めぞん一刻の人物の謎

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(1)音無惣一郎の謎

Q.惣一郎さんの死因は何か?

A.原作では不明。ファンの間では事故死VS病死説で長らく議論あり。

響子さんと結婚してわずか半年後、惣一郎さんは突然亡くなってしまいました。事故なのか病気なのか、その死因は作中では明らかにされていません。しかし、響子さんの母が三鷹さんと初めて会った時(第33話「あれがいい」)、病気持ちの家系かどうかをまず問い正していることから、個人的には惣一郎さんは病気で亡くなった可能性が高いと考えています。

なお、これまでの議論の詳細は、惣一郎の死因は?を参照してください。

第33話「あれがいい」
第33話「あれがいい」

Q.惣一郎さんは女子高の講師になるまでの4年間(73~77年)は何をしていたのか?

A.教員の空きを待ちながら、何もせず家にいたと思われる。

第100話「桜迷路」で、郁子ちゃんの母は「(惣一郎は)あなたの高校の講師になるまでは、ずいぶん長いことブラブラしててね」、音無老人も「無職だからって全然おちこんでなかった」と言っており、惣一郎さんは定職にはついていませんでした。「一刻館の思いで」では、日記に書かれた食事が淡泊すぎること等の理由から病気療養をしていたものと推定しています。惣一郎さんの死因は不明ですが、病気で亡くなったとすれば、惣一郎さんが本来持病持ちであった可能性も否定できません。しかし、「全然悩んでなかった」というセリフは病人に対しては違和感があります。

同話で響子さんが「中学か高校の教員の空き募集を待っているようですけど…。せめて非常勤講師の口でもあれば…」と言うのに対し、音無老人が「ほぉ。惣一郎と似たような人生を歩んどるなー、五代くんは」とコメントしていますので、惣一郎さんも同じように教員の空きを待っていたのでしょう。女子校の理事をつとめる音無老人は、惣一郎さんが27歳になった時に、口利きで惣一郎さんを講師に放り込みました(第87話「VS.乙女」)が、惣一郎さんが就職に失敗した時点では、音無老人の力でも適当な職を見つけることは難しかったのでしょう。「家族(わたしたち)の方がおろおろしちゃって」とのセリフがそれを物語っています。

ただし、無職とは「定職に就いていない人」を指しますので、厳密には日雇い労働者も無職に含まれます。惣一郎さんも、五代君のように短期のアルバイトを続けていた可能性もあるわけですが、不良債権の一刻館を平然と抱える音無家は相当裕福な家と見受けられますので、「全然悩んでなかった」惣一郎さんは無理に日銭を稼ぐ必要はなかったのでしょう。

第100話「桜迷路」
第100話「桜迷路」

Q.惣一郎さんはいつまで講師をしていたのか?

A.響子さんと結婚したあとも講師を続けていたのかも。

県立新潟中央高校がモデルとされていますが、響子さんの母校は原作・アニメとも私立高校のようです。
注)当初は公立高校だと思っていたのですが、音無老人がこの高校の理事であり、理事とは『学校法人の代表の一員で学園の運営や経営に携わる人』であるとの指摘をいただきましたm(__)m
第87話「VS.乙女」で五代君が女子高の卒業アルバムを見た時、惣一郎さんの顔写真がインクで汚れていて(アニメでは破れていて)諦めていますが、惣一郎さんがずっと赴任していたなら翌年のアルバムを見ればいいわけで、惣一郎さんがこの女子高の教壇に立ったのはわずか1年だったと考えられます(五代君がそこまで頭が回らなかった可能性もありますが…)。
実は、「講師」は産休などの場合を除き、基本的に1年契約で、期間の延長は校長の裁量による部分が多いそうです。とすると、惣一郎さんも次の年は別の高校に移ったものと考えられます。
私立高校の採用方法は学校によりまちまちですが、人格重視ということで学校関係者の保証(紹介状)があれば有利になるケースが多く、つまりコネが必要ということらしいです。惣一郎さんは音無老人のコネで講師に放り込まれたわけですが、理事のコネでも講師が精一杯だったとすれば、余程新採用が少なかったのでしょうか(新採用は退職者の補充や生徒増加への対応のみ、という学校も多かったとか)。正教員への道は厳しかったのかもしれません。

Q.惣一郎さんの母はいつ亡くなったのか?

