湘蓮は座らず、しばらく部屋を見回して感慨にふけり、「なんと清幽な所だろう。蓬莱仙島には及ばずとも、四方を山水に囲まれ、竹林深く、花々は刺繍の如く、桃源郷にも引けを取らないな。世俗を離れ、のどかな生活を手に入れたんだね。でも、今はどうして暮らしているんだい?」 宝玉は「絵を描いたり、凧を作ったり、歌本を書いて、売った金で酒を買い、家族みんなで粥をすすっているけど、まあ、のんびりとやっているよ。官界で毒気に当たるよりずっといいね」と答える一方で、鴛鴦の消息を尋ねます。湘蓮は一つ一つ答え、最後に、「彼女は苦労を厭わず、貧困も耐えてくれる。今は酒を売っているんだ。君たちに会いたがっていたけど、旅費にも限りがあるし、商売も手を離せないからね。いつか必ず来るから待っていてくれ!」 宝玉は頷いて、「そういう気丈な子だからこそ、君とは正に似合いの夫婦だよ」。 湘蓮は「ただ、時運が悪く、結婚してすぐに困窮してしまった。運命に弄ばれているのかもしれないな!」 二人はしばらくため息をつきます。
宝玉はさらに甄宝玉に向かって、「貴兄の屋敷まで差押えになるとは思いませんでした。正に『主君に仕えるのは虎に仕えるようなもの(伴君如伴虎)』ですね! 貴兄は次の郷試は受験するつもりですか?」 甄宝玉は首を振って、「賢弟には隠し立てしませんが、もうどうでもよくなりました。可笑しいことに、昔、私は夢で『太虚幻境』とやらに行き、目が覚めたら科挙に及第したいと思うようになりました。今、家を不幸が襲い、ようやく悟るところがありました。及第して官吏になったところで、変事があれば一門揃って終わりなのです。ですので、特に賢弟に教えを請いに来たというわけです」。 宝玉は彼を引き寄せてため息をつき、「貴兄が悟られたのであれば、その上何も申しますまい。では、一緒に酒を飲むとしましょう!」
甄宝玉は、「そう急かさず、貴方の描いた絵を拝見させてください」と言って、宝玉が描いた『残蓮鴎鷺図』を手に取りました。しばらく吟味してから、「八大山人・朱耷(しゅとう/清代の画家)の書画に似ていますね。筆墨は洗練され、形だけ真似たものでもなく、俗気を脱した意図を備え、見る者に解釈を委ね、実に新鮮味がありますね」と言うと、宝玉は頭を振ってため息をつき、「何も目新しいもんですか。私が八大山人を好きというだけです。彼の花鳥画は徐渭(じょい/明代の文人)に、山水画は董其昌(とうきしょう/明代の文人)に似ています。枯れた筆墨で描けば、荒涼たる寂しさが備わり、今の私の心境に合うのです。残蓮を並べれば絵が力強くなり、清秀で俗気の抜けた雰囲気が備わります。貧乏に負けていられないというだけのことです」。 甄宝玉は筆を取り、絵の右上の隅に詩を一首書きました。
残蓮節不堕、鴎鷺楽沙洲(残蓮の節は堕ちず、鴎鷺は沙洲に楽しむ)
君看池辺柳、揺枝自可愁(君が看る池辺の柳、揺枝は自ら愁うべし)。
一同は一斉に喝采し、「すばらしい! 末句が特に引き立つね」。
一同はしばらく褒めそやし、傍らに『梅雪図』があるのを見ると、集まって鑑賞します。梅花は素朴で枝は力強く、雪が積もった梢は天を向いて伸び、花は雪の中に点々と透け出ています。抑圧されながらも生気に満ち、白く美しく、強い意志を感じます。
柳湘蓮は笑って、「筆入りは鋭く、堂々として飾り気がなく、独自の情緒を備え、霜雪に負けぬ寒梅の境地を描き出しているね」と言うと、筆を取って左上の空白部に二句書きました。
満庭積雪圧不住、風逓暗香出墻頭。(庭に満つる積雪に圧(へ)されず、風が逓(おく)る暗香は墻頭(しょうとう=塀の上)より出づ)
一同はみな、「確かに。この詩のとおり、私たちも暗香(どこからともなく漂いくる香り)を嗅いだかのようだね」。
