意訳「曹周本」


第90回
蘅蕪君、巧みに打馬図を作り、蕉下客、偶に賢郎君に遇う

さて、探春は、趙氏に騒がれて非常に面白くありませんでした。ふと、宝釵が出て行って以来会っていないことを思い出し、金桂がまたも実家に帰ってしまったことを聞いていたので、宝玉と黛玉を誘って会いに行こうと思い立ちました。そこで、侍書に「叔母様のところへ行ってくるわ。珍の奥様が昨日、四妹妹にと玩具を持ってきたんだけど、妹妹が欲しがらないんじゃないかと思って、ここに置いていったの。ちょっと届けてちょうだい。私たちは叔母様の家に行ったから、妹妹も遊びにいらっしゃいって伝えてね」と指示してから、瀟湘館に黛玉を誘いに行きます。黛玉も宝釵に会いたいと思っていたので、一緒に怡紅院にやってきました。

この時、宝玉は絵を描いていました。探春が「お上手ですね。花鳥画を極めたからには、私が以前いただいた扇子は手元に留めておかれるべきでしたね」と言うと、黛玉は冷笑して「ここ数日姿が見えないと思ったら、壁に向かっていた(=「座禅をしていた」と同意)んですね!」。 宝玉はぷっと笑って「何を言っているんだい。壁に向かっていたって、修行をしていたって構わないじゃないか。あなたが竹画を描いたから、私は花鳥画を描いていたんだよ」。 探春は「今日は絵はもう終わりですよ、叔母様や宝姐姐に会いに行くんですから! 宝姐姐だってそうそう来られないんですもの、私たちが行かなければ疎遠になってしまうわ」。 黛玉は「香菱さんは病気なんだもの、会いに行かなくちゃいけないわ」。 宝玉は筆を置いて、「二ヶ月に茶摘みをした時にはすぐに行くって言ったのに、今日までぐずぐずしちゃったね」と言って、急いで支度をし、三人一緒に薛未亡人のところにやってきました。

薛未亡人は見るなり大変喜んで、家の中に向かって声を上げました。「宝ちゃん、早く出ておいで。誰が来たのか見てごらん!」 宝釵は部屋で切り紙をしていたのでしたが、宝玉、黛玉、探春らの声を聞くと、ハサミを放り出して迎えに出てきました。片手で黛玉、もう片手で探春の手を取り、「中へどうぞ。遠いところをいらっしゃい。今日は暑いから、二人はまだいいとしても、林ちゃんは疲れたでしょう」。

鶯児らが水を汲んできたので、黛玉と探春は手を洗い、お茶を飲みながら「叔母様はお元気でしたか? 宝姐姐はまたしばらく来られなかったのですね」と言うと、宝釵は「兄嫁が今は滅多に家におらず、帰ってきてもまたすぐにいなくなってしまう有様なのよ。お陰ですっかり静かになって、香菱の病気も良くなっているみたいなの。なのに母は溜息ばかりついて、家運が悪いばっかりにあんな兄嫁を娶ってしまったって嘆いているの。毎日念仏を唱えて菩薩様の加護を求めては、これからは良くなるかもしれないねって言うもんだから、私はこう言ったのよ。もっと早く念仏を唱えていれば、もっとよい兄嫁が来てくれたかもしれないのにって」と言ったので、みんなが笑いました。

香菱は黛玉、探春が来たと聞くと、無理を押して出てきました。黛玉、探春は彼女を座らせて「あなたに会いに来たのよ。今日はどんな具合なの?」と尋ねると、香菱は「いくらか良いようです、気にかけていただいてすみません。でも、この病気は起きたり伏せったりで、しばらくは治らないんじゃないかしら」。 宝玉が「よく養生して、くよくよしないこと。治らないなんてことはないさ。少し元気になったら襲人姐姐と話にしに来るといいよ」と言うと、探春も「日も長くなったから、一日中部屋の中にいてもくさくさするだけよ。叔母様と姐姐も一緒にいらっしゃったらいいんですわ」。 薛未亡人は「行こうと思っていたのよ。先日は琴ちゃんが兄さんと家を出たでしょう。片付けをしていたら兄嫁は出て行くし、秋菱は病気になるしで、出かけるどころではなかったのよ。今日はみんなが揃って来てくれたことだし、楽しく過ごしましょうね!」