A.惣一郎が亡くなる数年前ではないかと思われる。

第76話「闇の中の顔」に惣一郎さんの母の遺影が出てきます。決して若くして亡くなったわけではないことが分かります。
そして、第77話「春の墓」で惣一郎さんが亡くなった時、病院に駆けつける家族の中に惣一郎さんの母はいませんので、既に他界していたものと考えられます(病気療養等で入院していた可能性もありますが…)。

遺影の写真を仮に60~70歳の時としましょう(さすがに50代は無理があるので)。
惣一郎さんは(1980年に)30歳で亡くなりましたから、まず「この直前まで母が生きていた」と仮定すると、30~40歳で惣一郎さんを産んだことになります。次に「郁子が(1968年に)生まれる直前まで生きていた」と仮定すると、48~58歳で惣一郎さんを産んだことになり、これは不自然です。
つまり、郁子ちゃんの母が結婚した時(郁子ちゃんが生まれた時も)は、惣一郎さんの母は存命であった可能性が高く、「惣一郎さんが亡くなる数年前に母が他界した」と考えることができます(→音無郁子の謎を参照してください)。

第76話「闇の中の顔」
第76話「闇の中の顔」

(2)音無響子の謎

Q.そもそも響子さんは卒業して1年半の間は何をしていたのか?

A.いったんは就職して寿退社したのかも。

響子さんは卒業後1年半で惣一郎さんと結ばれました。それまでの響子さんの足取りを追ってみましょう。

響子さんが高校3年生の時、惣一郎さんは講師として赴任しました。惣一郎さんは響子さんの初恋の人(第20話「影を背負いて」)ですが、第一印象は「おとなしい先生ねー」でした(第87話「VS.乙女」)ので一目惚れではありません。しかし、第20話「影を背負いて」で響子さんが背中に傘を隠して惣一郎さんに近づいた時、惣一郎さんが「きみ3組の人でしたね」と言っていることから、初対面から間もなく、何かがあって恋に落ちたことが分かります。

しかし、夏服の響子さんが惣一郎さんのワイシャツの背中にハート型の絵の具をつけようとして失敗しています(第87話「VS.乙女」)ので、衣替えになる6月までは惣一郎さんに気持ちを伝えられていないようです。7月に響子さんが送った暑中見舞のハガキで(第52話「配達された一枚の葉書」)、惣一郎さんは食事のことも忘れるぐらいに悩み、響子さんを意識するようになったようです。

とは言え、先生と生徒の関係ですから簡単ではなかったでしょう。第90話「パジャマでお邪魔」で上荻先生が「彼女がベタ惚れでね」と言っていますので、在学中に周囲も知る関係となり、大騒動を招いたことは想像に難くありません。第18話「キャンパス・ドール」で響子さんは「あたし大学に行けなかったから」と言っていますので、進路目標が大学進学から惣一郎さんとの結婚に変わり、両親との壮絶なバトルに発展していったのでしょう。第28話「納得しました」で、響子さんは「結婚に反対された」と言っており、第33話「あれがいい」で、響子さんの母が「惣一郎さんの時だって年の差がどうだこうだってごちゃごちゃごちゃごちゃ…」、響子さんの父が「あん時はきみだってぶつぶつ言ってたろうが!!」と話しています。

