A.原作では不明。ファンの間では事故死VS病死説で長らく議論あり。
なお、これまでの議論の詳細は、惣一郎の死因は?を参照してください。
第33話「あれがいい」 |
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A.教員の空きを待ちながら、何もせず家にいたと思われる。
同話で響子さんが「中学か高校の教員の空き募集を待っているようですけど…。せめて非常勤講師の口でもあれば…」と言うのに対し、音無老人が「ほぉ。惣一郎と似たような人生を歩んどるなー、五代くんは」とコメントしていますので、惣一郎さんも同じように教員の空きを待っていたのでしょう。女子校の理事をつとめる音無老人は、惣一郎さんが27歳になった時に、口利きで惣一郎さんを講師に放り込みました(第87話「VS.乙女」)が、惣一郎さんが就職に失敗した時点では、音無老人の力でも適当な職を見つけることは難しかったのでしょう。「家族(わたしたち)の方がおろおろしちゃって」とのセリフがそれを物語っています。
ただし、無職とは「定職に就いていない人」を指しますので、厳密には日雇い労働者も無職に含まれます。惣一郎さんも、五代君のように短期のアルバイトを続けていた可能性もあるわけですが、不良債権の一刻館を平然と抱える音無家は相当裕福な家と見受けられますので、「全然悩んでなかった」惣一郎さんは無理に日銭を稼ぐ必要はなかったのでしょう。
第100話「桜迷路」 |
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A.響子さんと結婚したあとも講師を続けていたのかも。
A.惣一郎が亡くなる数年前ではないかと思われる。
遺影の写真を仮に60~70歳の時としましょう(さすがに50代は無理があるので)。
惣一郎さんは(1980年に)30歳で亡くなりましたから、まず「この直前まで母が生きていた」と仮定すると、30~40歳で惣一郎さんを産んだことになります。次に「郁子が(1968年に)生まれる直前まで生きていた」と仮定すると、48~58歳で惣一郎さんを産んだことになり、これは不自然です。
つまり、郁子ちゃんの母が結婚した時(郁子ちゃんが生まれた時も)は、惣一郎さんの母は存命であった可能性が高く、「惣一郎さんが亡くなる数年前に母が他界した」と考えることができます(→音無郁子の謎を参照してください)。
第76話「闇の中の顔」 |
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A.いったんは就職して寿退社したのかも。
響子さんが高校3年生の時、惣一郎さんは講師として赴任しました。惣一郎さんは響子さんの初恋の人(第20話「影を背負いて」)ですが、第一印象は「おとなしい先生ねー」でした(第87話「VS.乙女」)ので一目惚れではありません。しかし、第20話「影を背負いて」で響子さんが背中に傘を隠して惣一郎さんに近づいた時、惣一郎さんが「きみ3組の人でしたね」と言っていることから、初対面から間もなく、何かがあって恋に落ちたことが分かります。
しかし、夏服の響子さんが惣一郎さんのワイシャツの背中にハート型の絵の具をつけようとして失敗しています(第87話「VS.乙女」)ので、衣替えになる6月までは惣一郎さんに気持ちを伝えられていないようです。7月に響子さんが送った暑中見舞のハガキで(第52話「配達された一枚の葉書」)、惣一郎さんは食事のことも忘れるぐらいに悩み、響子さんを意識するようになったようです。
とは言え、先生と生徒の関係ですから簡単ではなかったでしょう。第90話「パジャマでお邪魔」で上荻先生が「彼女がベタ惚れでね」と言っていますので、在学中に周囲も知る関係となり、大騒動を招いたことは想像に難くありません。第18話「キャンパス・ドール」で響子さんは「あたし大学に行けなかったから」と言っていますので、進路目標が大学進学から惣一郎さんとの結婚に変わり、両親との壮絶なバトルに発展していったのでしょう。第28話「納得しました」で、響子さんは「結婚に反対された」と言っており、第33話「あれがいい」で、響子さんの母が「惣一郎さんの時だって年の差がどうだこうだってごちゃごちゃごちゃごちゃ…」、響子さんの父が「あん時はきみだってぶつぶつ言ってたろうが!!」と話しています。
響子さんが惣一郎さんと結婚したのは二十歳になってすぐだと思われます(響子さんの誕生日は秋なので、結婚時期とも合致します)ので、「成人になるまでは待て」というのが周囲の出した最終提案だったのかもしれません。となると、学校側としては進路未定で卒業させるわけにはいかないでしょう。第89話「体育祭の指導と管理」で、響子さんが「私、先生にはしかられてばっかりで…」と言っていますが、惣一郎さんとの結婚しか頭にない響子さんに対し、上荻先生も説得を続けたのかもしれません。しかし、第146話「出たとこ勝負」で響子さんの母が「学歴も技術もないわがままな子」と言っていますので、短大や専門学校の線は消えます。とすれば、いったんは就職したのでしょうか。残念ながらこれ以上は読み取れません。
