1. 郁子の母親と音無家の関係について
これは確定とまでは言えませんが、かなり確度の高い資料があります。
8巻の「闇の中の顔」で、郁子のお母さんが音無老人に
『おとうさん、惣一郎ってそんなにすばらしい男だった?』と話す場面があります。
ここで気づくことが2点。
・音無老人を『おとうさん』と呼んでいる
・『惣一郎』と呼び捨てで呼んでいる
私はこれは実の兄弟や親子でないと普通は使わない言葉遣いだと思います。
もっともかなり近い親戚筋など家族同然の付き合いのある家から嫁に来た、
という想定もできなくはないので義理説を完全にまでは否定できませんが・・・
(管理人注:以降は一刻館の平面図に関する御意見のため、「一刻館の構造」に記載しました)
さて、意見や感想を集積してデータベース化しておられるのを拝見し、ご参考になればと思い私なりのいろいろな考察を思いつくままにお送りさせていただきます。
万一何かのご参考となりましたら幸いです。
--------------以下考察です---------------
1. 音無家はどんな家か?
まず
・一刻館の大家である
・桜ヶ丘女子高校の理事である
・昔ながらの旧宅でのんびり生活している
という要素があり、また
・比較的あくせく働かなくても生活が可能な家庭である
・産業系の資産家の雰囲気とはまた異なっている
という状況があり、ここから考察を起こしてみたいと思います。
ここからが私の推測ですが、
音無家は「昔からの大地主」ではないかと思います。
根拠は一刻館オーナー以外に桜ヶ丘女子高の理事であることです。
理事という役職になじみがない方も多いと思いますので説明しますと、営利企業の取締役(すなわち重役)に当たるのが非営利法人の理事です。
営利企業でいう取締役会は非営利法人では理事会と呼ばれ、同じく代表取締役(社長)は理事長と呼ばれます。
(参考までに営利企業で言う「定款」は非営利法人では「寄付行為」といいます)
これが私立の学校法人や医療法人、その他財団法人等の非営利法人の組織形態です。
ということで、早い話が音無老人は桜ヶ丘女子高の重役なのです。
ここで考えたいのが、
『どういう経緯で私立の学校法人の理事をつとめているのか?』
ということです。
一般企業の取締役は大株主の利益代表者など資本主義に則るのが基本ですが、非営利法人の理事の場合は
・設立発起人
(設立に当たり相当額の財産の寄付を行うか有力者であるのが普通)
・学識経験や専門技術などの有識者
・その他運営にあたり特別の貢献を行う者
がつとめるのが一般的です。
音無家がこの中のどれに相当するかと考えてみた場合、
学識経験者や単なる金銭的スポンサーの線は薄く、私の推測としては「桜ヶ丘女子高の設立発起人として創設に当たりキャンパス用地を寄贈もしくは貸与した家系」の可能性が最も高いのではないかと思うのです。
女子高周辺の大地主であるとするなら、
・地代収入があればそれでかなり食べていけるのではないか
・学園の土地のオーナーまたは出資者であるから学園の経営上有力な位置にいるのではないか
・だから教員免許の有無にかかわらず惣一郎さんを講師として送り込むくらい朝飯前だった
と推測することができるのではないかと思います。
2. 一刻館創設の経緯について
建設時期とその構造からしても、もし本当に存在すれば有名な同潤館アパートなどのようにかなり価値のある建築物ということができると思います。
その構造や1の考察からも、最初から単なる下宿屋として建設されたのではなく
(それだけの目的にしてはあまりに凝りすぎています)
個人的には桜ヶ丘女子高の教員や生徒の寮など、当初は学園に関係のある建物として建てられたと考えた方が楽しいと思います。
その後老朽化で学園側としては不要となったため、音無家が引き取り下宿屋に転用されたというストーリーはどうかと思います。
3. 一刻館の時計について
私の考えは痛みすぎて修理できないというのもあるでしょうが、あえて修理していないのだと思います。
理由は極めてシンプルで、時計が再び動き出せばオルゴールが大音響を響かせ、近所迷惑となるからです。
建設当初の時代、山手線以西の都下は雑木林と畑しかありませんでした。
(戦前の新興住宅は中央線の荻窪あたりまででした)
ですから当時は丘の上の教会の鐘のように一刻館のオルゴールが町のシンボルとして周囲に響いていたものと思います。
その後宅地化が進み住宅が密集し、うるさいという苦情や老朽化などもあって
(教会や寺の鐘と違って一民間人の所有物ですし…)
壊れて動かなくなったのを契機にそのまま放置して現在に至る、というストーリーはいかがでしょうか?