響子さんが惣一郎さんと結婚したのは二十歳になってすぐだと思われます(響子さんの誕生日は秋なので、結婚時期とも合致します)ので、「成人になるまでは待て」というのが周囲の出した最終提案だったのかもしれません。となると、学校側としては進路未定で卒業させるわけにはいかないでしょう。第89話「体育祭の指導と管理」で、響子さんが「私、先生にはしかられてばっかりで…」と言っていますが、惣一郎さんとの結婚しか頭にない響子さんに対し、上荻先生も説得を続けたのかもしれません。しかし、第146話「出たとこ勝負」で響子さんの母が「学歴も技術もないわがままな子」と言っていますので、短大や専門学校の線は消えます。とすれば、いったんは就職したのでしょうか。残念ながらこれ以上は読み取れません。

第33話「あれがいい」
第33話「あれがいい」

なお、結婚前のエピソードとして分かるのは次の2つだけです。
第13話「ソルティードッグ」で響子さんが運転免許を持っていることが明らかになった際、「もう二年くらい乗ってないんです」と言っていますが、響子さんはこの時21歳なので、結婚前の19歳の夏頃に免許を取得したことになります。
また、第153話「契り」で、盛夏に惣一郎さんと響子さんが地層を見に出かけていますが、惣一郎さんが「響子」と呼び捨てにしていることから、在学中とは考えにくく、翌年または翌々年の夏と考えられます。

Q.響子さんと惣一郎さんは「駆落ち同然で結婚」したわけですが、「同然」とはどういうことか?

A.千草家からは駆け落ちし、音無家からは庇護を受けていたのではないか。

第69話「駆け落ちクラッカー」で四谷さんが「管理人さんだって惣一郎さんとは駆け落ち同然で結婚したんでしょ」と言っています。「同然」とはどういうことでしょう?
駆落ちとは「結婚を許されない男女が示し合わせて逃げ隠れすること」です。第26話「家族の焦燥」で、響子さんの母が「あれだけ反対されて結婚したんだから」と言っているように、千草家には結婚に猛反対されたわけですが、音無家にはさほど反対されなかったのかもしれません。ならば、千草家からだけ逃げればいいわけで、音無家の親戚とか別邸とか、音無家の目の届くところで生活させつつ、千草家の説得を続けたとも考えられます。

ただし、成人になれば婚姻に両親の同意が要らなくなる(未成年者の婚姻には父母の同意書が必要)のですが、第28話「納得しました」で、響子さんは「別に結婚に反対されたこととか(中略)そんなことは全然こだわってないのよ」とは言うものの、「最後まで結婚を認めてもらえなかった」とか「結婚式に出てくれなかった」とは言っていませんので、両親も最後には祝ってくれたものと思われます。


(3)音無郁子の謎

Q.郁子ちゃん親子はいつ音無家に戻ったのか?

A.惣一郎さんの母が亡くなった時ではないか。

時期出来事
1967年頃?惣一郎の姉、嫁ぐ
1968年度郁子の誕生
1975年頃?惣一郎の母、死去
郁子と母、音無家へ
1977年春惣一郎、女子高の講師に
1979年秋惣一郎と響子の結婚
1980年春惣一郎、死去

郁子ちゃんの母が惣一郎さんの実姉だとすると、音無家には惣一郎さんがいるので、彼女が婿をもらって音無家に残る必要はありません。つまり、郁子ちゃんの母は一度音無家を出て夫に嫁ぎ、後に音無家に戻ったことになります。とすると、郁子ちゃん親子はいつごろ音無家に入ったのでしょうか?
郁子ちゃんの母が嫁いで音無家を出た後は、惣一郎さんの母が家事を見ていたと思われます(惣一郎さんの母は惣一郎さんが亡くなる数年前に死んだと考えられるので)。そして、響子さんが結婚した時、もし惣一郎さんの母が存命であれば、惣一郎さんの姉は音無家に戻る必要はありません。惣一郎さんの母が亡くなった後は、今度は響子さんが家事を見ればいいですから。
つまり、惣一郎さんが結婚する前に惣一郎さんの母が亡くなった(または病気療養などの)ため、家事を見るために音無家に戻ったのではないかと考えています。

Q.郁子ちゃんの名字は本当に「音無」か?