そこへ「四のお嬢様がいらっしゃいました」との声。一同は笑って「今日はみんな揃って来たというわけね」。 惜春は入ってくるなり、「暑いわね! さっき侍書が来て、みんなで出かけたと言うから私も来ましたわ」と言って、手を洗って扇子で扇ぎます。

宝釵は「四妹妹、こっちが涼しいわよ」と言って、彼女を窓辺に座らせます。宝玉は「せっかく四妹妹まで来たんだし、何して遊ぶか相談しようよ」。 薛未亡人は笑って「そうね。駆けつけたばかりの四妹妹もなにかおっしゃいなさいよ!」 惜春も笑って「分かりませんよ。時間があるなら妙玉さんと碁でも打ちたいところですわ」と言うと、宝釵はハッとして、「みんなで打馬をするのはいかが?」 探春は「二人で打ったって他の人たちは白けちゃうんじゃなくって?」

宝釵は「しばらく前に李易安(李清照)の『打馬図賦』を読んで、打馬の面白さを知ったのよ。暇だったから自分で打馬の図を作ってみたの。二人でも、四人でも、六人でも打てるのよ。私たちは五人に母を加えれば六人、香菱を裁決、司令にすれば、六人で一緒に打馬をすることができますわ」。 薛未亡人は笑って「よしてよ、あんたたち六人で打ちなさい。私に覚えられるものですか!」

【補注】打馬
宋代に流行したサイコロとすごろく風の競技盤を使うゲームで、賭博に用いられた。宋の詞人・李清照が「打馬図」を著したため、おおまかなルールが知られている。

宝釵は「簡単だから大丈夫よ」と言って、新しくこしらえた六角形の図盤と各色の馬の駒を鶯児に持ってこさせます。並べながら、「一人が十二匹の馬をもち、反対側の終止線を目指します。平地を行く時は三匹の馬で一斉に進むことができ、山や川に当たったらストップよ。川は二匹、山は一匹ずつしか進めません。相手の馬があるところは進めずに迂回しなければなりません。持ち駒の十二匹の馬が全て平地、川、山を越えたら勝ちです。ビリの方は罰を受けてもらいます。詩を作るとか、なぞなぞを言うとか、笑い話をするとか、一曲歌うとか、どれでもいいですわ」。 宝玉は「おもしろい、やってみようよ」。薛未亡人は「やっぱり香菱が打ちなさい。私は見ていますから」と言うので、宝釵は「分かりました。お母様は計算を手伝ってくださいね」。

六人は腰掛けて打馬を始めました。黛玉、探春の馬はたちまち平地を駆け抜けて山と川を越えましたが、宝玉は惜春、香菱の馬にぶつかって進むことができません。早くも脱落気味となったので、足をばたつかせ、「馬よ、馬、どうしてさっさと走らない。鞭を打ってやろうか」と言うので、薛未亡人は口をすぼめて笑います。

黛玉が冷静に見たところ、宝玉の連環馬は別の道をバラバラに進んで隙間から入り込めば、手っ取り早く山と川を越えて平地まで来れるのですが、宝玉はどうも気づいていません。ヒントを与えようとしていると、探春の馬に先を越され、黛玉は焦ったものの二着に落ち、宝釵が三着。惜春、香菱の馬がそろって角を曲がった時は、宝玉の馬は既にだいぶ遅れていてビリになりました。

探春が「どんな罰にしますの?」と言うと、宝玉は「罰を受けるの? ちょっと考えさせて」と言ってから「じゃあ笑い話をしましょうか?」。 薛未亡人がまず笑って「聞かせてもらいましょう」。

