皆様からの情報提供

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その1] [その2] [その3]
ゆうたさん(2002年06月28日)
そば処「更科」を覚えていますか?原作第108話「二人の旅立ち」で、一刻館の住人たちが響子さんの「送別会」と称してお決まりの宴会場にしてしまった、上野駅6・7番ホーム下の「そば屋」です(笑)。ここが、いまから2年ほど前の2000年8月17日に閉店し、同駅の別の場所に移転したことはご存知ですか?今はここでは別の店舗が営業しているそうです。めぞんポイントがまたひとつ消えたわけです。ファンのひとりとしては、ちょっと残念です(笑)。「大ジョッキ追加ー!」(朱美さん)が懐かしい・・・(笑)。
(管理人より)
移転したことは存じていましたが、消滅したことは知りませんでした。
再び場所を変えたわけではないのでしょうか。本当になくなったとすれば、次回は行こうと思っていたので非常に残念です。

サクラサキオさん(2002年06月22日)
早速ですが、「めぞん一刻小辞典」の「皆様からの情報提供」のゆうたさんのメール(6月3日付け)に
関して、気づいたことを述べさせていただきます。

ゆうたさんはこの中で、「人魚の森」の舞台が能登半島である、とおっしゃっていますが、これはあくまでもOVAに限っての設定であって、原作に関しては不確かだと思います。
確かにアニメではそういう設定であることが作品の中で明示されていますが、原作では具体的な場所は示されていませんし、また暗示させるような物も全く存在しません。

作品が描かれたのが作者の北陸旅行の後(87年)なので、景色などが借用された可能性が無くもありませんが、この場合はアニメのスタッフによる脚色の一環だと考えるのが無難だと思います。

もっともどこか全然別の場所で、作者自身によってそのように語られているのであれば話は別ですが・・・
(私は今のところ聞いたことがありません)


(管理人より)
私は人魚シリーズは原作を斜め読みしたことしかありません(^^;ので全く事情を知りません。
ゆうたさんから情報をいただいた際には、めぞん一刻がアニメ化された際に五代君の実家が新潟だと明示されたように、人魚の森がOVA化された際にそのへんの事情が明らかにされたものと解釈していました。
情報ありがとうございました。

ゆうたさん(2002年06月17日;掲示板より転載)
「ご意見集」にお届けした東久留米市神宝町2丁目の神山堂阪公園(時計坂公園)についての補足です。この公園、テニスコートや電話ボックス、さらにはトイレまである意外と大きな公園です。ただ、原作のように自販機や花壇はありません。ブランコは原作と異なり4人用で、また、背景も若干異なっています。ペンキも塗り替えられています。すぐそばの「かたらい通り」の、とある場所から望む街並は「時計坂」の面影がまだ色濃く残っています。夜景もいいですよ。「神宝町からの夜景」は市のPR関係の委員会によって、氷川台の街並などとともに「東久留米のよいところ」として挙げられているほどですから。神宝町2丁目から金山町、氷川台一帯の高台・坂道付近は原作にでてきたような風景(1982年夏頃、「ふりむいた惣一郎」前後あたり)が、今ならまだ残っています。

ゆうたさん(2002年06月06日)
公開捜査編(4)惣一郎さんの菩提寺についてご報告いたします。参考にしてください。管理人の平山さんは2001年11月25日加筆であるとおり、妙延寺・妙福寺・本照寺・善行寺・法性院・教学院を調べられたそうですね。実は私も私なりに以前それらの寺をめぐっていました。同じ事をしている人がいたとは・・・(笑)。私の場合はさらに足をのばして石神井公園駅、練馬高野台沿線まで調査し、沿線付近の寺を片っ端からめぐりました。西は三宝寺から東は長命寺まで、全部ですよ(笑)。結果は同じく全滅でした(笑)。まず、背景からしてどうも駅前の繁華街に近そうですよね。ビルも見えるし。池袋方面、さらには西武新宿線、JR中央線沿線も視野に入れるべきなんでしょうかねえ?あるいはまったく別の場所だったりして・・・(笑)。ところで、石神井台1丁目の「三宝寺」は『らんま1/2』の第22巻、「乱馬ミーツ・マザー!?」にでてくる天道家の菩提寺のモデルだと思います。本堂が原作の絵とそっくりでしたので、一応モデルの可能性ありとさせていただきます。
(管理人より)
ありがとうございました。私は東久留米市についても、大円寺・浄牧院・宝泉寺を調べて見ましたがダメでした。機会があればもう少し調べてみたいと思っていますが、不毛な戦いになりそうで怖いです(^^;