みんなでしばらく議論したのち、宝玉は焙茗を呼び、町に売りに行くように言います。焙茗はそれを見ると嬉しそうに、「町に行く必要はありませんよ。近所で魚や肉に換えられますから」。 宝玉は意味が分からず、「どういうことだい?」と尋ねると、焙茗は笑って、「二の若様はご存知ないでしょうが、近くに住むとある旦那が二の若様を敬愛しておられましてね。いつぞや、私が絵を売りに行く時に声をかけられ、その絵をしばらく吟味されてから、買いたいが、あいにく持ち合わせがなくて払えない、としばらく溜息をついてから、きっと金を貯めて二の若様の絵を二枚購入するから、とおっしゃったんです。もう日が経ってお金も貯まったでしょうから、これから訪ねてきますよ」。 宝玉は、「そういうことならお金なんか要らないよ。くれてあげればいいじゃないか」。 焙茗は、「だったら私たちは何を食べるんです? 二の若様は口出ししないでください。適当な額で売って、柴や食料に換えてきますから」。 宝玉は、「こんなに多くの客人が来てくれたんだ。売ったらその足で肉と酒を買って来ておくれ!」 湘蓮は、「なんでも桂湖楼の歌と演奏は素晴らしいそうじゃないか。みんなでモクセイを愛で(注:中秋節の風習)に行き、酒を飲んで演奏を聴くっていうのはどうだい?」 一同はみな、「面白い! みんなで行こう! こちらにはまた改めてお邪魔するとしよう」。
そして四人は一緒に山を下り、一路桂湖楼に向かいました。上等の席を選んで座ると、スタッフが急いでお茶を運んできました。
この時、藕官と蕊官たちは戯文(南方系の楽曲を用いた古典戯曲)を歌い、倪二が傍らで三弦を弾いていました。宝玉はとても安堵し、やはり良縁であったと思うのでした。やがて、芳官も登場して歌うのを見るとびっくりし、どうしてこの子がここにいるのだろうと思い、歌い終わると宝玉は待ちきれずに、前へ出て声をかけました。
芳官は、宝玉が歌と演奏を聴きに来ているとは思いもよらず、まず驚きましたが、それが宝玉だと分かるとどっと涙がこぼれました。急いで進み出て尋ねます。「二の若様ですか? お屋敷が押収され、二の若様は獄につながれ、出て来られた後は宗学で雑務をされているとお聞きしていましたが、お元気でしたか? 二の奥様は坊ちゃんをお産みになられたのでしょうか」。 宝玉は、「もう宗学にはいないんだ、追い出されちゃってね。その後、北静王様の援助で西山に草廬を作っていただき、暇なときは凧を作ったり、絵を売ったりしてなんとかやっているよ」。 また、宝釵の出産のことを話しました。
芳官はこれを聞くと、様々な思いが交錯して嘆息やまず、「若様と奥様は幸せに暮らしているものとばかり思っており、そんなことになっているとは思いもよりませんでした。早くに存じていれば、お見舞いに伺うべきでしたわ」。
宝玉は芳官に尋ねます。「どうしてここにいるんだい? 妙師父と一緒に牟尼院に住んでいたんじゃないのかい?」 芳官は溜息をつき、「一言では申し上げられません。二の若様は、私と妙師父が騙されて売られたことを御存知ないのですね?」と言って、賈環、賈芹、趙氏に妙玉と自分が売られたことを一とおり話し、最後に、「幸い、藕官、蕊官、倪二のお兄様に助けられ、私と妙師父はここに参ったんです」。
宝玉はこれを聞くとびっくりし、慌てて尋ねます。「妙師父もここで歌を歌って暮らしているのかい?」 芳官は、「妙師父は二の若様がいらっしゃったことを存じませんから、私が呼んで参りましょう。御自身から二の若様にお話していただきますわ」と言って立ち去りました。
続いて、藕官、蕊官、倪二が化粧も落とさずにやってきました。それぞれが喜んで宝玉を引き寄せ、しげしげと眺めて、「少しお痩せになったようですが、御器量と風采は昔のままですね」と言って、宝玉と学友達を内堂に招き、倪二がお茶を運んできます。