宝玉は二回咳払いをし、「昔、とある田舎紳士がおり、人々の前では慈悲深いふりをして、いつも念仏を唱え、毎月一日と十五日には精進料理を食べていました。友人が一日に彼を招いたところ、紳士は『今日は用があるので日を改めていただきたい』と答えたので、友人は十五日に再び招きました。田舎紳士ははぐらかすこともできず、『私は生涯慈悲深き人間として、お釈迦様を信仰し、一と十五の両日は精進料理を食しています。お招きいただけるのであれば精進を御用意いただけないだろうか?』と言うと、その友人は『家内は精進も上手なんですよ。うちで是非うまい精進料理を味わってください』と答えました。ところが、テーブルいっぱいに鶏肉を模した料理が並んでいるのを見た紳士は、口中によだれをためながらも、怒って言いました。 『貴兄はどうして私の意に反して生臭料理を用意したのです?』 友人は『生臭料理なんてありません。麩と大根で作ったものですから、どうぞお食べください』」と言いますが、紳士はきっぱりと『精進料理を食べると申した以上、鶏肉を模した料理も食べるわけにはいかない』と言って箸をつけません。主人は慌てて、自分が食べるつもりだった中国ハムの餡入りの肉餅で、表面を麩で巻いて油で揚げ、素餅(餡の入っていない餅)のように見えるものを見つけ、紳士の前に差し出して言いました。『貴兄がこの鶏肉を模した精進料理を食べていただけないのであれば、こちらの餅をおあがりください』」。 紳士が一個つまんで口に入れるを見て、友人は罵られるのではと汗が吹き出しますが、彼はペロリと五個も食べました。友人はようやく安堵して『味はいかがです?』と尋ねると、田舎紳士はこう答えました。『いやはや奥方は料理がお上手だ。素餅をこんなに美味しく作れるのであれば、あらためて何斤かの麩を持ってきてまた作っていただこう』」。一同は笑い出しました。


そこへ玉釧児がやってきて、「奥様が三のお嬢様にお越し頂くようにとのことです」と言いました。一同は、家政のことだろうと思って気にもしません。探春は立ち上がってあいさつをし、王夫人のところへ向かいました。

王夫人は顔中に涙の痕があり、探春を見ると、かたわらに引き寄せて、「座って私の話をよくお聞き。今日初めてあんたに言うけれど、東海の国王が私たちの国に縁談を求めに来て、陛下は各王侯大臣に年頃の女性がいればリストにして報告するようにと申され、私どもも当然報告したのよ。今日は画像を描いて宮廷に送るの。でもね、王侯大臣の娘ってとても多いんだもの、選ばれるわけはないわ。あんたはただ気を強く持って時を待ち、お寺に行って香を焚き、東海国に行かなくて済むように菩薩様の加護を求めておくれ。あんたが惜しくないわけがないんだから」と言って涙が止まりません。

探春はこれを聞くと、涙を流して言葉もありません。絵が描き終わると、鳳姐、李紈とともに秋爽斎に戻りました。

鳳姐は慰めながら「百の中から一つが選ばれるんだもの。当たるわけがないわ! 気楽にしていればいいのよ」。 探春は一同から慰められても言葉もありません。夜は侍書が付き添い、着替えもしませんでした。

探春は知らせを聞いて非常に辛い気持ちでした。夜が更けて冷静に考えてみると、栄寧二府は勇名とどろくこと既に百年余りですが、なにせ子孫はできが悪く、見る間に傾いて倒れようとしており、自分がどうなるかも分からない有様です。昭君娘娘(王昭君)は才気ある非凡な女性でしたが、請われて異民族に嫁ぎ、二国の和睦に尽力し、後世に名声を残しました。東海国だって不毛の地というわけではないでしょう。多少なり苦労をしたところで政治の手助けができればよい。女だからとめそめそして、父母や兄弟姉妹たちの心を悩ませるのもつまらない! 自分はいつもどうしてきたの? どうして気持ちを決めないの? こう考えると心が楽になり、ついに考えを決めました。もし選ばれれば東方に行こう! 悲しいのは、東海国は千里の彼方にあり、父母、兄弟姉妹との骨肉の情は断ちがたい。気がかりなのは、国王の才徳や性格はどうであろう? 気持ちが落ち着いたので、次第に眠りに落ちていきました。何やらぼんやりとして、まるでもう東海国に着いて王妃になったかのようです。国王は英邁で、探春を敬愛してくれます。探春は協力して政治にあたり、東海国を治め、民は安らかに暮らし、国王、王妃を二聖と呼んでいます。ある日、探春は国王と郊外で遊んでいると、侍臣が報告に来ました。遠方に海賊一味が現れて、我が国の領土を奪おうとしているとのこと。国王は親征するものの、海島で身動きが取れません。探春は陛下に上書して助けを求め、賢き陛下は援兵を派遣し、海賊を追払って国王を救いました。両国は更に友好を深め、探春は国王の許しを得て里帰りを果たしますが、帰省してみると賈母、賈政、王夫人らは既に亡く、探春は号泣します。悲痛の際で誰かの呼ぶ声が聞こえ、はっと目を覚ますと、侍書が傍らにおりました。

