![]() | >道産子ですさん 地元の方の情報ありがとうございます。 北海道では地域によって体育の授業でスキーをやるところと スケートをやるところがあると聞いています。 一の瀬さんの論理からすれば、一の瀬さんは誰でもスケートが できる地域、すなわち学校でスケートを取り入れている地域の 出身ということになりますね。 札幌が当てはまらないとなると、該当する大学はずっと限られます。 一の瀬さんが最短で出産までいったとすると、 昭和44年度 就職 昭和45年度 結婚 昭和46年度 賢太郎誕生 となり、昭和44年度以降に設立された大学は該当しません。 ○小樽商科大学(昭24) ○帯広畜産大学(昭24) ○室蘭工業大学(昭24) ○函館大学(昭40) ○北見工業大学(昭41) △旭川大学(昭43) …などが該当しそうです(駒大岩見沢は当時は短期大学)。 | |
![]() | 失礼しました。 ×駒大岩見沢は当時短期大学 ○苫小牧駒澤大学は当時短期大学 | |
![]() | 花枝さんの集団就職当時の移動手段(主にフェリー)を考えたら、 大洗〜苫小牧間のフェリーを使っていることも考えられます。 苫小牧説(大学推定:苫小牧駒沢大学) も考えられると思います。 余談ですが「機動警察パトレイバー」の泉野明の出身も苫小牧なんですよね…彼女も酒に強いし(笑)。 | |
![]() | ×…北海道派とても広く機構も場所によってはとても違います。 ○…北海道はとても広く気候も場所によってはとても違います。 お見苦しい投稿ですみません。 | |
![]() | 生粋の道産子です。 北海道派とても広く機構も場所によってはとても違います。 雪の多い地域、雪の少ない地域等があり、 スケートの得意な花枝さんは、太平洋側の地域出身と考えられます。 ちなみに太平洋側の都市では、室蘭、苫小牧、帯広、釧路などです。 これらの地域は、学校の体育の授業などでスケートを取り入れており、オリンピックのスケート選手も帯広方面出身者が多いです。 よって花枝が女学生の時に見た大学生の学校は、 北海道教育大学・釧路校 または、 帯広畜産大学 が推測されます。 (札幌はスキーの方がメジャーです)。 いかがでしょうか? | |
![]() | 川崎駅の近くで行われる、高橋留美子作品中心同人誌展示即売会るみけっと8 http://www.rumiket.org/ まで、あと一ヶ月となりました。 今年は、このころは首都圏では桜は全部散ってしまっている予報ですが、 会場の中は、華いっぱい!!なイベントを楽しみにしています。 | |
![]() | >マスター@茶々丸さん 最初は一の瀬氏の学歴について考察してみたのですが、断念して一の瀬さん でお茶を濁してしまいました(^^; 「賢太郎の年齢+平均初婚年齢」と仮定して裏付けをとってみたのですが、 仰るとおり、一の瀬さんは集団就職で上京した団塊の世代である可能性が 高いと思います。 ちなみに、北海道の主要な大学は明治〜昭和初期までに設立されており、 大学および地域の特定は出来ませんでした。 郁子ちゃんの母については更に不確定要素が多いので特定は難しいですね。 ただ、音無老人が太平洋戦争に従軍した世代であることは間違いないでしょう。 | |
![]() | 「一の瀬花枝の謎」、拝読いたしました。 だいたい私が考えていたのと同じでして、私も妥当な推論をしていたな、と安心して?います。 賢太郎くんの年齢からしても、一の瀬のおばさんは昭和21(1946)年から22(1947)年頃の生まれというのが、やはり、しっくりくるところでしょう。「団塊の世代」ですね。 響子さんとは約12、3歳違いということになり、妹なのか娘なのか、微妙なところです(笑) おばさんの高校生時代は昭和30年代後半となりますが、この頃、北海道で大学がある町は、今とは違って限られていたのではないかと思います。 