ゆうたさん(2002年06月03日)
現地ルポの、公開捜査編について申し上げます。
結納・結婚式場の部分ですが、響子さんと三鷹さんの両家の見合い場所のホテルは、ポチさんのHPで紹介されているように、「ホテル・ニューオータニ」だと思います。ここの日本庭園にも行ってきましたが、必ずしもそっくりとはいえませんが、ほぼ、原作と同じです。ただ、ホテルの建物は、大改装されているために、かなり異なっています。日本庭園は、徳川時代からの由緒あるもので、見ごたえがあります。
 三鷹家と九条家の結納式場となったホテルは、「帝国ホテル」で、これも、ポチさんのHPで既に紹介されていますが、原作第141話で使われているホテルの外観のモデルは、日比谷公園の大噴水越しに眺めたものです。
 金白館探しについて一言。実は『人魚の森』の舞台は、能登半島である、ということはご存知でしょうか。OVAの説明には、「能登半島の神無木家」となっています。とするならば、ここで使われている街の風景は、「夢一夜」の温泉街と同じ街か、あるいは、近隣の街かも知れません。
(管理人より)
ありがとうございました。ポチさんのページ等でも紹介がありますように、三鷹さんと明日菜さんが歩いていた噴水のある庭園は「ホテル・ニューオータニ」のものであることが分かっていましたが、建物は別のホテルを拝借したのかとも言われていました。大改装前ということであれば納得です。
「人魚の森」の舞台が能登であることは存じませんでした。高橋留美子さんはあまり能登で動き回った形跡がないので、同じ地点をモデルに使用した可能性は高いかもしれません。

ゆうたさん(2002年06月01日)
はじめまして。いつも楽しく拝見させていただいております。早速ですが、時計坂公園のモデルと思しきポイントをひとつ挙げさせてもらいます。東久留米市の神宝町にある神山堂阪公園は、飛鳥杏華さんのHPの時計坂写真集に掲載されているブランコのある公園だと思います。もしよろしければ、時計坂タウン情報の参考にでもしてください。
(管理人より)
ありがとうございました。東久留米にはまた行く機会があると思いますので、いずれ自分でも実際に確認させていただきたいと思います。

サクラサキオさん(2002年02月17日)
「めぞん一刻皆様からのご意見集」に興味深い意見が紹介されましたので、またまたメールさせていただきました。
いろいろな見方ができるんだな、ということをあらためて実感しています。

(1)小林君の通う大学について
s_nさんの、五代君と小林君は別の大学に通っているのでは、という指摘に関してですが、私は学部は違うかもしれないが、少なくとも大学は同じだと思います。
例証とされている「青田枯れ」のシーンですが、私は坂本君の「そうだよ」という発言は、むしろ自嘲的なものであって、おっしゃるように他人事として言ったのではない、と解釈したいと思います。
あの場面は四人とも同じ境遇であるはずなのに、一人五代君だけがのほほんとしていることへあてつけ、皮肉ったものでした。
ここでは「同じ境遇」ということがベースにあるからこそ、あの会話が成り立つとも言えるわけで、少なくとも4人は同じ大学の学生ではないか、と思うのです。
また合格発表のときに小林君の合否に関する描写がなかったことについては、小林君はすでに別の学部に合格していたとか、教育学部は受験しなかったからとか解釈することもできます。
したがって、この事自体は五代君と小林君が同じ大学に通っているかどうか、の判断材料にはならないと思います。

それから鞄の有無に関してですが、例えば坂本君のように、いつも鞄を持たずに通学する人もいます。
(坂本君自身は五代君と大学が同じ、学部もおそらく同じと思われます。)
大学には鞄の類を持たずに通学する人も少なくない、と思います。
ですから、鞄の有無だけから内部の人間であるか、などの判断をするのもちょっと無理があるように思います。