藕官は、「二の若様のお屋敷が変事に遭われたと聞き、私たちも心配しておりました。倪二さんに二度探りに行ってもらったんですが、火災のあとは散り散りになって見つけられませんでした。その後、二の若様が西山に登られたと聞き、私たち姉妹も会いに行きたいと思っていましたが、この茶館を離れるわけにはいきませんでした。一日でも歌を休むことを茶館の主人が許してくれませんので。本当に申し訳ありませんでした」。 宝玉は、「仕方ないさ。あんたたちが気に掛けてくれていたことが分かっただけで十分だよ」。
そうして話していると、芳官が妙玉と共にやって来ました。芳官は、「妙師父はこれまでお客様には会おうとしませんでしたが、二の若様がいらっしゃったと聞くとすぐにお出でくださいましたわ」。
妙玉は宝玉を見ると口元を震わせ、うなだれて目の縁を赤くしました。宝玉は急いでこれを迎え、あいさつします。「姐姐が還俗されてこちらにいらっしゃったとは。この世の移り変わりは誰も予見できませんね。姐姐は今、どのように暮らしていらっしゃるのです?」 妙玉は溜息をついて、「仏門に幸なく、このような災いに見舞われ、私は生きることを望まず死ぬこともできませんでしたが、幸い姉妹たちに助けられ、ここで歌本を書いて暮らしています」。 宝玉は、「なるほど、桂湖楼の歌本は素晴らしいと聞いていましたが、姐姐が書かれたものでしたか。求める人もますます増えていると聞いています。我が家は家産没収にあって困窮し、今、私も暇ですので、人に学問を教えたり、話を聞かせたりしており、たまに歌本も書いています。今後、姐姐に教えを請いたいのですが」。 妙玉は、「既に書かれたものがあるのでしたら持参いただいて、ここで歌ってもらえばお金になりましょう。私も学ばせていただきますわ」。 宝玉は喜んで、「それは有り難い。姐姐がお嫌でなければ、持参して教えを請うことにします」。
芳官は、「二の若様は御存知ないでしょうが、妙師父が歌本を書いて詞をつける時、節回しを入れて歌うこともあるんですが、私たちよりもずっと上手なんですよ」。 宝玉は笑って、「そりゃいいや、妙師父は悟りを開いた人だから、一度学べば出来るんだろうし、いずれ機会があれば、姐姐の節回しを聴かせていただきたいな」。 妙玉は嘆息して、「私は歌詞を作るために節回しを学んでいるだけです。今度いらっしゃった時に歌って差し上げますわ」。 宝玉はとても喜びますが、また、往時のことを思い返すと辛くなり、思わず長嘆するのでした。
柳湘蓮は芝居が好きなので、妙玉が新しい歌本を書いたと聞くと、芳官、藕官たちに新作を歌ってくれるように頼みます。妙玉もその気になり、「でしたら、『玉簪記』を歌ってもらいましょう! これは数種の本を元に改編したものです」。 一同は喝采します。
そして、倪二が弦を弾き、藕官が潘必正(はんひっせい)、芳官が陳妙常、蕊官が老尼を担当し、三人が代わるがわる情を込めて歌いました。一同は口を揃えて絶賛します。
柳湘蓮は彼女たちの歌を聞くと興奮して立ち上がり、「私は元々芝居が好きなんです。倪二の兄貴に琴を弾いていただき、私と芳官姐姐で 『金釵記』を歌わせてもらってもよろしいでしょうか?」 一同は手を叩いて快哉を叫びます。
芳官は柳湘蓮をじっと眺めて、尋ねました。「柳の若様でいらっしゃいますか? 若様は大変に歌がお上手と聞いておりました。今日こうして拝聴させていただけるとは大変有り難いことです」。 湘蓮は笑って、「姐姐も謙遜なさらずに。私は姐姐の歌を聴いたからこそ、お笑いぐさにやらせていただき、姐姐のお教えを請いたいと思ったまでですから」。
そして、倪二が弦を弾き始めます。湘蓮も芝居は久々でしたが、そこは昔取った杵柄、上機嫌で歌い上げました。