侍書は探春が目覚めたのを見て、急いで尋ねます。「お嬢様はどんな夢を見たのです? ずいぶん泣いていましたよ」。 探春は大きくため息をつき、「どうやら心ここになかったわ」。 侍書は「お嬢様、ご安心を。もしも東方に行く時には私もお供いたします。死ぬまでご一緒しますわ」。 探春は侍書の手を取って、「あんたがそんな気性の子だったとはね。私の気持ちは今決まったわ。もし、その国王が思った通りの良い方なら、二人で行きましょう! あちらでは功績を立てることができるかもしれないし、こちらで不平不満を聞いたり、栄華を誇ったこの家が日一日と傾いていく様を見て辛い思いをすることもなくわるわ」。 侍書は笑い出して「それでこそお嬢様ですわ」。 探春は嘆息して「これも仕方のないことね。あんな辺境の地に行きたがる人なんて誰もいないもの。でもその時がくれば、自分ではどうすることもできない。ただ、御隠居様、奥様、宝玉さん、姉妹たちと別れるのが辛いの。一人孤独の身であちらに行って、賢明な君主であればいいけど、もし無能な暴君だったら将来どうなるんでしょう? 生きるも死ぬも私たち次第よ」。 侍書も嘆息して慰め、「暴君なんてあり得ませんわ! お嬢様の才知でその方が英主となるのを補佐できれば、無上の喜びではありませんか。あんな辺境の地のどこにお嬢様みたいな抜きん出た人がおりましょう。心配することはありませんわ」。 探春は頷いて「あんたの話どおりになったらいいわね」。 二人はしばらく話し合ってからやっと横になりました。

探春は数日間悲観したのちに、ようやく気持ちが落ち着き、いつ都を離れる日が来ないとも限らないので、この数日のうちに宏仁寺に参拝し、都中の景勝地を見てみようと思いました。

次の日、王夫人に報告に行き、「宏仁寺に参拝に行きたいのですが」と言うと、王夫人はすぐに承諾して「参拝は実に結構だよ! 行ったら菩薩様の前でよくお祈りするんだよ。宏仁寺の仏様は霊験あらたかだと聞くから、あんたの加護をお願いして、あの辺境の地に行くことがなければいいんだからね」。 探春ははいと答えます。

王夫人は宏仁寺に知らせを送り、次の日早く、探春は華蓋車に乗り、後方に侍書と翠墨が乗った輿がつき、太液池(歴代王朝の宮殿にあった池)西南の宏仁寺にやってきました。黄色の敷き瓦に緑の石畳、斎館(宿坊)は壮麗、白石が池の上に置かれ、三本の橋がそそり立ちます。探春は橋の上からしばし眺めてから、喜宝殿に通されて白檀の仏像を拝観します。御仏は霊験あらたかで知られ、都中の王公諸侯から市井の人々まで連日寄付に訪れ、福を祈願しています。