A.アニメでは「音無」だと分かるが、原作では不明。

アニメでは、第11話で郁子ちゃんの数学テキストに「1の2 音無郁子」と書いてあり、郁子ちゃんの姓は「音無」であることが分かります。
一方、原作では、郁子ちゃんの名字が「音無」である根拠は実はありません。郁子ちゃんの母は一度音無家を出て嫁いだのであれば、郁子ちゃんが別姓である可能性も高いと思います。しかし、音無家に戻ってから音無姓を名乗ることは可能であり、音無でないとも断言できません。
私は「原作で不明なものはアニメの設定に求める」方針ですので、本サイトでは全て「音無郁子」としています。

(4)一の瀬花枝の謎

Q.一の瀬さんの出身地は?

A.北海道だが、どこの都市かは不明。

一の瀬花枝さんは第24話「リンクにかけろ!」で「道産子だもーん」と言っていることから、北海道出身だと分かります。また、第49話「なんて器用なの」で、花枝さんが実家近くに下宿していた大学生に思いを寄せていたことが述べられており、大学がある都市であることが分かります。
賢太郎君は昭和46年度生まれであり、花枝さんが一の瀬氏と会った時点で入社2年目以上(後輩にツル子さんがいるから)なので、花枝さんが学生であったのは少なくとも昭和44年度以前のはずですから、それ以降に設立された大学は該当しません。ということで、北海道で当時既に大学のあった都市を調べて見ると、札幌(北海道大学ほか多数)・小樽(小樽商科大学)・旭川(旭川大学・北海道教育大学旭川分校)・岩見沢(北海道教育大学岩見沢分校)・函館(函館大学・北海道教育大学函館分校)・北見(北見工業大学)・帯広(帯広畜産大学)・室蘭(室蘭工業大学)・釧路(北海道教育大学釧路分校)の9つです(苫小牧駒沢大学は当時は短大だったため苫小牧は除外)。
そして、「リンクにかけろ」で、花枝さんは「スケートうまいんだねー」と言われて「道産子だもーん」と答えているのですが、実は北海道では誰でもスケートが巧いわけではありません。学校の体育の授業にスキーを取り入れている所と、スケートを取り入れている所があり、一の瀬さんはスケートが盛んな地域で育ったものと考えられます。いただいた情報によると、前述の都市のうち、札幌・小樽・旭川・岩見沢はスキーの方がメジャーであり、函館・北見もあまりスケートの話は聞かないとのことです。残る候補は、雪の少ない太平洋側の都市、すなわち帯広・室蘭・釧路ということになります。
(Thanks to 道産子ですさん)

ただし、高橋留美子先生は「語り明かせ熱愛時代」で「北海道には行ったことがありません」と言っていますので、設定されていないと見るのが妥当でしょう。

Q.一の瀬さんはいつ上京したのか?

A.原作では不明。高校卒業後に単身上京した可能性がある。

一の瀬さんの年齢は不明ですが、女性の高校進学率を調べてみると昭和35年が55.9%、昭和40年が69.6%であり、中卒も高卒も一般的な時代でした。しかし、第51話「一刻館の昼と夜」で、セーラー服を着た一の瀬さんが五代君に向かって「私と高校生ペアを組もう」と言っていますので、一の瀬さんは高卒であることが分かります。いっぽう、当時の女性の大学進学率は一桁であり、大学受験する五代君が他人事であることや賢太郎君の勉強(小学校の宿題)を五代君に見てもらっていることなどから、大卒の可能性はないでしょう。
次に、一の瀬さんの上京時期について考えてみます。一の瀬さんは北海道生まれであり、第49話「なんて器用なの」で少女の頃は雪国にいた(五代君の想像の中ですが)ことが描かれていますので、中学か高校の時は北海道在住だったと思われます。
家族と共に上京した可能性もありますが、親兄弟が東京近郊にいるのであれば、第12話「行きがけの駄犬」や第28話「納得しました」で賢太郎君が「どっこも連れてってもらえない…」などと言うのは不自然に思いますので、単身で(或いは親戚などを頼って)上京したものと推定しておきます。
余談ながら、一の瀬家では生活は貧しいながらも、年末は例年家族そろって田舎に帰ったり旅行に出かけたりしており、一の瀬さんはああ見えてしっかり家計のやりくりをしているのでしょう。

Q.一の瀬さんは何歳か?