(2)五代君の通う大学のモデルについて
時計坂の街と同様、大学自体はやはりあくまでも創作であり、特定の大学をイメージしたものではない、と思います。
もちろん個々の建物に関しては別問題で、こちらは具体的なモデルがあったと考えたいです。
(ちなみに時計のついた校舎は他の作品でも使用されています。)
また、特定の大学を念頭において設定された、という立場に基づく場合でも教育学部の有無に拘る必要はないと思います。
なぜなら五代君が教育学部の学生であることが明らかにされたのは、入学してから1年以上も過ぎた後のこと(「三年待って」)であり、当初からそういう設定であったのかどうか、わからないからです。

建物のモデルに関しては、それは東京やその近郊に存在するとは限らないと思います。また、それは大学でないかもしれません。


(管理人より)
そうですね。小林君の通う大学については、当然のように五代君と同じ大学だとしてきたわけですが、改めて見てみると、必ずしもそうでなくても筋は通るわけですね。面白いものです。
一緒に学食にいることが根拠にならないとすれば、判断材料は「青田枯れ」の場面だけのようですが、坂本君も目の下にくまを作り、職探しに疲労困憊している状態での会話ですから、やはりおっしゃるとおりの解釈が妥当かと思います。
また、合格発表の場面に関しては、高橋留美子先生が小林君というキャラをこの時点で意識して描いていたかという根本的な問題もありますが、小林君も自分の結果を見に来たものの、自分は既に滑り止めは確保していたため、五代君よりは余裕があった、というような解釈もできるかと思います。

五代君の大学については、取材写真やその他の資料を元に描いたものとすれば、作者に全く関わりのない建物でもいいわけですから、モデル探しは相当困難を極める可能性があります。
一方では、候補の一つに考えていた日本女子大が、実は八神さんの大学らしいということでしたので、馴染んだ風景を取り入れたという可能性も高いですね。新潟大学は明らかに違うそうです(卒業した方の話)ので、私は一応、高橋留美子先生の活動圏内にあった都心の大学ということで探していきたいところです。
また、五代君が保母試験を受けた時の教室は、実際の早大の一教室だとされていますが、一般的に考えて(まして他大学出身の高橋先生が)写真を撮るような場所ではないことから、関係者に早大出身者がいたとか、何か早大を訪ねる機会があったとかで、あちこちまとめ撮りしておいたものを資料として使っていたということも考えられます。ですから早大も候補の一つとして考えていまし、室内や学食が似ているというのは、仮に早大がモデルの一つだとすれば、あり得ないことではないのかな、と思いました。
いずれにせよ、五代君の大学のモデルについては、s_nさんの情報以前には殆ど情報がなく、特定は容易ではなさそうです。教育学部が根拠にならないだろうというのは同感です。


s_nさん(2002年02月14日)
貴web siteで、五代の出身大学は不明と記載されていましたが、彼の出身大学は早稲田大学教育学部国語国文科ではないでしょうか。

偶然とは奇なるもので、私は、昭和61年に早稲田大学を卒業しました。

根拠として、次を挙げられます。
(なお、全てコミックによります。私は一度もTV版及びアニメ版を観たことはありません)

【建物】
・第何巻(多分第二巻)か忘れましたが、 彼の大学一年時の大学祭の時の大学構内の描写が、早稲田大学・本部(西早稲田)キャンパスの法・商研究棟(9号館)の屋上あたりから、商学部(11号館)と共通教室棟(7号館)を眺める風景と極似しています。
(なお、実際の11号館は三角屋根があるが、描写の屋根は平坦)

・やはり彼が大学一年時の人形劇の準備をしているとき、教室と建物が描写されています。
その描写は14号館(社会科学部)の建物と小教室に似ています。
私も、大学祭のときにしか、14号館の教室に入ったことがありませんが、室内が非常によく似ています。
(当時の14号館は壊され、新しい14号館の建て屋に建て直されているので、今日現在確認することは出来ない。)

・彼が大学一年時に黒木から人形劇クラブの勧誘を受けた学生食堂は、当時の大隈会館の近くの建物の1階の学生食堂に極似しています。
(但し現在この建物はこわされ、リーガロイヤルホテルになっているので、今日現在確認することはできない)