歌い終えると、一同は口々に喝采しました。湘蓮は頭を振って、「ずいぶん歌っていないのですっかり鈍ってしまいました。一時でも慰めになったのであればよろしいのですが」。 宝玉は妙玉に向かって、「姐姐は不測の事態に遭い、これを乗り越えて、今は歌本を書いて暮らしておられます。姐姐の高尚な人格とその度量に対し、詩を一首お贈りしたいのですが、よろしいでしょうか?」 妙玉は、「私は以前とは比べものになりません。お詠みになりたいのでしたら御自由にどうぞ」。 宝玉はちょっと考えて詠みました。
傲笑風塵外、凌霄揖太清。(傲笑せし風塵の外、霄(そら)を凌ぎ太清(=天)に揖(ゆう=拱手)す)
妲娥明皓歯、萼緑撫瑶筝。(姮娥(こうが=月の女神)は明眸皓歯(めいぼうこうし=澄んだ瞳と白い歯/美女の形容)にして、萼緑(がくりょく=仙女)は瑶筝(ようきん=玉の飾りを加えた琴)を撫でる)
堪嘆螻蟻客、安知大士情。(嘆ずるに堪えんや螻蟻(ろうぎ=取るに足らない)たる客、安んぞ大士の情を知らんや)
寰宇遭此劫、高蹈耻賢明。(寰宇(かんう=天下)にて此の劫に遭い、高踏にして賢明を恥ず)
妙玉はふうっと息を吐き、うなずいて嘆息しました。甄宝玉が「貴方の詩はなんとも風流ですね。私も、妙玉さんに詩をお贈りしたいのですが、御笑納いただけますか?」と言うと、妙玉はむっとして立ち去ろうとします。宝玉は慌てて、「いいじゃありませんか。ここにいるのは当世の名士ばかり。姐姐の気概と境遇に感じ入り、詩を詠んで姐姐の不平を代弁するに過ぎません。どうか聞いてあげましょうよ」と言ったので、妙玉もようやく腰を下ろしました。甄宝玉は、妙玉が俯いて何も言わないのを見て、このように詠みました。
孤潔高標卓不群、瑶池仙品絶無倫。(孤潔高標(=孤独で純血)たるは卓として群れず(=非常に優れ)、瑶池の仙品絶えて倫(たぐい)無し)
巨雷一響驚金闕、堕落紅塵又幾春。(巨雷響いて金闕(きんけつ=宮中の門)を驚かせ、紅塵に堕落して又幾春ぞ)
一同はみな頷いて、「実に面白い。妙玉さんは正に降臨した仙女ですし、確かに称賛されるべきですね」。
柳湘蓮は、「妙玉さんの不憫な身の上には感じるところがあり、私からも詩を一首贈らせてください」。 一同が「どうぞ聞かせてください」と言うと、湘蓮はこう詠みました。
蓬莱玉女潔如仙、佛事潜心結善縁。(蓬莱の玉女は仙の如く潔く、仏事を心に潜みて善縁を結ぶ)
早暁菩提難結果,何為枉却美嬋娟。(早暁(そうぎょう)の菩提は難しき結果、何為(なんす)れぞ美しき嬋娟(せんけん=月)を枉却(おうきゃく)せん)
一同はみな、溜息が止まりません。宝玉は馮紫英を見て、「みな詠んだんだから、君もどうだい?」と言うと、馮紫英は笑って、「私は詩は得意ではありませんが、妙玉さんの境遇には感じるところがありますので、何とか一首詠んでみましょう! 妙玉さんには御笑納いただけますでしょうか?」 妙玉はうつむいて答えません。馮紫英は詠みます。
雷音生玉樹、緑叶尽成林。(雷音は玉樹を生み、緑葉は尽く林と成れり)
堪笑蚍蝣輩、安知大士心。(堪笑(かんしょう)せし蚍蝣(ひゆう=羽アリとカゲロウ)の輩、安んぞ大士の心を知らんや)
一同は、「いいね。誰が詩が苦手だって? 実にいい詩じゃないか」。
妙玉は、一同が揃って自分を称賛する詩を詠むので、いささか恥ずかしくなり、返礼の詩を詠もうと思い、顔を赤らめて言いました。「私はそもそも大俗人でしたが、今や世俗にまみれ、この賤業を生業としています。皆様からの御配慮に対して何も報いることはできませんが、返礼として二首を詠ませていただきます」。 一同は「お嬢様にお教えを請いたいと思います。どうぞお詠みください!」と述べ、妙玉はうつむいてちょっと考えてから、こう詠みました。
闊別紅塵安望還,佛門欲上耐登攀。(闊別(かつべつ=別れて久しい)せし紅塵(=俗世)安んぞ望みて還らん、仏門欲し上りて登攀に耐えん)
弾筝不解狂飈怒,識曲難分羽津寒。(弾筝(だんそう)は狂颷(ひょう)の怒りを解らず、曲を識りて分かち難き羽津(?)の寒)