A.原作では不明。初登場時で30代前半と思われる。

一の瀬さんには、初登場時に小学3年生の息子・賢太郎君がいるため、結婚した年齢が分かればおおよその年齢が推定できます。
当時の女性の平均初婚年齢は24~25歳で推移しており、「25歳を過ぎたら行き遅れ」と言われていました。一の瀬さんも、第5話「春遠からじ!?」で、当時21歳の響子さんに「あんた適齢期だよ」と言って見合いを勧めており、結婚に対する同様の観念が伺えます。
次に、第65話「一の瀬氏の失業」で、一の瀬さんのほうから旦那さんに求婚したことが描かれていますが、当時は見合結婚が約6割、恋愛結婚が約2割だったそうで、形はどうあれ、女性の方からプロポーズするのは相当に少ないケースだったはず。さらに、第49話「なんて器用なの」では、少女時代の一の瀬さんが近所に下宿していた大学生に花を贈ったエピソードが語られており、男性に対してこれほど積極的であった一の瀬さんが、むざむざ自身の適齢期を逃すとは思えないのです。
さらに、「一の瀬氏の失業」で、一の瀬氏の憧れだったツル子さんは一の瀬さんの一つ後輩でしたが、彼女が25歳を過ぎていたなら、事務所の女性2名ともが「行き遅れ」ということになってしまうので、20歳そこそこ(一の瀬さんは高卒であり、後輩がいるので19歳以上であることは分かりますが、周囲が大酒飲みを傍観していることや未成年の結婚話を勝手に進めるのは不自然であることから成人に達していたものと推定)だったと見ていいのではないでしょうか。
以上から、断言はできませんが、一の瀬さんが20代前半で結婚し、すぐに賢太郎君が生まれたとすれば、初登場時は30代前半だったということになります。

(5)三鷹瞬の謎

Q.三鷹さんは親と確執があったのか?

A.大学卒業後の進路を巡って確執があったのではないか。

三鷹さんは親と長年の確執があったものと思われます。根拠を挙げてみると…
(1) 第130話「なにも知らない子供たち」で、三鷹さんが実家に帰った時、母親から「めずらしいわねー。瞬がうちに帰ってくるなんて」と言われています。つまり、ほとんど実家に帰っていなかったことが分かります。
(2) 第86話「見栄リクルート」で三鷹さんは「ぼくなんか(大学4年の)秋になってやっと就職活動始めたんですよ」と言っています。すぐにテニスという特技を活かした就職先が決まる見通しがあったとも言えますが、何らかの理由で就職活動ができなかったとも考えられます。
(3) 第142話「ワンモア・ピリオド」で、三鷹さんは実家の部屋で「大学卒業するまで使っていたんです」と明日菜さんに言っています。つまり、大学卒業後にすぐに家を出たことが分かります。仕事先が実家から遠かったとも考えられますが、三鷹邸は都心にあり交通は至便なはず。
(4) 第130話「なにも知らない子供たち」で、明日菜さんとの縁談が進んでいる最中に、響子さんとのお見合いを両親にもちかけた三鷹さん。「反対するにしても…」と言う三鷹さんに対し、両親は「いーんじゃない?」とあっさり。これを見て三鷹さんが意外そうにしていたことから、こんなに「軽い」人たちではなかったという認識があったはずです。

以上から、三鷹さんは卒業後すぐ家を出て、滅多に実家に寄りつかなかったという事実があり、原因は大学卒業後の進路を巡って親と対立したためではないかと思います。つまりはテニスの道に進みたかった三鷹さんと事業を継がせたい父との対立、といったようなものではなかったでしょうか。


(6)四谷の謎

Q.四谷さんは諜報機関のエージェントなのか?