探春は仏前で祈祷を終え、しばらく見て回ってから、池の北にある天王殿東楼上に登り、遼、金、元三代の宮殿がある瓊花島、広寒殿、梳粧楼の古跡を見ようと思いました。

瓊花島は太液池の中にあり、金代に名づけられました。梳粧楼はその山頂にあり、遼の皇后が化粧や身支度をした場所で、遼・金・元代には宮殿がありました。承光殿の北から島まで続く梁には文様磚(模様が描かれたレンガ)と敷き石が続き、今では崩れかけているものの「雲石」と「広寒殿宇」の字が刻まれています。探春は思わず頷いて嘆息します。遼の太后はまさに女の中の英傑だわ。梳粧楼は既に遺物となったけど、今なお墨客(書画を描く人)や詩人を惹きつけるとは。しばらく仰ぎ見てから、探春は興を起こして『高陽台』の詞を作り、寺院内に人がいないのを見て、思わず口ずさみました。

閬苑風微、瑶池柳映、紅墻古井清湾。
(閬苑(仙人の住む地)に風そよぎ、瑶池(仙界の天池)に柳映え、赤壁古井は清かに曲がる)
旧日松槐、曾系宝馬香鞍。
(過日の松槐は曽て宝馬香鞍に連なりし)
雪茅舞罷脂痕冷、簇雕輪、氷凍霜寒。
(雪茅舞いて脂痕冷やかに、彫車(花模様を刻んだ車)群れて、氷霜寒し)
奮雄威、縦騁驊騮、飲馬辺関。
(威を振るい、もし驊騮(かりゅう/周の穆王が用いた名馬)馳せれば、辺関に飲馬す)
空懐往昔風烟、問瓊花島畔、幾人留連?
(空しく懐く往事の風煙、瓊花島畔に問えば、去り難きは幾人ぞ?)
白塔依依,流葩尽付頽垣。
(白塔偲びて、流花尽く頽垣(崩れた塀)に付す)
多情応算昭女,莫笑伊、紅粉朱顔。
(多情にして昭君を推量すべし、笑う勿れ、紅粉の朱顔を)
動乾坤、千里春風、錦繡江山。
(乾坤動き、春風千里、麗しき山河)

探春は何気なく吟じたのでしたが、寺院の外の太液池の畔にいた若き公子に聞かれていたのでした。彼は非常に驚き、かくも男を圧倒するような女性が世にいたとは思いもよらず、その顔を見たくなって、わざと寺院内の木の上にいた鳥を射ました。探春は欄干に持たれていたのですが、欄外に伸びた腕に射た鳥が落ちてきて、手にしていた檀香の古扇に当たりました。

侍書は周囲を見て大声で、「誰なの? どういうつもりかしら、鳥を射たいなら射ればいいでしょうに、わざわざうちのお嬢様の扇子に落とすなんて。さっさと拾って持っていきなさいよ!」 探春は「あんたと翠墨で下楼に拾いに行きなさい。ほかの人に面倒をかけることはないわ」。

侍書が階段を降りようとすると、一人の若君が、小沙弥の制止を振り切って寺院に入ってきて、階下で一礼して言いました。「姐姐、声を上げないでください。その鳥を射たのは私です。皆様がここにいらっしゃるとは知らずに、あなたのお嬢様の扇子に落としてしまい、大変な粗相をいたしました」。

探春がこの人物をよく見れば、頭には銀糸嵌宝の束髪冠をかぶり、両袖と襴(らん/裾につけた横布)のある蟒玉の錦袍(錦で作った上衣)を羽織り、白緞刺繍の朝靴を履き、顔は朱を塗ったよう、目は秋水のよう、白い歯に赤い唇、眉間に英気が宿り、左手に弓、右手に矢を持ち、まさに英俊な人柄がうかがえます。その礼儀正しさに、探春は恥ずかしさに顔を赤くしつつも、階段を下りて返礼をします。 「ここにいる私共など若様には存じぬこと、悪いことなどありましょうか! 今ほどは侍女が失礼を申し上げ、どうかお許しくださいませ」。