越鳥何心栖北樹,楚蝉着意朝南山。(越鳥は何の心ぞ北樹に棲み、楚蝉は着意して南山に朝す)
誠知此恨無究際,説与君家意未闌。(誠に知らんや此の恨み無究の際、説きて君家の意未だ闌(た)けん)
傲世不群二十年,菩提招我達西天。(傲世(ごうせい)に群れず二十年、菩提は我を招き西天に達す)
来途夢遠浮烟水,去寺舟軽泣画船。(来途の夢遠く煙水に浮かび、寺去りて舟軽く画船に泣く)
隔雨窺楼心自冷,穿簾望月意難圓。(雨を隔て楼を窺(うかが)いて心自ら冷たく、簾を穿ち月を望み意は円かなり難し)
淖泥出浴承相問,玉潔冰清已枉然。(淖泥(とうでい)出浴し承り相問うも、玉潔氷清(玉のように清らかで氷のように曇りがない)は已に枉然(おうぜん:無駄)たり。
詠み終えて涙を流しました。一同はみな嗚咽し嘆息し、「妙玉さんは詩才にも優れ、実に敬服いたします。愚鈍な我々に悟りを開かせていただき、今後も勉強させていただきたいと思います」。 宝玉は、「姐姐の仕事は、皇帝陛下の大業には及ばずとも、立派な生業の一つです。姐姐は正に女性の魁首として広く称賛されるべきです」と言い、一同はしばし褒め称え、また、芳官、藕官たちの暮らしぶりを尋ねてから辞して出ました。
これより一人が十人、十人が百人へと伝わり、次第に妙玉の詩才は京華中に知られるようになりました。茶楼、酒店、戯園はこぞって妙玉の歌本を求め、市中の人々も競って求めるようになりました。多くの名士や貴人が妙玉に詩を求め、妙玉もこれに応えました。気分が乗った時は歌を歌うこともありました。
妙玉は当初は生計を立てるすべがなく、やむなく女の子たちに歌本を書いていたのですが、詩人としての名声がこれほど大きくなるとは思いもせず、心中では悲喜交々でした。思えば、幼くして仏門に入り、日々修行していたものの、俗界に堕ちて楽籍(罪人の親族)に名を連ね、もう清浄な身ではいられないのだ! 早くにこうなることを知っていれば、最初から出家などすべきではなかったし、いわれもなく心に背くこともなかっただろうに。
これより、宝玉が歌本を持ってくると、妙玉は拍子を取って歌ってみせ、宝玉はこれを聞きながら修正を加えるといった具合で、大いに意気投合したのでした。
その日、宝玉一行が桂湖楼を出ると、柳湘蓮は宝玉に言いました。「妙玉さんは楽籍に入られたが、私は芝居が好きなので、ますます敬慕するよ」。 宝玉は、「私たちがどれほどの人間だっていうんだい? 妙玉姐姐たちを蔑視なんてできるもんか」。 甄宝玉は、「そうは言っても、世の俗人は、娼優(娼妓や役者)といえば下賎の者だと鼻で笑うのではないでしょうか?」 湘蓮はとても不愉快に感じ、厳しい声で、「とんでもない! 娼優にもずば抜けた人物はいます。李亜仙(唐代)、薛濤(せつとう/唐代)、梁紅玉(宋代)、朝雲(架空の人物)、聶勝瓊(じょうしょうけい/宋代)、李香君(明代)、柳如是(明代)、陳円円(明代)などはそのあたりの輩とは比べものになりませんよ! 楽器、歌や踊りにとどまらず、絵や詩に通じた者も多く、天下の男どもが及びもしないことをやり遂げ、名は楽籍にあっても至高の人たちです。古来より、聖人君子は彼女たちを重く敬い、交遊しようとしたのです。元稹(げんしん/唐代の詩人)と薛濤の関係は美談として伝わっていますし、杜牧、柳耆卿(きけい)、侯方域(いずれも宋の文人)なども彼女たちと親密にしていました。名は楽籍にあっても、我々のような愚かな者たちと比べることはできませんよ」。
宝玉は絶えず頷いて称賛し、「貴方は長年諸国をさすらい、多くの人々を見てきたからこそ、そうした道理を悟られたんだね。本当に私も同じ考えだよ」。 一同はまたしばらく議論してから解散しました。
さて、賈蘭は、このたびの試験では非常に手応えがありました。試験を終えると意気揚々と家に帰り、李紈に話しました。李紈は笑って、「自分ではいいと思っていても、実はそうでもないってこともあるわよ!」