とありますが、
日本人メジャーリーガーのイチロー(本名 鈴木一朗)は、名前は一朗だが長男ではなく次男であります(もちろん養子ではない)。
こういうケースもありますので、これだけでは「惣一郎」は次男につける名前ではない、と言う事にならないのでは?
惣一郎さんが次男の場合、郁子の母が音無家に嫁いだことになり、郁子ちゃんの名字は「音無」の可能性が高い。
惣一郎さんが長男の場合、郁子の母は一度音無を出て嫁いだことになり、郁子ちゃんの名字は「音無」以外の可能性が高い。
この問題はここから端を発しています。
写真1
1枚目は表書きです。長い年月が経っているのと、廊下に飾っていたので、傷や汚れがありますが、一刻館の看板としては丁度味が出てよい具合です。
写真2
2枚目は看板の裏側で、スピリッツ編集部と作者の高橋留美子さんの直筆サインがあります。
写真1
グランプリの目玉商品である一刻館の看板です。
玄関を入ったところに建て替えられるまで飾ってありました。
写真2
建物の外観です。竹間荘(ちくまそう)と言い、大家さんの名前がついたアパートです
。
手前がB棟、わかりにくいですが、奥がA棟。L字型に配列されており、2棟をつなぐ形で管理人室,食堂,共同浴室,洗濯室,玄関の入った建物がありました。
居室は4畳半で1面を丁度三等分する形で入口,キッチン,押入れがありました。
写真3
小学館の取材スタッフが、「こんな具合に・・・」と管理人さんと私にポースをつけている様子です。惣一郎役の管理人さんの愛犬ララが、当時皮膚病ですっかりと毛が抜けているところが可愛そうでなりません。
写真4
玄関前で管理人さん、私、犬のララです。私が何とかララを正面に向けようとしているところです。
写真5
取材日は残念ながら雨でした。スタッフのリクエストで管理人さんと相々傘してくださいとのことで照れながら撮影中です。
手持ちはこんなとこです。
後は数ヵ月後になるかと思いますが、スピリッツの掲載ページと数年かかるかもしれませんが、お宝の看板を入手した際にはアップの画像もお送りしたいと思います。
最後に竹間荘住人さんから、以下のコメントをいただいております。
「ドラマをきっかけに、当時の住人やその関係者で音信不通だった人たち何名かに連絡をいただけるようになりました。とても懐かしく新たに交流が始まりました。
オンタイムで連載を楽しみながら、同様の青春時代を過ごした私たちにとって、原作自体ももちろん大切なものですが、それを通じて自分たちの青春が単行本を読み返したり、こうして新たにドラマ化されたりして思い出されることは、とても良い財産となりました。
どんな形にせよ、ひとつの作品にいろんな人達の強い思いがあることは素晴しいことですね。
そんな思いの一片に協力できればいいなぁ、と思っています。」
アパートは川崎市宮前区の「聖マリアンナ医科大学」の裏側、菅生中学校ののグラウンド下にありました。
明治大学と専修大学の学生を中心に社会人も数名住んでおり、コンテスト当時は満室でした。前身がガソリンスタンドの寮で、4畳半の居室が30室、共同風呂に共同トイレ、寮当時使用されていた食堂が談話室や宴会場となっておりました。
各居室が小さな宴会場だったり、マージャン部屋だったりと夜はいろんな娯楽がありました。
当時の管理人さんは動物好きで犬,猫,アヒル,ガチョウなどを飼っており、犬は偶然にも白の毛足の長い犬でしたので、コンテストグランプリの写真は、管理人さんの奥さんと私と飼い犬を挟んだ写真を中心に宴会模様や全景写真などが1ページ掲載されました。
現在はワンルームマンションに変わっています。
取材時の写真は手元にありますが、掲載のスピリッツは実家においてありますので、時間をみて画像を送付したいと思います。
それと大きな宝物である一刻館看板も、これを機会に二代目管理人さんに送っていただくよう交渉しようと思います。
めぞんファンに思い出の一端としての資料にしていただければ幸いです。
IKKI コミックス(小学館)
鉄子の旅 菊池直恵・横見浩彦著
単行本第6巻、69~70P
「第43話 天竜浜名湖鉄道超グルメ旅 !?」
作家さんと編集者さんとの雑談から産まれたようです。
髙橋先生の粋な計らいですね。