若君が探春を見ると、眉目秀麗で風雅な姿態、上品な言葉遣いに落ち着いた物腰。また、彼女が詠んだ『高陽台』を聞いて敬意と好意を抱きました。そこで頷いて尋ねます。 「先ほどどなたかが『高陽台』の詞を詠まれ、遼の王妃と王昭君を称えているのを外で聞き、まことに見識のある女性とお見受けしました。どなたが詠まれたのでしょうか?」 探春は恥ずかしそうに笑い、「先ほど遼の王妃の梳粧楼を拝見して感じるところがあり、女性でも功業を立てることができるのだと思い、思わず『高陽台』の詞を詠んだのです。若様に聞かれていたとは眙(ち)笑(見て笑うという意味か?)を免れませんわ」。 若君は「お嬢様は国家安康の大望をお持ちのうえ、詩才も兼ね備えておられ、敬服いたします。『眙笑』の二字を使われることからして感服いたしました」。

探春は恥ずかしくなり、侍書の手からさっき鳥が当たった扇子を取って顔を覆います。それを見た若君はびっくりして尋ねました。「お嬢様のその扇子は徐熙(五代十国時代の南唐の画家)の描いたものではありませんか?」 探春は顔を真っ赤にして「確かに南唐の徐熙の描いたものです」と答えると、若君は「この扇子はどちらから手に入れられましたか?」 探春は「兄からいただいたもので、兄は北静王様からいただきました。なんでも東方の国王様が北静王様に贈られたものと聞いております」。 若君は手を額に当てて嘆息し、「これは私の物でした。北静王様は風流な方でしたので、貴国に参ってからお贈りしたのです。まさか巡り巡ってお嬢様の手に渡っていたとは。わざわざ朝見に参ったのも無駄ではなかったのですね」。

探春はようやく目の前の優雅で英俊な若君が東方の国王であることを知り、尋ねて「この扇子が若君のものとのことで、若君が東方の君主様であることが分かりました。どちらの国なのですか?」と尋ねると、その国王は答えて「辺鄙な小国に過ぎませんが、東海国と申します。民は浙江省の華裔(華橋の子孫)で、私も華裔であり、名を李瑞と申し、祖籍は安徽省にあります。私は幼いころから中華の詩礼を学び、騎射を習い、中華の人々を敬愛し、才徳兼備な中華の女性を妃に娶りたいと思っておりました。お嬢様の名は何とおっしゃい、どちらの邸の方なのですか?」 探春はやむを得ず、扇子で真っ赤になった顔を隠して答えます。「姓は賈、名は探春と申し、栄国公・賈源の曾孫です。父の賈政は現在、工部侍部を務めております」。東海王は「私が本日、わずかな供と出て参ったのは、まさに意にかなう尊敬できる女性を探し出すためでしたが、図らずも、長い間待ち望んだ意中の人に会うことができました。お嬢様には東国にお出でいただいて、私の治政をお助けいただけないでしょうか?」 探春は恥ずかしさにうつむいて、「既に自画像は提出いたしました。最初は私も父母兄妹と離れたくないと泣きましたが、後にはこう考えました。王昭君は非凡な女性で、自ら匈奴に嫁いで両国の和睦を成し遂げ、匈奴の民を教育しました。今では蒙古の陰山一帯には王昭君の塚が二十余りもあり、あちらの民にいかに敬愛されていたかが分かります。女の身である私には、大業を成すことはできないと思っていました。賢王が私を望まれるのであれば参ります。ただ、君主となって朝三暮四のふるまいをする者も多く、今後、手の平を返されるようでは父母から遠く離れた地で死んでも死に切れきれません」。

李瑞はこれを聞いて急ぎひざまずき、「信じていただけなければ、私は天に誓いを立てましょう。天地の神々よ、私・李瑞は賈探春と永遠に心を一つにし、白髪になるまで離れまいぞ。もし中途にして見捨てることがあれば、天の戒めを受け、体と首が離れても構わない!」 