果たして、賈蘭は郷試に第十六位で合格しました。合格を知らせる者がやってくると、李紈は釵やアクセサリーを換金して対応し、心中は喜びでいっぱいでした。賈蘭もますます士気を高め、会試と殿試もきっと受かると自信をもち、毎晩、三更まで勉強しました。
翌年の二月、見る間に会試の日となりました。その日、賈蘭は李紈と別れて試験場に行き、報国寺西廊の第三室に寓居しました。二月九日に第一試験、十二日に第二試験があり、二十六日の発表で賈蘭は第二十八位で合格しました。三月二十日の殿試では、礼部儀制司員外郎がまず名前を読み上げ、賈蘭は右掖(うえき)門から入り、貞度門から太和殿前に進みました。内院官が宮殿前の階下に机を運び、礼部が試験用紙を配布しました。賈蘭が見ると、その題目は予習していたものと似ていたので、すぐに筆を取ってすらすらと書き上げ、確かな手応えを感じました。
三月二十二日の五鼓に入朝し、午門で待機し、太和殿の前に進んで他の進士たちと共に跪き、三唱を聴きました。伝制官が第三位の探花で賈蘭の名を告げると、賈蘭は急ぎ進み出てひざまずきますが、あまりの嬉しさに仙界に登ったかのようでした。順天府知事は、状元、榜眼と賈蘭を室内に迎えて酒をふるまい、順天府での宴が終えると王宮に向かって君恩に感謝しました。二十五日、礼部にて恩栄宴(天子が科挙に合格したものに対して賜る御宴)に臨み、賈蘭と榜眼は同じ卓につき、金碗で御酒を賜り、珍味に酔うのでした。
その時には、賈璉、宝玉たちも知らせを聞いていました。賈璉と平児は手伝いに駆けつけ、李紈に会うなり祝いの言葉を述べ、「やはり兄嫁様には福がありましたね。蘭ちゃんはついにやってくれましたね」。 李紈は涙を流して、「御先祖様のお陰で合格することができました。今後もお二人の導きで立身出世してくれれば、みんなの暮らし向きも良くなるでしょうね」。
宝釵はこのところ、風邪で伏せっていましたが、賈蘭が探花に選出されたと聞くと、賈家にもまだ希望があると思い、とても喜びました。しかし、また思うのでした。宝玉は試験を受けようともしない。その気になってくれれば、あの学力と知識で進士になれないこともないだろうに残念でならない。でも、考えてみれば、宝玉はこのところ、仕官する気はないものの、思うこと、やることは理に叶っている。私たちの一門はあれほど羽振りが良かったのに、全てが一瞬で崩れ去った。天意は違えることができず、人力では挽回できないのだ。宝玉が進士になったとしても、この流れは変わるまい。そう思い至ると少し落ち着きました。そして、元気を出して起き上がり、裏の菜園で野菜や果物を摘み、きれいに洗って、二碗の精進を作り、卵スープをこしらえて宝玉が帰ってくるのを待ちました。
しばらくすると宝玉が戻ってきて、部屋に入るなり空腹を訴えたので、宝釵はすぐに食事の支度をし、彼を座らせて二人で食べました。
宝玉は尋ねます。「焙茗と麝月は? どうしていないんです?」 宝釵は笑って、「どうして忘れてしまったの? 兄嫁様のところに手伝いに行ったじゃありませんか」。 宝玉は思わず吹き出して、「覚えていたのにどうして忘れてしまったのかな。蘭ちゃんが合格したんでしたね!」 宝釵は「あなたも会いに行くべきですよ」。 宝玉は笑って答えず、しばらくしてから、「あんたが病気なんですもの、私がどうして行けましょう?」