向かいに大学生が下宿していたということは、札幌などの大きな町に住んでいたのでしょうか。 そして、東京へ出てきたのは時代性からして、「集団就職」だったのかもしれません。 こうなると、もう一人の同世代の女性「郁子の母」の生年が気になってきます。 賢太郎くんと郁子ちゃんの年齢差をそのまま当てはめると、彼女は昭和18(1943)年から19(1944)年頃の生まれと推定できそうです。 現代からすると意外に思えますが、「戦中派」の可能性が高いようですね。 一方で、彼女が音無老人の実子の場合ですが、昭和25(1950)年生まれの惣一郎氏との年齢差が少し開いているようにも思います。 他に兄弟姉妹がいる(いた)可能性は否定できませんが、「産めよ増やせよ」の時代、「多人数の兄弟は当たり前」の世相なのに、やや間が空いて姉弟二人だけというところにも、何か事情がありそうです。 例えば、父である音無老人が、郁子の母が産まれた頃に軍隊に取られて、抑留などあって、終戦後もなかなか帰ってこれなかった…というのは、どうでしょうか。 過酷な戦地を体験しているだけに「平和な時代なのに、若い者が不幸になってはいけない」という思いが音無老人の心の中にあり、だからこそ響子さんの幸せを願った…とまで行くと、考えすぎでしょうか?(笑) | |
![]() | すごーく前に1,2度書き込みさせて頂いた竹六です。おそらく1年以上前でしょうか(笑) 先週キッズステーションの放送を見たのですが、やっぱりいいですね。原作にはないシナリオでしたが、心がほっこりする脚本、大好きです。 めぞんを見ているといつも思うことで、皆さんもよく思うことだとおもいますが、携帯やPCが生活に登場して便利になりましたが、「便利になった」ことは必ずしも「幸せになった」とは限らないんですよね。 もちろん、便利になって生まれた「幸せ」はありますが、生まれなくなった、もしくは失った「幸せ」もありますからね・・・。 そんなことを改めて考えさせる日曜の夕暮れ時でした。 | |
![]() | スパム投稿が増えてきましたので、下サイトを参考に スパム対策を強化しました。 投稿拒否されるとか、何か不都合があれば御連絡ください。 http://swanbay-web.hp.infoseek.co.jp/index.html | |
![]() | ドラマ化とか耳にして、検索したら引っかかりました。 どーでもいい小ネタを。 1)連載当時、FM東京(今のTokyo FM)でスピリッツのCMをやって ましたが五代君は神谷明氏で、響子さんは麻上洋子氏だった。 手元に録音テープが残ってます(^^;。FMレコパル連動番組で小学館 の雑誌ではcan canとかのコマーシャルも流れてました。 2)連載当時、草津温泉の吊り広告(JR)に響子さんが使われました。 リハビリで温泉行ったエピソードの絵が使われてた記憶があります。 3)スピリッツの表紙をめぞん一刻が飾った事が1回あります。初期の オリジナル・イラストから、表紙を連載作品に切り替えて何回目かの ヤツです。 4)スピリッツが週間化してすぐにめぞん一刻の掲載は隔週化してます。 たしか「あぶない夜」くらいからだったかなぁ。当時、毎週買うか迷っ たっけ。 5)お便りコーナーといえば、五代君がソープに行った後、男性からの 抗議があったなぁ。次の週に女性から、おかしいねってお便りがあった。 ここ見て思ったんですけど、今でも、議論されてるんですね。 当時のスピリッツは間違いなく大人の雑誌でしたね。五代君は連載中の 各マンガの中でも、一番ガキっぽかったなぁ。男女のどろどろマンガ(^^; としては、同じ頃掲載の青柳裕介氏の作品の方がはるかに濃かった。 このサイトを見て、八神の年齢設定が私と同じ年齢だったと知りました。 連載当時は、響子さんは酷い人だと思いましたけど、今読むと、響子さん より、五代君の優柔不断さにあきれます(^^;;; | |
|