1958年に春陽堂書店から刊行された石原巌徹氏の「新編・紅楼夢」をオンライン書店で先日購入し、ようやく読了しました。ちなみにこの本は、紅楼夢関連の古書では、ネットでも比較的入手しやすい部類に入ると思います。表紙と挿絵は棟方志功氏によるものです。
ちょうど50年前に書かれた紅楼夢抄訳本であり、当時は中国で紅楼夢研究批判(紅楼夢論争)が始まって間もない頃です(奥野新太郎先生のあとがきでも触れられています)。
そんなこんなで感慨に浸りながらページを紐解くと、「~ですヮ」「~なのョ」などの表現に時代を感じつつも、訳文は意外にも軟らかく、本文中には適度に補完(改変も多々ありますが(^^;)もされていて読みやすいものでした。
個人的な印象ですが、先日刊行された同じ抄訳本の「要訳紅楼夢」は、回想や挿入話でなるべく多くのエピソードを盛り込もうとしていたのに対し、こちらはあまりつまみ食いせずに、宝黛絡みの主要なエピソードのみを時系列で並べて、あとはばっさりカットといった感じです。編訳のしかたによって随分変わるものだなぁと思いました。
松上さんは「紅楼空間」で「智能児、万児、多官などが登場するのに詩社の話がほとんど出てこないという編訳の仕方に好き嫌いが分かれるかと思います」と述べていますが、これは私も同感です。ただし、同じように中盤をカットした「要訳紅楼夢」ではあまり印象に残らなかった人物たちが活躍しているのは逆に面白いと思いました。
ちょうど50年前に書かれた紅楼夢抄訳本であり、当時は中国で紅楼夢研究批判(紅楼夢論争)が始まって間もない頃です(奥野新太郎先生のあとがきでも触れられています)。
そんなこんなで感慨に浸りながらページを紐解くと、「~ですヮ」「~なのョ」などの表現に時代を感じつつも、訳文は意外にも軟らかく、本文中には適度に補完(改変も多々ありますが(^^;)もされていて読みやすいものでした。
個人的な印象ですが、先日刊行された同じ抄訳本の「要訳紅楼夢」は、回想や挿入話でなるべく多くのエピソードを盛り込もうとしていたのに対し、こちらはあまりつまみ食いせずに、宝黛絡みの主要なエピソードのみを時系列で並べて、あとはばっさりカットといった感じです。編訳のしかたによって随分変わるものだなぁと思いました。
松上さんは「紅楼空間」で「智能児、万児、多官などが登場するのに詩社の話がほとんど出てこないという編訳の仕方に好き嫌いが分かれるかと思います」と述べていますが、これは私も同感です。ただし、同じように中盤をカットした「要訳紅楼夢」ではあまり印象に残らなかった人物たちが活躍しているのは逆に面白いと思いました。
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