卓上には野菜二碗、卵スープ一碗と粗酒一杯が置いてあり、心中嬉しくなり、「姐姐は病気なのに、こんなことをされては安心できませんよ」。 宝釵は笑って、「どうぞ飲んでください。野菜二碗、卵スープ一碗、粗酒一杯がせいぜいですけど」。 宝玉は思わず宝釵を見て笑います。やがて、「蘭ちゃんが探花になったものだから、姐姐はきっと私を責めると思っていましたよ! まさかこう来るとはね!」 宝釵は笑って、「私を見くびってもらっては困りますわ。進士に合格し、祖恩に報いてくれればこれに越したことはありませんが、山林で隠遁するなら、あなたの妻として付いてまいります。貧乏なんて何でもありませんわ」。 宝玉はうなずいてため息をつき、「この数年、私は姐姐のおかげで、貧困の中に真の心を見い出すことができました。『淡極りて始めて花の更に艶なるを知り(淡極始知花更艶)』、かつて、姐姐が詠んだ『白海棠』の詩ですよね? 今ようやくその真意が分かってきましたよ」。 宝釵はこれを聞くとたちまち涙をこぼすのでした。
賈蘭は四月六日、賜った朝服を身に付けて入朝し、謝辞を奏上しました。二十二日に勅命を受け、兵部の主事に任じられました。正に家を挙げて歓喜し、一門の誰もが喜びました。李紈は衣服や装身具を整え、鳳冠を戴き、煌びやかな衣装を纏いました。一家は一ヶ月余りも賑やかでした。
さて、賈蘭はその日、家に帰り、間着を脱いで李紈に挨拶しました。李紈は彼の手を取って、「近頃ずいぶん痩せたみたいだね。きっと頑張って兵書を読んでいるんだろうね。早く休みなさい。明日あんたに相談したいことがあるんだから」。 賈蘭はいぶかしがって、「いったい何事です? 母上、どうぞ言って下さい。気になって眠れませんから」。
李紈はちょっと考えてから、「あんたが役人になったものだから、縁談の申し入れが後を絶たないんだよ。私たちはもともと恵まれた家で育ち、今では没落したけど、やっと足掛かりが出来たわけだね。嫁選びももちろん重要な土台であるわけだよ。今日、仲人婆が来て言うには、宙計(会計を司る府)にいる方の娘で、今年十六歳になるのが器量好しで、気性もとても優しいそうなんだよ。私は探りを入れてみたいと思ったんだけど、あんたは承知してくれるかい?」 賈蘭がこれを聞くと、急いでひざまずき、「私は今年十九歳で、兵科の主事にはなりましたが、まだ何も功を立てておらず、賈家の復興はまだまだ遠い状況です。結婚のことはおっしゃらないでください」。 李紈は笑って、「兵科に配されて勉強熱心なのはいいけど、もう十九歳になるんだし、婚約しておいてもいいんじゃないかい? 私の心配も省けるし、私の側にいてくれる人が一人増えるんだからね」。 賈蘭は承知せず、「母上は常々教えてくれたではないですか。本を読めば黄金の家が手に入り、玉のような美人も手に入る(書中自有黄金屋、書中自有顔如玉)と。私は一心に仕事に邁進するつもりです。妻を娶れば、そちらにも気持ちを向けねばならず、家門を復興できなければ、母上にも、地下の御先祖様にも会わせる顔がありません」。 李紈はこれを聞くと涙を流さずにはいられませんでした。「あんたは本当に立派だよ。頑張って育てた甲斐があったんだね」と言って両手で賈蘭を引き起こし、これより婚姻の事は持ち出しませんでした。
さらに二年が過ぎ、ジュンガル族の度重なる反乱が起き、賈蘭は命を奉じて指揮官を連れて出征しました。彼は年こそ若いものの、兵部の職についてからは兵書を熟読し、兵法を学んできました。兵馬に通じていたため、戦場で功を立て、遊撃の職を授かりました。
賈蘭は年若く血気盛んで、早く功業を立て、家門を復興させんと焦り、敵を軽んずるようになりました。不用意にジュンガル部の策略に陥り、戦場で囲まれて抜け出せず、ついにその身を国に殉じました。
李紈は知らせを聞くとひどく嘆き悲しみ、昏倒しました。李綺、宝釵、平児らも胸を締め付けられる思いでしたが、涙をこらえて慰めに行きました。李紈はあわや自殺するばかりのところを皆に押しとどめられました。みんなが付き添って泣き、李紈を見守りました。十日余りが経つと、李紈も少し落ち着き、一同は徐々に立ち去りました。賈家一族はこれよりたちまち振るわなくなりますが、これは後の話です。この後どうなるのかお知りになりたければ次回をお聞きください。