られず、まるでこの池や青波、蓮の花が全て自分たちのもののような感覚に襲われます。黛玉の姿が青緑の鏡の上に映り、まるで仙女が池で水浴びをしているようです。宝玉が艪を軽く揺らすと、水面には魚鱗に似た小さな波紋が立ちます。船が蓮の花が密集している場所まで来ると、多くの水鳥が驚いて飛び立ち、鳴きながら天空を旋回するのでした。黛玉は嘆息止まず、「ここは本当にいいところね! 私に幸あれば、いずれ青い煙になって、この花の間を巡ることができたらどんなに素敵でしょう!」 宝玉は笑って「妹妹は蓮の花の仙女だもの。煙にならなくたって、きっとこの花の受け持ちになれるさ」。

二人が談笑していると、にわかに木々の合間から暗雲が立ち籠め、青空が真っ暗に変わり、大風が起きて次第に荒れ狂い、雨が降り出して次第に強くなりました。宝玉は、慌てて蓮の葉の下に船を寄せます。しばらくすると風が止みますが、雨は降り止みません。蓮の葉は傘のように彼らを覆い隠し、雨音が古琴の旋律のように響きます。宝玉は大きな蓮の葉を何枚か採り、簡素な蓑を作って黛玉に着せ、「怖かった? 雨がひどく降ってきたね」と聞くと、黛玉はかぶりを振って、「怖くないわ。ただ少し寒いだけ」。 そこで、宝玉は黛玉の左腕の葉を取って自分の体に掛け、二人寄り添って手と手を握り、笠の上の雨音に耳を澄ませると、正に瑶池に流れる美しき仙楽(仙界で奏でる音楽)です。宝玉は片手を黛玉の肩に載せ、微笑して言います。「まだ寒い? 私、服を脱いであなたに掛けてあげるよ」。黛玉はかぶりを振って、「もう寒くないわ」と答えます。宝玉は「妹妹は青い煙になりたいんでしょう? その時には私も灰になり、煙になって、一緒にこの蓮の池に漂ってこれたら素敵じゃない?」 黛玉は「そうね。本当に煙になった時には、煩悩も何もなくなっているんでしょうね」。 宝玉もこれを聞いて笑い出すのでした。

その時、雨はあがっていました。蓮の葉は真珠を載せた碧玉の皿のようで、清々しさがあります。黛玉は深く息を吸って、「とてもさわやかな空気ね! いつもこの気を吸えたら、病気だってなくなってしまうわ! でも、少し長居してしまったわね。警幻姐姐が探しに来るんじゃないかしら。雨も止んだことだし、行ってみましょうよ」。 宝玉は「妹妹はここが気に入っているんだし、もう少し遊ぼうよ」。

池のあちら側が、青く輝く小川に続いているのを見て、宝玉は船を漕いで行きます。小川の両岸にはシダレヤナギが並び、緑色の水は鏡のようです。宝玉は柳の陰に船を止めると、懐から笛を出して吹き始め、黛玉は笛の音に合わせて歌います。木の上では小鳥が舞い、さえずっています。二人がこうして自由を謳歌していると、突然、警幻がレンコンの船に乗って、急いで追ってきました。「早く船を戻して。前はもう迷津ですよ。行ったら抜け出せなくなりますよ!」

宝玉と黛玉がびっくりして前を見ると、確かに前方の水は黒々としており、おおぜいの赤髪の水鬼が水の中から湧き出てきて、黛玉を水中に引き込もうとします。黛玉は懸命に「宝玉さん、助けて! 助けて!」と叫びますが、水鬼に引きずり込まれてしまいます。この時、妙玉も駆けつけますが、警幻は彼女を制止して「早く止まりなさい!」と怒鳴ります。 宝玉は妙玉をチラリと見ますが、構わずに「林妹妹!」と叫んで水に飛び込み、妙玉も一声叫んで、同じく水に飛び込みます。


さて、黛玉が熟睡した後、紫鵑と雪雁はベッドの側に控え、時々布団を直していましたが、突然彼女が叫び声をあげ、夢の中でうなされていることを知って、急いで呼びかけます。「お嬢様、目を覚まして! 早く目を覚まして! 私たちはここにいますよ!」

黛玉は次第に目を開け、ようやく目を覚ましました。夢の中の光景は既に大半を忘れていました。横になったまま、夢の中のぼんやりとした情景を思い出そうとして、半日も起きようとしませんでした。黛玉は思います。もし、本当にあんなに明るく澄みきった蓮池があって、私と宝玉さんが身を寄せることができればいいのに。あそこで灰となり、煙となりたいものだわ。