探春は恥ずかしさのあまり、急いで彼を助け起こして言いました。「かくも重き言葉をいただき、真心を示された以上、貴方様に付いていかないわけにはまいりませんわ」。 李瑞がなおも安心できずに「約定をいただきたい」と言うと、探春は「賢王以外の方のところには参りません。どうぞ御安心を」と言って扇子を差し出し、「この扇子は元は賢王の物です。物は持ち主に帰るのが道理ですから、賢王にお返しいたしましょう」。 東海王は「この扇子はお嬢様に約束の品としてお贈りしましょう。お嬢様も何か身につけているものを私にいただけませんでしょう。私は日々これを見てお嬢様を思うようにいたします」と言うので、探春は緑の玉佩を外し、両手で李瑞に差し出して言いました。 「宝扇を賜ったからには、扇子に詩詞を一つお願いできませんでしょうか?」

東海王は、探春が自分の詩才を試していることを知ると、急いで外の従者から筆と墨を受取り、両手を背後にまわして花を愛でるふりをしながら熟考し、『高陽台』の詞を一つ詠むと、筆を取ってすらすらと書き上げ、両手で探春に差し出しました。 「海の人間ゆえ学才浅く、お嬢様には忌憚なく教えをいただければ幸いです」。

探春は受け取って笑い、「賢王は謙遜が過ぎます」と言って、仔細に見ると、扇子の上には行書でこう書かれていました。

鳳館垂虹、瑶台簇玉、南風吹緑芳叢。
(鳳館に虹が垂れ、瑶台の一群の玉、南風は緑の繁花に吹く)
大液吹香、曾游玉苑飛龍。
(太液に香を吹き、かつて玉苑に飛龍遊びし)
盈盈粉面紅粧女、対彩雲、手射帰鴻。
(澄みたる粉面紅粧の人、彩雲に向かい、帰鴻(北へ帰る雁)を射る)
越関山、月冷沙場、日照長空。
(関山を越え、月は砂漠に寂しく、日は長空を照らす)
当年巾帼依猶在、喜昭君駐節、属意情濃。
(当代の婦人は今尚居り、昭君の滞在を喜びて、心情深し)
塞外琵琶、声声尽説相逢。
(塞外の琵琶、声音尽きて相見えんと申す)
文成独歩高原雪、厭京華、不縛鯤鵬。
(文成(吐蕃に嫁いだ唐の王女)は高原の雪を独歩す。都を厭い、鯤鵬(こんぽう/伝説中の大魚と大鳥)は縛れず)
看今朝、別有朱顔、別様心胸。
(今朝看れば、別の赤顔あり、別の胸中あり)

見終えた探春は、彼の才色兼備ぶりに驚き、扇子を納めて「こうして心は一つになりました。自分たちで決めることはできませんが、もしも私が別の者に嫁ぐことになれば、死を持って賢王との今日の出会いに報いましょう」。 李瑞は笑って「御安心ください。戻ったら銀子を投じて便宜を図ります。貴女の自画像はすでに私のところにあるのですから。本日お会いして、まさに天の配剤だと感じました」。 探春はうなずいて嘆息し、「そういうことでしたら安心しました。事が決まりましたら、迎娶の礼(結婚式)はいつ行われるのですか?」 東海王は「これは人生の一大事で軽率なことはできませんので、多くの手続きが必要になります。恩典による許可が得られましたら、私は国に戻って準備を進め、来年の春に迎えに参るということでいかがでしょうか?」 探春は「そういうことで、私も帰るとします。賢王にはどうぞご自愛ください。今日の約束をお忘れなきよう。来年の春、東の風が吹きましたら、また相見えましょう!」と言ってにっこりと笑いました。

李瑞は探春と離れ難く、さらに何か言おうとしましたが、探春ははしたなく見られるのを恐れ、侍書、翠墨を従えて宏仁寺を出ました。

東海王は彼女を見送った後もしばらく眺めていました。また、探春が先ほど立っていた場所をしばらく歩き、彼女に贈られた玉佩を手の上で転がしてから愛おしく懐に入れ、侍従らを連れて騎乗して去りました。

一方の探春は車中にて、胸がドキドキと乱れるのが分かりました。赤くなった顔を撫でながら思いました。思いがけずこんな奇遇があるとは、天の定めなのだわ! 脳裏には東海王・李瑞の優雅で英俊な姿を思い浮かべるのでした。後の事をお知りになりたければ、次回をお聞き下さい。


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