以上が描写からの根拠です。
他にもいくつか早大キャンパスや建物をアレンジして描写したものが散見されます。

なお、時計塔が真中にある大学校舎が描写されていますが、あれに類似した建物は、早大・本部・文学部・理工学部・高等学院にはありません。

作者は、作品の初期段階では、早大の風景をモチーフにしている部分が多いのですが、後半になるとそれをやめて、時計塔のある校舎ばかり描写しています。

恐らく、早大をモチーフにした風景を描写し続けたら、読者から大学が推定されてしまい、学校名秘密の面白みが失せると作者は考えたのかもしれません。

【受験者数】
・首都圏(それも都内近辺)、私立、教育学部というと創価大学、文教大学、早稲田大学ぐらいです。
この中で、入学受験者数が5300人以上となると、早大教育学部だけです。
(合格発表掲示板の合格者番号リストを見ると人数がわかります)
他の2大学では、教育学部の募集人員数が200人程度で、5300人も受験者数はいないおもいます。

【三流大学?と小林】
・アニメはみたことがないので、わかりませんが、原作では「三流大学」の発言が見あたりませんでした。
(もし、コミックに「三流大学」という発言みたいなものがあったら、その箇所をご教示いただけませんか?)

・三流大学の根拠は、五代の予備校時代からの友人、小林(メガネで、髪がウェーブ)の発言です。
原作6巻PART7で、就職訪問の際、小林は学校名を告げたら、袖にされたと言ったところが巷の根拠となっています。

(場所は喫茶店。登場者は、坂本、五代、小林、氏名不詳者の4名。全員、教科書やかばん類を持っていない。大学の授業の帰りではないと思われる)
しかし、坂本はそのあと「そうだよ」とまるで他人事のように発言しています。これは、「坂本・五代」と「小林・氏名不詳者」の大学が違うことが推察できます。

・五代と同一大学と明らかに確認できるのは次の登場者だけです。
-坂本(五代の入院中、代返をしたりノートを収集していた。)
-黒木(彼女が五代と同一学科であるというシーンがある→人形劇部勧誘の際) -人形劇部部長
以上の3人ぐらいです。

・小林は、五代と一緒に大学合格発表を見に行っています。
五代は自分の合格を確認していましたが、小林の合格確認の描写はありません。
よってもって小林の合格の是非は不明です。

・小林と五代は1~3年生時に、学内で会う描写は見当たりませんでした。
確か、新宿と思われる繁華街で、坂本と五代が、小林を待っていて、その後小林がやってきた描写はあります。

・小林と五代が学内で会っている描写は、4年生の後半時期(12月頃1回、1~2月頃1回。計2回)しかありません。

その2件も、次の共通事項があります。
-五代は肩掛け鞄を持っている。
-坂本、小林、氏名不詳者の3名 の鞄、テキスト・ノート類は見当たらない。
-会っている場所は食堂。

当時の早稲田大学学生食堂の場合、大隈会館近くの早大学生食堂に学外者が食事をしているところを見受けることが実際にあ りました。この早大学生食堂では学生証を見せなくても食事ができました。
(但し早大生協食堂(16号館裏)で学外者が食事をすることはない。早大生協組合員証が無いと食事ができないため)

これは、坂本・小林・不詳者3人が遊びかバイトの行く途中又は帰る途中、早大学生食堂に立ち寄ったという説明もできます。
(要は、この3人はこの時授業に出ていないが食堂だけは立ち寄った。)

また、上記の1~2月頃の4人の会合の後、五代は校舎内で黒木に会って後、二人で喫茶店に行きました。
この時、黒木はカバンとノートを持っていました。なお、その際、黒木は何気なくカバンからノートを出しています。

【原作5巻PART12】
・千草家で、五代は響子の母親より、学校名を尋ねられています。

この時、彼は「別に答えられないほど恥ずかしい学校ではない」と思っています。
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これからは、所見ですが、前述の通り作者は、この作品で、実際にある町や大学を想定したりアレンジして描写しています。
また、作者は学校名を秘密にすることで、作品の興味や面白みを増そうとしています。
そのため、余り事実と同じような描写ばかりをしていると、読者に推定されてしまうので、途中から、読者にばれない描写を書くようになったのではないでしょうか。


(管理人より)
有用な情報をありがとうございました。
まず、五代君の大学について。「三流大学」はアニメのみに登場する名前ですが、原作にも次の表現があります。
○第112話「秋の罠」の五代君;「当方は三流私大出身なんでな。高校生の学力にはついていけないの」