A.四谷さんの原型は「ダストスパート!!」の背古井さんだが、職業は作者も不明。

四谷さんの正体は謎に包まれており、一刻館の住人達ですら彼の職業を知りません。「一刻館の思いで」では役者・探偵・泥棒の各説を展開していますが、実は四谷さんは諜報機関に勤めているという説があります。
実は、高橋留美子先生が「めぞん一刻」連載開始の一年前に描いた「ダストスパート!!」という作品に、背古井唯安(せこい・ただやす)という四谷さんに瓜二つな人物が登場します。背古井さんは「HCIA」通称「日の丸シーアイエー」という諜報機関のエージェントをしており、自らの正体を隠す四谷さんに通じるモノがあるというのがその根拠です。
四谷さんを描くにあたって背古井さんを「原型」にしたことは、作者自身も認めており、「別の作品で四谷さんのキャラクターなるものの原型を描いていて、『めぞん一刻』を始める時も、あのキャラクターをと思い描いたものでした(実写版映画のパンフより)」と述べてします。別の作品とは勿論「ダストスパート」でしょう。
しかし、「めぞん一刻」と「ダストスパート!!」は全く作品の世界観が異なり、背古井さんと四谷さんを同一人物と見ることは無理があります。それに、作品中では四谷さんの職業について何も明らかにされていませんから、我々はあれこれと四谷さんの正体を想像できるわけです。

余談ですが、実写版映画で四谷さんを演じた伊武雅刀氏があまりにハマっていたためか、彼が四谷さんのモデルであると言われたこともありました。しかし、高橋留美子さんは「よく伊武さんがモデルだったのでしょう、と言われますが」「四谷さんと伊武さん、二人の相似性は偶然の驚異なのです」と述べています(実写版映画のパンフより)。
なお、ビッグコミックスピリッツ2010年第10号掲載のインタビューの中で、高橋先生自身が「四谷さんの仕事は、いまだにわからない」と明言されました。


(7)五代裕作の謎

Q.五代君はなぜ浪人時代に上京したのか?

A.小さい頃から早く家を出たいと思っていたのではないか。

五代君の実家は定食家です。ゆかり婆ちゃんも「浪人に無駄飯食わせるほど豊かな家庭じゃない」と言っている(第6話「サクラサクカ!?」)ように、決して裕福な家ではありません。新潟市内にも大手の予備校はあるし、その気なら自宅浪人も可能です。五代君はどうして東京での浪人生活を選択したのでしょうか。
おそらく、毎日出前や店の手伝いにこき使われるのに嫌気がさしていたのではないでしょうか。第12話「行きがけの駄犬」でも、幼少時代に店の手伝いでどこにも連れていってもらえなかったことを話していますから、「いつか出てってやる、こんなアパート」と物干台で誓った賢太郎君と同じように、とにかく高校卒業後は家を出ることしか考えていなかったのかもしれません。まさか就職が決まらずに実家に戻る気になるとは思わなかったでしょう(^^;
上京を許してもらった代わりに、親の負担を減らすために格安のアパートを探したのでしょう。五代君が一刻館に入居した時に「合格したらこんなところ、すぐにおさらばだ」と言っていますので、大学に合格したらもっといいアパートに引っ越すつもりでいたようです。また、第6話「サクラサクカ」で、ゆかり婆ちゃんは一浪でダメだったら五代君を連れて帰ると言っていますので、当初から1年だけのお許しだったのかもしれません。

ところで、作者の高橋留美子さんも、五代君と同じく、新潟から上京して東京の大学(日本女子大)に入りました。これについては「オレのまんが道」の中で、「親に“お前のようななまけ者は、一人暮らしの大変さを知らなくてはいかん、大学は東京へ行け!”と言われて上京することになりまして」と述べています。五代君も実は同じように追い出されたのだったりして(^^;