次の日、宝玉に会いますが、黛玉はただ見つめて笑うだけで話をしませんでした。逆に、宝玉は「昨日、宝姐姐が花や葉を摘んでお茶を作りたいと言って、一緒に蘅蕪苑の山上で摘んだんだけど、とても面白かったよ。今日は妹妹と一緒に摘んで、お茶を作って飲もうよ!」と言って黛玉を誘うのでした。

黛玉は彼をしばらく睨んでから、彼の額を指でつつき、頷いて笑います。二人は籠を持って山に茶を摘みに行きました。

彼らが茶を摘んで帰り、紅香圃に来ると、湘雲、宝釵、探春、李紋、李綺と侍女たちがブランコをしていました。彼らが籠を持ってきたのを見ると、みな笑って手招きして呼びます。

探春は「あなた方を呼びに行かせたら、外に遊びに行ったと言われて、影も形も見えないんですもの」。 宝玉は「昨日、お茶を作るのに、宝姐姐と蘅蕪苑で花と葉を摘んだんだけど、とても面白かったので、今日は林妹妹と一緒に行ったんだ。あんたたちも行きたいのなら、明日みんなで行かないかい?」 湘雲は身をねじりながら、「あなたは宝姐姐、林姐姐と一人ずつ行ってきたんだから、明日は私一人を連れて行くべきですわ!」と言うと、探春と李綺は、「宝のお兄様が一人一人連れていくのは大変よ。やっぱりみんな一緒に行きましょうよ。そのほうが賑やかよ」。 一同も「そのほうが面白いわね」。

宝釵は黛玉に言います。「林妹妹、早くブランコで遊びましょう。私たちも漕ぎ疲れたわ!」 見れば、彼女たちは汗が滲み、ハンカチで顔を扇いでいる者もいます。宝玉は笑って、「楽しく遊んでたんだね。私たちは来るのが遅くなってしまったので、代わりにみんなを天高くまで押してさしあげますよ」。 一同は「私たちは疲れちゃったので、しばらくは林姐姐を押してくださいな!」 宝玉は「いいよ」と答え、黛玉に手を貸して、ブランコに乗せてやります。

黛玉が「私、しばらくブランコに乗らなかったから怖いわ!」と言うと、宝釵と探春は「大丈夫よ。私たちも最初は少し怖かったけど、しばらく漕いだら馴れちゃったわ」。 湘雲は「私が手助けをするわ」と言い、宝釵も「私も手伝うわ」と言って、また、黛玉に「しゃんと立って、両手で縄をしっかり持つのよ。ゆっくりと力を入れていけば、だんだん高く上がれるわ」。 探春は「あなたは漕ぐだけでいいのよ。怖がることはないわ。私たち、みんなで支えるから!」 黛玉は宝釵、探春、湘雲らに助けられてブランコに乗り、みんなでそっと押します。黛玉は縄をしっかり握り、ゆっくりと力を使うと、次第に体が燕のように軽く感じ、だんだん高く漕いでいきます。

湘雲は手を叩いて叫びます。「みんな見て! 林姐姐のこの様子、まるで月宮に奔る嫦娥みたいよ!」 宝釵が「しばらくは邪魔をしないで漕がせてあげましょうよ」と言うと、宝玉は「みんなは疲れているんだから大丈夫だよ。私が見ているから」。 探春は「気をつけてね」と言って、また、侍女たちを周りに立たせます。

黛玉は漕いでいるうちに、身が軽くなって空中を舞っているように感じ、楽しくなりました。しばらく漕ぐと疲れを覚えたので、次第にブランコをゆっくりとさせて止め、侍女たちは急いで彼女を支えます。宝玉も「気をつけて、滑らないようにね!」と言って、黛玉を下ろしました。黛玉は汗を滲ませながら微笑んで「熱いわ」と言うので、侍書が湿ったハンカチを持ってきます。黛玉は汗を拭きながら、「久しぶりでブランコを漕いだわ。南にいた時は、一人で漕いでも面白くなかったけど、今日はとても楽しかったわ!」 湘雲は笑って「私も家で、翠縷と一緒にブランコをするけど、しばらくやると疲れてしまうの。今日は今までで一番長く漕いだわ!」 一同は談笑しながらそれぞれの部屋に戻りました。後の事をお知りになりたければ、次回をお聞き下さい。


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