これが八神さんを欺くための虚言でなく、五代君の大学がそこそこの大学だということは、作中に多くの証拠を見いだすことができます。
○第5話「春遠からじ」の一の瀬さん;「うまくころがりこんでも二流大学が関の山だし」
○同話で五代君の受けた大学が「二流大学」
○第6話「サクラサクカ!?」のばあちゃん;「国立はまずだめじゃろ」
○第8話「惣一郎の影」で響子さんが郁子ちゃんに「いい成績とりたいなら、それなりの人に教わったほうが…」
○第12話「行きがけの駄犬」の一の瀬さん;「ありもしない将来性タテにとって…」
○第113話「チャート式恋愛」の四谷さん;「高三の英語…五代君には無理じゃないですか?」
などなど…枚挙にいとまがありません。
ということで、五代君の大学が早大というのは無理があるのですが、大学のモデルが早大ということであれば、可能性があると思います。高橋留美子さんは漫画家という職業ゆえか、極端に外出を嫌う人らしく、彼女の活動圏内にある大学をモデルにしたんだろうなとは想像がつくからです(もちろんそれでも、絞りきれない程の大学がありますが)。
「一刻館の思いで」でも文教大学と創価大学を候補に上げていますが、私は地理的にも難しいと思っていました。

> 時計台が真中にある大学校舎が描写されていますが、あれに類似した建物は、早大・本部・文学部・理工学部・高等学院にはありません。
ということであれば、後半はまた別の大学をモデルに使ったとも考えられますね。

また、小林君は五代・坂本君と別の大学ではないかとのご意見ですが、上述のように五代君の大学は「三流私大」ですから、同じ大学と見たほうがやはり自然かと思います。


デジタル五代さん(2001年11月25日)
聞きたいことがあります。コミック第6巻のPART8「夏色の風と」で五代君は北海道に行っていましたけど、あそこは一体北海道のどこなんでしょうか?マニアックな質問ですが、是非知りたいですね~
(管理人より)
高橋留美子さんは「語り尽せ熱愛時代」の中で「北海道は行ったことがありません(笑)」と言っています。作中には札幌の時計台と北海道中部の層雲峡が出てきますが、徒歩旅行で行けるような距離でないことはご存知のとおりです。

矢萩芳孝さん(2001年4月14日)
こんにちは、今回はいまだ謎の多い北陸旅行での五代君と響子さんが泊まった旅館「金白館」についての情報です。
今度のGWに温泉旅行でも行こうと思って宿屋を探していたさいに、「夢一夜」での響子さんの部屋とよく似た部屋を見つけました。
以下のページで見てみてください。
http://www.tadaya-h.co.jp/tubakian.htm
部屋の二面に窓があり、その向こうに陸地が少し見えます。
よく似てると思いません?
ただ、場所的に該当するかは未確認です。
それと、値段のほうは五代君には絶対に無理だろうなと思われます。

私も、泊まってみたいとは思うのですが結構人気のある旅館らしく予約は7月まであいていないようです。
なので、今回は「むろうや旅館」の方へとまってこちらのほうにドライブするつもりです。
もし、よければ行ってみてください。


(管理人より)
大変有用な情報をいただきありがとうございました。
能登最大の温泉地・和倉温泉は、部屋の窓から見える風景や人々がゆかたで出歩いている規模の大きさから響子さんの泊まった温泉街のモデルではないかと何度も提言されながら、地形が大幅に異なる等の理由からシロと判定されてきた経緯があります。
連休中に金沢&能登に行くことにし、下調べをしているところですが、考えられる全ての要素を満たす温泉街が能登には存在しないため、響子さんの泊まった温泉街は二つの温泉の合体したイメージではないかと考えています。
高橋先生の当時のコメントから「輪島近辺の交通不便な辺鄙な宿」に泊まったであろうことが推定され、これに規模の大きな温泉街のイメージをくっつけたという仮説です。大きな温泉街の候補としては和倉温泉を考えているのですが、輪島温泉からも同じような「窓からの風景」が見えるようでして、現地調査にて確認したいと思っています。
(管理人より)(2001年5月5日追加)

矢萩さんから情報をいただいた、和倉温泉「多田屋」ですが、現地調査の結果、ペケと判断しました。和倉温泉の海岸沿いは高層建築の高級ホテルが押さえており、多田屋もごらんのとおりの外観でした。和風旅館は街の中に点在しており、めぼしいところを1時間半ほど歩いてみたのですが、全く見当違いの感が残りました。
やはり輪島近辺の方が原作に描かれているような純和風の大きな民家が多いので、雰囲気的に近いような気がしました。