第33話「あれがいい」 |
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なお、結婚前のエピソードとして分かるのは次の2つだけです。
第13話「ソルティードッグ」で響子さんが運転免許を持っていることが明らかになった際、「もう二年くらい乗ってないんです」と言っていますが、響子さんはこの時21歳なので、結婚前の19歳の夏頃に免許を取得したことになります。
また、第153話「契り」で、盛夏に惣一郎さんと響子さんが地層を見に出かけていますが、惣一郎さんが「響子」と呼び捨てにしていることから、在学中とは考えにくく、翌年または翌々年の夏と考えられます。
A.千草家からは駆け落ちし、音無家からは庇護を受けていたのではないか。
ただし、成人になれば婚姻に両親の同意が要らなくなる(未成年者の婚姻には父母の同意書が必要)のですが、第28話「納得しました」で、響子さんは「別に結婚に反対されたこととか(中略)そんなことは全然こだわってないのよ」とは言うものの、「最後まで結婚を認めてもらえなかった」とか「結婚式に出てくれなかった」とは言っていませんので、両親も最後には祝ってくれたものと思われます。
A.惣一郎さんの母が亡くなった時ではないか。
時期 | 出来事 |
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1967年頃? | 惣一郎の姉、嫁ぐ |
1968年度 | 郁子の誕生 |
1975年頃? | 惣一郎の母、死去 郁子と母、音無家へ |
1977年春 | 惣一郎、女子高の講師に |
1979年秋 | 惣一郎と響子の結婚 |
1980年春 | 惣一郎、死去 |
郁子ちゃんの母が惣一郎さんの実姉だとすると、音無家には惣一郎さんがいるので、彼女が婿をもらって音無家に残る必要はありません。つまり、郁子ちゃんの母は一度音無家を出て夫に嫁ぎ、後に音無家に戻ったことになります。とすると、郁子ちゃん親子はいつごろ音無家に入ったのでしょうか?
郁子ちゃんの母が嫁いで音無家を出た後は、惣一郎さんの母が家事を見ていたと思われます(惣一郎さんの母は惣一郎さんが亡くなる数年前に死んだと考えられるので)。そして、響子さんが結婚した時、もし惣一郎さんの母が存命であれば、惣一郎さんの姉は音無家に戻る必要はありません。惣一郎さんの母が亡くなった後は、今度は響子さんが家事を見ればいいですから。
つまり、惣一郎さんが結婚する前に惣一郎さんの母が亡くなった(または病気療養などの)ため、家事を見るために音無家に戻ったのではないかと考えています。
A.アニメでは「音無」だと分かるが、原作では不明。
A.北海道だが、どこの都市かは不明。
ただし、高橋留美子先生は「語り明かせ熱愛時代」で「北海道には行ったことがありません」と言っていますので、設定されていないと見るのが妥当でしょう。
A.原作では不明。高校卒業後に単身上京した可能性がある。
A.原作では不明。初登場時で30代前半と思われる。
A.大学卒業後の進路を巡って確執があったのではないか。
以上から、三鷹さんは卒業後すぐ家を出て、滅多に実家に寄りつかなかったという事実があり、原因は大学卒業後の進路を巡って親と対立したためではないかと思います。つまりはテニスの道に進みたかった三鷹さんと事業を継がせたい父との対立、といったようなものではなかったでしょうか。
A.四谷さんの原型は「ダストスパート!!」の背古井さんだが、職業は作者も不明。
余談ですが、実写版映画で四谷さんを演じた伊武雅刀氏があまりにハマっていたためか、彼が四谷さんのモデルであると言われたこともありました。しかし、高橋留美子さんは「よく伊武さんがモデルだったのでしょう、と言われますが」「四谷さんと伊武さん、二人の相似性は偶然の驚異なのです」と述べています(実写版映画のパンフより)。
なお、ビッグコミックスピリッツ2010年第10号掲載のインタビューの中で、高橋先生自身が「四谷さんの仕事は、いまだにわからない」と明言されました。
A.小さい頃から早く家を出たいと思っていたのではないか。
ところで、作者の高橋留美子さんも、五代君と同じく、新潟から上京して東京の大学(日本女子大)に入りました。これについては「オレのまんが道」の中で、「親に“お前のようななまけ者は、一人暮らしの大変さを知らなくてはいかん、大学は東京へ行け!”と言われて上京することになりまして」と述べています。五代君も実は同じように追い出されたのだったりして(^^;